「……のねー、仁香ってばぁ。話聞いてる?」
パチン、と目を覚ます。目の前にいたのは中学の時同じ部活だった楓ちゃんだ。
「え、は、なに?」
「だからぁー、来週の記録会!
練習用のスパイクのままでいいかなぁ?」
「いや、スパイクはそのままでもピンはタータン用買った方がいいんじゃない……?」
「そうだよねぇ、いきなりスパイク二足持ちして一年のくせにチョーシ乗ってるとか思われたらヤだし」
うまく状況を把握できずに、困惑したまま楓の質問に答える。そう言えば、そうだったな。たしか楓は初の記録会に張り切りすぎて大会用スパイクまで用意しちゃって三年の先輩に目をつけられたんだったっけ。2年に上がって上級生が卒業するまでちょっと大変だった記憶がある。
「というか、記録会?」
「そーだよ。一番張り切ってたの仁香でしょ? どうしちゃったの? 」
「ああ、うん、そうだったっけ……?」
なんか、言われてみたらそんなような気がする。前後の記憶が思い出せない。というか、何で中学生になってるの、私。たしか、私はボーリング場から落ちてくる花垣を助けようとして……。
「(多分、あの前死んだんだろうな。)」
となると、これは走馬灯というやつか。よりにもよって中1の記憶なんて、変な時期だなと思う。初めての記録会ということは多分今は五月後半か六月だろう。そのぐらいの時期だった気がする。でも、そっか、中1の六月か。
じゃあ、まだ花垣はヒナと付き合ってないのか。
「………いや、まって! 今中1じゃん!」
「は? 急に何?」
ガタンと立ち上がった私に楓が引いたような声を出す。でも今はそんなこと構っていられない。
変な時期だと思ったけれど私の「未練」を考えればそうおかしな時期でもないかもしれない。
突然の奇行に口元が引き攣ってる彼女の肩を掴んだ。きっと私の顔は真っ赤だろう。でも、これが走馬灯なら。死の間際に見る夢なら。私は、どうしてもやりたいことがあるのだ。
「ねえ、楓。花垣のクラスしってる!?」
私は、きっと。いつまで経っても覚めない恋の病を終わらせるために、綺麗さっぱり花垣に振られて前を向くために、この夢を見てるのだろう。
□□□
「花垣武道! いる!?」
「うぇ!? はい!」
突然乗り込んできた他クラスの生徒に、教室は静まり返る。跳ね上がるように立ち上がったワックスでテカテカのリーゼント。傷んでキシんだ金髪が懐かしい。何度も思い出しては恋焦がれた少年よりも、少しだけ幼い。私の夢のくせに高性能だなんて自画自賛する。
ずんずん歩いて、花垣の机の前に立つ。机を挟んで向かい合った私の目に、青いキラキラの瞳が映った。ああ、好きだな。
「えっと、佐竹さんだよね?
隣のクラスの」
「私のこと知ってるんだ」
「そりゃ、……有名だし」
有名だし、の前にポソポソ呟いた言葉は聞き取れなかったけれど、まあいいや。
「ちょっと、2人きりになれる場所に行きたいんだけど、いい?」
「え、いや、べつにイイデスケド……」
「じゃ、ついてきて」
流石に人に見られながら振られるのはなんか嫌で、花垣を逃がさないように腕を引いて歩く。へんな奇声が聞こえたけど無視した。廊下を歩いてたら野次馬の生徒が廊下の窓を開けて冷やかしてきた。
私は図書館準備室に花垣を連れ込んで、向かい合う。ようやく2人になった。そう思った瞬間、心臓が爆発しそうなほど高鳴って、思わず胸元を握りしめた。
「……あの、さ、大丈夫……?」
「な、なにが?」
「いや、体調悪そうだから……顔めちゃくちゃ赤いし」
「……ソウデスカ」
声が裏返った。恥ずい。というか、どうして人がいない教室に自分を連れ込んだ顔が赤い女を見て、「体調悪いのかな」とか思えるんだろう。普通、「告白かな?」とか思わないの?
「体調悪くないから、今はちゃんと私の話聞いて」
「え、……と」
きゅ、とワイシャツの袖を掴んで、手汗を拭う。今、私、めちゃくちゃ恥ずかしいことしてる。ばくん、ばくんと自分の心音が耳元で聞こえる。顔が熱くて、首筋に汗が伝う。何で私、朝っぱらからこんなことしてるんだろ。というか教室乗り込んで花垣拉致ってる時点で告白するのバレバレだよね。全部終わって私のクラス戻った時、私の評判どうなっちゃってるんだろ。
彼女いる男に告白するアバズレ?あ、でも、まだ花垣とヒナ付き合ってないのか。じゃあセーフかな?
……いや、セーフじゃないか。あれだけやって振られるとか恥ずかしー女。今からでも引き返そうか。いや、ここまできて引き下がれるか。
ごくりと、唾を飲み込む音が聞こえる。私と花垣、どっちのだかわからないけど。
「私……私……っ!」
言う。私、言っちゃうんだ。ヒナの彼氏なのに。生きてたら、明日ヒナと結婚する男なのに。
「私は、佐竹仁香はっ! 」
ほんと、何してるんだろう。友情取るとか言った口で何を言おうとしてるんだか。12年前の約束だから時効? そんなわけあるかバカ。でも、それでも。ここまできたらやるっきゃない。日和るな、がんばれ佐竹仁香。私は、恋を終わらせるために夢を見てるんだろう?
「ずっと、ずっと、ずっと前から! 12年前のあの日からずっと、ずっとずっと……!」
言え、いえ、言え! 声が震える。胸が苦しい。顔が熱い。変な汗で背中はぐっしょり。目を瞑ってしまいたい。ヒナに申し訳ない。
「花垣武道くん、あなたが好きです!」
……ああ。言った、言えた、言ってやったぞ、私。体の中から火傷しそうだけれど。燻らせたまま燃え残り続ける想いを、ようやく言えた。これでようやく、未練なく死ねる。
大好き。12年前の九月。あの倉庫で私を助けてくれた瞬間から、ずっと。花垣しか見えてない。悪いところも好きになっちゃうぐらい盲目に好きで、だからずっと苦しかった。どこにいても花垣をすぐに見つけられた。それこそヒナと同じぐらいのスピードで見つけられる。だからあの日も、あんな遠くからでも、花垣を見つけられた。
12年前からとか、意味わかんない話されて困惑してるのを肌で感じる。中学生の花垣は知ったこっちゃないだろうね。君にとっては来年の話だし。でもいいの、知らなくて。だって私、君に振られるためにここにいる。
「えっと、12年前?」
「うん」
「ごめん、俺覚えてなくて…」
「うん」
「その、なんというか、ありがとう」
「うん」
「それで、あの、そのぉ……」
「うん」
もだもだと、言葉を探す花垣。いっそ、一思いに振ってくれ。死刑宣告をまつ囚人の気持ちだ。沙汰を受ける覚悟はもうきまってる。
「あの、今日から俺とオツキアイするってことで、いいんですかね……?」
「うん、ありが……………へ?」
一拍。一瞬。さっきまでうるさいぐらい聞こえてた心臓の音が止まった。驚きすぎて何も言えない私に不安に思ったのか「え、やっぱちがう!?」と慌てる花垣に「違わない!!」と咄嗟に答えてしまった。
花垣と付き合う。じわじわと遅れてきたのは喜びの波で。「どうしたの!?」と声をかけられてようやく、私は泣いてることに気づいた。
「振られるかと思ってた」
「え、なんで!?」
「だって、花垣はヒナがいるじゃん……」
「ヒナって、橘さんが俺のこと好きって噂マジだったんだ……」
ひぇ〜と変な声で慄く花垣。私は思わず「そうだよ」と頷く。
「正直、めちゃくちゃお似合いだよ。ヒナも花垣も2人して思い合ってて、つけ入ろうとか思う気無くすぐらい」
事実、そうだった。だからここまで恋愛拗らせた26歳処女が出来上がったのだ。
「本当に私でいいの? 正直、私よりヒナの方がずっと花垣のこと好きだよ。だって未来で結婚してた。」
花垣はちょっと黙って、鳶職みたいなボンタンのポッケからぐちゃぐちゃになったタオルを取り出して、ボロボロ泣く私に差し出す。いつ洗ったんだかわからないぐしゃぐしゃのタオルなんて普通嫌なのに、何故だかすごく嬉しくて。
「未来とか結婚とか、何言ってんのかよくわかんねーけど。でも、俺に告ってくれたのは橘さんじゃなくて佐竹さんだし……あー!つまりさぁ!」
キラキラの青い目。大好きな目。大きな青い目に涙の膜が張ってて、それがキラキラして見えてるんだとしても。泣き虫で、弱くて、でもめちゃくちゃ心が強い。
「俺は、付き合うなら佐竹さんがいい。」
そんな君だから、私はすきになったんだよ。
ぐずぐず泣いて、頷くことしかできない私の背を優しく撫でる。
好き、好き、やっぱり大好き。
私、花垣が好きだ。
「俺さ、佐竹さんのこと全然覚えてねーけど、それでもいいの?」
「いいの、私が覚えてるから」
「付き合ってみてなんか違うってなるか「ならないよ!」
食い気味に頷く。調子に乗って花垣の胸に飛び込んでみたりする。素の私なら絶対こんなことしない。でも、今は違う。だってこれは走馬灯。死ぬ前に神様がくれたボーナスタイムなのだから、好き勝手してもいいじゃないか。これは夢だから、私を責める人だっていない。
「嬉しい、嬉しいの。まさか、こんないい夢見られるなんて、思ってなかった。」
「夢?」
うん。頷く。きーんこーんとチャイムの音。
「だって、これ走馬灯でしょ?」
小声でつぶやいた私の言葉は、きっとチャイムに潰された。
「俺、モテ期かも知れねぇ」
「自慢か?自慢なのかオイ!」
一限が始まって十分ぐらいだった頃に戻ってきたタケミチに突きささる好奇の視線。間休みに突撃され、山岸に詰められたタケミチは素直に……少し、いやかなりドヤりながら「付き合うことになりました!」とVサインで報告。当然ブーイング。
「クソ〜! なんでお前なんかが溝中一年美少女ランキング二位の美少女に告られてんだよ!」
「何そのランキング」
「そのまんまだよ。ちなみに一位は橘日向」
「橘って言えば、その子もタケミチが好きって噂じゃなかったか?」
「聞いて驚けよ……それ、マジらしい」
「誰情報だよ! 死ね!!!」
山岸が下品に中指を立てた。「絶対タケミチより先だと思ってたのに……っ!」と変顔して悔し涙を流す2人を笑ってやったら殴りかかられた。
一通り暴れたと思えば「禊を済ませた」と妙に神妙になるマコト。山岸はまだ泣いてた。
「佐竹さんもなんでタケミチなんかを……」
「それがさぁ、なんか12年も前から好きとか言われちゃってさぁ〜」
「12年前って赤ちゃんじゃねーかよ!」
「生まれた時から好きですってこと?」
「いや、わかんねーけど」
「わかんねーのかよ」
タクヤの質問に答えて、アッくんのツッコミに頷きを返す。
「でもさ、すげーまっすぐ俺に好きって言ってくれたんだよ」
真っ赤な顔で、片手で袖を掴んで、もう片方の手で制服の胸元を掴んで。泣きそうになりながら「ずっと前から好きだった」と告白されて、心揺さぶられない男などいないだろう。相手の顔が良ければ尚更だ。
「で、惚れたのか」
「……いや、まだ、気になるぐらいで……。
これから好きになれそう?ってゆーの?」
佐竹の告白を思い出したせいでまた顔に熱が集まってくる。あ〜、ヤバい。あんな可愛い子が俺の初めての彼女って言うのがなんかヤバい。
「てかさ、彼氏って何すればいーわけ?」
「そりゃ、アレだろ。デートしたりとか?」
「手ェ繋いで一緒に帰るとかありがちじゃねー?」
「エッ、手なんて繋いじゃっていいのかよ!?」
「そりゃ、タケミチ、いいんだよ」
アッくんはクールにそう言った。さすがだ、全然動じてない。椅子に座り直し、腕を組み替えたアッくんが「付き合ってんなら何も悪くないだろ」と呆れまじりにつぶやいて、タクヤが「とりあえず誘ってみれば?」と俺に人差し指を向ける。
「さ、誘うって……」
「試しに一緒に帰ってみれば?
これからどうするのかだなんて外野があれこれ言うもんでもないし。こーいうのって、結局タケミチと佐竹さんの気持ち次第じゃない?」
「た、タクヤ……」
大人だ……と思わず漏れた呟き。俺は「よし」と拳を握り直し、「俺は!今日!佐竹と一緒に帰る!」と拳を振り上げた。「おおー!」と上がる冷やしに顔を真っ赤にしながら。
□□□
「と、いうことなので。一緒ニ帰リマセンカ!」
裏返った声を張り上げた俺を、ぽかんとした顔の佐竹と、佐竹のチームメイトがみてた。
空は赤らんでいるがまだ明るく、日が落ちるまでもう少しかかるだろう。夕日で染まっているのか、それともただ緊張してるだけなのか。なんとなく気まずくなって視線を逸らした先のカーブミラーに映る自分の顔は、どうしちゃったんだと言いたくなるぐらい赤い。
沈黙が痛い。できるものなら5分前に戻りたい。教室でダラダラとだべりながら居座り、時々校庭を眺めて部活してる佐竹をボケーっと観察していた俺を引っ叩いてやりたい。なんかいうこと考えとけよ!って。
熱心に走る姿がなんかグッと来て、「佐竹、カッケーな」とか思ってる場合じゃなかった。
部活が終わったのを見届けた俺は「じゃあ行ってくる!」といつメンに手を振り速攻階段を駆け降りて、校門で佐竹を待っていた。そして、ソワソワと落ち着かない気持ちを抑えながら、ざわめきに耳を傾けて、そして。
学校ジャージをきて、フェイスタオルを首から下げて、エナメルバッグを斜めがけにしたいかにも部活帰りといった格好の佐竹が「え、花垣?」と尋ねた瞬間、バネ人形みたいに跳ね上がって、告白でもするみたいに手を差し出して冒頭の言葉を告げたのだ。
あまりにも格好がつかない。しかも佐竹の友達の前で。恥ずかしすぎて顔を上げられない。沈黙が痛い。
「えっと、あの……」
佐竹の戸惑うような声。あ、やっぱ辞めときゃ良かった。そう考えたのも束の間。
「……待っててくれたの?」
ちょっと、甘えるみたいな。揺れる声音にそろりと顔を上げる。俺に負けず劣らず、真っ赤な顔の佐竹が「ちょっと、今は見ないで」と顔を両手で隠してた。
「うん、一緒に帰りたくて」
スムーズにいえた。俺の一言に佐竹は「うぅ〜」と顔を押さえながらしゃがみ込んだ。「嬉しい」と、ぽしょりとつぶやく姿が可愛くて、うわ、やばい。俺、死ぬかもしんねェ。心臓痛い、動悸が激しい。ここにいるのが俺と佐竹だけになったみたいな気がして、佐竹以外何も見えなくて、頭がクラクラする。
つまり、なにがアレかっていうと、まあ、うん。
………佐竹、俺のことめっちゃ好きじゃん。
夢の続きを、いつまでも見続ける。最初はただ、「幸せだな」と終わりの見えない走馬灯に身を任せていたけれど、それが一ヶ月も続くと流石におかしいと思ってくる。
もしかして、私は死んでないんじゃないかとか、いや、あの状況で生きてるのは流石に無理だとか、ぐるぐる考えてしまって、もやもやを晴らすために走って誤魔化す。
私は、もしかしてあの瞬間過去にタイムトラベルしたんじゃないかなとか。タイムリープとか時間逆行現象とかいうものなんじゃないかとか。SFなことを考えては「いや、流石に」と自分で否定して有耶無耶にする。言い訳が苦しくなってきても、目を逸らしてた。
だって、もしもこれがタイムリープだとして。私は明確に過去を変えてしまった。私は、自分可愛さに花垣とヒナが付き合うという現実を握りつぶしたことになる。12年後には結婚が決まっていた親友の彼氏を奪ってしまった。こんなことして許されると思うのか。ヒナに顔向けできない。
ヒナと花垣が付き合い始めた時期を計算して、タイムリミットを数えて心臓を痛める。「早く別れなければ」と思っていたくせに自分から別れを切り出すのはつらくて、ずるずる引き延ばした結果が今。
気づけば2年に進級してしまって、前みたいにヒナと同じクラスになった。前と同じく席も隣同士。佐竹とタチバナだから、うまいことさ行とた行で隣同士になったのだ。以前は溝中で一番可愛いと評判の美少女と席が隣だと何も考えずに喜べていたのに、毎秒心臓を握り唾されてるような気分だ。罪悪感で胸が痛い。
以前は私が話しかけるまでヒナは私のことを知らなかったけれど(他クラスだったなら当然だ)、今回は違った。初対面からヒナは私を知っていて、「えっと、佐竹さんだよね。ヒナは橘日向。これからよろしくね」と可愛らしく微笑んでた。好きな人を横から掻っ攫われたのに、ヒナは私を恨んだり、嫌ったりしないで友達になろうと言ってくれた。改めて、自分の醜さを見せつけられているみたいで、余計に苦しい。こんなに優しい、かつては親友だと言っていた友達を裏切った私が汚く見えて仕方ない。実際、穢い。だって、なんだかんだ言っても結局別れてない。
「よろしく、ヒナって呼んでもいい?」
「うん、ヒナも仁香ちゃんって呼んでもいいかな」
白々しい。よくもまあ、こんな卑怯な真似ができるものだ。嫌いで嫌いで仕方ない。自己嫌悪で頭がおかしくなりそう。結局、私という女は友情より恋をとったのだ。
ヒナはほんとにいい子で、私がひなの想い人の彼女だと言うのに嫌な面を微塵も見せなかった。未来を知らなければ、ヒナが花垣のことを好きなことなんてさっぱり気づかなかっただろう。それぐらい、ヒナは気持ちを隠すのがうまかった。
新学期が始まって、中間テストの時期になる。部活もこの時期ばかりはテスト休みだから、なんとなく教室に残ってたらヒナも同じことを考えていたみたいで。なんやかんやあって、2人で勉強会をする流れになった。私も、気持ちを隠すのが上手くなった気がする。私のは悪い意味でだけど。
「仁香ちゃん、良ければうち来ない?」
下校だと教室に先生が来た。じゃあ帰ろうかってなって、そしたらヒナが「そうだ」と手を打って提案。
「え、いいの?」
「うん、もちろん。
ねえ知ってる? 実はヒナたち家近いんだよ」
「そうなんだ」
嘘、知ってる。前も家が近いのがきっかけで仲良くなったから。ヒナに誘われるがままにヒナの家に行く。私の家から歩いて5分もかからない場所にあるのに、中学になるまで会ったことがなかったのは小学校の学区の違いが関係してるのだろうか?
「ただいま〜」
「おかえり、姉ちゃん」
ヒナの何気ない言葉に返事が返ってくる。まだ声変わりしてない子供の声だ。真面目そうな黒髪の少年がひょこりと廊下の奥から顔を出してた。目が合う。私はぺこりと頭を下げて「お邪魔します」と言った。ヒナの弟だろう。噂では聞いたことあったけれど、あったのは初めてだ。
姉の女友達に会うのが初めてなのか固まってる。ヒナが「どうしたの?」と聞いたら「なんでもない」と慌てて部屋に戻る。初々しいな、反応が可愛い。ヒナの弟だけあって顔がいい。多分学校でもモテてるんだろう。
「姉ちゃん、お茶持って来たよ」
「ありがとう直人」
ヒナの部屋で勉強して数分、ヒナのお母さんに頼まれたと弟くんがヒナの部屋にやって来た。お盆の上には麦茶が二つ。
「どうせなら直人も一緒に勉強する?」
「え」
「私は別にいいよ。ナオトくん?がよければだけど」
「……じゃあ、お願いします」
ヒナの提案で三人で勉強することになったけど、この子かなり頭がいい。応用問題もスルスル解くし、ちょっと発展問題で躓く程度だ。そのあとは、普通に勉強会をして暗くなる前に帰った。ナオトくんとも仲良くなれたと思う。
***
「へえ、そんなことがあったんだ」
「うん。花垣はちゃんと勉強してる?」
「いや、俺は、そのぉ〜」
「ごめん、わかりきってたね。どうせしてないんでしょ」
「ハイ……」
私に叱られてしょぼくれた花垣。なんだか怒られたコーギーみたいに見えて、頭に手が伸びそうになる。なんなんだこの男は。庇護欲誘うような顔しやがって。いい子いい子してあげたくなるでしょ。
何に怒ってるのかわからない。内心大荒れの私は「あー、その」となんとなく言葉を誤魔化しながら、「あの」と、本題を切り出してみる。
「あの、さ。花垣が良ければなんだけどね。今度……いや、明日とか。2人で、その……ファミレスで勉強会とか、どうですか?」
「い、イイと思います」
照れくさくなって、そっぽ向きながら変な敬語を使ってはなす。2人して視線が合わなくて、周囲から感じる生ぬるい視線が肌に刺さる。繋がれた手がなんとなく湿ってて恥ずかしい。どっちの手汗かわかんない。でも、自分から離すのはなんか嫌で、結局私の家に着くまで繋いだままだった。
家の前まで私を送ってくれた花垣の背中に、「じゃあ、また明日」と小さく手を振る。花垣が「ま、また明日!」と両手でメガホン作って叫んでた。いつも繰り返す青春映画みたいなやり取り。小さいことなのに、いつものことなのに、花垣の赤い頬を見るたびに「ああ、好きだな」と思うのだ。
本当、私って最悪だ。救われないぐらい罪深い。
ヒナのこと大好きなのに、花垣を手放せない。
□□□
七月になった。中間テストも無事おわって、花垣も終わった。勉強会をしたのに赤点まみれの答案用紙に「おま、おまえ…」と思わず唸る。花垣は「すんません……」としょぼしょぼ顔で自主的に正座してた。
テストがあけたので部活も再開。花垣は私を待ってる時間に赤点補習を受けているようだ。部活が早く終わった日に教室に行くと教室で頭を抱えた花垣がプリントと対峙してる。なので、私はなるべくわかりやすいように噛み砕きながら勉強を教えてあげたりしてる。
ちょっとめんどくさいなとか思うけど、花垣が「佐竹〜〜、ありがとぉ〜〜〜!!」と泣いて喜ぶから、私はいつも予習復習バッチリだ。
たまに、と言うには多い頻度で「俺の彼女が佐竹でよかった」とかなんとか言うから、恥ずかしいやら嬉しいやらで、デコピンで誤魔化してみたり。
ほんと、絵に描いたような中学生カップル。クラスどころが学年公認。私が1人で廊下歩いてたら「花垣○○にいたよ」と知らない生徒が教えてくれるレベルだ。小さいことだけどそこが嬉しくて、嬉しいと感じる自分が嫌になる。せこくてズルくて大嫌い。
本来ならこの二ヶ月後に、私は花垣に惚れる。そして、12年間未練たらたらな26歳喪女として生きる。なのに、私はタイムリープというチート技つかってヒナより先に告白して、付き合って……。
ズルだ、ほんと。最悪、最低、下衆女。
でも本当に嫌いなのは、わざと自虐して罪悪感を少しでも軽くしようとしてる行為と自分自身。自己嫌悪で勝手にメンタル拗らせて、余計花垣に依存してるのを自覚してる分厄介度マシマシ。悪循環から抜け出せない。薬中の無限ループってこんな感じなのかもしれない。
「はぁ…」
「どーした仁香? ため息ついて」
「いや、なんでもない」
小首をかしげる楓ちゃんに「なんでもない」と手を振る。勝手に無限ループにハマってメンヘラになりそうだなんて相談できない。相談するならタイムリープ云々から話さないといけないし、そんなこと言い出したら普通に頭の心配される。
「いや、わかってるって。一緒に帰るのが花垣じゃなくて落ち込んでんだ」
「いや、違うし」
「いーじゃん、許してあげなよ。うちらは部活あるけど花垣帰宅部だし。たまには放課後に遊びたくなるってもんじゃん?」
「楓ちゃん、私のこと彼氏大好き束縛女だとでも思ってんの?」
「彼氏大好きなのはホントじゃん」
「ゔ」
まあ、そうですけど。
「じゃーまたね」と分かれ道でお互い別れて、それぞれの帰宅路につく。にしても、束縛女か。側から見たらそんなふうに見えるレベルで依存してるのか、私は。
「はぁ〜」と盛大にため息をついて、自宅の鍵を開ける。「ただいま」の声が酷く沈んでた。共働きの両親はまだ帰ってなくて、「後で適当に夜ご飯作ろ」と頭の中でメニューを考える。疲れてるし豚丼でいいや。玉ねぎと豚肉煮るだけだし。
そのまま風呂場に直行して、シャワーだけ浴びて部屋着に着替える。ドライヤーで髪を乾かしてから、エプロンもつけずに台所で調理開始。白米洗って炊飯器をつけて、「じゃあ、やるか」と玉ねぎをシンクで洗う。ぐつぐつと煮えて透明になった玉ねぎの上に豚肉を乗せる。いい感じに火が通ったら麺つゆで味を整えて……。
最後に卵でも乗せようか、冷蔵庫を開けた時、「ピンポーン」と呼び鈴が鳴る。「ああ、お母さん帰ってきたのかな」とインターフォンも見ずに玄関を開けた。
「おかえりー……え?」
ドアを開けて一番に目に入ったのは、金髪。あと、汚れた学ラン。
「え、花垣?」
そこにいたのは花垣だった。でも、いつもの花垣じゃない。今日の朝までばっちりセットしてたリーゼントはぐちゃぐちゃに乱れてるし、顔に大きな青あざつけて瞼が腫れてる。鼻血を適当に拭ったような跡もあって、自分の今の格好を気にすることも忘れて手を伸ばす。
「どうしたの、喧嘩?
怪我して」
「る」と。
言っている途中で手を引かれた。花垣が引っ張った。体勢を崩して前のめりに倒れ込む私を花垣が体で受け止めて、そのまま抱きしめる。腕ごと、体ぜんぶ、花垣に包まれた。思わず言葉が消える。
「私、風呂入った後なんだけど」とか、「なんでこんな時間に急に?」とか。聞きたいことも言いたいこともたくさんあったはずなのに、一言も言葉にならなかった。私はただ、一言。それしか言えなかった。
「……どうしたの?」
花垣が泣いてる。泣いてるのはよく見るけど、今日はなんか、泣き方が違った。静かに泣いてた。嗚咽を堪えるように、静かにぼろぼろ泣いていて。
私は、大人しく腕の中に収まることしかできなかった。
「佐竹」
「うん」
「心臓、どくどく言ってる」
「まあ、そりゃ、ハイ」
確かに、胸は高鳴ってる。好きな人に泣きながら熱烈に抱きしめるというシチュエーションでドキドキしない女はいないだろうよ。顔が熱くなって、ちょっと視線をずらす。
……いやいや、照れてる場合じゃないだろ。でも、何を言っていいかわからなくて、直立不動。
「佐竹、ごめん、佐竹」
「……花垣?」
ごめん、と言いながら、花垣は泣いている。腕の力が増す。少し苦しくなるぐらい締め付けられて、「ちょっと、苦しい」と腕を叩く。緩んだ腕にほっと息をつきつつも、寂寥感を感じるのは贅沢な悩みだろう。
「何に謝ってんの?」
もぞもぞ動いて、腕だけ抜け出す。そろりと花垣の背中に腕を回して、背を撫でた。
「ごめん」ばかりで話にならない。何があったのだろう。こんな花垣私は知らない。弱ってる理由も、泣く理由も。
「……。」
でも、この。弱った花垣を慰める役目は本来ヒナの役目だったんだろうな、と思った。
そして、こんなに弱りきった花垣を見ることができたのも、ヒナだけだった。考えなくてもわかる。わかってるけど、見ないふりをする。
私は、気づかなかったことにして慰め役に回ることしかできない。
「ほんと、急にどうしたの?」
「なんでもないんだ、本当に」
「何でもなくないでしょ。
今日の花垣、変だよ、絶対」
「ほんと、なんでもないから。」
緩まった締め付けがまた増える。
「……だから、もうちょっと、10秒でいいから。
このままで居させて」
「……はぁ、もう」
しょうがないなあ、なんて。背中を撫でていた腕を腰に回した。
「何十秒でも、好きなだけ抱きしめていーよ。だって私、カノジョだよ」
花垣の好きにしていーよ、と言ったら、花垣は本格的に泣き出した。静かな嗚咽が玄関に響く。
「ねえ、こんなんだしさ、私の部屋来る?」
「……いい。部屋行ったら、帰れなくなりそうだから」
「何それ、どういう意味?」
深刻な空気を笑い飛ばしてやりたくて、わざとらしいほどくすくす笑う。
「いきなりでごめん」
「いつでもいいよ」
「明日、朝、一緒に学校行きたい」
「朝練あるけど、それでもいい?」
「……やっぱ、帰りで」
「午後練はないから、どっか寄る?」
「寄る。行きたいとこ考えといて」
「ん、考えとく」
じゃあ、また明日、と。
小さくなる花垣の背中を見送る。明日、どこ行こうとか考えて、「あ、コンロ!」と家に戻る。よかった、火はちゃんと消えてた。胸がいっぱいだけどちゃんと食欲はあって、「成長期こわ」とか頭で思う。
「何があったんだろ」
今日の花垣はあからさまに変だった。そう、まるで、去年の私みたいな……。
「いや、まさか。」
そうだ、ありえない。もしもそうなら、花垣が私のところに来るわけなんてないんだから。