窓の外に、手紙を咥えた鳥がいる。
僕は白峰先生の後ろに隠れていた。
「…………」
「…………」
白峰先生と烏が見つめ合う。
「先生」
「何?」
「どうします?」
「開けるしかないかな」
「罠だったら?」
「その可能性もあるね」
「爆発するかも」
「うん」
「呪われるかも」
「うん」
「読んだら山彦に洗脳されるかも」
「それは鏡佳を何だと思ってるの?」
やべー教祖。
僕は成長したので、口には出さなかった。
「きゅっきゅっ」
「月喰。笑わない」
「きゅ」
月喰が澄ました。絶対反省してない。
白峰先生は窓を開けなかった。
「偉い!」
「何が?」
「先生も開けない!」
「琥珀」
「はい」
「僕は君より長く生きてるんだよ」
「でも七年後に僕より先に死にますよね」
「…………」
先生が振り返った。
「あ」
しまった。
「琥珀」
「すみませんでした」
口が滑った。
未来情報で先生を殴るのは良くない。
「きゅ」
「月喰、そんな目で見るな」
先生はため息をつき、窓越しに烏を観察する。
「普通の烏に見える」
「普通の烏だと思います。使い魔じゃない」
「どうして分かるの?」
「月喰みたいな繋がりが見えないから」
「なるほど」
先生は少し考えてから、僕を見る。
「桜と健を呼んできて」
「はい!」
僕は走った。
報連相!
仲間!
僕はもう一人で何でもやろうとする十五歳ではない!
なお、三分後。
「山彦から手紙!?」
「声でかい!」
「だってお前、また誘拐されんの!?」
「されないよ!」
「前もそんな感じじゃなかった?」
「今回は先生に報告した!」
「成長したわね」
「桜!」
褒められているはずなのに、どうしてこんなに嬉しくないんだ。
◇
結果。
烏は捕獲された。
健が餌を置き、桜が窓の近くへ種を飛ばし、先生が防御術式を張り、僕と月喰が遠くから見守る。
ただの手紙一枚に、厳戒態勢である。
「…………」
烏が窓枠へ飛び移った。
桜の伸ばした蔦へ紙を落とす。
そして。
「カァ」
飛んでいった。
全員で見送る。
「普通の烏だったね」
白峰先生が言った。
「普通の烏でしたね」
「どうやって手紙運ばせたんだ?」
「調教じゃない?」
「山彦、烏まで口説けるの?」
「琥珀の中の鏡佳は何者なの?」
「教祖」
「それは知ってる」
蔦が手紙を運んでくる。
白い封筒に宛名。
【白峰千景様】
「僕じゃない!」
「僕だね」
「何で!?」
「君に送ったら約束を破ると思ったんじゃない?」
「屁理屈!」
「まだ中身を読んでないから」
先生は封筒を裏返した。
差出人。
【山彦鏡佳】
堂々としている。
「証拠残してる……」
「鏡佳はこういうところ妙に堂々としてるから」
「昔から?」
「昔から」
先生は少し懐かしそうに言った。
僕は黙った。聞きたい。正直、滅茶苦茶聞きたい。
でも。
今聞いたら先生が話を逸らしそうな気がする。
「開けるよ」
「はい」
先生が封を切った。
何も起きない。
爆発しない。
煙も出ない。
呪いも飛んでこない。
「…………」
「琥珀」
「何です?」
「ちょっと残念そうだね」
「そんなことないです」
少しくらい何かあると思った。
先生は便箋を開く。
読む。
そして。
「…………」
黙った。
「先生?」
「…………」
「何て?」
「ちょっと待って」
読む。
もう一度読む。
先生が眉間を押さえた。
「鏡佳……」
うわ。
すごく嫌そう。
読みたい。
「見せてください」
「嫌だ」
「何で!?」
「君が喜びそうだから」
「見せて!」
「嫌だ」
「先生!」
健が横から覗こうとする。
「何書いてあんの?」
桜も反対側へ。
「私も気になります」
「…………」
三方向から囲まれた先生は、諦めた。
「読むよ」
「はい!」
先生が便箋を持ち直した。
「『親愛なる千景へ』」
「うわ」
「まだ一行目だよ」
「だって山彦が親愛なるって!」
「昔からこうだよ」
「怖っ」
「琥珀」
「はい」
続きを聞く。
「『先日はうちの者が君の可愛い教え子を驚かせてしまったようで申し訳ない』」
「本人いたじゃん!」
「静かに」
「はい」
「『もっと穏便に招待するよう言っておくべきだった』」
「本人いたじゃん!!」
「琥珀」
「だって!」
「僕もそこは思ったから」
先生も思ったんだ。
「続けるよ。『さて、彼とは一年後に改めて話す約束をした。私は約束を守る男なので、それまでは彼へ直接接触するつもりはない』」
「嘘つけ!」
「一応、今のところ直接ではないね」
「先生まで山彦判定に寄らないで!」
白峰先生は続きを読む。
「『ただし、彼が欲しがっていたものを用意することまで禁じられた覚えはない』」
「…………」
来た。
「『研究、術、人脈、部下、組織、使役している妖魔。随分と欲張りな子だね』」
「全部欲しい」
「今言わなくていいよ」
「はい」
「『一年後、彼が私に何を差し出せるのか楽しみにしている。その時にこちらの品揃えが不足しているのも格好がつかない』」
「…………」
僕はちょっと感動した。
「先生」
「駄目」
「まだ何も」
「顔」
くそ。
「『そこで、まずは手始めに一つ。君達に譲ろうと思う』」
先生の声が変わった。
全員黙る。
「何を?」
「『旧・葛城研究所地下保管庫、第三封印室』」
「…………」
知らない。
僕は健を見る。
健も首を振る。
桜も知らないらしい。
先生だけ、表情が固まった。
「先生?」
「知ってるんですか?」
「名前だけ」
便箋を下ろす。
「二十年くらい前に閉鎖された妖魔研究施設。危険な研究をしていたって噂はある」
「何の?」
「妖魔の人工生成」
「…………」
僕と月喰が同時に首を傾げた。
「きゅ?」
「人工生成?」
「妖気や呪物、人間の感情を利用して、意図的に妖魔を発生させようとしたらしい」
「何で?」
「研究だから」
「研究者って時々すごいですよね」
「琥珀が言う?」
「何で!?」
「生命作ったじゃん」
健!
月喰と人工妖魔を一緒にするな!
「月喰は可愛いだろ!」
「そこじゃねーよ!」
「きゅ!」
「ほら本人も抗議してる!」
「本人っていうか竜だろ!」
「差別!」
「何の!?」
「話戻していい?」
先生が疲れている。
「はい」
「研究所そのものは閉鎖された。ただ、全部処分されたわけじゃないらしい。封印された研究資料や試作品がどこかに残ってる、って噂はあった」
「第三封印室?」
「多分ね」
先生は再び手紙を見る。
「『そこに、君達が最近興味を持っているものがある』」
「最近?」
「『妖魔にならなかったもの』」
僕は息を止めた。
列車事故。
竜脈。
妖魔になる前に溜まっていた、黒いもの。
「何で知ってるんだよ」
健が言った。
「報告書が漏れてる?」
桜の表情も険しくなる。
僕は先生を見る。
先生も同じことを考えたらしい。
「それも調べる必要があるね」
そして手紙。
「『彼が土地から取り出したものと、よく似たものが保管されている。少なくとも私はそう考えている』」
「山彦は見たことあるの?」
「続きがある」
「『残念ながら私は入れない』」
「何で?」
「『私が行くと、君達の組織がうるさいからね』」
「でしょうね」
「『だから君達が行くといい』」
「…………」
健が僕を見る。
僕も健を見る。
桜が先生を見る。
「罠では?」
「罠だろ」
「罠だよね」
「罠ですよね」
満場一致。
先生が続きを読んだ。
「『罠ではないよ』」
「罠だ!!!」
全員の声が揃った。
「何で文章で会話できるんだよあいつ!」
「鏡佳だから」
「先生それ説明になってません!」
白峰先生が最後まで読む。
「『鍵の所在も添えておく。確認してから動くことを勧める。くれぐれも、十五歳の子供を勝手に潜入させないように』」
「お前が言うなぁ!」
「琥珀」
「先生! そこは怒っていいところです!」
「怒ってるよ」
笑ってる。
先生の目が笑ってない。
怖い。
「最後」
「まだあるんです?」
「『追伸。千景。君が教師をしているとは思わなかった』」
「…………」
空気が変わった。
先生が止まる。
「『似合っているよ』」
それだけだった。
白峰先生は便箋を見つめている。
「…………」
「先生?」
「うん」
便箋を畳む。
「昔から、こういう奴なんだ」
「どういう?」
「言いたいことだけ言って逃げる」
「分かる!」
「琥珀は一回しか会ってないでしょ」
「未来込みならいっぱい会ってます!」
「そうだったね」
先生が苦笑する。
でも。
ほんの少し。
寂しそうだった。
◇
当然、その日のうちに葛城研究所へ突撃! とはならなかった。
「何で!?」
「なるわけないだろ」
健にまで言われた。
「だって未来を救う手掛かりだよ!」
「山彦から来た情報だろ!」
「だから何だ!」
「罠だろ!」
「だから調べるんじゃん!」
「勝手に行くなって言われたばっかだろ!」
「勝手じゃない! みんなで行こうとしてる!」
「屁理屈が山彦に似てきたわよ」
「桜!?」
僕は傷ついた。
よりにもよって!
「僕と山彦は似てない!」
三人が黙った。
「何で黙るの?」
「…………」
「先生?」
「ごめん」
「何で謝るんです!?」
月喰が。
「きゅっきゅっきゅっ」
「お前まで!」
僕は孤独だった。
◇
調査したら本当にあった。
旧・葛城研究所。
二十一年前に閉鎖。
表向きは民間の霊障研究施設。
実態は妖魔発生機構の研究。
事故が起きて、研究員三名死亡。
妖魔二体発生。施設閉鎖。
危険物の大半は回収されたが、地下区画の一部は封印。
「第三封印室もある」
白峰先生が資料を机へ置く。
「本当だった……」
桜が呟く。
「鍵は?」
「それもあった」
先生が別の資料を出す。
当時、封印を担当した術師。
生存。
現在は引退。
しかも。
「学校と繋がりがある」
「…………」
僕は手を挙げた。
「先生」
「何?」
「これ」
「うん」
「山彦が全部調べてくれたんですか?」
「多分」
「…………」
すごい便利。
「駄目だよ」
「何も言ってない!」
「顔」
「顔を封印したい!」
「無理だと思う」
「僕の顔にはプライバシーがない!」
先生は資料をまとめる。
「ただ、情報そのものは本物っぽい」
「行く?」
健が聞く。
「まだ」
「まだ!?」
「琥珀」
「はい」
「鏡佳が僕達に何をさせたいのか分からない」
「研究資料取ってきてほしいんじゃないです?」
「どうして?」
「自分じゃ入れないから」
「なら、取った後は?」
「…………」
僕は黙った。
「僕達が研究する」
「それを?」
「…………」
「鏡佳が見る」
「…………」
あ。
「僕達を研究員代わりにする気だ」
「可能性はあるね」
「ずるい!」
「君も鏡佳を研究員として使おうとしてたよね?」
「僕はいいんです!」
「何で?」
「救世主だから!」
「はいはい」
先生は僕の頭をくしゃっと撫でる。
「僕はやりますよ? やってやりますよ!」
僕はできる男だぞ!
◇
数日後。
僕達は旧・葛城研究所の前にいた。
「結局来た!」
「正式な許可を取ったからね」
「先生大好き!」
「勝手に動かないでね」
「はい!」
調査班は僕達だけではない。
学校の研究員。封印術の専門家。当時を知る引退術師。そして僕達。
当然、僕達は後方。
「…………」
「琥珀」
「何です?」
「前に出たい顔してる」
「もう顔の話やめません?」
月喰を抱える。
「きゅ」
「お前だけが僕を分かってくれる」
「きゅー」
多分分かってない。
研究所は山の中にあった。
コンクリートの建物。
窓は割れ、植物に覆われ、入口には何重もの封印。
嫌な場所だ。
「ここ」
何か。
知ってる気がする。
「琥珀?」
「分からない」
未来の記憶?
向こう?
どっちだ。
「初めてじゃない気がする」
白峰先生の顔が変わる。
「どっちの記憶?」
「分からない」
「無理に思い出さなくていい」
「はい」
封印が解除される。
一枚。
二枚。
三枚。
扉が開く。
中は暗い。
電気は死んでいる。
照明を持って進む。
埃。
壊れた机。
古い研究資料。
壁に残った黒い染み。
月喰が僕の腕の中で動いた。
「きゅ……」
「どうした?」
「きゅう」
怖がってる?
いや。
違う。
興味?
地下へ。
一階。
二階。
さらに下。
重い扉。
【第三封印室】
「本当にある……」
僕が呟く。
「開けるよ」
専門家が封印を確認する。
異常なし。
鍵。
術式。
解除。
重い音を立てて扉が開く。
中。
棚。
箱。
瓶。
封印札。
大量の資料。
そして。
「…………」
中央に、大きな透明な容器があった。
中には黒いものが浮かんでいる。
「これ……」
列車事故の時に土地から取り出したものによく似ている。
でも違う。
「生きてる?」
桜が呟いた。
黒い塊が。
どくん。
動いた。
「…………」
僕の頭が痛む。
記憶。
知らない。
知っている。
向こう?
こっち?
分からない。
黒影。
月喰。
森。
研究所。
誰か。
白い服。
黒い猫。
「…………っ」
「琥珀?」
「先生」
僕は容器を見る。
「これ」
声が震えた。
「妖魔になる前のものじゃない」
「え?」
「逆です」
分かる。
何故か。
分かる。
「妖魔を」
黒い塊が。
どくん。
また動く。
「妖魔じゃなくする途中のものです」
沈黙。
「どういうこと?」
「分からない!」
「琥珀!?」
「分からないけど分かるんです!」
頭が痛い。
記憶が混ざる。
誰かが。
これを。
何度も。
何度も。
分けている。
黒いもの。
白いもの。
隠。
陽。
「…………分ける」
口から言葉が出た。
「何を?」
「分からない」
でも。
その言葉を、最近誰かがどこかで……
月喰が突然暴れた。
「ギュアッ!」
「月喰!?」
僕の腕から飛び降りる。
容器へ向かう。
「待って!」
月喰が透明な容器の前で止まった。
鼻を近づける。
黒い塊が動く。
月喰を見る。
そして容器の中から何かが、こちらへ寄ってくる。
「…………」
黒い塊の奥。
小さな白いもの。
目?
違う。
「先生」
「うん」
「中に何かいる」
黒いものが蠢く。
剥がれる。
ほんの一瞬だけ見えた。
白い小さな何か。
「…………精霊?」
僕が呟いた瞬間、容器の表面に。
びしり。
亀裂が入った。
「全員下がれ!」
怒号。
月喰を掴む。
走る。
亀裂が広がる。
黒いものが暴れる。
封印術式が一斉に光る。
そして。僕は思った。
「山彦ぉぉぉ!!!」
絶対知ってただろ!!!
◇
遠く離れた部屋。
山彦鏡佳は時計を見た。
「そろそろかな」
机の上には一冊の古い研究記録。
表紙。
【妖魔構成要素分離実験】
山彦は楽しそうにページを捲る。
「さて」
彼らは何を見つけるだろう。
殺すことしか知らない世界の人間と。
殺さない世界の記憶を持つ少年。
「君なら」
笑う。
「どちらに分ける?」
机の端。
別の紙には、たった二文字。
【隠】
【陽】
山彦はそこへ、三つ目の文字を書こうとしてやめた。
「これは」
まだ早い。
一年は長い。
だからまだ会わないし話さない。
ただ、考える材料くらいならいくらでも贈ってあげよう。
「頑張ってね」
誰にも届かない声で、山彦は笑った。