仮想現実の世界で、僕がとる姿はバターだ。
黄色い顔に描かれた簡素な顔、体を緑色の包装紙に包まれ、針金のように細い四肢を伸ばしている。VRChatユーザーならば、誰もが一度は見たことのあるパブリックアバターだ。誰でも使える、洒落の効いた、人でも獣でも、生き物ですらないアバター。
この姿をとるようになるころ、僕のログイン頻度は減っていた。前々からオレンジステータスにすることが多く、フレンドとも疎遠になっていた。同時期にVRChatを始めた彼らも、リアル重視になったり、違う界隈に行ったりと、別の道を辿っていた。長く続けていれば変化は当然のことだ。悪いこととは思わない。
VRChatを辞めた人ももちろんいる。彼らに対しては、わずかに胸を刺すさみしさと、煮凝りのような羨ましさを覚えていた。
きっと、仮想現実より大切なものをリアルで見つけたのだ。否応なくそちらに引き戻されたパターンも考えられる。あるいはもっと単純に、飽きたとか、トラブルに辟易としたとか、そんな事情のほうが多いのかもしれない。
なんにせよ、ここではない場所へと移動した彼らを、尊敬しながら、心のどこか、底のほうで、恨んでいた。
僕は、ここがもう以前のような場所ではないと知りながら、どこにも行くことができない。僕の現実はより酷くなっていく。だからわずかな楽しみを期待してログインするのだが、もう僕を昔のように求めてくれる人はいない。
彼らの存在こそが、何よりも重要だったのに。
VRChatが放課後の教室だった時代は終わった。
誰のせいでもない。インターネット上のあらゆる場所と同じ運命を、辿ったというだけのことだ。
◇
VRChatを始めたばかりのころ、僕は女性アバターを着ていた。
ノルマのプレッシャーに耐えながら製品を売り込む仕事とは違う顔を、夜の世界に求めた。見た目から誤解されることも多いが、本来僕はたおやかで繊細なものが好きなのだ。学生時代は読書を好んでいたし、そういった話のできる女性の友達が当時多かった。
VRChatは僕の期待に応えてくれた。単体でVRChatを遊べるHMDを手に入れ、仮想現実の世界に飛び込んだとき、周囲は同じように初心者ばかりで、優しさを持ち寄れる人が多かったように思う。
対人コミュニケーションは不得意ではなかったから、フレンドはすぐに増えた。このHMDで表示されるアバターやワールドには仕様上の制限がある。それでもVRChatの本質である、コミュニケーションの楽しさは損なわれないと信じた人たちが、たくさんのイベントを打ち立て、HMDに対応したアバターやワールドを作った。交流会に参加し、自分の仕事を打ち明けていた僕は、彼らの試みのいくつかでコンサルタントを務めるようになった。意欲的で温かい人たちのおかげで、大部分、それらは成功した。
僕も自分のイベントを持ちたいと思うようになった。メタバースは現実でばらばらの場所にいる人々を繋ぐハブであり、ぴたりと重なるレイヤーのようなものだ。それに救われた僕は、今までになく、かつ僕らしいイベントを作ることにした。
構想を練ると、それを丁寧に企画書にまとめ、信頼するフレンドに声をかけた。他プロジェクトで忙しいフレンド以外は、二つ返事で引き受けてくれた。同じ界隈出身という文脈を共有した者同士ということもあり、最初の顔合わせからメンバーのコミュニケーションは円滑だった。リアル優先を基本に、緩い納期を設けてタスクを振れば、きちんと成果物が上がってくる。イベントの準備は順調だった。スタッフの教育も進み、告知を打って、あとは開催を待つばかりになった。
イベントは成功を収めた。フレンドも、フレンドでない人も、たくさんの客が訪れた。彼らはワールドの細部を褒め、スタッフを労い、バックヤードぎりぎりに立っている僕にも声をかけてくれた。僕はそれを低姿勢で受け入れ、何度もお礼を言った。このイベントの主役はスタッフと客たちだ。彼らなくして今この空間に満ちている、温かい空気は存在しない。仮想空間でそれを感じられたことは、今でも奇跡だと思っている。
イベントは第二回、第三回と回数を重ねた。初日に見られたスタッフの連携不足を見直し、ワールドにも修正を加えていった。初参加の客も、リピーターも増え、彼らに喜んでもらえるとこちらももっと楽しませたくなる。イベントに季節要素を取り入れたり、ワールドの小道具に遊び心を加えたりした。SNSも活用し、他イベントとのコラボレーションを行った。
開催一周年を迎える頃には、僕たちのイベントは様々な界隈の人が訪れる、人気イベントへと成長していた。
すべてが完璧だったわけではない。ネガティブな要素を取り除くために、僕は裏で奔走した。僕の、決して表には出ない仕事を、スタッフは目に留めてくれていた。だから根回しも折衝も何も苦ではなかった。感謝の言葉をもらえれば、それで充分。人の好意に応えたいという人間性を、彼らが取り戻させてくれた。
あの頃の僕たちは、どこまでも行ける気がした。