それから一年間、僕はイベントに通い続けました。
ノクティスラの人々は温かかった。取り繕うことに慣れた僕が対等な会話をできるようになるのに時間が掛かりましたが、ここではそんな僕さえ受け入れられるようでした。誰かが無理に盛り上げたり能力を誇示したりすることもなく、それが僕の知っている店と違ってとても心地よかったのです。オーナーであるウラタロさんの意志が、イベントの隅々にまで行き渡っているようでした。
しかし、あの夜僕を救ってくれたウラタロさんにだけはどうしても会うことができませんでした。スタッフの方に尋ねると、オーナーは忙しくて、なかなかイベントに顔を出すことはできないと教えてもらいました。彼が接客をしたのは特別な回で、本人も裏方を好んでいると。僕がウラタロさんから聞いたままでした。
もう一度、ウラタロさんに会いたい。なんでもない話をしたい。また互いの苦労を分かち合いたい。今度は下心からではなく、あなたへの興味と尊敬から、あなたの話を聞かせてほしい。
月に二度のノクティスラを楽しみにしながら、僕は悶々としていました。自傷行為を辞められたことも、高卒認定を受けて専門学校に入学したことも、ぜひ聞いてもらいたかった。一度話しただけの客がアポイントメントを取っては失礼でしょう。僕との約束のためにノクティスラの開場時間は延びたまま、それを守ってくれたウラタロさんだけがいませんでした。
もしかしたら、このイベントのスタッフになれば、ウラタロさんにまた会えるのではないか。
あなたの作った場所で、あなたがくれたものを誰かに渡すことができるのではないか。そうすることが、僕があなたにどれだけ救われたかの、証明になるはずだと。
そう考えていた矢先、ノクティスラの新規スタッフ募集が告知され、僕は迷わず応募しました。
面接で再びあなたに会った僕がどんな想いでいたか、ウラタロさんはご存じありませんよね。
あなたはあのとき、僕になんとおっしゃったか、覚えていますか?
ミサトさんは、僕が普段ノクティスラを訪れていることを知っていました。実際に話したこともあります。
けれどもウラタロさんは、「僕たちに救われたと言ってくれる人が、今度は僕たちの仲間になりたいと言ってくれる。こんなに嬉しいことはない」とおっしゃったんです。
僕は、あなたに救われた。にも関わらず、その他大勢と同じように処理された。僕のことなどあなたは忘れていて、インスタンスによくいる人間としてしか把握していなかったのです。
晴れてスタッフになったあとも、初めて会った日についてさりげなく触れたことがあります。しかし、あれほど真心のこもった接客をされるウラタロさんが表面的な話しかしないので、疑惑は確信に変わりました。
僕を変えた、宝物のような二十分間は、僕だけの思い出でした。
だから、何だというのでしょうか。
僕がここに来てやることは変わりません。
イベントのため。お客様のため。そして、この場所を統べるウラタロさんのために。
僕は生活の余剰リソースをすべてノクティスラに捧げることにしました。
残念ながら、ウラタロさんと一対一でお話しする機会は持てませんでした。ウラタロさんはイベントの一線から退いていて、相談も面談もミサトさんの役目になっていたからです。けれどもこのイベントがどれだけウラタロさんにとって大切か身に沁みて理解していましたので、僕は運営やメンバーの助けになることを積極的に提案することにしました。
けれども、結果はどうでしょうか。僕は無駄に、ウラタロさんやミサトさん、スタッフたちの負担を増やした気がしてなりません。僕は傲慢で、思いやりに欠けています。自分にできることを他人にも強要してしまいます。収益化のことはともかく、講習会については、僕が人望を失っていったことが参加人数に表れています。
僕のせいだと思わなければ、かえって辛い。ウラタロさんのイベントに、いい加減な気持ちでいる人たちがいることが許せない。
VRChatは楽しいところです。イベントは楽しい場所です。けれども、作り手の側に回ったら、自分のことは二の次です。お客様を楽しませることが第一の目的になります。接客とはそういうものです。本来、とても苦しいものです。
進んでイベントに参加しておいてその苦しみを引き受けない人たちが多いことに、僕は疲れてしまいました。
僕は間違っていますか、ウラタロさん。
たくさんの人が関わって、一つのものを作り上げることに、苦労が伴わないはずがありません。それが一部の人に集中しているのだとしたら、その組織は歪です。
そもそも貴重な人生の時間を、仕事や学業、家のこと、それらをやり切って残った命とも呼べる時間を、使うのだから、本気でやらなくてどうするのでしょうか。
いい加減な気持ちで取り組んで、中途半端な出来映えになって、それでいいのでしょうか。
どうしてこのことが彼らに伝わらないのか、理解に苦しみます。
ウラタロさん。
あなたなら、きっと知っていますよね。
あなたなら、あの夜のように、僕の話を聞いてくれますよね。
お願いします。あなたの答えを聞かせてください。
トワ』
◇
鳥の鳴き声がして、僕はソファの上で覚醒した。
休日の朝、白い光がカーテンの隙間から漏れて、家具の輪郭を薄明かりの中に際立たせている。背中が痛み、不十分な睡眠では取り除けなかった気怠さが頭に霞をかけていた。
毛足の長いラグマットの上に、スマートフォンが落ちている。充電はもう切れていた。
それを手に取り、テレビの裏から伸びている充電器のコードを差す。しばらくして電源が入り、ホーム画面にいくつかの通知が表示された。
僕は意識がなくなる直前、トワに返信を書いた。
講習会、モチベーションのギャップに対する悩み、彼の個人的な事情。それらをつぶさに打ち明けた私信に対し、返すべき内容は一つだった。
二人で話をしよう。できるだけ早く。今は君に寄り添わせて欲しい。
解決策よりも、ただ話を聞くことのほうがトワに必要だと判断した。
提案した土日中という日程に対して、土曜、つまり今日の夜をトワが指定してきたのは、正午近くになってからだ。
今夜はノクティスラはない。会議が一つ入っていたが、延期の連絡を入れた。
僕は家事を早めに済ませると、約束の時間まで持ち帰りの仕事をした。