14歳の秋に、一生分の恋をした。燃え上がるようなんて言葉じゃ足りないほど、とびきり苛烈で残酷な恋を。
「もうやめて、死んじゃうよ、花垣……!
いいじゃん私のことなんて! ただのクラスメイトのことなんてほっとけよ!」
「……ごめん。でも俺、今ここで逃げたら絶対ェー後悔するからさ」
「絶対ェお前を見捨てない!」
身長は私と変わらないのに、やたらと大きく見えた背中。ボコボコでボロボロで血まみれで、もはや顔の識別がつかなくなるほどの有様なのにそれでも私を守ると広げられた両腕。「見捨てない」と、何度も繰り返した啖呵。
あの日の光景が、ずっと目に焼き付いてる。
「俺は負けねぇ!
これ以上佐竹に手ェ出すってんなら俺が相手になってやる!」
10年以上経っても、私の瞼に焼きついて離れない。どうしようもないほど惹かれてる。今でもあの日を夢に見る。好きで、好きで、どうにかなりそうなぐらい大好きなあの人。
花垣。花垣武道ーーーー友達の、彼氏。
どうしようもないほど詰んでる恋に、今も私は焼かれてる。
「ねえ、ヒナ。ぶっちゃけ花垣のどこがいいの?」
帰りのホームルームが始まるまでのゆるい時間。暇つぶしがてら前の席の友人に話しかける。肩を指でちょんと続けば「なあに」と振り向く美少女に、私は上記の質問を投げかけた。2年に進級して初めて接点を持ったクラスの友達。
ゆくゆくは親友になりたいと願ってやまない美少女が「えー」と恥ずかしそうにはにかむ。
「えー、恋バナ?」
すこし小声で、囁くようにして私に問う。私はチラリと廊下で騒いでる金髪頭に視線を向けてから正面に戻す。
「まあ、そんな感じ。だってさ、意外すぎるでショ。悪口みたいになるけどさ、花垣のドコがいいの?
いい奴なのかもしれないけどさ、彼氏にしたいタイプではないでしょ」
「ズタボロに言うね、花垣くん可哀想」
「ごめんって」
「花垣くんもいいところあるよ」
「へえ、どんな?」
頬を膨らませていたヒナが何かを言おうとして、途中でやめる。思い出し笑いだろうか、小さく笑う。それから澄ました顔をして、両手の指先だけくっつけたポーズで口元を隠す。大人っぽい雰囲気を纏わせて、柔らかい微笑みを携えてながら「仁香ちゃんには教えない」と小憎たらしいことを言う。
「なんでよ」
「だって、花垣くんのいいところ知ったら仁香ちゃんも好きになっちゃうもん」
「はぁ?
私、友達の彼氏に手出すほど男に飢えてないし!」
「知ってる」
担任がようやく教室に帰ってきて、プリントの配布を始める。保護者会の連絡、今度のクラスワークに必要な持ち物が書かれた一覧表。学校新聞に、いじめ相談ダイアルのチラシ。
振り向きざまに、チラシを手渡しながらヒナが「さっきのだけどね」と声をかけて…。
「仁香ちゃんは私とちょっぴり似てるから。だから、花垣くんのいいところは教えません」
今は、私の独り占めなの。
目を細めて、口角を緩く持ち上げて。あからめた薔薇色のほっぺが愛らしい、恋する乙女の表情。私はそれを「ふぅん」と流した。恋って盲目なんだな、ヒナですらこんなになっちゃうんだから、とか。その時は、そんなふうに考えてた。
それから、何ヶ月経ったっけ。梅雨が明けて、夏休みが始まって、あっという間に始業式。2年の夏は特に何事もなく終わった。去年と同じく部活に打ち込んで、地区予選を勝ち上がったけれど都大会で敗退して涙ながらに帰宅して。よくある中学生の青春だ。特別なイベントなんて特になかった。ああ、一つあったっけ。夏休み前に他クラスの人に告白されたから付き合ってみたんだった。あんまり接点ない人。いかにも不良って感じだったけど、花垣に恋してるヒナが頭によぎって、気づいたら付き合うことになってた。
でも思ってたような関係にはなれなくて。
夏はとにかく部活漬けで、家には寝に帰るだけという生活をしていたので。翌日も早朝から練習があるから早起きしなくちゃいけないし、だから夜はちゃんと寝てたい。なのに、毎日毎日夜に電話をかけてくるから。最初はちゃんと相手にしてたんだけど、「電話するのやめて」って言ってるのに夜の電話は鳴り止まず。「せめてメールにしてよ」と言ったら山のようなメールが届いて、膨大なメールの返信を催促されて、面倒くさくなって。返信するのをやめたからだろうか、部活にまで乗り込んできてとにかく最悪だった。
だからお別れメールを入れて着信拒否にして……それからどうなったんだっけ。忘れた。
初めての彼氏だったけれど記憶に残らないほど薄い思い出で、正直嫌な思い出しか作られなかった。こんな面倒なら彼氏とかいらないと心が固まったし、学校で元カレに合っても無視しようとか考えてた。
二学期が始まって1番にされたことは胸ぐら掴んで脅迫。着拒したこと詰められて、「別れたから他人じゃん」と切り捨てたら逆上されて。私はよく知らなかったけれどこの元カレは実は暴走族に入っていたらしい。
部活終わりの、薄暗い夜道。すこし街頭が少ないけれど歩き慣れた、よく知った道だったから油断してた。部活のチームジャージはよく目立ったみたいで。エナメルバックにはチームメイトとの結束を強めるとか何とか言って自分の名前の落書きなんかしてて。
私を知らない人でも、一発で私だとわかる姿をしていたのだと。そう気づいたのは誘拐された後だった。
見知らぬ黒い服を着た男たちがぞろぞろ現れて、「佐竹仁香だな」とか私の名前を問いかけて、そしてあっという間に目隠しされて手足を拘束されてバイクに乗せられた。携帯は取り上げられて捨てられた。わざわざ逆パカして壊した上で。
ようやく目隠しが取られたと思ったら、倉庫みたいな場所に閉じ込められていた。周りにいるのは私を拉致した男だけで、助けてくれそうな人は1人もいない。
意味がわからなかった。ただひたすら怖かった。何されるんだろうと震えてたら、見覚えのある顔がその中にあって。
元カレが、私への復讐のために人集めたのだと知った。あまりにもあんまりで、「そんなことで」と思わず呟いたら殴られた。高飛車だとか、内心俺を見下してるとか、よくわかんないことを叫ばれては執拗に顔を殴ってくる。痛くて、怖くて、恐くて。
ただ部活に一生懸命だっただけなのにどうしてと意味もわからず泣いて、誰も助けてくれないんだと絶望したその時だ。
「何やってんだテメェら!!」
重い扉が開く音と、怒声。傷んだ金髪がバイクのヘッドライトに照らされてピカピカ光ってて、「ヒーローだ」と思った。
マントも、変身スーツも、何もないけど。ダサいTシャツ着てるけど。私を守ろうと盾になって、ボコボコにされてるのに「絶対ェー諦めねェ」と何度も何度も立ち上がって、そして本当に私を掬い上げて、姿はヒーロー以外の何者でもなかった。
こんなの、好きにならないほうがおかしい。吊り橋効果と言われるかもしれない。でも、これは錯覚でも何でもない。
絶体絶命のピンチに駆けつけて、自分を身を挺して助けてくれたヒーローに、惚れない女がいるなら教えて欲しい。
それが、友達の彼氏だったとしても。
□□□
「ヒナの彼氏、ちょーカッコいいね」
次の日、私はちゃんと笑顔で言えたのだろうか。ヒナの彼氏って、ちゃんと詰まらず言えてただろうか。
「……タケミチくんはヒナのだからね」
「知ってる」
でも、きっとちゃんとできなかったんだろうな。12年経っても、この日のことはずっと覚えてる。
「とらないから安心してよ。私、友情優先派だから」
これで、綺麗に終わればよかったのに。私は、自分のことを過大評価していたのだろう。私は、「友達の彼氏だから」と自分の恋をサッパリ諦められるくらいには潔いい女だと思ってた。でも違った。水撒いて鎮火したはずの炎の火種はずっと胸の内で燻ったまま。一ヶ月目は、まあ仕方ないのかと自分を言い聞かせた。二ヶ月目は流石にまずいと焦り出して、三ヶ月目からは花垣のアラを探しだした。半年たったころはまだ燃え尽きぬのかと自分にイラつき、ふとした時に「もしヒナが花垣と別れたら」なんて、ひどいことを考える自分に殺意が湧く。
ズボラ、私服がダサい、髪の毛キシキシ、喧嘩弱い、頭悪い、通信簿オール1、授業真面目に受けない、暴走族、すぐ調子乗る、授業中にいびきかく、割と性格がクズい。
いいところ以上に見つかる花垣の悪いところ。両手じゃ数え切れないぐらいに見つけたのに、私の火はまだ消えない。むしろ悪いところすら可愛く見えて。
12年、12年だ。中2の時に一度だけ助けてもらった“だけ”なのに、いつまでも未練たらしく引きずってる。
…嘘だ。だけなんかじゃない。大人になればなるほどあの日花垣が助けてくれなかったらどうなっていたのかを考えてしまう。あの日、花垣が来てくれなかったらきっと私は強姦されてた。輪姦されて、ボロボロになって、もしかしたら殴り殺されてたかもしれない。命まではとられなかったとしても近いうち自殺してた。
花垣が、花垣がいてくれたから。……花垣がいなかったら。私はきっと生きてない。
好きだ。花垣が好き。花垣に救われたから私は今も生きている。私のヒーロー。大好き。
燃えて、燃えて、燃え尽きて。燃え滓になってもまだ燻ってる。ヒナも、花垣に助けられた1人なのかもしれない。私は花垣に助けられたたくさんの中の1人だともうとっくの前から知ってる。私はべつに、花垣の特別なんかじゃない。でもヒナは違う。花垣の特別はヒナだから。
花垣が何があろうが諦めないで立ち上がるのは後ろにヒナがいるからだ。ヒナを守ろうとしてるから花垣はかっこいい。それは橘日向の恋人の花垣武道として恥じない姿を見せないためだとか、そんな上っ面の物じゃなくて。心の奥底から、芯の部分を支えてるのがヒナなんだと思う。なんなら、花垣が人を助けるのはヒナを守るついでなんじゃないかと考察してる。行動の節々にそう言うのが透けて見えるから。
ああ、花垣ってほんとにヒナのことすきなんだなぁって。見るたび思う。相思相愛ってああいうのを指すのだろう。
……知ってる、知ってるよ。それでも好きなのをやめられなんだから、仕方ないじゃんか。
「……明日」
明日になれば、私も花垣を過去にできる。幸せそうな2人を見れば油汚れみたいにしつこい胸の内もだって木っ端微塵に粉砕される。タキシードを着て、ウェディングドレスを着たヒナの隣に寄り添う姿を見れば、私だって次に進めるはず。
そしてようやく、私は全部を灰にできる。
ずっとこの日を待っていた。なのにどうしようもなく心が痛い。何もしなくても涙が出てきて、辛くて、「仕事にならない」と上司に叱られて早退させられて、まだ明るいうちから酒屋で1人酒に溺れる。
「……何やってんだろ。」
暗くなって、これ以上は流石にまずいと店を出る。ふらふらあてもなく歩いてたから、なんとなく人がいる方に惹きつけられたんだろう。
「ねえ、アレ!!」
「ねえ、人がぶら下がってない!?」
ざわめきにつられて、自分も上を見上げて、凍りつく。酔いなんか一瞬で覚めた。
潰れて廃れたボーリング場。九階と書かれた窓の上。階数にして十階相当。割れたガラス窓と、おそらく飛び降りたのだろう白髪の男の腕を掴む黒髪の男。遠くからでも、豆粒ぐらいの大きさでも。わかってしまう、だって私の目は、いまだに“彼”がどこにいてもすぐ見つけてしまうから。
「何で…!」
どうして、何でがぐるぐる渦巻く。何が起きてるんだ。どうしてこんなことになってるんだ。
私は人混みを押し除けて、先頭に立つ。……ああ、やっぱり。
「花垣!!」
お前、何してるんだよ。明日ヒナと結婚するんじゃないの? 窓枠に掴まって片手で男を引き上げようとしてるが、力が足りてない。ブルブル震えて今にも落ちてしまいそう。諦めて手を離せば花垣は助かる。でも、絶対にあいつはあの手を離さない。人を救うことを諦めない。そう、確信してる。
だって、私は、誰も見捨てない花垣武道だから、好きになったのだ。
鎮火しかけた火がまた燃え上がる。花垣の体ががくりと傾く。私は、かけだした。
絶対無理に決まってるのに、巻き込まれて死ぬと頭でわかってたのに。花垣と、花垣が助けようとした人を受け止めようと無謀にも手を広げて……
「(ああ)」
景色がスローモーションに見えた。飛び出した私を止める声が遠くに聞こえる。花垣と目が合った気がした。青い目がキラキラ光ってて、かっこよくて、あの日のヒーローがまた現れたんだと変なことを考える。
白髪の人は誰だかわからないけれど、花垣が必死になって助けようとするんだから、きっといい人なんだろうな。私がクッションにでもなって、運良く助かったりするだろうか?
いや、無理か。理論的に無理。私のこれは確実に無駄死になる。
でも、でも、でもさぁ。助けたいと思ったんだけど、ちょっとだけ、花垣と一緒に死ねることが嬉しいだなんて考える。12年。ヒナには察されていたと思うけれど、誰にも明かさなかった胸の内。結婚式前日にベロベロに酔うまで飲み明かして、泣き明かして、諦める努力をする虚しい時間。
もしも、私が非難されるのを覚悟の上で花垣に想いを告げていたのなら、私の人生は違ってたのかな。
嗚呼、死ぬ直前の五秒間がこんなにも長いなんて。
花垣は目を閉じていた。白髪の人が私を見つけて目を見開く。声は聞こえないけれど、唇が開いて、閉じて、開いて、三音。
「ーーーー!」
ごしゃりとも、がつんとも、表現できない音が聞こえ、暗転。