突然、エアコンの起動音のような機械音が静かなうなりを上げ始めた。
辺りに漂う黒い霧の流れが、それまでとは違う速さで流れていくのが判った。
音の正体は、タワーの中腹から聞こえている。そして、霧の流れもここを起点に起こっていた。
何本かの太いコードがちぎれてぶら下がっているそこは、奥の方でなにかが鈍い明滅を繰り返し、それに同調するよう散らす火花もその範囲を拡大しているようだった。
「逃げてください!タワーの力が変質した魔力を無理やり移送同期しようとしています!」
ネコヤマが電話越しに叫ぶ。
火花が霧の中を駆け巡るように辺り一帯に広がり、サー、というノイズ音とともにチラチラと空間に映像が出現し始めた。
「…これは…テレビの砂嵐?」
田所が、驚きのあまり声を漏らす。
金田もその光景に呆然と立ち尽くしていたが、背後からすぐに山田の声が聞こえてくる。
「金田!ミオンが!」
急いで振り返ると、そこには不安と焦りを抱えた表情の山田。そしてその傍らには、ミオンが胸を押さえてうずくまっていた。
「…一つの場所に固まるでござる!」
斎藤は叫びながら、刀を抜いた。
先ほどまで砂嵐だった空間は、それぞれが次々と何らかの形を持ち始める。
一つは獣、一つはモンスター、中には人間、理解不能な生き物らしきものまでさまざまだった。
それらすべてが、屋上の隅に固まった金田たちに向かってにじり寄ってくる。
「倒せる?斎藤さん!」
「できないとは言わないでござるが…増え続けるというのは…きりがないでござる」
金田が斎藤の背中越しに言うと、彼はちらりと金田を振り返り歯切れの悪い言葉でそれを返す。
そう言われて金田が周囲を見渡すと、先ほどと同じような現象があちこちで発生し、同じようななにかが形を作って実体化していくのが判った。
「ミオン様だけでも逃がしてください!ミオン様を今のタワーの力の中に置いておくのは危険です!
スマホからネコヤマの声が響く。
斎藤がまず、とびかかってきた狼のような獣の喉を横に切る。
切られたその生き物は、横に倒れてのたうち回っていたが、血や体液を吹き出すこともなく、やがて煙となって消えて行った。
そしてそれを皮切りに、斎藤はのそりのそりと向かってくる正体不明のその化物たちを切り捨てていった。
「とはいっても…出口は思いっきり反対側なんだよ!」
焦りを隠せない金田がネコヤマの声に振り向いて答えた。
スマホを持ってミオンの様子を見ている山田の傍らでは、苦しげな表情で首を振っているミオン。
彼女は時折、うめき声のような声を漏らしながら焦点の定まらない瞳で中空を見たり、かと思えば、うつむいて激しくせき込むといったことを繰り返していた。
「…ダメだ、金田!これじゃミオンがもたないよ…なんかあの装置を止めるとかじゃダメなの?」
ミオンの背中をさする山田がこらえきれずに金田に訴える。
そして、その後ろには、先ほど田所が使っていた、制御室まで伸びている階段が見えた。
「ネコヤマさん!俺がなんか知らんけど、あそこ行って装置止めてくる、それでどうだ!?」
金田は思わず山田のスマホを取り上げて、ネコヤマに直接話始める。
「いいと思います!でも、どれがどう機能しているというのは…」
ネコヤマが口ごもると、田所がそれに続いた。
「…じゃあ、金田さんの代わりに私があそこまで行きます、ネコヤマさん、一緒に停止の方法を探しましょう」
「でも、あそこの階段、途中で切れてるんですよ!?田所さんじゃ…」
金田が階段の先を見る。
制御室と思われる中腹のエリア、そこに向かう階段はその直前で溶けてなくなり、飛び移るには少し覚悟が必要な距離があった。
「…距離にして大体2メートル、でしょうかね。大丈夫、なんとかなります。こう見えて体育も得意だったんですよ」
田所も同じく、階段の先に視線をやりながら言った。
冗談めかして言っているものの、その声色には余裕は全く感じられなかった。
「私は機械は得意ですが…ミオンさんのことは金田さんの方が得意でしょう?そういうことです」
そして、戸惑う金田に続けてそう言った。
「早く!」
刃物を振りかぶった人間の腹部を深く切り裂いた斎藤が、振り向き様に声を上げた。
倒してもまた、どこからともなくなにかが湧いて出る。
この頃になると敵意のあるもの以外にも、お菓子、クマのぬいぐるみ、遊園地にいるような音楽、日本円のお札など、様々なものが飛び出しては消えて行った。
それはまるで、人の想像力の中に放り込まれたような不思議な光景を作り出していた。
「…うぐ…」
みおんが体を丸めて短く悲鳴を上げる。背中が小刻みに痙攣しているのが判った。
「え、なにこれ!?」
そしてその背中からは、僅かだが、白いモヤが立ち上り始めていた。
「タワーに無理やり引き抜かれているんです!魔力になる前の力を…」
山田の悲鳴に近い戸惑いの声に、ネコヤマが切迫した声で答える。
金田はその様子を一瞬だけ見ると、田所に向き直った。
「頼みます」
そう言ってうなずくと、山田のスマホを田所に手渡した。
田所はスマホを受け取ると、階段を小走りに駆け上がっていった。鉄の階段を靴底が叩くカンカンという乾いた音が辺りに響く。
斎藤は、刀を振りながらある違和感を抱いていた。
数は多い、が、手ごたえもない。まして、向かっては来ているものの、攻撃もまるで出鱈目。
そこに、意志も命もなければ殺意もない。
そう感じていた、最初の段階では。
しかし、時間を経て周囲がめちゃくちゃになっていくほど、手ごたえはより現実味を帯び、相手の挙動もより明確になってきている。
幻想が、より現実に近づいてきている。
長引くとまずい、と斎藤は直感した。
鎧の隙間から首を刺し貫かれた西洋の騎士が倒れこみ、首から少し血を流していた。
ミオンの背中から立ち上るモヤはその濃さを増して、中空に漂っていた。
「…くぅ…あ…」
ミオンは苦しげにその漂う何かを見ながら、声にならない声を漏らして手を伸ばす。
「どうしました?ミオン様!」
金田がミオンに声をかける、が、金田には彼女のこの状態も行動の意味も分からなかった。
焦る気持ちを抑えながら彼女の手を取ろうとするが、ミオンはその手を振り払い、なおもモヤに向かって手を伸ばす。
…なにかに、なろうとしている?
金田はその白く漂うなにかが、形を作ろうとしていることに気づく。
「…あ、あ…」
ミオンは手だけではなく、全身でズルズルとそれに近づこうとしていた。
その瞳には涙がにじんでいたが、恐らくそれは苦痛によるものではないと想像がついた。
なにかが、ミオンの心の何かが具体化しようとしている。
今ここは良くも悪くも、思いが形になるのかも知れない。
金田はそう考えた。
「田所っち!」
突然、山田が悲鳴を上げる。
金田が視線を移すとそこに飛び込んできたのは、階段の先端から飛び移ろうとした田所が制御室に届かずに、かろうじて飛び出たコードにつかまっている姿。
聞こえはしなかったが、確実に何かを叫んでいる。足を必死でバタつかせ、なんとか脚をコードに絡ませるので精一杯だった。
コードは太く、簡単にちぎれる様子はなさそうだったが、当然、ただのおっさんが長く冷静さを保っていられるような状況ではなかった。
およそ上空50メートルで繰り広げられるその光景を目の当たりにして、金田は激しく後悔した。
「…お願い、誰か田所っちを助けて!…」
その光景を見た山田が、思わず、両手をぎゅっと握り祈るように呟いた。
すると、ミオンから抜け出た白いそれがふわふわと山田の近くを漂い始める。
「…え?」
困惑した様子の山田、それを見た金田の脳裏にある可能性が浮かぶ。
「田所さんを助けてくれ!」
金田はその白いなにかに叫んだ、しかし反応はなかった。
…山田の思いだけに反応しているのかも知れない。
金田は直感したままに、山田に向かって早口で伝えた。
「もう一度、今度はそれに向かって祈ってみてくれ!田所さんを助けてくれって祈ってみてくれ!」
金田は自分でも随分おかしなことを口走っていることは自覚していた。
しかし、この空間の有様と山田の目の前にいるなにか、それを考えると、山田の思いがなんらかの現象を引き起こすことも十分にあり得る。
確証はない、しかしやる価値はあると思った。
「早く!」
金田は声を上げる。
田所がコードをつかんだまま、風に煽られて揺さぶられていた。コードにしがみついてはいるものの、それを伝って登っていくという行動に移ることができない。
そんな様子だった。あまり長くはもたなそうに見えた。
それを見た山田は、一度金田に強くうなずくと、目の前を漂う白いモヤに向かって祈るように呟いた。
「お願い…田所っちを助けて!」
山田が言い終えると、白いそれは輝きながら一直線に田所に向かって飛んで行った。
そして、田所を自身が光となって包み込むと、ゆっくりと彼の身体を制御室まで運んだ。
田所は一瞬何が起きたか理解不能な様子で呆然としていたが、自分の目的を思い出し金田の方に向かって数回大きく手を振ると、すぐに制御室の奥へと消えて行った。
やがて光は、その力を失ったように薄くなり、周りの風景に溶けようとしていた。
「…ねぇ!消えないで!」
ミオンがその光を見ながら叫んだ。
光はそれにも反応するように、一瞬だけ人の形、少年の姿を形作ってミオンを振り向いたかと思うと、すぐにはじけて消えてしまった。
それを見たミオンは、明らかに混乱し、取り乱した様子を見せていた。
動きのままならない身体で鉄柵を使って立ち上がり、なおも光の喪失した地点を目指そうと羽を広げて飛ぼうとする。
「ダメだ!ミオン様」
「ミオン、落ちるよ!」
しかしそれは、金田と山田に取り押さえられて叶わなかった。
「…まってよぉ…」
ミオンは悲しげにそう呟くと、その場に倒れこんだ。
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『ボクが見た優しい異世界の話。』
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