膝に手をついて、ぜいぜいと肩で息をする。とりあえず逃げてしまったが大丈夫だろうか。今回のタイムリープは早々にイレギュラーだらけだ。前の人生と変わってる。前の俺はあんなかわい子ちゃんにナンパされたことなんてなかったし、仁香にスパイクシューズで蹴られそうになったこともない。と言うかあまり喧嘩したことなかった。
それなりの期間付き合ってるからスパイクシューズがどんな靴だかしってるし、あんな凶器一歩手前の靴で顔踏まれたら確かに穴だらけと言う意味でスポンジボブにされてしまうだろう。
『言っときますけどね、タケミチくん。うちの姉さんと付き合うなら佐竹さんと別れてからにしてくださいよ。二股とか最低ですから』
ふと、タイムリープ前にナオトに言われた言葉を思い出す。いや、違う。そう言うアレじゃない。でも…
「ヒナのことは
「ヒナが何?」
ビクゥ!と肩が跳ねる。驚き過ぎて多分数センチ浮き上がった。錆びた蛇口を回すようにぎ、ぎ、ぎと首を回せば案の定。そこにいたのは俺の記憶よりかなり幼い少女の姿。
「な、なんでココに!?」
「何でって、塾の帰りだけど」
じゅく、とは。俺の人生で聞きなれない言葉に一瞬思考が止まるが即回復。塾ってこんなに遅い時間までやるのか、と思わず感心する。
「花垣くんは何してたの?」
「お、俺は……まあ、ちょっと」
ちらりとヒナを見る。花垣くんと呼ぶ彼女はなんだか新鮮に感じる。
「(付き合ってる時はずっとタケミチくんって呼んでたよな)」
たぶん、「花垣」とか、「花垣くん」とかは仁香を思い出してしまうから、気を遣ってくれたのだと思う。彼女はそういう気遣いができる子だったから。
「……暗いし家まで送る」
「え、悪いよ」
「いいよ、俺がやりたいだけ」
最近物騒だし、と。俺はヒナの隣を歩く。一瞬泣きそうな顔になって、「なんか、最近の花垣くんちょっと変」と顔を逸らす。
「へ、変?」
「ウン。今までは『仁香ちゃん以外眼中にない』って感じだったのに、優しくなるし。でも次の日は急にそっけなくなるし。
あと、たまにうち来るし。……橘さんじゃなくて、ヒナって呼ぶようになった」
「ご、ごめん」
「謝らないで___嫌じゃないから」
俯いて、顔が髪で隠れる。表情は見えないけど、髪の隙間から見える唇が微かに震えてる。
「ナオトと仲いいんだね、知らなかったよ」
「最近ちょっと、仲良くなって……?」
「ナオトから聞いてるよ。オカルト仲間なんだっけ?」
「あー……そんなとこ」
正確には、俺のタイムリープのことを知ってる仲間なんだけれど。未来のナオトに指示により、俺は過去のナオトにタイムリープのことを話して協力者にした。信じてもらうための暗号のようなもの(ムー大陸だとかガバラとか、よくわかんなかったから多分直人にしかわからない内容なのだろう)を二、三個伝えてその通りに言えば過去ナオトはすぐに理解を示してくれた。トリガー云々のタイムリープの仕組みもすでに俺以上に理解しいて、主に頭脳面で俺のサポートをしてくれている。未来でも過去でもお世話になりっぱなしだ。
ヒナのことについては少し複雑そうで、「色々言いたいことはありますが、とりあえずは九月のウィークポイントを切り抜けた後に話しましょう」とか言っていた。
「……ナオトの姉だからって、ヒナのことまで気にかけなくていいよ」
「え」
「花垣くんは優しいね」
でも、と繋げて、「やめてほしい」とヒナは言う。
「友達……っていうより、後輩かな。
直人の身内だから気にかけてくれてるって、分かってるよ。この間のことがあったから余計にかな?
でもさ、それってすごく残酷だと思わない?」
「え……」
「その気がないなら優しくしないでってこと」
何もいえない。ヒナの言う通りだ。
今の俺は仁香の彼氏で、ヒナは仁香の友達だ。いつからヒナが俺のこと好きになってくれたのか知らないけれど、大学生のヒナは俺のことを「ずっと前から好きだった」と言ってくれていた。彼女が俺を好きになるタイミングは中学のどこか。でも俺は中1の春から付き合ってる。
「(……確かに、俺最低だ)」
26歳の俺にはヒナと付き合っていた記憶があるけれど、14歳の俺にはそれがない。
その気がないなら優しくしないで、とヒナは言う。けれど、俺にとってヒナは仁香と同じくらい大切な人で。絶対に助けたい俺の彼女の1人なのだ。
「(俺は、ヒナをどうしたいんだろう)」
切なそうで痛々しい、無理やり作った笑顔で笑うヒナ。彼女を思い切り抱きしめてあげたい。そんな気持ちが俺にはある。でも、それは仁香に対する裏切りだ。
2人とも大好きだ、比べられないほどに。できるなら、2人と付き合いたいし、彼女にしたいと思ってる。
でも、現実は漫画の世界とは違うし、ハーレムなんて許されない。2人ともは選べない。どちらか1人を選ばなくてはいけない。
なんで言えばいいかわからなくて、押し黙る俺に「変なこと言ってごめん」とヒナが謝る。謝るのは俺のほうだ。
『〜〜♪ 〜〜♪』
携帯の着信が気まずい沈黙を破る。慌てて電話をとると聞こえてきたのは聞き慣れぬ低い男の声、ドラケンくんだった。「多摩川の武蔵神社に来い」とのことで。なぜ俺が呼ばれたのか理由は不明だが呼び出されたからには行かなければだろう。
「ごめんヒナ、ちょっとドラケンくんに呼び出しくらって……」
「ドラケンくんって、この間の人?」
「うん」
「じゃあ、ヒナも行く」
カバンを後ろ手で持って、「行かないの?」と尋ねるヒナ。
「だめだ、危ないだろ」
「でも、花垣くん言ったじゃん」
今日は家まで送ってくれるんでしょ?と。イタズラっぽく「約束破るの?」と聞いてきたヒナに、ため息をつきながら首の後ろをかく。
「……仕方ねーな」
俺、ヒナのこういう強かなところも好きだったなと。そんなことを考えてた。
***
「……本当にここ?」
「そのはず、だけど……」
指定された場所にいたのは大量の特攻服をきた不良、不良、不良。しかもどいつもこいつもバイク乗ってる。
ふと、そのうちの1人が俺らに気づいて「オイ」と声をかけ……
「見せモンじゃねーぞ、どっか行け」
「殺すぞボケエ」
ウッソだろ、こんなテンプレな絡まれ方ある?
「いや、ボクはただここに呼び出されて」
「はぁ?」
わざわざバイクから降りてきた2人に詰め寄られ、メンチきられる。
「ココは東卍の集会場所だ。誰がテメェなんか呼ぶか」
実際呼ばれてんだよ。呼び出したなら話通しておけよと内心文句を垂れるがことばならず。ドラケンくんの名前を出すか迷っていたら「オマエもしかしてタケミっち?」と声がかかる。眉毛に剃り込み入れてるこれまたいかにもな不良。
なんだかよくわかんないけど偉い人らしく、彼に言われるがままに後をついていく。
「よ、タケミっち」
不良の中心で朗らかにマイキーくんが「悪いな、急に呼び出して」と笑う。その傍にいたドラケンくんが「オマエ何彼女なんか連れて来てんだよ」と苦言を呈し、反射で謝罪を入れた。
「スイマセン、こんなになってるなんて思ってなくて」
「あっ、ヒナちゃん!
この前はゴメンな、タケミっち試す為とは言え脅かして」
「いえ、ヒナの方こそごめんなさい」
俺の後ろで話し出したマイキーくんにドラケンくんがため息を吐き、何かを探すように視線を彷徨かせる。
「オイ、エマ。
この子、タケミっちの彼女だからしっかり守っとけ」
「りょ〜〜か〜〜い」
エマ?
つい先ほども同じ名前を聞いたばかりだ。それに、声も聞き覚えがある。恐る恐る振り向くと、案の定そこにいたのは金髪美少女。俺を見るなり目を丸くして、一瞬真顔になる。にんまりと弧を描く口元に反して目が全然笑ってない。背後にブリザードが吹き荒れているのを幻視して、「ひくり」と口の端が引き攣る。
「……よ、いくじなしくん。さっきはよくも逃げてくれたね」
「エマちゃん!?」
そう、マイキーくんの視線の先。そこにはつい数時間前に出会ったばかりの少女がそこにいた。
「あーんなこと言っといてそっこー浮気とか、実は結構度胸あるかんじ?」
「あの、言い訳させてくれませんかね?」
責めるようなジト目に冷や汗が米神を伝う。めちゃくちゃ綺麗に貼り付けた笑顔で無言の圧力をかけてくるエマ。そろりとあげた手は黙殺された。
「ウチの誘いに乗らなかったくせにその子の誘いには乗るんだ」
「いやいやいやいやいや!!!
ヒナとはそんなんじゃなくて!」
「ひーなぁー?」
「名前呼びとかあっやしー」と、やや前屈みになって低い位置から俺を睨むエマちゃん。怪訝な顔で俺たちを観察しつつ、その手はしっかり携帯を握ってる。一括送信画面、アドレスは二つ。そのうち一つはめちゃくちゃ見覚えがある。
「(通報される……っ!?)」
視線が携帯に釘付けになる。片方のアドレスは佐竹仁香。なら、もう片方は井原さんだろう。背中が汗でぐちゃぐちゃになってるのがわかる。
下手に喋れば通報、逃げても通報、ならどうすればいいのか?
勝ちこちに固まる俺の両方を「とん」と叩く大きさの違う二つの手。人肌の温もりが今はとんでもない爆弾に思えて……どうしてだろうか、奥歯がうまく噛み合わない。
「……オマエ、エマと知り合いなの?」
「いくじなし君♡って、どーゆー事ですかぁ?」
ごごご、と。効果音が聞こえてきそうな迫力×2
ヒナだけでも怖いのにドラケンくんの怒りの波動まで感じて震え上がる。真っ青な顔で「誤解です!」と叫ぶも肩を掴む強さは変わらない。
「エマ入れて女の子三人侍らせてたのに肝心なところで逃げた意気地なし」
「語弊しかない!!!」
エマちゃんの悪意まみれの言い回しにドラケンくんの血管がさらに一本浮き上がる。ほんと勘弁して。
「一緒にいたのは仁香!もう1人は井原さん!
ヒナと同じクラスの!」
涙で霞む視界。なんとか弁明したがヒナの顔はどこか暗い。
「え、あ、そうなんだ」
なら、ヒナからは何も言えないね、と。
「仁香? だれそれ」
「今日知り合った友達。
てか、この子仁香の知り合いだったりすんの?」
「そ、そーなんだよ、 仁香の友達! んでナオト、後輩のお姉さんでさ! 夜1人だと危ないから送ってたってわけで!」
「へー、意外と花垣気がきくじゃん」
「そういうことなら通報すんのはやめといてあげる」と携帯を仕舞うエマ。「スポンジボブ回避おめでとー」と打ち鳴らされる拍手か白々しい。夕方に見たスパイクの鋭さにゾッとしながら誤解が解けて良かったと胸を撫で下ろす。
「で、その仁香ちゃんとタケミッちはどういう関係なわけ?」
「え、ケンちゃん花垣のことタケミッちってんでんの? じゃ、私もタケミッちって呼ぶから。
そんで、仁香だけど。彼女だよ、タケミッちの。スポーツ系の美人」
「は? じゃあこの子は?」
「友達ですっ! 浮気じゃありません!」
俺の返事に「へー、そう」とだけ言い残してドラケンくんは俺の元からさっていく。その背中を見送ってから、ぐわっと勢いよく振り返った。
「とゆーか、エマちゃん酷くない!?
言い回し、悪意しか感じられなかったんだけど!」
「揶揄っただけじゃん、ごめんって。
でも、あーあ」
すとん、と。正座する俺に合わせてしゃがみ込んだエマちゃん。ちょい、と手招きされてヒナも近くにしゃがみ込んで、内緒話でもするみたいに声を潜めて一言。
「ちょっと愚痴聞いてよ」
俺があっけに取られている隙にヒナが「いいですよ」と頷く。エマちゃんはぼうっと遠くを見つめていた。
「嫌になっちゃうよねー、ウチの事なんか興味ナシ。マイキーとバイクと喧嘩の事ばっかり」
脈絡もなく、話し始めたエマちゃん。虚ろに見えた視線の先にはもう遠くにいるドラケンくんがいる。一心に向けられた熱のこもった眼差し。
「…」
先ほどの会話を思い出す。子どもだって思われたくない相手。エマちゃんが早く大人になりたかった理由は、多分……
「少しは怒るかなって思ったのに」
「ドラケンくんにヤキモチ妬いて欲しかったんですね」
俺が考えていたことをそっくりそのままヒナが言う。エマちゃんの黄色の混ざった薄緑がヒナの横顔を捉えた。
「まあ、そんなとこ」
「ちょっと、気持ちわかります」
「あー……」
エマちゃんが俺とヒナを交互に見て、それからヒナに視線を固定する。
「てかさ、ヒナちゃんだっけ?
タケミッちはどう言う関係なの?」
「ヒナの弟と花垣くんが仲いいんだ。だから、何かと気にかけてくれてる」
「あー、そう言う感じか」
何かをわかり合ったのか、アイコンタクトで会話する2人。急に「お互いしんどいね」とエマちゃんが言って、「応援できなくてゴメンね」と手を合わせた。
「いいの、ヒナが一番分かってる」
無言。沈黙が痛い。俺が口を突っ込んでいい場面じゃないのは分かってるので何も言えないが、可愛い女の子2人の間に挟まれたちんちくりんが場違いなのはわかる。めちゃくちゃわかる。しかも内容が内容だ。余計に口を挟んではいけない。
今の俺にできるのは誰かがこのいたたまれない空間を終わらせてくれることだけ……
「タケミッち、終わったか?」
「(ドラケンくん!)」
救世主の降臨に目を輝かせる。終わったなら来いと親指を後ろに向けるジェスチャーで呼ばれ、それを見たエマちゃんが「ヒナはこっち」とヒナを連れていく。
そして、俺は思い知る。マイキーくんのカリスマと、暴走族の世界というものを。