ルートB   作:かりん2022

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逆行

 世界が滅びた。

 

 みんなが精一杯頑張った。

 

 本当に、頑張ったのだ。

 

 先生も。

 先輩も。

 後輩も。

 桜も。

 健も。

 

 あの胡散臭い教祖ですら、最後には死に物狂いで世界を救おうとしていた。

 

 でも、ダメだった。

 

 空を覆った巨大な妖魔。

 

 何千、何万と湧き出した眷属。

 

 僕達はそれを殺して、殺して、殺し続けた。

 

 腕が上がらなくなるまで武器を振った。

 力が尽きるまで術を使った。

 

 それでも足りなかった。

 

 最後に見たのは、真っ黒に染まった空だった。

 

 それで終わり。

 

 世界は滅びた。

 

 ◇

 

 真っ暗な場所で、僕は微睡んでいた。

 

 死んだのだと思う。

 

 痛くはない。

 

 苦しくもない。

 

 ただ、後悔だけがあった。

 

 もっと強ければ。

 

 もっと早く気づいていれば。

 

 あの時、ああしていれば。

 

 先生を死なせずに済んだかもしれない。

 

 桜を助けられたかもしれない。

 

 黒影だって――。

 

 ――黒影?

 

『こら! そっち行くなって!』

 

 誰かが叫んだ。

 

 小さな犬が走っている。

 

 黒い毛並み。

 ふさふさの尻尾。

 

 草の上を転げるように走って、僕のところへ戻ってくる。

 めちゃくちゃ可愛い。

 

『よーし。いい子だ』

 

 僕の手が犬の頭を撫でた。

 

 犬が嬉しそうに目を細める。

 

 尻尾がぶんぶん振られていた。

 

 ぺろぺろと手のひらを舐めるのがくすぐったかった。

 

 なんだ、これ。

 

 知らない。

 

 僕は犬なんて飼っていない。

 

 場面が変わる。

 

 森。

 

 木漏れ日。

 

 僕の足元を、さっきの犬が歩いている。

 

 少し離れたところに、奇妙な生き物がいた。

 

 人間ではない。

 

 妖魔――。

 

 違う。

 

 精霊。

 

 なぜか、その言葉が自然に浮かんだ。

 

『大丈夫』

 

 僕がしゃがむ。

 

『怖くないよ』

 

 何してる。

 

 離れろ。

 

 危ないだろ。

 

 なのに僕は笑っている。

 

 犬も警戒していない。

 

 奇妙な生き物が、そっと僕の手に触れた。

 

 僕の指に嵌められた指輪が輝く。

 

 精霊は安らかな顔をして溶けて消えていく。

 

 知らない。

 

 こんなこと、したことがない。

 

 場面が変わる。

 

 雀が飛んでいる。

 

 その下で、一人の男が笑って手を差し出した。

 

 知っている。担任の先生だ。

 

 雀がその指に止まる。

 

 僕はその顔を知っている。

 

 知っているはずなのに。

 

 おかしい。

 

 僕の知っている先生は、こんな服を着ない。

 

 こんなふうに雀に向かって微笑んだりしない。

 

 また変わる。

 

 夜。

 

 黒猫。

 

 血の臭い。

 

 暗い服を着た男が、月の下に立っている。

 

 足元に黒猫。

 

 その周囲に倒れているのは――妖魔。

 

 男が笑う。

 

 楽しそうに。

 

 ぞっとするほど楽しそうに。

 

 こいつも知っている。

 

 でも知らない。

 

 知らない。

 

 知らない。

 

 なのに。

 

 どうしてこんなに懐かしい。

 

 おかしい。

 

 僕は誰だった?

 

 どこまでが僕だ?

 

 世界が滅びて。

 

 僕は死んで。

 

 それから――。

 

『うん』

 

 声がした。

 

 知らない声だった。

 

 男とも女とも分からない。

 

 なのに妙に楽しそうだった。

 

『ちょうどよく混じったね』

 

 混じった?

 

『さあ、二周目と行こうか』

 

 待って。

 

 何をした。

 

 聞きたいことが山ほどある。

 

 なのに、何かが頭の中へ流れ込んできた。

 

 熱い。

 

 痛い。

 

 知らない。

 

 知らないものが入ってくる。

 

 僕じゃない。

 

 でも。

 

 これは――。

 

 僕だ。

 

 最後に、僕は二つに割かれて投げられた。

 

 

 ◇

 

「――以上をもって、入学式を終了します」

 

「うわぁっ」

 

 目を開けた。びっくりして叫んでひっくり返る。

 

 体育館だった。

 

 制服姿の少年と少女。

 たった二人の同級生。

 

 壇上。

 校旗。

 教師。

 

 僕も制服を着ていた。

 

「…………え?」

 

 隣から肘で小突かれた。

 

「はぁぁ。入学式で居眠り? 先が思いやられるわね」

 

 女の子が呆れた顔で僕を見ている。

 

 肩まで伸ばした髪。

 ちょっとつり上がった目。

 

「桜……」

 

「何よ。名乗ったっけ?」

 

 生きている。

 

「桜」

 

「だから何」

 

「…………桜」

 

「怖い怖い怖い。何? 寝ぼけてんの?」

 

 生きてる。

 

 桜が生きている。

 

 喉の奥が詰まった。

 

「おい、大丈夫か?」

 

 今度は反対側から声をかけられる。

 

 男子。

 

 会った数は数回。でも絶対忘れなかった顔。

 

「今日から任務だぞ。しっかりしろよ」

 

「健」

 

「おう。初めまして。お前は名前なんて言うんだ?」

 

「琥珀。…………今日の任務」

 

「今日の任務?」

 

 思い出した。

 

「健死ぬわ」

 

「なんでだよ!?」

 

 思ったより大きな声が出たらしい。

 担任の先生はため息をついて原稿を片付けた。

 桜が口元を押さえている。

 

「ぷっ」

 

「笑うな! おい、なんで俺死ぬんだよ!」

 

「妖魔の死んだふりに騙されて」

 

「騙されねーよ!」

 

「本当でござるかぁ?」

 

「なんだその喋り方!?」

 

 生きてる。

 

 健がうるさい。

 

 信じられないくらいうるさい。

 

 ああ。

 

 僕は。

 

「……よかった」

 

「何が!?」

 

 思わず笑ってしまった。

 

「お前が馬鹿で」

 

「喧嘩売ってんのか!?」

 

 桜がとうとう吹き出した。

 

 僕も笑った。

 

 笑ったら、少しだけ泣きそうになった。

 

 ◇

 

 夢じゃなかった。

 

 日付を確認した。

 

 十年前。

 

 僕達が入学した日だ。

 

 世界が滅びる十年前。

 

 僕は15歳。

 

 体も15歳。

 術の出力も15歳。

 ピッチピチの高校一年生。

 

 最悪だ。

 

 いや。

 

 最高だ。

 

 10年もある。

 

 10年もあるのだ。

 

 先生もいる。

 

 桜もいる。

 

 健もいる。

 

 まだ誰も死んでいない。

 

 世界だって青空の下にある。

 

 だったら。

 

 今度こそ。

 

 絶対に。

 

「聞いてんの?」

 

「聞いてる」

 

「絶対聞いてなかったでしょ」

 

 桜に睨まれた。

 

 僕達は入学式と先生から武器を下賜される儀式を終えて、そのまま初任務の説明を受けていた。

 

 今考えると、とんでもない学校だと思う。

 

 入学式当日に武器を与えられて実戦。

 

 でも当時は疑問にも思わなかった。

 

 妖魔はいる。

 

 人を襲う。

 

 だから僕達が殺す。

 

 それだけの話だ。

 

「対象は低級妖魔一体。廃ビルに住み着いている」

 

 担任が地図を広げる。

 

 若い。

 

 先生が若い。

 

 当たり前だけど。

 

「住民の避難は終わっている。君達には実戦を経験してもらう。危険と判断した場合は僕が処理する」

 

 そうだ。

 

 この任務。

 

 簡単な仕事だった。

 

 低級妖魔。

 

 僕達三人でも十分倒せる。

 

 問題は――。

 

「健」

 

「なんだよ」

 

「死んだふりするからな」

 

「まだ言ってんの!?」

 

「絶対近づくな」

 

「分かったって!」

 

「本当に?」

 

「分かった!」

 

「目を潰して、首を落として、それでも十秒待て」

 

「怖えよ!」

 

 先生が僕を見る。

 

「……慎重なのはいい事だね。でも僕の話も聞いてね?」

 

「すみません」

 

「よろしい」

 

 先生が頷いた。

 

 この時の僕達は知らなかった。

 

 妖魔の死んだふりなんて。

 

 僕も知らなかった。

 

 健が死んで初めて知った。

 

 だから今度は大丈夫だ。

 

 未来を知っている。

 

 僕は世界が滅びることを知っている。

 

 誰がいつ死ぬかも、全部ではないけれど知っている。

 

 10年。

 

 10年あれば変えられる。

 

 変えてみせる。

 

 ――そう思った時だった。

 

『わん!』

 

「…………」

 

 犬の声がした。

 

 振り返る。

 

 いない。

 

「どうした?」

 

「……いや」

 

 気のせいだ。

 

 ◇

 

 廃ビルは記憶通りだった。

 

 割れた窓。

 

 剥がれた壁。

 

 黴と埃の臭い。

 

「うわー、出そう」

 

 健が言う。

 

「出るから来たんでしょ」

 

「雰囲気の話!」

 

 桜が先頭。

 

 健が真ん中。

 

 僕が最後尾。

 

 先生は少し離れたところから僕達を見ている。

 

 懐かしい。

 

 全部覚えている。

 

 三階。

 

 階段を上がる。

 

 右側の廊下。

 

 三番目の部屋。

 

「来るよ」

 

「え?」

 

 壁が吹き飛んだ。

 

「うおっ!?」

 

 黒い塊が飛び出した。

 

 四本足。

 

 犬より大きい。

 

 猿にも似ている。

 

 顔の半分が口。

 

 低級妖魔。

 

「散れ!」

 

 桜が叫ぶ。

 

 三人が別方向へ跳ぶ。

 

 健が武器を抜いた。

 

 僕も抜く。

 

 体が重い。

 

 遅い。

 

 10年後の体じゃない。

 

 でも。

 

 動きは全部知っている。

 

「右!」

 

「おう!」

 

 健が避ける。

 

「桜、三秒後に跳ぶ!」

 

「はぁ!?」

 

「いいから!」

 

 一。

 

 二。

 

 三。

 

 妖魔の尾が床を薙いだ。

 

「うわっ!」

 

 桜が跳ぶ。

 

「なんで分かったの!?」

 

「後で!」

 

 知っている。

 

 こいつの動きを。

 

 何度も夢に見た。

 

 健を殺した妖魔だから。

 

 僕達は追い詰めた。

 

 桜の術が足を焼く。

 

 健の刃が脇腹を裂く。

 

 僕が前脚を落とす。

 

 妖魔が倒れた。

 

 動かなくなる。

 

「やった?」

 

 健が言った。

 

「健」

 

「分かってるって」

 

 動かない。

 

 一秒。

 

 二秒。

 

 三秒。

 

「…………」

 

 健がじりじり近づく。

 

「おい」

 

「確認だけ」

 

「近づくなって」

 

「もう死んで――」

 

 妖魔の目が開いた。

 

「うわぁぁぁぁぁ!?」

 

 大口が健に迫る。

 

 健が死に物狂いで後ろへ転がった。

 

 牙が鼻先を掠める。

 

 先生が動こうとする。

 

 その前に、僕が妖魔を蹴り飛ばした。

 

「言っただろ!!」

 

「わ、分かってた! 分かってたから!」

 

「完全に騙されてたじゃん!」

 

「騙されてねえ!」

 

「嘘つけ!」

 

「うるせえ! 生きてるからいいだろ!」

 

 生きてる。

 

 健が。

 

 生きている。

 

「…………そうだね」

 

「なんだよ急に」

 

「生きてるからいいや」

 

「お、おう……?」

 

 桜が変な顔をしていた。

 

 先生も。

 

 でもいい。

 

 本当に、それだけでいい。

 

 僕は武器を握り直した。

 

「終わらせよう」

 

 妖魔が唸る。

 

 前脚一本。

 

 脇腹に傷。

 

 もうまともには動けない。

 

 僕は知っている。

 

 ここからこいつを殺す。

 

 前回もそうした。

 

 今度も。

 

 武器を振り上げた。

 

 ――怖い。

 

「…………え?」

 

 手が止まった。

 

 怖い。

 

 違う。

 

 僕じゃない。

 

 僕は怖くない。

 

 何百、何千と妖魔を殺してきた。

 

 こいつだって一度殺した。

 

 怖いのは――。

 

 こいつ?

 

 妖魔が僕を見ている。

 

 唸っている。

 

 牙を剥いている。

 

 でも。

 

 違う。

 

 威嚇。

 

 痛い。

 

 怖い。

 

 逃げたい。

 

 来ないで。

 

 殺さないで。

 

「…………は?」

 

 何だこれ。

 

 頭の中に、知らない感覚が流れ込んでくる。

 

 妖魔を見る。

 

 いや。

 

 違う。

 

 この子を見る。

 

「…………この子?」

 

 自分で言って、自分でぞっとした。

 

 誰だ。

 

 今の。

 

 誰の言葉だ。

 

「どうした!」

 

 先生の声。

 

 妖魔が跳んだ。

 

「琥珀!」

 

 桜が叫ぶ。

 

 僕は反射的に手を伸ばした。

 

 武器ではなく。

 

 左手を。今の僕には指輪はないのに。黒影だっていないのに。

 

「――伏せ」

 

 妖魔が。

 

 伏せた。

 

「…………」

「…………」

「…………」

 

 全員が固まった。

 

 僕も固まった。

 

 妖魔が床に腹をつけている。

 

 震えていた。

 

 僕の左手からは力が注がれている。

 何度も使った。黒影と一緒に。

 そう、◾️◾️◾️は使い魔から力を汲み上げて使う。

 媒体も源もなしに出来ることなんて、ちょっと鎮めるくらい。

 それでも、ずっと僕はこれを使ってきた。体が覚えてる。

 

 森で。

 

 川で。

 

 傷ついた精霊に。

 

「……力を抜いて」

 

 言葉が勝手に出る。

 

「もう大丈夫だから」

 

 妖魔から黒い靄抜け出て、僕の手のひらで丸まった。

 

 その、嫌な感じを凝縮した石の名を、僕は知っていた。

 

 黒泥石。悪意を固めたもの。

 

 妖魔は核を失ったかのように溶けて消えてしまった。

 

「何やったの、お前」

 

 僕の手には、黒泥石が嫌な感じを振り撒いていた。

 

「えーっと。これ、どうすればいい?」

 

「何やったの?」

 

先生が問いかける。

 

「なんなんでしょうね?」

 

 どうやって処理してたっけ、これ。

 ええと、邪念の塊、なんだよね。これ。

 

 処理方法1。食べて瞑想で邪念を散らす。

 処理方法2。使い魔に合成して悪の使い魔を作る。

 処理方法3。封印する。

 

 うーん、うーん。

 

「食べます!」

「食べない」

 

 ペチンっと頭を叩かれ、回収された。

 

「それ、悪意の塊というか、危ないもので」

「尚更食べちゃダメでしょ」

「それはそう。なんで食べるって話が出たんでしょうね?」

「君が食いしん坊だからでは?」

「そうかも」

「変なの食うなよ、琥珀」

 

 そうして、その日の任務は終わった。

 石については、先生が調べてくれる事になった。

 

「よーし、初任務祝い行こっか! クレープ奢るよー」

「やったー!」

「先生大好き!」

「甘いの大好きー!」

 

 なんて事ない日常。

 

 いや。

 

 僕にとっては、10年前の三人。

 

 取り戻した光景。変えた選択肢。書き換わった歴史。

 

 嬉しい。けれど証明されてしまった。

 

 もう一人の、僕の記憶。

 

 退魔師じゃない。

 

 調霊師。

 

 もう一つの、滅びを迎えた世界の記憶。

 

 なんだっていい。

 

 なんだって利用して、僕は世界の滅びを回避する。

 

 なら、やるべきことも決まっている。

 

 死んだ人を生かす。

 

 足りなかった力を集める。

 

 そして――。

 

 僕は一人の男を思い出した。

 

 胡散臭く、誰より危険視されて、妖魔との融和なんてものを唱えていたイカれた教祖。

 

 正義を振り翳し、誰より傲慢に、精霊に反旗を翻した総裁。

 

 いつだって世界に背を向けて、いつだって世界の破滅をあと一歩で救いかけた異端児。

 

 山彦 鏡佳。

 

「…………あの男は使える」

 

 かつての歴史で、あの男の計画は失敗した。

 当然だ、あの男すら理想を信じてなかった。

 ただ妖魔を操ろうとしただけ。だから妖魔を鎮めきれなかった。

 

 それでもいいところまでは行った。

 

 最後には、先生達が戦うしかなかったけれど……。

 

 僕なら、山彦の知識を使えば、妖魔を鎮められるんじゃないか?

 

 完全に操る必要はない。弱体化と封印さえできればとりあえずいい。

 

 以前、僕は迷える子羊だった。

 

 世界を救うためなら、教祖だって導いてやる。

 

 僕こそジョーカー。世界の切り札だ。

 

 

 

 遥か彼方から、楽しそうな声がした。

 

『その調子で二つ目をものにしてね』

 

 僕の心臓が、一度だけ大きく鼓動を打った。

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