会議室には、十六人が集まっていた。欠席者からは、その旨が伝えられていた。トワだけが、断りもなく席を空けていた。
スクリーンの前に立つ僕を、彼らが見つめている。それぞれのアバターの顔は、どこか緊張しているようにも、覚悟しているようにも見えた。
ノクティスラの解散を宣言し、その理由を順に述べる。人員が足りないこと。教育できる人がいないこと。ミサトが年内で降り、ユノもワールド制作担当を降りること。秋に最終回を行うこと。続けたい人には別のイベントを紹介すること。
みんながいるうちに、ノクティスラをノクティスラのまま終わらせたい。
それが最大の動機だった。
彼らは最後まで聞いていた。質問も、反対もなく、すでに決まったこととして受け入れられた。
「お疲れ様でした」
イベントの立ち上げからいる古参が言った。落ち着いた声には、深い労いが込められている。
「ありがとうございました」
「四年間、お世話になりました」
声がいくつも重なる。僕のほうが、泣いてしまいそうだった。
一人だけ、去年入った新人が、あの、と言って、そのまま黙った。僕は待った。
「……すみません。まだ、処理しきれなくて」
「いいんだよ。ありがとう」
彼はもう一度謝って、着席した。
話をミサトが引き継いで、今後の通常回、最終回のセレモニーについて説明した。
もう少しだけ、ノクティスラは続く。別れのための時間は用意されている。
もしかしたらトワは来るかもしれない。来ないかもしれない。少なくともこの場でイベントの功労者である青年について、触れる者はいなかった。
会議は三十分で終わった。いつもの半分だった。その後、何人かに励ましの言葉をかけられた。
個別の意向は、一人ずつ聞いた。
他イベントへの移籍を希望したスタッフは、二人だった。予想より少なかったが、希望しないスタッフの話を聞けば納得した。彼らもまた、ノクティスラだから接客をしていたのだ。ここで自分が築き上げたロールプレイのキャラクターを愛していた。しばらくはそのキャラクターを眠らせ、自分も休みたいということだった。
移籍希望のスタッフについて、相手のイベントに連絡を入れ、彼らの人柄と得意なことを伝え、日程を調整した。あらかじめ話をつけていたこともあり、断られることはなかった。ノクティスラのスタッフなら、という言い方が、嬉しくて、少し堪えた。
最終回に立つのは、十九人になった。ほぼ全員が、夢の古城に集う。
やることは他にもたくさんあった。告知の文面を書き、公式のアカウントで発表する。関わりのあったイベントにこれまでの感謝を伝える。撮影データの取り扱いを決める。素材の権利関係を整理する。ワールドを最終回のあとどうするかユノと相談する。
ミサト以外に、ユノと、平のスタッフにも手伝ってもらって進めた。全員に話を通さなければならないことが多かったというのもあるが、頼ることの重要さをようやく学んだ僕は、最後にそれを生かそうとした。スタッフはとても協力的で、作業は拍子抜けするほどスムーズに進んだ。口には出さない、彼らなりの名残惜しさの発露なのだと僕は考えた。
こうしていると、イベントを始めたばかりの頃を思い出す。あの頃は見知った顔同士で進める学祭の準備のような活気があり、達成感があった。今はそれを終わらせるためにやっている。手放すための準備が、最後に豪華なものを用意する高揚はありながら、指先の寂しさは拭えなかった。
クレハから連絡はなかった。
解散の告知は、彼のところにも届いているはずだ。彼のアカウントを見かけなくなって久しい。もしかしたら、届いていないのかもしれない。
彼も大切なメンバーの一人だった。連絡を取ろうかと考えて、やめた。今更何を言っても、言い訳になる。彼が求めていたものを、僕は最後まで理解しなかった。与えることができないのならば、二度と触れないことが、彼への礼儀だ。
トワからも、何も届かなかった。
ブロックはされていない。業務連絡をしたが、返事はない。ミサトとユノには軽く事情を説明した。彼らは納得した様子で、それ以上聞かなかった。
「様子だけ見てみたら? たぶんウラタロさんのことを嫌いになったわけじゃないよ」
ユノに言われ、僕は時折、トワに短いメッセージを送るようになった。
季節の挨拶をし、体調を気遣うメールを書く。イベントのことには触れなかった。返事を求めない、当たり障りのない文面。それでも、書いている間は、心が落ち着いた。
最終回の日取りは、十一月の第四土曜に決まった。
告知を打つと、久しぶりに反応が伸びた。行きます、と言ってくれる人が何人もいた。何年も見ていなかった名前もある。
僕はその一つ一つに、返事を書いた。
お待ちしています、と。
◇
ノクティスラの最終回、僕は接客のため表に立った。
オーナーとして客に直接感謝を伝えたかった。スタッフたちと同じ目線でホールを見たかった。誰も反対しないどころか、彼らは嬉しそうに、背中を押してくれた。
客は多かった。
開場して十分で、インスタンスは二つに分かれた。三つ目を立てるかどうか迷って、立てた。僕がその場で決めた。
客たちは目当てのスタッフとの別れを惜しみ、労いの言葉を他のスタッフにもかけた。僕のところにもやってきて、素敵なイベントを作ってくれてありがとう、と言った。わざわざアバターに花束を仕込んで渡してくれる人もいた。僕は久しぶりに被ったHMDでそれを受け取り、深く、深く頭を下げた。
常連と話を弾ませ、初めての人に今日は楽しんで、と伝える。ずっと来たかった、最後になって申し訳ない、と謝る人もいた。僕はもちろん、謝らないで、と返した。
たくさんの人と話した。けれども、今回は、忘れないでいようと思った。
胸を締めつける感情とともに、彼らの顔を、名前を、記憶に刻みつける。
楽しい。本当に楽しい。こんなに楽しいなら。
賑わいの合間、二度と訪れない夜への感傷に浸りながら、意識はいつかの夜に接続された。
三年前、僕が一度だけ表に立った日。
あの日も間違いなく楽しかった。けれども今日まで同じことをしなかった。
バックヤードを愛していることに嘘はない。そこにいることが向いているのも、真実だ。
もしかしたら僕は、怖かったのかもしれない。
自分が楽しんでは、返せるものも返せなくなる。受け取ってしまう側になる。楽しませるためにここにいるのに、その存在理由が、揺らぐようで怖かったのだ。
与えられるばかりの苦悩を、自分が覚えないよう避けていたのに、それを抱えている人たちを顧みることがなかった。
僕は、傲慢だったのだ。
インカムでユノが、閉場まで残り三十分を告げる。こんなときに気づくなんて。
僕は謝罪を込めてスタッフたちの横顔を見つめる。笑っている。客と手を叩いて、楽しそうに。
いや、まだできることがある。ずっと傍らにあった願いのために。
僕も交ざろう。一緒に笑おう。
黒いスカートの裾をなびかせて、僕は彼らのほうに歩いていった。
カウントダウンはしなかった。ミサトが「そういうのは、うちらしくないですよね」と言って、僕も同意した。
終わり際、僕が閉会の挨拶をして、紙吹雪とともに、ホールの扉が閉まる。
ありがとう、という声が方々から上がり、僕は手を振ってそれに応えた。
客たちはしばらく扉の外にいたが、それぞれのタイミングで落ちていき、やがてワールドは静かになった。
スタッフだけのインスタンスに、十九人が残った。
誰かが泣いていた。ユノが黙って隣にいた。ミサトは最後の集合写真の設定をしていた。
今日開場するまで、僕はノクティスラを始めたときと同じ台詞をなぞるつもりでいた。
このイベントの主役はスタッフとお客様だ。僕は何もしていない。みんなのおかげで、ここまで来られた。
今は違う。この二時間が、それでは足りないのだと気づかせた。
「今日、ここに立てて、本当に楽しかった」
僕を見つめる顔が、頷き、輝く。
「四年間、僕はノクティスラができて楽しかった。ありがとう」
ありがとう。ありがとう、ウラタロさん。
集合写真を撮った。全員が思い思いのポーズをする中、僕は真ん中に立たされた。その場所が、今はとてもしっくりきていた。別れを惜しむように、何度もシャッターが切られた。
全員がログアウトしたあと、僕はホールに戻った。
星の灯るランタンをしばし見上げ、それから、奥の扉から出て階段を下りていった。
風の音。林が揺れて木の葉が擦れる。幻の潮の香りを嗅ぐ。
砂浜に下りると、洞窟に向かった。ランタンの明かりが、絨毯の模様を浮き上がらせている。誰も座っていない。
僕はそこに身を横たえて、目を閉じた。
青いピアスを付けた少年が見つけてくれることを願いながら、そんな朝は、僕らには訪れなかった。