「…あんた一体なにしに来たんですか、ミオン様」
金田の声は、黒い霧の中にむなしく吸い込まれていった。
そこは、門を抜けて城までまっすぐに伸びるアプローチ。
両脇に並ぶはずだった木々は、まるで何かに焼かれたように黒く縮れ、枝先だけが不自然に溶け落ちている。
地面には、砕けた石畳が斜めにずれ、その隙間からは淡い紫の霧がゆっくりと漏れ出していた。
霧は上空に上がるほどに黒く変色し、風はほとんど吹いていないのに、霧だけがどこかへ吸い寄せられるように城の方へ流れていく。
金田たちがそこを歩き始めて真ん中を過ぎたくらいだろうか、突然その事件は起こった。
山田は予想通りといった顔でニヤつき、少し距離を置いて二人を眺めている。
「おっさぁーん…ちょっとそこまで、だっこして連れてってくれぇ…ちょっとでいいんだよぉー」
ミオンは霧に入った途端、見事に酔っぱらっていた。
いつもの気の張った表情はすっかり消え失せ、マタタビを前にした猫のようにふにゃふにゃと金田にしがみつく。
まとわりつくミオンを、金田は心底うっとおしそうに引きはがそうとする。
「…いっそ先生が抱えていったらどうでござるか」
斎藤が、どうにもならない二人を見かねて遠慮がちに言う。
「断る!」
金田は、よじ登ってこようとするミオンと格闘しながら叫んだ。
「なんだよぉー、あたしをだっこすんのイヤなんか?お?イヤなんですか?」
なおも絡むミオンだったが、次の瞬間、はっとしたように金田から離れた。
「…いかん、気を抜くと酔っぱらってしまう」
ミオンは眉間を押さえ、ふらつく意識を振り払うように首を振る。
「…気を抜くと、そうなるのか…」
金田はミオンに掴まれて乱れた服を整えながら、引き気味に突っ込んだ。
「いわゆる魔力酔いってやつだ。あたしだから酔う程度で済んでるけど…ほかの魔族、というかこの世界の住民は、こうやっていろんな影響を受ける。だから魔力濃度の濃い場所には立ち入れない」
ミオンは説明しながら、まだ残るモヤを振り払うように軽く頭を振った。
「…ミオンって、ひょっとして…酔ってる時の記憶ないの?」
山田が恐る恐る尋ねる。
ミオンは半ば不思議そうに首をかしげた。
「…あたし、なんかしてる?もたれかかったり座り込んだりくらいはしてるとは思うんだけど…」
「…お、おう、大丈夫、多分…」
金田はぼかすように答え、山田も無言で何度もうなずく。斎藤はあえて顔を背けてスルーした。
…言えない。
三人は同時にそう思った。
そして、レプトルが止めた理由が“危険”よりも“こっち”だったことも理解した。
我関せずで田所を捜索する斎藤、複雑な緊張感を抱えた金田、ニヤニヤが止まらない山田、真剣に周囲を警戒するミオン。
一向はアプローチを抜け、崩れ落ちた城の前に立った。
かつて城だったものは、まるで巨大な横殴りの爆風に叩きつけられたかのように、同じ方向へ向かって押し流されるように崩れていた。
三本あったはずの塔はすべて倒れ、残った基壇だけがかろうじて外観を保っている。
だがその表面には深いひびが走り、触れただけで崩れ落ちそうなほど脆く見えた。
奇妙なのは、崩れた断面に混じる二つの素材。
古い石造りの層のすぐ隣に、明らかに後世に付け足されたコンクリートの層があり、そこからは溶けて曲がった鉄筋がむき出しになっている。
階段を上がると、一行の前には崩れかけた石造りのゲートが姿を現した。
左右の柱は半ば欠け落ち、上部のアーチはひび割れて今にも崩れそうだった。
そのゲートの内側に、太い柱が支えるトーチ状の構造物が現れた。
その奥には、かつて城の入口だったであろう重厚な扉が、蝶番ごと吹き飛ばされ、地面に横たわっていた。
「…田所さん、よくも一人でこんな処に…」
金田がその荒廃した景色に思わず呟いた。
ふいに山田のスマホが鳴る。
「もしもし?あ、ネコヤマさん?」
「はーい、技術担当のネコヤマです、ウリちゃん今どこですかー?」
山田がスマホを取り出すと、明るい中年女性の声が聞こえ、画面にはネコが服を着たような魔族の姿が映し出されていた。
山田はネコヤマと呼んだが、恐らく彼女には本当の名前があるのだろうと、金田は思った。
「お城?の前だよ」
山田はそう言うと、スマホをかざして周囲の映像をネコヤマに見せた。
「…テレビ電話もできるのか、なんでもアリだな」
金田は、この世界の節操のない技術とそれを当たり前に受け入れる山田の感性に改めて驚く。
「あ、ここはロスマジシア城ですねー、田所さんはアスピライトタワーに向かわれたんですよね?なら、お城から直通の回廊を使っているんだと思います」
「…うわー、入りたくないな…」
城の中の様子を伺いながら、ミオンは面倒くさそうにため息交じりでそう言った。
扉の向こうのエントランスは、外よりもさらに濃い闇が沈んでいた。
崩れた天井の隙間から差し込む光が、舞い上がる粉塵を照らし、その奥に、折れた柱や倒れた壁の影がぼんやりと浮かび上がる。
「2階の右奥の通路が直通の回廊です。タワーに近づく程魔力濃度は濃くなりますので、ミオン様は気を付けてくださいね、この機能は魔力の消費が激しいのでいったん切りまーすー」
「はーい、じゃあまた後でー」
画面の向こうで手を振るネコヤマに山田はそう言うと、スマホの通話を終了させた。
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『ボクが見た優しい異世界の話。』
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