第二回、第三回の講習に僕は参加しなかった。
期末が迫る中、担当エリアの数字が伸び悩んでいた。金曜の夜に届いた上司からの修正依頼を、土曜の午前中に片付ける。講習は土曜の夜に開かれることが多く、僕はその時間、リビングの机で見積書の桁を数え直していた。
講習会の報告はサーバーに上がる。参加者たちの写ったスクリーンショット、感想、次回への要望。第二回では僕の願い通りトワがロールプレイの基礎を伝授し、第三回ではロールプレイの応用とトラブル対応について学んだらしい。
記録に目を通す限り、講習会は順調に進んでいた。トワたちへの労いを込め、お辞儀のスタンプを押す。これまで通り、既読の印だけでも、彼らは僕からの気持ちを受け取ってくれると信じていた。
ミサトから通話の要請があったのは、第三回の講習の三日後だった。
彼女との連絡はメールで完結している。それらの簡潔な確認を済ませると、同じ調子で本題に入った。
「トワくんから相談がありました。講習会を全スタッフ必須にできないかと」
「必須か。どうしてだろう?」
身構えたまま訊く僕に、ミサトが説明する。
「講習会の参加率が回を重ねるごとに下がっています。第一回が二十一人、第三回が十三人。トワくんはスタッフのモチベーションの低下が気になるそうです。参加状況を記録し、イベント本番のシフトを組むときの参考にできないかという提案でした」
僕は短く息を吐いた。
「本番に参加してくれれば充分だと思うけどね。講習会だって、悩みのある人が参加すればいい。参加人数が落ち着いていくのは必然のことだ」
「おっしゃるとおりです。だから、お断りしました」
それでいい。講習会のことは、ミサトとトワの間で相談することになっている。
「ありがとう。僕も同じ判断をしたよ」
「恐れ入ります。トワくんも納得してくれました。参加率については、僕のやり方にも問題があるのかもしれないと」
「そんなことはないと思うけどな」
「私もそう思います。ただ……彼の要求レベルは高すぎます」
事実だとしても、ミサトがそのような言い方をするのは珍しかった。
「どうしてだと思う?」
「イベントのためだというのは理解できます。けれどもこちらとしては、理念に反している提案は却下せざるを得ません」
矢面に立っているのに、ミサトはトワに寄り添っている。他のメンバーの事情を無視しているのはトワのほうだ。
僕はできるだけ中立的な声を出した。
「そうだね。僕も含め、うちはリアル優先が原則だ」
「そうですね」
「それに……僕は別のことを考えていたよ」
「と言いますと?」
「トワくんが頑張りすぎてしまうのは、自信のなさの裏返しだと思う。みんなの役に立つことで、その場に居てもいいと思われたいんだ。実際の能力は関係がない。目に見える成果だけが、彼の不安を解消するんだよ」
「ずいぶん、お詳しいですね」
「場を作った人間らしいだろう?」
ミサトが少し笑った。
「他人が楽しんでいる様子を見るのが好きな方だと思っていました」
それも当たっている。けれども遡れば、もっと素朴な原体験がある。
「昔体が弱くて、みんなに交じって遊べなかった。だから指示役をしたんだ。遊びを考えたり、どこに砂を運べばいいか教えたり」
ミサトは黙って聞いていた。子供の頃の話を、誰かにするのは初めてだった。イベントを作るきっかけになった光景が、その手触りごと鮮やかに蘇る。
「そうしているうちに、指示自体も、それで楽しんでもらえることも、好きになった。友達のおかげだよ。当時から今に至るまで、一緒に遊んでくれる人には感謝している」
回想から目覚めれば、そこは一人暮らしのマンションの一室だ。高価なデスクトップパソコンのファンが回っていて、モニターの中から、ミサトのアイコンが僕を見つめ返している。
「聴かせていただいて、ありがとうございます」
温かい声で言われ、僕は途端に気恥ずかしくなって、「いえいえ」と返した。
「分かりました。ウラタロさんから、トワくんに声をかけてあげてくれませんか?」
もうミサトは普段の調子に戻っていた。僕も歯切れよく答える。
「そのつもりだ。ミサトさんも、いつもフォローありがとう」
「滅相もないです」
ミサトのキーボードが軽快に鳴る。僕たちはそれから二言三言交わしたあと、通話を切った。
僕はすぐにトワにメールを書いた。
講習会開催への感謝を伝え、サーバーで読んだり人づてに聞いたりした素晴らしい内容に対する称賛を送った。練習でロールプレイを扱ってくれたことにも触れ、最後に、参加率のことは気にせず、無理をしないでトワ自身も楽しんでほしいと、偽らざる本心を綴った。
トワからの返信は、翌日に来た。
帰宅途上の電車内でアプリを開くと、長く、密度の高い文章が表示された。まず連絡への感謝と自分の至らなさを伝え、講習会では手応えも楽しさも感じていると書いていた。今後のやり方について案をいくつか出し、自分の意見と目的を述べている。このようなメールをスタッフからもらえる僕は果報者だと、胸が熱くなった。
瑞々しく迸る熱意が、昨日の僕とミサトの会話を杞憂に終わらせるかに思えた。束の間、メールの最後のほうで、わずかな引っかかりを覚えた。
『ミサトさんにもご相談しましたが、ウラタロさんのお考えが聞けて良かったです』
礼儀正しい一文だ。おかしいところはない。しかしその位置のために、どこかミサトの回答を軽んじているような印象を受けた。
気のせいだ。僕は読書家として、文脈を気にしすぎるきらいがある。
ただ、もう一文については、どうしても思い出せなかった。
『僕がこのイベントに初めて来た日のことを、昨日のことのように憶えています』
トワが指しているのは、いつのことだろう。記憶は薄れるが、それでも来てくれた客のことは忘れない。彼の言葉から受け取るべき嬉しさよりも、思い出せない申し訳なさのほうが勝った。
電車が揺れる。指がスマートフォンの画面をタップし、ウィンドウを閉じてしまう。
自宅の最寄り駅に停車するとアナウンスが流れ、人が動いていく。
僕もスマートフォンをポケットに入れると、鞄を持ち直してドアに向かった。