トワからのメールが届いたのは、会議から四日後、金曜の深夜のことだった。
上司に同行しての往復四時間の出張は、僕から体力と気力を根こそぎ奪っていた。躓きながら靴を脱ぎ、リビングに入ってビジネスバッグを床に置く。ワイシャツのままソファに座ると、どこまでも体が沈み込んでいく気がした。
まどろみの中、スマートフォンの振動に目を覚ます。反射的に手に取ると、たくさんのメールの先頭に、美少女のアイコンとハンドルネームが表示されていた。
ダイレクトメッセージは、トワからのものだ。件名が空白のそれを、僕は何気なく読み始めた。
『ウラタロさん
お疲れ様です。
先日は会議でお見苦しいところを見せ、大変失礼いたしました。あれからミサトさんと相談して、シフトの件に関する僕の提案は白紙に戻しました。以降一切触れないと取り決めました。
きっと、お耳に入っていますよね。ミサトさんは、ウラタロさんのいないところでも、ウラタロさんと同じ判断をされます。すべてお二人の間で共有されているのだと思います。とても仕事のできる方たちだと尊敬しております。
その上で、どうしても直接、ウラタロさんにお伝えしたいことがございます。
長くなりますが、最後まで読んでいただけますと幸いです。
ウラタロさんもご存じのとおり、僕は今まで、いくつかイベントの運営に関する提案をしてきました。
受け入れられたものもあり、受け入れられなかったものもありました。組織に入って一年も経っていない僕の意見を聞いていただいたことには、深く感謝しています。
受け入れられた、講習会の件について、まず触れたいと思います。
講習会の参加人数は、回を重ねるごとに減少しています。ウラタロさんが参加した初回は、古参の方も来てくれて、僕にも、皆さんにとってもいい刺激になった印象がありました。参加してくださる方の熱意に応えたいと思い、僕は引き続き講習の内容を練って、第二回に臨みました。
第二回では、ロールプレイについて扱ったこともあり、熟練を求めるスタッフの方が技術を磨くお手伝いをできたと自負しております。何人かは、少しふざけていました。けれども、彼らが何か持ち帰ってくれればと思い、第三回に向けても準備をしました。
第三回は、初回に対して参加人数は半分ほどに減っていました。面子が固定され、和気藹々とした雰囲気が漂っていました。題材がトラブル対応ということで、ここぞとばかりに、迷惑客を演じる方が続きました。彼らは彼らの間で、笑いを取り、僕も現実にあり得るパターンに落とし込んで、対策を教えました。
第四回は、参加者がふざけることを避けるため、実際に起こりうるトラブルのパターンを用意しました。前回のような笑いが起きることはなく、ごく真面目に取り組んでくれたと思います。しかし彼らの反応は薄く、この回で学んだことが生かされている場面を、僕はイベント中に見たことがありません。
第五回は、敬語とお客様との距離感について。事前課題を出して、当日までに回答を用意してくれたのは三人でした。あとの二人はアドリブで、残り一人はしどろもどろでした。彼らはかえって即興を楽しんでいるようでしたが、その無軌道さが未熟な接客に繋がっていることにどうして気づかないのかと、僕は内心思っていました。
第六回は、イベントの世界観について扱いました。実践形式に疲れていたのです。だから座学を実施しました。ユノさんに取材してハンドアウトをまとめ、講習会の四日前に配布しました。当日欠席、遅刻、途中退室がそれぞれ一名ずつでした。残り三名は最後まで聞いてくれましたが、うち一人が僕の知識に対して、「詳しいね」と言いました。どうしてそんなことが言えるのかと、僕は疑問に思いました。ウラタロさんが創った世界を共有しているはずなのに、まるで他人事です。ウラタロさんに失礼です。
第七回の参加者は、四人でした。時間がありましたので、丁寧にフィードバックしました。その中で、僕は前々から遊びたがる参加者に対し、何度説明しても理解してもらえないということを経験しました。他の参加者も、彼を諫めることなく、次第に焦って同じ話を繰り返す僕をなだめ始めました。
意味が分かりませんでした。頭がおかしくなりそうでした。それ以上に、とてもさみしかった。
そのとき僕には味方がいなくて、でも分かってもらいたくて、一人で馬鹿みたいに、喋り続けていました。
あなたたちのためにやっているとは言わない。楽しむなとは言わない。
でも、どうして人の気持ちを受け取ってくれないんですか? 相手の立場に立って想像できないんですか?
あなたたちは僕に歩幅を合わせてとか他人に強いるなとか言うけれど、僕には苦しみを、誰にも理解されない孤独を強いるんですか?
いいんです。僕は、本気だから。
このイベントのためならば、どんな苦しみも引き受けるつもりで、スタッフになったから。
それを思い出して、第七回は、彼らの要求に応えて終了しました。次回以降の楽しいプログラムを約束し、それをサーバーに報告を兼ねて上げました。僕の苦しみは誰も知りません。ミサトさんも知りません。
ただ、ウラタロさん。あなたにだけは、知ってほしいと思った。
あなたが、このイベントで唯一、本気だから。産みの苦しみは、接客の苦しみは、痛いほどよく分かります。現実のために夢を阻害されることも、夢のために現実を退けることも、どちらも同じくらい苦しい。
ここではあなただけが、それを引き受けている。
僕がこのイベントに初めて来た日のことを、昨日のことのように憶えています。
その頃の僕は高校を中退し、新たな進路のためにお金を稼がなければなりませんでした。家に居場所はなく、起きている時間のほとんどをアルバイトに費やしていました。
高い給料に惹かれ、お客様を楽しませる仕事を始めました。僕が接客を学んだのはそこです。厳しい世界で、僕はいなくなってしまいたくなりました。
自傷行為のために、僕は店をクビになりました。同じ方法でインターネットを介し稼げる仕事を探しました。このような傷があると、お客様の前に立てません。給料に対する一般的な感覚も麻痺していました。
僕に需要のありそうな界隈は、YouTubeで見つかりました。
VRChat。そこでは、大人たちがきらびやかな夜の世界を再現して楽しんでいます。別のプラットフォームに誘導して、金銭や贈り物を受け取るユーザーもいるようです。
僕は、これになろうと思いました。
誰も助けてくれない。誰も見てくれない。傷だらけになった僕を汚いと蔑み、踏みつけ、僕のすべてを奪おうとする。
だから僕が奪う側になっても仕方ないだろうと、そう思ったのです。
アカウントを作り、Publicを徘徊してフレンドを増やします。簡単でした。僕は人と話すのが上手いから。
ユーザーランクが上がるとアバターをアップロードし、接客型イベントに潜入しました。
VRChatを知ったきっかけの、動画で取材されていたイベントです。他に知らなかった。僕は馬鹿なんですかね。きっとそうです。だって搾取する相手なら別の場所で探したほうがいいのに、よりにもよって、優しくて正しい人たちばかりのイベントに、行ってしまうなんて。
ノクティスラ。
ここです。
ウラタロさん。あなたのイベントです。