そのままだと物凄く読みにくいけど、ちゃんとしてると言えばしてるので。
月喰を作ってから三日。
僕は朝から、ものすごく機嫌が良かった。
「はい、月喰。あーん」
「きゅ!」
小さく切った果物を差し出すと、月喰は嬉しそうに口を開けて食べた。咀嚼するたびに小さな角がぴこぴこと揺れる。可愛い。
「美味しい?」
「きゅー!」
「そうかそうか。いっぱい食べて大きくなろうねぇ」
「朝から甘やかしすぎじゃない?」
後ろから声をかけられて振り返ると、桜が呆れた顔で立っていた。その隣では健が、月喰の皿を覗き込んでいる。
「何食ってんの?」
「果物」
「式神と違って物食べるんだな」
「実態あるんだから当然でしょ」
「へえ」
健が感心したように月喰へ顔を近づける。
「じゃあ肉も食う?」
「食べると思う」
「焼肉行けるじゃん」
「月喰は高級肉しか食べません」
「勝手に決めるなよ」
「きゅ!」
月喰がむふー! と返事をする。可愛い。
「ほら、本人もそう言ってる」
「絶対それ便利に使ってるだろ」
失礼な。
僕と月喰には強い絆がある。たとえ正確な言葉が分からなくても、気持ちは通じている。多分。
月喰は果物を食べ終えると、満足そうに僕の腕へよじ登ってきた。そのまま肩へ乗り、頬へ頭を擦りつける。
「可愛い……」
「はいはい」
桜の視線が生温かい。
何だその目は。
月喰は可愛いし、月喰という名前は格好いい。何一つおかしなところはない。
「琥珀」
先生が僕達を呼んだ。
「今日は月喰も連れていくよ」
「本当ですか!」
「そのための監視期間だからね。実際の任務でどう動くか確認したい」
「やったな、月喰!」
「きゅー!」
月喰が翼をぱたぱたさせる。
まだ長くは飛べない。けれど、最初に比べればかなりしっかり動くようになっていた。
「ただし、条件は忘れないように」
先生の声が少し低くなる。
「はい」
僕は月喰を抱き直した。
月喰が人間を襲う兆候を見せた場合、先生が処分する。あの約束は消えていない。
「僕がちゃんと見ます」
「うん」
先生はそれ以上言わなかった。
◇
今日の任務は、住宅地から少し離れた古い資材置き場だった。
目撃されたのは四足歩行の低級妖魔。すでに一人が腕を噛まれているが、命に別状はない。周囲の避難も終わっている。
「基本は討伐でいいんですよね?」
健が聞くと、先生は少し考えてから頷いた。
「危険ならね。ただ、琥珀の力も確認したい」
「僕の?」
「妖魔を鎮めた術。あれが再現できるかどうか」
そう言われて、僕は左手を見る。
指には、銀色の指輪が嵌っている。
月喰を作った時、銀の輪とパワーストーンを材料として使った。その時に一緒に生成されたものだ。細身の銀の指輪。その中央に、小さな石が嵌め込まれている。
これが媒体。
月喰が源。
今は両方揃っている。
「出来ると思います」
「思う、なんだ」
「自信満々で失敗するよりいいでしょう?」
「それはそうだけど」
桜が笑う。
「使う時、何か変わるの?」
「多分、かなり」
自分でも楽しみだった。
指輪を通して月喰の力を汲み上げる。
その感覚を、僕は知っている。
知らないのに、知っている。
それが未だに気持ち悪くもあり、懐かしくもある。
◇
資材置き場へ入った瞬間、月喰が僕の肩で小さく唸った。
「きゅる……」
「どうした?」
頭を撫でる。
妖気は感じる。強くはない。低級で間違いない。
けれど、それとは別に。
「……痛い?」
「誰が?」
健が聞く。
「分からない」
指輪へ触れる。
月喰との繋がりが、はっきり分かる。胸の奥に一本の道があるようだった。
そこへ意識を向けると、力が流れてくる。
「…………」
同時に。
知らない感覚が混ざった。
痛い。
怖い。
逃げたい。
苛立つ。
殺す。
近づくな。
「いる」
僕は顔を上げた。
「右!」
資材の山が弾け飛んだ。
黒い影が飛び出す。
犬に似ている。けれど脚が異様に長く、口は耳元まで裂けていた。
「来る!」
桜が横へ跳ぶ。
健が前へ出る。
「おら!」
刃が妖魔の前脚を掠めた。
「ギャァァ!」
悲鳴が響く。
その瞬間。
僕の胸まで痛んだ。
「待って!」
「何だよ!」
「こいつ、さっきから痛がってる!」
「今斬ったからだろ!」
「その前から!」
妖魔は健を狙うのをやめ、資材へ体を叩きつけ始めた。
一度。
二度。
同じ場所を。
「……背中?」
右側。
何かが引っかかる。
「先生、右の背中に何かあります!」
「見える?」
「感じる!」
「分かった。健、引きつけて。桜、右へ回って」
「はい!」
先生の指示で二人が動く。
健が前へ出て注意を引きつける。
「こっちだ!」
「ギャァ!」
「死んだふり以外なら怖くねえぞ!」
「限定的すぎる!」
桜が突っ込むのをこらえながら右側へ回り、僕もその後を追った。
見えた。
「刺さってる!」
黒い毛の下。
黒い杭が深く肉へ食い込んでいる。
「呪具かな?」
先生が距離を取りながら確認する。
「多分」
よく見れば、呪詛らしきモノが杭に刻まれている。
長く刺さったままだったのだろう。周囲は赤黒く腫れ、黒い膿のようなものも見えた。
痛いはずだ。
ずっと。
「抜ける?」
「やります」
「琥珀!」
桜が叫ぶ。
妖魔がこちらを向いた。
牙。
殺意。
恐怖。
痛み。
全部が一気に押し寄せる。
僕は指輪へ触れた。
「月喰」
「きゅ!」
力を借りる。
今度は、はっきり分かった。
月喰から流れてきた力が指輪へ集まり、そこで整えられる。
そうして、目の前の妖魔と接続する。
「――伏せ」
妖魔の脚が止まった。
「グ……」
震える。
抵抗している。
当然だ。
『慈しむことが大事なんだよ』
先生。大丈夫。わかってる。
必要なのは力尽くで押さえつけることじゃない。
「大丈夫」
左手を向ける。
「痛いのを取るだけ」
一歩。
妖魔が唸る。
「近づかないでほしいのは分かる。でも、そのままだともっと痛い」
もう一歩。
「力抜いて」
指輪が淡く光る。
月喰の力が僕を通り、妖魔へ流れ込む。
妖魔の肩から力が抜けた。
ゆっくりと伏せる。
「…………」
健がぽかんとしている。
「本当に伏せた」
「今そこ感心するとこ?」
桜が小声で返す。
「だって妖魔だぞ?」
「静かにして」
僕は妖魔へ近づいた。
背中へ手を伸ばす。
「抜くよ」
「グゥ……」
「痛いけど我慢して」
杭を掴み、一気に引き抜く。
「ギャァァァァ!」
「大丈夫!」
妖魔が暴れかける。
指輪へ力を通す。
「もう終わった!」
傷口から血と膿が流れる。
酷い臭い。
でも。
最初に感じた激しい苦痛が、少しずつ薄れていく。
「…………」
まだ。
何かある。
黒い。
奥に。
絡みついている。
悪意。
怨み。
苦痛。
邪念。
「これか」
僕は左手を傷口へかざした。
「月喰、もう少し」
「きゅ!」
力が流れる。
指輪が光る。
妖魔の体から、黒い靄が滲み出した。
「見える」
桜が息を呑んだ。
「俺にも」
健も。
黒い靄は煙のように揺れながら、僕の手のひらへ集まってくる。
重い。
嫌な感覚。
でも。
扱い方は知っている。
「……来い」
引く。
少しずつ。
妖魔の輪郭が揺れる。
「琥珀」
先生の声。
「無理なら止めて」
「大丈夫です」
まだいける。
「月喰」
「きゅー!」
最後。
強く引く。
黒い塊が妖魔の体から抜けた。
それは僕の手の中で固まり、小さな黒い石になる。
「…………」
妖魔は。
消えずにその場に残っていた。
ただ、半透明でずっとあやふやな存在へと置き換わっていた。
「え?」
僕が一番驚いた。
「消えない」
妖魔はお座りした状態になり、遠吠えをしてふっと消えた。
消滅したんじゃない。どこかへ行っちゃった。
「何で?」
自分でも分からない。
前は。
黒いものを抜いた後、妖魔そのものが溶けて消えた。
でも今回は、消滅しなかった。
ただ、半透明になって去っていった。
「琥珀」
先生が慎重に近づく。
「あれはどこへ消えた?」
「……分かりません。消滅したのではなく、どこかへ逃げてしまったようです」
「攻撃する感じは?」
「ほとんどないです」
「ほとんど?」
「多分」
先生は少し考えた。
「分かった。報告を上げておく」
「はい、あの、すみません」
「あのこの危険は殆どないんだろう?」
「はい」
「なら大丈夫。後は任せて」
「はい」
同じだ。
この先生も。
雀を指へ止めていた先生も。
きっと。
根っこは。
「何?」
「何でもないです」
「そう?」
僕は少しだけ、嬉しかった。
◇
学校へ戻ってから、先生は報告書を書き始めた。
僕と桜と健は、机の周りに座っている。月喰は僕の膝で果物を齧っていた。
「月喰、食べながらこぼさない」
「きゅ」
「偉い」
「そこ報告書にいらないからね」
先生が言う。
「重要です」
「何が?」
「食生活」
「別紙にしようか」
「お願いします」
「本気なの?」
桜が笑う。
先生はため息をつきながら、ペンを走らせる。
「対象。低級妖魔一体。背部に呪具が刺入。呪詛と負傷による強い痛みと興奮状態を確認」
「はい」
「琥珀が未知の術を使用し、攻撃性を低下」
「未知じゃないんですけど。調霊術」
「調霊術?」
「荒ぶる魂を調律する術です」
「じゃあ、そう書いておくね」
「はい」
「その後、対象内部から黒色物質を抽出。物質は結晶化」
「はい」
「対象は消滅せず、存在を維持。攻撃性は著しく低下」
「はい」
先生が手を止めた。
「琥珀」
「はい」
「今回は、前より術が安定していたね」
「指輪と月喰が揃ってるからだと思います」
「指輪?」
健が食いついた。
「それ?」
僕の手を見る。
「うん」
「ただの指輪じゃないの?」
「媒体」
「どこで手に入れたの?」
「月喰と一緒に作った」
「何で言わなかったの?」
「聞かれなかったから」
「そういう問題?」
先生が僕の手を見る。
「月喰が力の供給源で、その指輪が媒体?」
「多分」
「多分なの?」
「記憶が虫食いなんです」
「記憶?」
先生の目が鋭くなる。
「…………」
しまった。
「本で読んだ記憶」
「どんな本?」
「昔の」
「どこで?」
「…………」
墓穴。
「男の子にも秘密があるのです」
「またそれ?」
桜が呆れる。
「便利な言葉にするなよ」
健まで。
「月喰」
「きゅ?」
「僕の味方だよな?」
「きゅ!」
「ほら!」
「何がほらなんだよ」
先生は僕を見たまま、しばらく黙っていた。
でも。
今は追及しなかった。
「とりあえず、指輪も調べさせて」
「壊さないなら」
「壊さないよ」
「絶対?」
「絶対」
「月喰も見張ってて」
「きゅ!」
「僕より信用されてる?」
「月喰なので」
「どういう基準?」
◇
その日の夜。
僕はノートを開いた。
【僕の知らない僕について】
その下へ。
【分かったこと】
使い魔作成は可能。
月喰は力の源になる。
指輪は媒体として機能する。
月喰+指輪で術の安定性がかなり上がる。
妖魔の感情、特に強い恐怖や苦痛を感じ取れることがある。
妖魔から邪念らしきものを抜ける。
邪念は黒い石になる。
邪念を抜くと消える妖魔と、残る妖魔がいる。
違いは不明。
黒い石の処理方法は、食べる、使い魔へ混ぜる、封印。
食べるは禁止。
「…………」
最後の一行を見る。
「いや。むしろなんで食べるってのが処理方法なんだよ、知らない僕」
「きゅ」
月喰がベッドの上で果物を食べながら鳴いた。
「お前もそう思う?」
「きゅ!」
「だよな」
明らかに体に悪いじゃん。負の感情の煮凝りじゃん。
まあいい。ノートを閉じる。
「分からないことだらけだ」
月喰を抱き上げる。
温かい。
「でも」
少しずつ、使える。
確かに。
「世界救えそうな気がしてきた」
「きゅー!」
「だよな!」
◇
それから何度か、普通の任務へ出た。
妖魔を倒す。
必要なら殺す。
危険なら迷わない。
でも。
先生が、ときどき僕へ聞くようになった。
「琥珀。何か分かる?」
◇
古い神社。
妖魔が唸っている。
「怒ってるんじゃない」
「じゃあ?」
「怖がってる」
裏手。
崩れた祠。
そこに。
小さな妖魔が隠れていた。
「子供?」
「多分」
親だった。
人を襲った。
危険。
でも。
子供は。
何もしていない。
先生は連絡を入れた。
その日。
僕は初めて。
妖魔が殺されずに連れていかれるところを見た。
◇
廃工場。
暴れる妖魔。
「これ、本体じゃない」
「何が?」
「何か付いてる」
月喰から力を借りる。
指輪を通す。
黒い靄を引き抜く。
石になる。
妖魔は。
残った。
さっきまでの敵意が消えている。
「…………」
桜が呟いた。
「これ、全部同じじゃないんだ」
「うん」
僕にも。
少しずつ。
分かってきた。
妖魔そのものが邪念に近いもの。
何かに邪念が絡みついて、妖魔になっているもの。
多分。
他にもある。
「…………」
だったら。
殺すしかない奴と。
そうじゃない奴が。
本当に、いる。
◇
「琥珀」
帰り道。
先生が僕を呼んだ。
「はい」
「今日の対象」
「はい」
「殺さなくて済んだね」
「…………」
「そうですね」
「嬉しくない?」
「嬉しいです」
正直に答える。
「でも」
「うん」
「怖い」
「何が?」
「分からないからです」
何を抜いているのか。
何が残っているのか。
どういう妖魔なら残せるのか。
どこからが危険で。
どこからが、助けられるものなのか。
「分からないものを、分かったつもりになる方が危ないよ。君が処理した妖魔だけど、人を助けるようになったって聞いた子もいるし、また暴れて処分された子もいる」
先生は前を向いたまま言った。知っている。先生は隠さずに教えてくれた。
「少しずつ、調べればいい」
「…………はい」
やっぱり。
同じ人だ。
世界が違っても。
考え方は。
全部が全部。
違うわけじゃない。
「何?」
「何でもないです」
「そう?」
「はい」
◇
僕の噂は少しずつ広がった。
「妖魔と話せる一年生ってお前?」
「話せません」
「妖魔を操るんだろ?」
「操りません」
「そのドラゴン妖魔?」
「月喰は使い魔です!」
「月喰ちゃん見せて」
「月喰!」
「きゅ?」
「可愛い」
「でしょう!?」
最後だけは。
毎回。
話が逸れた。
◇
正式な記録も増えていく。
未知の使い魔。
術者との力の循環。
銀の指輪を媒体とした術式。
妖魔への干渉。
感情把握。
攻撃性の低下。
黒色結晶の抽出。
抽出後の対象消失例。
対象存続例。
存続した妖魔の調教例。
既知術式との一致。
なし。
再現性。
あり。
僕はその報告書を見て少しだけ笑った。
「何?」
桜が聞く。
「いや」
「怪しい」
「世界救えそうだなって」
「…………」
「…………」
「…………」
三人とも黙った。
「冗談」
「その前に世界がピンチになるってことかよ。笑えない冗談やめて」
「ごめん」
冗談じゃない。
僕にはこれが必要だ。
戦う力。鎮める力。
殺す技術。殺さない技術。
どっちも必要。
「きゅ!」
月喰が僕の肩で鳴いた。
「うん」
頭を撫でる。
「集めよう」
「何を?」
健が聞く。
「全部」
「ざっくりしすぎだろ」
「使えるもの全部」
「もっとざっくりした」
いいんだ。
前の僕達は足りなかった。
次は両方使って、うまくやってやる。
◇
同じ頃。
新しい報告書が静かに一枚、追加されていた。
『対象内部より黒色結晶を抽出』
『抽出後も対象は存在を維持』
『攻撃性は著しく低下』
『術者は対象の苦痛・恐怖を感知したと証言』
『使い魔・月喰から術者への力の供給を確認』
『銀製指輪が媒体として機能している可能性あり』
紙をめくる。
写真。
小さな黒竜。
その横で笑う少年。
指先が写真の上をゆっくりなぞった。
「…………へえ」
楽しそうな声。
「使い魔だけじゃないんだ」
次の報告。
妖魔。
黒い石。
少年。
「鎮める」
呟く。
「祓うのではなく」
少し。
笑う。
「分けるのか。陰陽道かな? 隠と陽を分ける。隠が妖魔なら、さて、陽はなんと呼ぶべきか」
写真の中の少年は、黒い竜と笑っている。
「…………面白いな」
その興味はもう、ただの観察ではすまなくなり始めていた。