第一話 猫人間
真は夢を見ていた。
時々見る夢で、決まってこの夢を見るときは、これが夢だとわかっている、そんな夢を。
夢の中では、何人もの顔も見えない影が昔の真をてしゃべっている。
あの子でしょ?例の……
怖いよ
不気味
あっちいけ
一つ言葉が聞こえるごとに夢の中の真は表情をなくしてその場から走り出す。
悪意などないのかもしれない
人は自分とは違う未知を恐怖すると最近になって知った。
でもだからと言って、悪意がないからといって傷つかないなんてことはなく。
友達は消え、次第に家族すらも信じられなくなっていき、そうなって逃げるように家を出た。
家族には引き留められたが、それよりもどこか自分のことを知っている人が誰もいないところに行きたくて、ただそれだけで頭の中はいっぱいだった。
そして夢は終わる、いつも通りに終わる。
この夢は逃げ出した先を描いておらず、いつも決まったところまで来ると終わってしまうのだ。
いつも通りに、目覚ましの音が聞こえる……
突然鳴り出した電子音に顔を伏せたまま、霞がかった意識でその音の発信源を探す。
二度、三度と右手を振り回すことで捕まえた目覚ましのアラーム音をやや乱暴な動きで停止させちらりと目覚まし時計の指し示す時間を確認し、
「ぁー……」
と絞り出すように声を上げる。
学生にとって、平日の朝を告げる目覚ましとは憂鬱なものだ。
ましてや、あの夢を見た真はいつもにもまして憂鬱な気分になる。
しかし憂鬱だと言って、いつまでも布団にくるまっているわけにもいかず、少しでも気を抜くと再び布団の中に倒れこみそうな体を無理やりに起こして登校の準備をする。
準備といっても顔を洗って、着替えるくらいなものであとは鞄さえ持てば準備はすむ。
一人暮らしを始めた当初は、しっかりと朝ごはんの支度もやっていたが、だんだんと朝の睡眠時間が幅を利かせはじめ、今ではほぼ食べないか、食べたとしても登校途中のコンビニでパンを買うくらいなものだった。
「行ってきます」
返ってこない挨拶をポツリとつぶやき、画材道具以外あまりモノがない自分の部屋を後にする。
麻帆良学園という学園都市の登校の時間ということもあり、多くの学生が行きかう道を、自分の学校へ向けて歩いていく途中、普通ではありえないような巨大な樹が見えてくる。
「もうだいぶ涼しくなってきたな」
季節は初秋、10月となり激しかった残暑も落ち着きを見せ、最近では夜は半そででは少し肌寒くなっている。
本来なら紅葉なども始まり始める季節であるが、麻帆良の世界樹と呼ばれるそれはいつもの通りに枝に青々とした葉をつけている。
その大きさから普通に考えればギネス記録になったり、世界的な観光地になったりと常識外の大きさであったが、今までそうなったことはないし、麻帆良の人々も「大きいよね」で終わってしまう。
まるであれがどれほど異常なことかわかっていないような答えだ。
ほかにもこの街には異常があふれている。
車より速く走る学生、人が文字通り吹き飛んでいく喧嘩、ありえないほど進んでいる科学部の発明品、エトセトラエトセトラ。
この街は異常だと真は思っている。
でも、この街のそんなところに安心を感じてしまう自分がいることもわかっていた。
普通に生きていたら絶対に遭遇しないであろうことがこの街にはあふれていて、ほとんどの人がそれを常識の範囲内のことだと思っている。
かつて異常だと周囲から排斥された真にとって異常を異常と思わず、排斥しようとしないこの街はようやく見つけた居場所だった。
世界樹を見て気分を良くした真は、夢のせいでだるかった体にも力が戻ってくるのを感じた。
「今日もいい天気だ」
こうやって普通に登校ができるということが何ともうれしく感じる。
今までずっと望んでいた日常が確かにこの街(非日常)にはあった。
だからこそ真は願う。
願わくばこの非日常(日常)が続きますように。
「おっすー、まっこちーん」
「おはよう、浩輔」
教室につき、挨拶もそこそこに席に着くと髪を茶色に染めた少年、浩輔が声をかけながら近寄ってくる。
浩輔は真が麻帆良に転校してきたばかりでまだ棘があった時からの付き合いで、どんなに邪険に扱っても笑いながら話しかけてきたクラスメートだった。
多少女好きなところがたまに傷だが、それ以上に真は浩輔に会えたことに感謝している。
「まこちんはよせって言ってるだろ」
「わかってるって、ちょっとした気分の問題だよ。それより昨日の場所はどうだった?」
「あぁ、よかったよ、路地裏にあんな喫茶店があるとはね。」
そういいながら鞄から1冊のスケッチブックを取り出す。
浩輔の言っている場所というのは、普段から真が浩輔やほかの何人かに頼んでいることで、おすすめの景色などがあったら教えてほしいというものだ。
転校してきた真と違って地元民の浩輔たちはこの街に詳しく、表通りだけではないいわゆる穴場といわれる場所を教えてくれる。
昨日真が教えてもらった場所もその穴場というもので、路地裏にたたずむオープンテラスの喫茶店だった。
光と影のコントラストが本来の麻帆良の洋風の街並みを際立たせ、また路地裏にひっそりとたたずむ喫茶店があることで物語の一つの風景のような幻想的な雰囲気を放っている場所だった。
「だろ、俺のデートプランの主役なんだよ、あそこ。どれどれどんな感じよ?」
「どおりでカップルが多いと思ったよ。」
昨日の喫茶店で味わった妙な居心地の悪さを思い出し苦笑しながら手に持っていたスケッチブックを浩輔に渡す。
浩輔に渡したスケッチブックには今まで紹介された風景や自分が見つけた風景などが描かれている。
この絵が浩輔たちにいろいろな場所を紹介してもらっている原因であり、真がこの街にやってきた原因でもある。
昔はそれこそ常に絵のことを考えていた。
描きたいという自分の気持ちに従い、時間の許す限り絵をかいていた。
ただ、あることがあって、真は居場所を失って、逃げるようにこの街にやってきた。
もちろんこの街にやってきた直後は二度と絵なんて描かないと思っていた。
絵を描けば、またあの時と同じことになってしまうかもしれないと絵を描くことをやめようとした真は自分のことを勘違いしていた。
辞められるはずがなかったのだ。
人は空気がないと呼吸できずに苦しんで死んでいく。
真にとって絵を描くことは呼吸することと同等だった。
実際麻帆良に来たばかりの真はだんだんと衰弱していき、そしてある日倒れた。
寝ても覚めても絵を描くことを主張する本能とそれを抑えようとする理性がせめぎあう中でまともな生活を送れるはずもなく、ある時は寝ているときに筆を持とうとしていたことに気づいてからは夜も満足に寝れずに、そして倒れた。
だから真はほんの少し、妥協した。
なにより体調管理ができないという理由で家に連れ戻されることを恐れたため条件を付けて自分が絵を描くことを許した。
それからはとりあえず倒れずにやってこれている。
「しかし、いつも思うんだけどお前の絵って人の姿がなくないか?この絵だって、昨日は日曜だし、オ-プンテ ラスにカップルの一組や二組くらいいてもおかしくないのに」
「あぁ……まぁ、ね」
人は描かない
そのルールを決めて、真は麻帆良に来てから今日までやってきた。
もう昔のような思いはしないように、絵を描くことは許しても、これだけは守ってやってきた。
口ごもったことに何かを感じたのか浩輔は軽く笑い顔の前で手を振る。
「いいよ、別に。言いたくないことの一つや二つは誰にでもあるさ」
「あぁ……悪いな」
「気にすんなよ、お前が謝るとか天変地異の前触れだぜ」
「その言い方だと俺が謝るのが珍しいみたいじゃないか」
笑う浩輔を半眼になってにらむ。
「悪い、悪い。まあ、お詫びと言っちゃなんだが、今日もポイントを教えてやるぜ。」
「あぁ、それで手を打とう」
「またずいぶん上から目線ですねぇ」
「それで、どのあたりなんだ?」
そう言いながら麻帆良の地図を取り出す。
「無視かい……まあいいけど」
そう言いながら浩輔は広げた地図のある個所を示す。
「真、猫は好きかい?」
「しかし本当にこっちなのか?」
その日の放課後、浩輔に教えられた場所に向かって歩きながらぼそりとつぶやく。
あの時、「普通……かな?」と答えた真に対して苦笑いしながら浩輔が教えた場所は学園の中でも女子学部エリアの近くにあり、そこに向かって歩いていくとなると必然的に女性が多くなっていく。
そんな中で男子学部高等部の制服を着た真の姿は悪目立ちをしていた。
「ったく、いつも樹のでかさとかそういう目に見える異常は気にしないんだから男一人くらい気にすんなよ。
……というかこの森を突っ切るのか?」
そういいながら手元の地図を見ると、そこに描かれた目的地は確かに森の中の一点を指していた。
どうやらちゃんとした道もあるようだがその道はどちらも女子学部エリアにつながっている。
「女子学部エリアに入っていない段階でこれなんだから、もし入ったら通報されるかも」
現に女子学部エリアに近づくにつれて真のことを監視するような視線は増えており、さらに加えて先ほどから眼鏡をかけた女子中等部の生徒が真に強い視線を送っていた。
「まぁ目的地は女子学部エリアじゃないしそこを通らなければ大丈夫だろ」
監視されているかのような視線の多さに怖気づいた真は言い訳のような言葉を残し、覚悟を決めて森の中へ分け入っていく。
そこは森の中にぽっかりと空いた空洞だった。
ベンチが設置されていることから人の手で作られたことは確かだが、そもそも人の通らない道の途中に設置されているためか人の気配というものが薄く、また森という命の塊の中に存在する空白の空間は森の中にありながら、いや森の中にあるからこそその静寂さを際立てる。
木々の木漏れ日が照らすそこは遺跡のような一種の神聖ささえ醸し出しているようだった。
その光景に目を奪われていた真は騒ぎ立てる心を落ち着けるように静かに鞄を開き、スケッチブックと画材を取り出す。
「ふぅ」
綺麗だ、美しいだと言葉を発することはこの空気を壊してまうと考え、意識を切り替えるかのようにひとつ息を吐き、ただ静かにスケッチブックに筆を走らせ、世界を創っていく。
木々の葉の一枚一枚の溢れんばかりの生命を、その葉を支える枝や幹の静かさを、木漏れ日のやさしさを、忘れられたようにあるベンチの哀しさを、その空間の中を流れる風の輝きさえもを真はスケッチブックという小さな小さな紙の中に描き、一つの世界を創りだしていった。
時には異なる色を重ね、時には同じ色の濃淡で、静かにしかしその手は次をどうすればいいのかを知っているかのように止まることはなく動き続ける。
……どれくらい時間がたったのだろうか、ついた当初はまだ高かった太陽もだいぶ低くなり、柔らかな優しい光で包まれていたその場所は、今では秋という季節と同じような憂いを含んだ色に染まり、心地よかった風に寒さを感じるようになっていた。
「っふぅぅぅ……」
まるで最初に息を吐いてそこから呼吸を今まで止めていたかのような長い呼吸のあと真は筆を置く。
一つの世界を創りだした後の充実感とともに倦怠感が真を襲い、それに抗うことなく視線は「世界」から離すことなく座っていたベンチの背もたれに背を預け脱力する。
「……あの」
そのまま言葉を発することなく、ただ自分が書き上げた絵を見つめる真の思考にノイズが走る。
真にとっての至福の瞬間を邪魔されたことに若干の苛立ちを感じながらも声のする方向を向けるとそこに飛び込んできたのは全身のいたるところに猫を乗せた少女?らしき人物であった。
「この子たちをどかすのを手伝っていただけないでしょうか?」
「ね、猫人間……」
こんな間抜けなやり取りが真と絡繰茶々丸の出会いだった。