「溝中ー、ファイオ、ファイオ、ファイオーー」
一度は心が折れ、自ら経ってしまったヒーローの道を再度歩み出してから一週間。佐竹仁香は週末に迫った都大会に向けて早練をしていた。朝練の前に自主的に集まってやる有志の練習、つまり自主練。
仁香は女子1500メートルと800メートルに出走予定で、つまり長距離チーム。せっかく地区予選を勝ち抜いたからには目指すは都大会通過。前回は届きもしなかった関東大会出場を目指し心血を注いでいる。
「やー、励んでるね仁香ちゃん」
「まーね」
今回は先輩との
さて、そんな熱血極まる溝中陸上部にも、当然ながら休養日はある。といっても朝練ありの午後休とかで、一日休みはほぼないけれど。
そんな貴重な午後休は花垣とデートできる特別な日で毎週待ち遠しいのだけれど、今日みたいな変則的な休みはちょっと嫌かも。
「そうだ、仁香知ってる?
こないだ、
「なにそれ、いつ?」
「あーと、ほら。大会申請出しに行って前半遅刻した日あんじゃん。あんとき」
「うそ、まじで最近じゃん。怖ー」
確かに、ちょっとだけ用事があって少し遅れて授業に出た日があった。けれど、少し遅刻してる隙にそんなことが起きていたとは。惰性でストップウォッチを確認してペース配分を考えていたら、思いもしない言葉が飛び込んでくる。
「んでね、山岸が言うには花垣目当てだったらしーよ。橘サンが撃退したとか言うのもあるけどそれはデマっしょ」
「は?」
なにそれ、どう言うこと。聞き返す前にそんなこと考えてられなくなった。
「アンタら、おしゃべりする余裕があるならもっと走る?」
「「げ…」」
世間話を先輩に見咎められて回数を増やされて、一気にハードになったメニューに頭は空っぽになり。気づけば夕焼け小焼けもとっくに鳴り止んで日が暮れた午後6時。
一応、後30分はグラウンドを自由に使っていいことになっていて、そのあとは自主練なり帰宅なり
なので、早期帰宅希望組は捕まる前にエナメルを抱えて校門を飛び出すのが部活後のルーティーンになってる。途中面倒な先輩に捕まりかけたが「ちょっと備品買わなきゃいけないので!」と言い逃げして窮地を切り抜ける。
「で、どーする?」
「あー……スポーツショップ寄ろっかな。いろいろ買い足したいのあるし」
テーピングと湿布、あと冷却スプレーと、と。指折り数えて財布の中身を思い起こす。(*ちなみに、学校に財布を持ってくるのは校則違反だ)
「最近怪我多いから私らも気をつけなきゃね」
「シンスプとか怖いもん。先輩たち何人か中練になってたもんね」
「ね、休養日まで走りすぎなんだよ。私、せっかくの休み潰されるとか絶対イヤ」
何かと都合がいいからと駅前に向かう。あそこら辺はスポーツショップとか本屋とかカラオケとか、色々とあって発展してるのだ。
「仁香は特にでしょ、休日潰されたくないの。恋愛脳極まってんね」
「別に、武道のこと言ってるわけじゃないんだけど」
「名前呼びになってるあたりで察するんだわ」
「ゔぅ〜」
顔に熱が上る。まあ、そうだよね。苗字から名前に呼び方変えるとか、確実に何かあったって言っちゃってるし。
「せっかくだし色々聞かせてよ〜?」
「買い物に集中させてよ」
自動ドアを潜りながらため息を一つ。根掘り葉掘り聞かれながら買い物を終えて、気づけばとっぷり日が暮れて。月と街頭で明るい道をワイワイ騒ぎながら歩く。ワックで適当にハンバーガーを買って、そこら辺の公園で食べていた、そんな時だ。
「ん?」
「どうしたの?」
「え、いや、あそこ」
楓ちゃんがどこかに人差し指を向ける。
「あれ、花垣じゃない?」
「え」
「浮気?」と零した楓ちゃんの視線の先。そこにいたのは見知らぬギャルを腕にくっつけた花垣の姿。
「……」
ヒナじゃない。
一瞬ほっとした。でもヒナじゃないから余計に殺意が湧く。テメェ、ふざけんじゃねぇぞ。メラメラ燃え上がる怒りの炎。
ヒナに浮気なら、もう仕方ない。もとからそういう運命だったと言い聞かせて、私はおとなしく身を引こう。でも他人はダメだろ。
楓ちゃんに荷物とバーガーとシェイクが入った紙袋を託し、づかづかと大股で距離を詰める。そして、なんかデレデレしてるふざけた男の肩をハンドグリップ(*なんか握力鍛えるアレ)仕込みの握力で力の限り握った。
「はーなーがーきーくーん?」
「あでででで!!」
「奇遇だねー、
ことの次第によってはバチボコだぞ?」
なるべく怒りを隠して、女の子らしい話し方を心がけたのだが柄の悪さは隠しきれていない様子。楓ちゃんが「うわぁ、もしかして仁香ちゃんヤンキー?」とアイスラテ(*多分そこのコンビニで買ってきた)片手に呑気に観戦している。
私の迫力に腕にくっついてたギャル(ハーフ系美少女)もガチギレ女の正体に勘づいたようで、「ヤバ」みたいな顔をして花垣から距離を取る。
「は、えっ、佐竹!?」
なんでここに!?
慌ててるのか、定番のセリフを叫ぶ花垣。なんかもう、一周回っておかしくなってきて私の口角が上がる。
「それ、私のセリフじゃない?」
「いや、あのデスネ、これはそう言うのじゃなくて……ぇっ!」
ひゅん、と。スニーカーが花垣の頬を掠める。スカートも気にせず振り上げた右足は壁に激突し、足ドンというよりもカツアゲみたいな体制になる。
「じゃー、どーゆーのなんですかぁ?」
「ひん……っ!」
もはや半泣き。プルプル震える花垣に「いや、逆じゃない?」と思わないでもない。そんなに怖いか? 私、お前のカノジョなんだけど?
「私が部活で忙しくしてる隙に浮気ですかー?
へー、ふぅーん?」
「やったれ〜、陸上仕込みの脚力でバチボコにしてやれ!」
「嘘ついたり誤魔化そうとしたらスパイクに履き替えるよ?」
「ヤバ、花垣の顔スポンジボブになるじゃん」
「場合によってはね」
「ひぃ!?」
私の迫力にビビりちらしたのか、それとも楓ちゃんの煽りが物騒すぎるのか。一瞬白目を剥いてふらりとよろける花垣。が、すぐに意識を取り戻したようでタタラを踏んで持ち直す。
「おはよう花垣。辞世の句を読む準備はできた?」
「は、え、ちょ、何、どう言う状況?」
意識と一緒に記憶を飛ばしたのか、キョトンとした顔で尋ねる花垣。脅しすぎたか? なんて考えたのは一瞬だ。青い目はびっくりするほど澄み切っていた。罪悪感のかけらもない。反省してねぇなこいつ。
「まじか花垣、この状況でしらばっくれるなんて逆にすごいよ。ワタシならボロ雑巾にする」
「はぁ!?」
ストローを啜りながら楓ちゃんが冷たく睨む。なんか、もうここまで開き直られると怒ってる私がバカらしくなってくる。ため息をはいて頭を抑える私の正面から「あの」と控えめな声が聞こえた。顔を上げると件のギャルが。
「ごめん、まさかカノジョいるって思わなくて。
あ、浮気とかじゃないから安心して」
「じゃあ聞くけど、これホントどーゆー状況なの?」
「あー、ちょっと声かけただけ。
あんたのカレシが『そーいうのキョーミないんで』とか冷めたこと言うからちょっと強引になっちゃったかも?
でも腕組む以上のことはしてないから」
「はぁ〜〜……何にもないならいいよ、もう」
安心なのか、呆れなのか。モヤモヤしてるようでホッとする感情が迫り上がってきて思わずため息をついた。花垣は楓ちゃんにおちょくられている。何を言われたのか、全力で否定を繰り返す姿は情けないけどそれが嬉しい。
「武道」
「マジで違うから! 二股なんてしねぇ!
俺のカノジョは仁香だけだ!!」
べつに、今のはそういうのじゃなかったんだけど。思わぬセリフに毒気が抜かれる。何をどう受け取ったのか、必死で言い募る花垣を見てたらさっきまでの怒りもどこかへ飛んでいく。
「……ん、許す」
「いーなー、ラブラブじゃん。」
「釣り合ってないようで結構お似合いだよねー。仁香泣かすなよー、花垣ー!」
「泣かせません!!」
至近距離での大声、耳がキーンとして手を当てたら花垣が「ご、ごめん」と謝罪する。
「美女と野獣?」
「いやー、野獣はナイ。家犬がいいところだよ」
「コーギーとか?」
「あ、ぽいぽい」
少し離れた場所から飛んでくる野次。少し顎をあげて花垣を見上げる。キンキラの髪をバチバチに逆立ててる頭が耳をピンとたてたコーギーに見えなくもない。もしくは近所のちょっとおバカな柴犬だ。「ごめん仁香〜」と涙目で手のひらを擦る姿に、ちょっぴり嗜虐心が駆り立てられる。
「チューしてくれたら許してあげる」
「ちゅ、え、今!?」
ぼっと首まで真っ赤に染めあげた花垣に満足して、「ジョーダンに決まってんでしょ、ばーか」とデコピンを一つ。数秒フリーズして、ようやく揶揄われていたと理解した花垣が怒りと恥と照れがない混ぜになったメチャクチャな感情で「仁香〜!!」と私の名前を叫ぶ。腹を抱えて大笑いする私。砂吐きそうな表情で私たちを見る楓ちゃんとギャル。
「うぇ〜砂糖吐きそう」
「カレシ、完全に尻にしかれてるじゃん」
「あー見えて仁香の方から告白してんだから、人は見かけには寄らないよねー」
「え、マジ? 完全に逆だと思ってた。仁香ちゃんやる〜」
「ほんとそれ。
てかさ、連絡先交換しない?
ワタシ、アンタとはいい友達になれそーな気ぃするんだよネ」
「いーよ!
うちの周り、男ばっかだから女友達増えるの嬉しい!」
意気投合したのか、すっかり仲良くなった楓ちゃんとギャル子ちゃんがガラケーをお互いに向けて赤外線交換してた。
「そだ。ワタシ、井原楓ね。大溝中2年」
「ん、佐野エマ。うちも中2」
「おっけーエマ、これからよろしく」
「楓もね」
タメだね〜と携帯の液晶で口を隠して笑い会う2人。少し離れいるから声を少しだけ張り上げて「佐竹仁香ー! 連絡先は楓ちゃんに聞いてー!」言ったら「オッケー、仁香って呼んでいいー?」と返事がかえる。
「いーよー! わたしもエマって呼ぶし!」
「いや、普通に話しなよ!」
「今は引っ付きたい気分なの。エマが見てるし、念のため」
「ど、どーゆー気分……!!」
ぎゅ、と花垣の腕に抱きつきながらエマに手を振る。生暖かい、しかしどこか羨ましそうな視線を感じる。エマが「ごめんね」と手を合わせながら
「ごめんねー。ウチ、好きな人いるから」
「好きな人いるのに俺をナンパしたの!?」
「あー、だから迷惑かけてゴメンって言ってんじゃん。
ウチはただ……早く、大人になりたかっただけだから」
つま先に視線を落として、つまらなそうに吐き捨てる。
「……好きな人にさ、子どもだって思われたくないんだよね。
ホラ、処女って面倒くさいとか言うじゃん。面倒とか思われたくないし。だから後ぐされなく卒業できる相手探してたんだよね」
「あー、そう言うことね」
「はぁー、次どうしよっかなー」
エマが苦い顔で話した内容になんともいない気持ちになって、空気を飲む。
言い分としてはわかる。思考回路も理解できる。でも、あまりにも自分を大事にしてない。出会って数分しか経ってない相手だがすでに友情のような何かを感じてる子だ。
「彼女いなそーな冴えないやつだと思ってたらラブラブな彼女が出てくるし。いーなー、仁香。
しょーじき羨ましい」
「エマ……」
寂しそうに微笑む彼女になんて声をかけていいかわからなくて、言葉を飲み込んだ。友達になったとはいえ初対面の相手に踏み込んだことを言っていいのか。どうしようと言葉を探す私を尻目に、花垣が決意に満ちた目でエマを見つめていた。
「あの、俺が言うのもあれなんすけど。エマちゃんはもっと自分大事にしたほうがいいっすよ」
「は?」
エマが首を傾げる。威圧も混ざってる首の傾げ方だ。斜め下から睨め付ける仕草は様になってて迫力がある。でも花垣は微塵も怯まず「いや、だって」と言葉を繋げる。
「エマちゃんがそこら辺のテキトーなやつで初めて捨てたら、傷つく人が
だから、なんと言うか、エマちゃんはもっと自分を大事にした方がいいっすよ」
エマちゃんだけを見る青い目。睨まれてるわけでもないのにどこか怯んでしまうまっすぐな眼差し。それを隣で眺めながら、「(私、花垣のこーいうところが好きなんだよなぁ)」とか考えてしまう。
言ってることはありきたりなのに、花垣が言うだけで謎の説得力があるのだ。多分、上っ面の言葉じゃ中で本気で言ってるからだ。
「なにそれ説教? 意味わかんないし。
ーーーでも、まあ。あー言うのはやめるよ」
「うん、それがいいと思う!」
髪を指先でいじりつつ、ちょっと不貞腐れたみたいに。エマの言葉に満足したのかサムズアップをする花垣。イラっときたのか、エマに親指をへし折られて「いだだだだ!」と悲鳴が上がる。
「あーあ、なんか萎えちゃった。
ウチも、告白待ちなんかしないでケンちゃんに告ろっかな?
ねー花垣クン、ぶっちゃけどうだった? 女の方から告られた時の感想教えてよ」
「え」
「ソレ、ワタシも知りたい。ねー、どうだったん?」
「えぇ!?」
わたわたと慌てる花垣が助けを求めるように私を見る。ので、にっこり笑って一言。
「ごめんタケミチ、私も知りたいな?」
あ、う、と口ごもり、プシューと音が聞こえるほど顔を赤く染めて目を回した花垣。ずり、と一歩後退り、そしてくるりと踵を返す。
「教えねーよ!」
「あ、逃げた」
「こらー! 逃げんな!」
「このいくじなしー!」
「うるせぇぇぇぇぇえ!!」
エコー付きで逃走した花垣の背をヤジを飛ばしながら見送る。「めっちゃ逃げ足速いじゃん」「意外とフォーム綺麗だね」「去年散々走らせたから」「あー、マラソン大会」などなど。数秒で豆粒サイズになった花垣を酷評する。
「あ、そーだ。エマ、日曜空いてる? 友達記念にカラオケとかどーよ」
「いーよ、駅前?」
「そだね、じゃあ10時集合で。細かいとこはメールで」
「りょーかい」
「「「じゃ、また日曜に」」」
パチンと三人でハイタッチ。そこで今日のところは解散となったのだった。