定例会議は月に二度、イベント本番の翌週に開いている。
スタッフ用のワールドは会議室を模した簡素な造りで、長机が三つ並び、正面にスクリーンがある。ユノが初期に作ったもので、二年半ずっと使っていた。装飾のないその部屋が僕は好きだった。皆イベントとは関係のない、普段使っているアバターで会議に参加している。
その日の議題は、クリスマスイベントの広報と当日のシフトについてだった。出勤可能日はすでにスタッフたちから申告してもらっている。これを元にインスタンスを割り振り、SNS向けのポスターを作成するのだ。
ミサトがスクリーンに表を共有し、読み上げる。
「今年も十二月第二土曜と、第四土曜に実施します。第四について少し人数が足りませんが、ここは私と古参、新人たちで回します」
僕は頷いた。イベントに需要がある年末において、スタッフの集まりが悪くなるのは疑問を差し挟む余地のないことだ。リアルで仕事が忙しく、人と会う用事が生じる時期だ。このイベントがVRChatの中でそれなりに大きな規模だとしても、他の用事を差し置く理由にはならない。
毎年のこと。スタッフは皆承知している。そうやって運用していくものだと納得している。
「あの」
一人を除いて。
「どうぞ」
ミサトが声を上げたスタッフに手を差し出す。トワは落ち着いた声で言った。
「まず、僕の理解が足りなかったらすみません。その上で申し上げたいのですが」
しんとした室内に、二人の会話だけが響く。
「はい」
「せっかくのクリスマスイベントです。すでに出勤可能日を申告いただいているスタッフはともかく、未提出の方には促して、参加人数を確保できないでしょうか」
場の空気が僅かに硬くなる。ミサトは平坦に答えた。
「催促はいたしません。未提出であることが彼らの答えです」
トワは丁寧な口調のまま食い下がる。
「申告を忘れているだけかもしれません。第四土曜、僕の知る限り二名は空いています。クリスマスなのに予定がないと言っていたからはっきりしています」
自分の発言の裏付けをしたつもりだろうが、それによって他人の印象が操作されたことに、トワは気づかないのだろうか。あるいは彼自身に、同僚たちの悪意なき手落ちを責める意図があったのだろうか。
分からない。誰かが小さく咳払いをする。ミサトがきっぱりと言う。
「催促は行いません。今まで行ってきませんでしたし、ここで例外を認めれば、私か、後任のマネージャーのタスクが増えます」
「じゃあ、僕が未提出者に声をかける係をやります」
トワの声は明るく、張り詰めていた。
「表をチェックしてメッセージを送るだけなので、負担じゃありません」
ミサトは一呼吸置き、静かに言う。
「お申し出ありがとうございます。その上で、結論は変わりません」
「ミサトさんは、彼らの怠慢を見過ごすんですか」
トワは打って変わって低い声を出した。
「スタッフをやりたいと言って入ってきた人間が、予定が空いているのにもかかわらずイベントに参加しないんです。そもそもその申告すらしない。僕には、いい大人のすることとは思えません」
「トワくん」
ミサトを無視し、トワは全員に向かって主張した。
「僕らが本気じゃなければ、来てくれるお客様に失礼です。急にペナルティを科すわけじゃありません。ただ、そのモチベーションを計る機会はあっていいと思います。スタッフの能力は、僕が講習会で判断できますから」
「トワくん」
今度こそ彼は沈黙した。彼は名前を呼んだ僕を、ウラタロを、穴の空くほど見つめた。
「熱意があるのはいいことだ。でも、みんなそれぞれ歩幅は違う。さっきみたいな言い方は控えてほしいな」
隅のほうで新人が俯いている。それにトワも気づいたのか、蚊の鳴くような声で「すみません」と謝った。
「ミサトさん」
「はい」
マネージャーを呼ぶと、変わらぬ声色が返ってきた。
「この件は君に預ける。トワくんとは後日、個別に話してほしい」
「承知しました」
ゆっくりと、魂の抜けたようにトワが座る。彼は項垂れ、隣の古参が口にした「楽しくやろう」という励ましにも、反応しなかった。
ミサトがスクリーンを切り替え、議題は広報に移る。彼女がポスターの入稿期限と、告知の投稿日を読み上げる。特に意見が上がることはなく、全員の合意が取れ、この日の会議も予定どおり終了した。
解散後、座ったままのトワに何人かが声を掛けていた。ミサトは議事録をまとめるからとすぐにログアウトしていった。いつものことだが、今日は彼女のトワに対する気遣いが滲んでいるような気がした。
会議室には、僕とトワと、ユノが残った。ユノは彼の性格から察するに、僕たち両方を心配してくれているのだろうと想像した。
「ウラタロさん」
僕のそばに来たトワの声は震えていた。僕は温かい笑顔を浮かべる。
「お疲れ様、トワくん」
「先ほどは場を乱してしまい、申し訳ありませんでした」
哀れなほど憔悴して、彼は頭を下げた。普段の自信に満ち溢れた姿が反転したようで、僕は自分の推理が正しかったことを知る。
「大丈夫だよ。意見を出してくれてありがとうね」
僕は自分の声の温度を丁寧に測りながら答えた。ユノの視線を感じる。トワは泣き出しそうに言った。
「でも僕、みんなの前でミサトさんを」
「ミサトさんは怒らないよ。仕事と感情を切り分けられる人だからね。気になるなら、トワくんから謝るといい」
本当に謝るべき対象は、他のメンバーたちだ。引っかかりはしたが、ここで僕が指摘することはない。僕はすでに全員の前でトワを叱った。トワが変わっていけるかは、彼自身に委ねられている。
しかし、トワは続けた。
「僕は、間違っていますか」
目の前の青年が求めているのが許しだと分かり、僕は即座に「間違ってないよ」と答えた。
「トワくんの提案は筋が通っている。君の意見を聞くたびに、イベントのことをよく考えてくれていて嬉しいな、こんなスタッフがいて幸せだな、と思うんだ。本当にね。でも」
「はい」
僕ははっきりと告げた。
「みんなに同じ熱意は求められない。ここは会社じゃないからね」
真剣なトワだから、同じものを返した。耳の痛い話に聞こえるかもしれない。けれども強い志を持つ若い彼ならば、受け入れてくれる。そうしていつか僕に新しい景色を見せてくれるだろうと期待を込めていた。
「趣味だから」
トワが、かすれた声で呟く。まるで、傍らに僕らがいないかのように。
「趣味だから、本気でやるんじゃないですか」
答えに窮する僕の代わりに、ユノが言った。
「トワくん、俺たちが言ってるのは、他人に苦しさは強制できないってことなの。会社じゃないから、一緒に作ってて楽しくなかったら、やる理由はない」
そもそも俺たちはこのイベントでお金をもらっていない。
「そう、ですね」
トワの吐く息が浅い。腿に置かれた指先が、かすかに跳ねている。
僕は彼の気が軽くなればと思い、提案した。
「講習会、少し間隔を空けてもいいんじゃないかな。月一回でも充分だと思うよ」
返事が発せられるまでに、わずかな沈黙が生じた。言葉を吟味しているように見えた。
後に何度もその意味を問うことになる。
「大丈夫です」
顔を上げたトワは、普段どおりの調子に戻っていた。
「僕がやりたくてやっていることなので。心配しないでください」
その明るさに、僕は愚かにも安堵した。善なる、本来の彼が戻ってきたのだと、馬鹿みたいに「分かった。何かあったらいつでも言って」と答えた。
トワは丁寧に挨拶をして、会議室から出て行く。そのままログアウトした。
「まあ、今日のところはああ言うしかない」
同じ方向を見ていたユノが、僕に向き直って言った。
「ありがとうね、ユノさん。いてくれて助かったよ」
「いや」
ユノは別のことを考えているようだった。
「あの子、いつからああなった?」
僕はできるだけ正確に思い出そうとする。すべては最初の場面に行き着く。
「面接のときから、周りとは違っていた。ここでやりたいことを誰よりもはっきり示してくれた」
うんうん、とユノが相づちを打つ。
「可能性と同時に危うさを感じたよ。でも相手の目線に合わせられるようになれば、トワくんは化ける……無敵のスタッフになると思ったんだ」
一年間彼を見てきて、当時よりも、その確信は強くなっている。トワは客に対しては柔軟に接している。仲間との協調を身につければ、彼はかえって息がしやすくなったことに気づくだろう。
聞き終えたユノは、丁重に、鋭く指摘した。
「ウラタロさんの判断を疑うわけじゃない。その上で言わせてもらうけど、彼のこと、うちには過ぎた人材だと思わなかった?」
「思ったよ。だから彼の採用は、その欠点込みだ」
即答し、僕にとって定義のように不変なる真実を、口にする。
「何より、うちがいいと言ってくれたんだ。そんな志望者を断ることは僕にはできない」
「そうか」
ユノはそれ以上訊かなかった。代わりに、少し間を置いて言った。
「言おうと思ったことがある。が、今はやめておく」
「そう?」
ユノの答えは明瞭で、穏やかだった。
「まだ俺のほうで抱えておくよ。今のウラタロさんには、重すぎるから」
時折彼が示す驚くほどの愛情深さは、しかし当人に自覚されない。僕が受け取ったものに感謝して、心から告げた。
「ユノさんのそういうところ、僕は好きだ」
「この人たらしめ」
ユノは皮肉めいて返すと、立ち上がった。
「じゃ、俺はこのあたりで失礼するよ」
「お疲れ様」
「お疲れ」
彼のアバターが目の前で消える。インスタンスは僕だけになる。
誰もいなくなった会議室を見渡す。飾らない内装は、今まで重ねてきた話し合いの数々を、圧縮して思い出させた。
意見の擦り合わせも、問題提起も経験した。それらを経て現在のイベントがあり、今日のトワとミサトの対立も、僕たちの未来に繋がっていく。
課題はミサトに預けた。トワにも期待している。必要な手順は踏み、判断にも遊びを持たせた。何か起きても解決に向けて動ける。
僕の中で固定した感情の隙間から、誰のものでもない声が問いかける。
本当にそれでいいのかと。
僕は声を振り払った。リアルも多忙で、疲れているだけだ。VRも含め繁忙期を前にして、緊張しているだけだろう。
明日も仕事だ。早く眠ろう。
永遠に明るいままの部屋を去る。ディスプレイの暗転したHMDのベルトを緩め、頭から外す。
床の上に、書類で膨らんだビジネスバッグが、一時間前と同じ姿で置かれていた。