「朝飯を食ったばかりなのに、もう腹が減ってきた」
「食べたのは三時間前よ」
「じゃあ空いても仕方ないねぇ!」
「仕方なくない」
六分街で一夜を明かした翌日。
朝一番で『TURBO』へ向かい、修理と調整を終えたオペラの義体を受け取った二人は、その足で朝食を済ませた。
あとは真っ直ぐルミナスクエアへ戻るだけ⸺のはずだった。
予定より遅れた原因は、義体の最終調整に時間がかかったこともある。
だが一番の原因は、朝食後にクラムが雑貨店へ寄り、エナジードリンクや菓子類を大量に買い込んでいたことだろう。
もっとも、本人に反省の色はないが。
「仕事場へ戻ったら何か食べようかな。アルペジオ断層の時に比べればカップ麺でもご馳走に思えるよ」
「あのね。肝心の薬剤は回収できていないのよ?」
「急に現実へ戻さないでくれる???」
「薬剤を持ち去った赤い服の正体も分からないまま」
「オペラって俺の気分を悪くするのが上手だね」
「事実を確認しているだけよ」
昼を少し回ったルミナスクエアは、いつもどおりの喧騒に満ちていた。
巨大な街頭広告が新商品の宣伝を流し、その下を人と車が途切れることなく行き交っている。
アルペジオ断層の荒涼とした風景を何十時間も見続けていたクラムにとっては、その騒がしさすら心地よく感じられた。
その雑踏の中で、オペラだけが唐突に足を止めた。
「クラム」
「うん?」
「緊急信号を拾ったわ。H.A.N.D.系統⸺発信元は近い」
クラムの足も止まる。
先日の千面相事件で六課と共同捜査を行った際、オペラの受信機には緊急時の連携用としてH.A.N.D.の救難帯域が登録されていた。
ただし、今回受信した波形は一秒にも満たない。
救助を求めるため意図的に送られた信号ではない。
閉鎖された回線から、接続情報の一部だけが無理やり弾き出されたような痕跡だった。
「ああ、これ神経接続系の緊急切断信号だね」
クラムがオペラの端末を覗き込む。
発信地点を割り出すまでもなかった。
二人の視線が、同時にHIAセンターへ向けられる。
施設の入口付近には、六課のグッズを身につけた人々が集まり、心配そうに内部を覗き込んでいた。
正面の大型ディスプレイには、公開VRテストの一時中断を知らせる表示が出ている。
「昨日、あなたが言っていたVRテストね」
「あー、やっぱり六課に何か起こってんのか」
昨日の柳との会話が蘇る。
今日行われている、HIAの新型VRシステムを利用した戦闘データ提供試験。
星見雅を含めた六課の面々も参加する予定だと言っていた。
「帰ってきたばかりなんだけどなぁ」
「じゃあ見捨てる?」
「まさか、行くぞ」
クラムは空腹のことなど忘れ、HIAセンターへ向かって駆け出した。
☆
「お待ちください! 現在奥のVR試験区画は関係者以外立入禁止です!」
受付の職員が二人の前へ立ち塞がる。
クラムは足を止めると、ホワイトスター学会の認証情報を端末上へ表示した。
「近くでVR筐体から神経接続系の緊急信号が出てる。機器の事故なら、ここで身元確認してる場合じゃないと思うけど」
「なぜ外部にいるあなた方が、その信号を……」
「先日の千面相事件で六課の捜査に協力した際、緊急帯域を共有されました。月城副課長へ確認してもらえれば分かります」
受付の職員が怪訝そうに認証情報を確認する。
ホワイトスター学会。
その名自体に問題はない。
だが、ホロウの研究を専門とする学会員が、なぜH.A.N.D.の緊急帯域を受信し、神経接続系の異常だと即座に見抜けたのか。
「あと、施設内の出入記録と内部端末の接続履歴は全部保全しておいて。外部から侵入されたように見せかけて、内部端末から仕込まれた可能性もある」
「内部犯がいると?」
「可能性の話だよ。何もなければそれでいい」
職員が返答に詰まった直後、受付の内線が鳴った。
『試験区画より緊急連絡! 参加者一名が強制ログアウト! 残る三名は依然として応答ありません!』
受付の空気が一変する。
職員がクラムとオペラの認証情報を見比べたあと、試験区画へ短い確認を取った。
やがて、奥へ続く隔壁のロックが解除される。
「……入場を許可します。ですが、必ず現場責任者の指示に従ってください」
「話が早くて助かるよ」
「急ぐわよ」
オペラが先に隔壁を抜け、クラムもそのあとを追う。
試験区画へ近づくにつれ、警報音が大きくなっていった。
☆
最奥の試験区画には、数基の大型VR装置が並んでいた。
そのうち三基は閉じたまま。
狐耳のシリオンの女性
青い肌の鬼の少女
弓を携えた青年
星見雅、蒼角、浅羽悠真の三人が、それぞれ装置内で目を閉じている。
残る一基だけが開き、その傍らでは眼鏡をかけた女性が床へ片膝をついていた。
強制的に意識を現実へ引き戻された影響だろう。
呼吸は乱れ、まだ足にも十分な力が入っていない。
それでも女性⸺月城柳は、装置の縁を掴んで立ち上がると、すぐさま制御端末へ手を伸ばした。
「再接続を……お願いします」
「無理です! 月城副課長の認証情報だけが、システム側から排除されています!」
「直前のセッションは残っているはずです。新しいリンクを構築してください」
「外部回線も遮断されています! 現在、H.A.N.Dの電子戦部隊へ緊急要請を──」
「待てません」
柳は職員に代わって端末を操作する。
再接続
アクセス拒否
もう一度
やはり結果は変わらない。
残る三基の装置は閉じたまま。画面上では、三人の脳波と神経接続が継続している。
さらに、その横には『戦闘データ解析率』と記された数値が表示されていた。
浅羽悠真、100%
蒼角、100%
星見雅、92%
「脳波は切れていない」
突然聞こえた声に、柳が振り向く。
オペラは返答を待たず、VR装置の生体情報を確認していた。
「三人とも意識はまだVR側に残っているわ。強制切断による脳神経への損傷も今のところ確認できない」
「オペラさん……?」
「どうも柳さん。昨日ぶりだけど」
続いて制御端末へ近づくクラムを認め、柳の目が僅かに見開かれる。
「クラムさんまで……なぜ、ここへ?」
「近くで緊急信号を拾ったんですよ。昨日何かあれば手を貸すって約束しましたからね」
柳は驚きを押し殺すように眼鏡の位置を直した。
「まさか翌日にお願いすることになるとは思いませんでした」
「俺も、社交辞令じゃなかったことをこんなに早く証明されるとは思わなかったよ」
軽口を返しながらも、クラムの視線は三基のVR装置へ向けられている。
雅の解析率が、93%へ上昇した。
「状況を手短に」
「……4人でVRテストに参加した直後、システムが外部から乗っ取られました。私は安全性を優先した設定を選択していたため、3人より早く異常に気づくことができたのですが……」
「相手に気づかれて、柳さんだけを外へ追い出した」
「はい。その後私の認証情報だけが書き換えられています。先日の事件で逮捕を免れた、千面相の残党による報復だと思われます」
「チッ、昨日の今日で報復かよ。ずいぶん仕事の早い連中だな」
クラムの表情から、普段の気の抜けた笑みが消える。
「端末借りるぞ」
「待ってください!」
HIAの緑髪の技術者が慌てて制止する。
「現在、VRシステムは外部から不正操作を受けています。無理に接続すれば、状況がさらに悪化する可能性があります!」
「彼らは、無関係ではありません」
柳が即座に技術者を遮った。
「先日の千面相事件において、私たちの捜査に協力した人物です。接続を許可してください。責任は私が負います」
「しかし……」
「H.A.N.Dの電子戦部隊の到着まで、あとどれほどかかりますか?」
技術者は答えられなかった。
その間にも、雅の解析率は上昇し続けている。
94%
「時間がありません。お願いします、クラムさん」
「あいよっと」
クラムは背中へ手を回し、うなじに格納されていたデータジャックを引き出した。
「新型か、規格合うかな?」
発言とは裏腹に問題なくケーブルを制御端末へ接続する。
青白いデータ光が走り、膨大な情報がAR上へ展開され、第三者にも分かるように実体化する。
「オペラ、柳さんと残る3人の神経同期を監視して。急激な変化があったら、すぐに教えて」
「分かったわ。そっちは?」
「中へ戻る道を探す」
オペラは携帯端末をVR装置へ有線接続し、4人分の生体情報を個別のウィンドウへ表示させた。
クラムの視界には、それとは比較にならない量のデータが流れ込んでいる。
HIAの正規プログラム
管理権限を横取りしている不正なコード
複数のサーバーを経由する外部通信
その構造を一通り確認したところで、クラムの目つきが変わった。
「……見つけた」
「もう分かったのですか?」
「前に連中の暗号を破った時と同じ癖が残ってる。何重にも偽装してるけど末端の処理が使い回しだ」
クラムは不正なコードを一部だけ切り離し、柳たちにも見える形で表示した。
「大人数で同じ道具を共有してるから、一人の穴を見つければそこから芋蔓式に辿れる」
「先日も同じことを仰っていましたね」
「ほら、嘘じゃなかったでしょ?」
柳は一瞬だけ沈黙した。
それだけで可能になるレベルの技術ではない。
だが、今は追及している場合ではなかった。
「再接続は可能ですか?」
「直前のセッションはまだ残ってます。ただ柳さんの認証情報だけ狙い撃ちで拒絶されてて……」
「識別情報を書き換えれば?」
「名前や認証番号だけじゃ無理です。向こうも柳さんの神経パターンを記録してる」
雅の解析率が95%へ上昇した。
柳の視線が鋭くなる。
「では、どうすれば?」
「柳さんとして入れないなら、人間として入らなければいい」
クラムは、柳が強制ログアウトさせられた際に発生したエラー記録を開く。
切断に成功したという記録と、そして異常切断を報告する記録。
柳の意識が仮想空間内に残っていないか確認するための、定期的に送り込まれている安全確認用のプログラム。
千面相側のシステムは柳本人を拒絶し続けているが、仮想空間内を巡回する検査プログラムまでは締め出していなかった。
「柳さんの接続情報を安全確認用のプログラムに偽装する。残っているセッションに紛れ込ませれば、向こうからは人間じゃなくシステムに走ってる検査プログラムに見えるはずだ」
「そのようなことが……」
HIAの技術者が、目の前で書き換えられていく認証情報を呆然と見つめる。
「できます。ただし、問題が一つ」
クラムは三人のVR装置を示した。
「俺ができるのは柳さんを中へ戻して、万が一のバックドアを用意するところまでです。三人を外から強制ログアウトさせることはできない」
「電源を落とすことは?」
緑髪の技術者が話しかけてくる
「アンタ技術者なのにパソコンがフリーズしたら電源ぶち抜くタイプ?状況によっちゃそれも手だが、意識は向こうのシステムと同期してんだ、切断した瞬間にどうなるかわかるだろ?」
「つまり、仮想空間の内部から支配権を取り戻す必要があると?」
「そういうこと」
柳は迷うことなく、先ほど転がり落ちたばかりのVR装置へ戻ろうとした。
一歩踏み出した瞬間、身体がよろめく。
オペラが即座に柳の腕を支えた。
「待って。強制ログアウトの負荷が残っているわ」
「ですが」
「止めるつもりはないわ。せめて神経波形を安定させてから接続して」
オペラは柳を装置へ座らせ、接続用の端子を取り付けた。
「自分が無茶すればどうにかなると本当に思っている。よく似ているわね、アナタたち」
「誰とですか?」
オペラがクラムへ視線を向ける。
本人は聞こえなかったふりをして、端末の操作を続けていた。
「クラム。柳の再接続準備は完了したわ」
「こっちも、もう少し……よし。経路を確保」
実体化されたAR上へネット状況が視覚的に表示される。
無数の線が伸び、そのうちの一本だけが千面相の監視網をすり抜ける。
細く不安定な経路で、柳一人を通すだけでもいつ閉ざされるか分からない。
「柳さん」
「はい」
「中に入ったあとは、俺からほとんど干渉できません。向こうで何が起きても、対処するのは柳さん自身です」
「分かっています」
「再接続に気づかれたら、連中はこの経路を全力で潰しに来る。時間はあまりないと思ってください」
「十分です」
柳は目を閉じた。
「私が三人を連れ戻します。帰還経路の維持をお願いします」
「任されました」
クラムが実行キーへ指を置く。
「それじゃ、幸運を」
サイバーパンクシリーズとか攻殻機動隊みたいな作品が好きなのです