「マスター、今日の放課後はいかがなさいますか?」
「今日は爺に呼ばれているからな、先に帰っていろ」
茶々丸の問いかけにエヴァンジェリンは鼻を鳴らし、つまらなそうに答える。
茶々丸が起動してから3か月ほど経ったが、いまだに毎日定型文のように決まった言葉を同じタイミングで尋ねてくる新しい自分の従者にエヴァンジェリンは内心の溜息を隠しながら新しい従者とその姉との違いを考える。
(やはり、機械と魔法を詰め込んだからか成長が遅いか?チャチャゼロの時はもう少 し、こう……)
エヴァンジェリンの頭の中に今は満足に動けない古い従者の姿が浮かびケケケと考える自分をあざ笑い、消えていく。
(いや、あいつはもともとあんな感じだったな。どうしてこうも両極端なのか)
方や人形とは思えないほど感情豊かな皮肉屋で、もう片方は姿かたちは限りなく人に近いがその内面はまさにロボットという状態。
「マスター?」
問いかけるような茶々丸の声にエヴァンジェリンは埋没しかかった自らの思考を引き上げる。
目の前の茶々丸は変わらぬ表情で突然黙り込んだエヴァンジェリンを見ている。
(まぁ、こいつが家に来てまだ3か月弱しか経っていないからな、その辺はおいおいと
いったところか)
自分の考えがどことなく保護者のようになっていることに気づき、そんな自分に苦笑
いを浮かべながら今も変わらぬ表情を浮かべる従者に首を振ってこたえる。
「何でもない。今日は時間がかかりそうだから先に帰っていろ」
「かしこまりました」
そう言うと茶々丸は頭を軽く下げ、エヴァンジェリンの向かっている方向とは別の方向に歩いていく。
一般常識や地理などはすでにデータとして入っていると、茶々丸の製作者は言っていたことを思い出すが、エヴァンジェリンは今の茶々丸に子供を見ているような危うさを感じていた。
(超はいずれ心も成長していくとか言っていたが、いったいいつになるんだか)
いつの間にか再びあらわれた保護者のような考えを頭を軽く振ることで追い払い、学園長室に向けて歩き出す。
「……スター、マスター」
遠くから聞こえる自らを呼ぶ従者の声にエヴァンジェリンは閉じていた目を開き、布団に預けていた上半身を起こす。
放課後、茶々丸と別れた後学園長室で用件を済ませ帰宅したエヴァンジェリンはいつもならすでに帰宅しているはずの彼女が帰っていないことを訝しみながらも、襲い掛かる眠気に負けベッドに身を預け、そして今に至る。
「申し訳ありません、帰宅が遅れました」
「む?」
目をこすりながら自分の従者に目を向けると茶々丸は深く頭を下げそう言った。
確かに今の時間はいつもの帰宅時間からは考えるとだいぶ遅れていた。
「何か、あったのか?」
「いえ、猫が……」
エヴァンジェリンはいまだに自分には敵が多いことをわかっており、またそれを改善しようとはしていなかった。
そのため麻帆良内にもエヴァンジェリンをよく思わない人間は多く、茶々丸の帰宅の遅れもそのような輩に絡まれた可能性を考える、エヴァンジェリンの耳に予想もしない言葉が飛び込んでくる。
「ね、猫?」
予想の斜め上からの言葉に驚きながらも、茶々丸から事のあらましを聞いた彼女はこみあげてくる笑いを抑えきれなかった。
野良猫に餌をやっていたら体に乗られ動けなくなったから帰宅が遅れたことを淡々と話す茶々丸を馬鹿にするような笑いではなく、普段彼女がする闇の福音としての、己の誇りを轟かせるような笑いとも異なり、例えるなら母親が愛する子供が一生懸命に話す冒険譚を聞いているようなそんな優しい笑いだった。
野良猫に餌をやるといった行動を自分の考えで行ったこと。
猫が体に上ってきたため動けなくなってしまったこと。
従者としては失格なのかもしれないが、エヴァンジェリンは今日だけはこの従者の行
動を肯定した。
まだ芽生えるには遠いと思っていた心の芽の存在を感じ、エヴァンジェリンは笑いを
こぼす。
「マスター?」
「なに、面白いものを見せてもらったからな、今日のことは不問にしよう。」
もういいぞ、という風に手を振るエヴァンジェリンに、それでは夕飯の支度をと言って茶々丸はエヴァンジェリンの部屋から出ていく。
部屋から出ていく茶々丸の後ろ姿を見ながら、エヴァンジェリンは少し前まで自分の中にあった鬱屈した気持ちが多少ではあるが軽くなっていることを感じていた。
「少しは面白くなるかもな」
彼女のその言葉が正鵠を得ていると気づくのにそんなに時間はいらなかった。
「遅い」
数日後、エヴァンジェリンは額に青筋を浮かべいつまでたっても帰ってこない自分の従者を待っていた。
今日は茶々丸がメンテナンスのため、大学等の研究施設に行くということでエヴァンジェリンは一人で帰宅していた。
おそらくは今日も猫どもに餌をやりに行くのだろうと考え、別れ際に茶々丸に「多少なら遅れても構わん」と言って別れてきた。
先日の茶々丸の餌やり騒動の後、「もう餌やりはやめます」と茶々丸は言ったがエヴァンジェリンはそれを禁止せず、逆に奨励した。
「お前は確かに私の従者だが、私はお前に自由を認めないわけではない。四六時中共にいろとは言わんし、お前がいなければ何もできないほど私も子供ではない。」
それに、とエヴァンジェリンは続ける。
「私の従者たるもの言われたことのみをこなすような奴はいらん。自分で考え、率先 して行動するような者となれ」
そこまで言ってエヴァンジェリンは彼女の言葉を黙って聞いている茶々丸に対してにやりと笑う。
「お前のそれは良い経験になるだろうよ」
最初のうちはエヴァンジェリンも余裕をもって自分の従者を待っていたが、いつまでたっても帰ってこない茶々丸に、彼女の我慢は限界に達しようとしていた。
彼女の額の青筋には、単純に帰ってこない茶々丸に対する怒りとともに、考えて動けといったにも関わらず同じことを繰り返す茶々丸に対する失望も含まれていた。
(やはりまだまだか……)
そうこうしている内に玄関のドアが開く音がなり、まさに彼女が考えていた少女、茶々丸が遅くなりましたと言って入ってくる。
「遅いぞ、茶々ま……」
「お邪魔するヨ、エヴァンジェリン」
彼女にとって予想外の客、茶々丸の製作者の一人にしてエヴァンジェリンたちのクラスメイトの一人である超鈴音を伴って。
出鼻を挫かれ不愉快そうに鼻を鳴らす彼女に、超は胡散臭い笑みを浮かべエヴァンジェリンの対面のソファに腰を下ろす。
「招待をしたつもりはないが?」
「まぁ、まずは話を聞いてほしいヨ」
そう話す超の顔を見ながら以前彼女が魔法関係者にはあまりにらまれたくないと言っていたことをエヴァンジェリンは思い出す。
そう考える彼女がよりによって闇の福音たる自分の家に訪れてまで話したいという話の内容にエヴァンジェリンは興味を覚える。
「まあいいだろう。茶々丸、飲み物を頼む」
「私は紅茶がいいネ」
「かしこまりました」
そう言ってキッチンのほうに向かう茶々丸を横目で見送り、視線で話を始めるように促す。
「そうネ、まずメンテナンスは無事終了したヨ。特に問題もなしヨ」
「そうか」
エヴァンジェリンは建前のような超の報告を一言で切って捨てる。
そんな様子に超はやれやれといった風に首をふり先ほどまでの柔らかな雰囲気を一変させる。
「今日、メンテナンスを終えて帰った茶々丸からエマージェンシーコールがあったヨ」
「エマージェンシー……なんだそれは」
「何かあった時のためにつけておいたものヨ。私宛につながる緊急用の電話といった ものネ」
それは置いておいてと超は続ける。
茶々丸のもとへ駆けつけた超が見たのは森の中で月光に照らされる広場のベンチに座る茶々丸であり、その膝の上には口から血を流した後のある子猫が横たわっていた。
「幸いなことに、猫は無事だったヨ。今は私の研究室で寝ているネ」
そこまで超が話したところで茶々丸がトレイを持ってリビングに入ってくる。
表情に変化は見られないが、心なしか落ち込んでいるようにも見える。
肩に乗った猫をどかそうとした際に、それに驚いて肩から落ちた猫を受け止めようとしたが、咄嗟のことで力加減を間違えたみたいネと超は語る。
「そんなわけで遅れたネ、あまり叱らないでやって欲しいヨ」
それと、と超は続ける。
「茶々丸からエヴァンジェリンはなるべく餌やりに行くように言っていると聞いたヨ。もちろんあなたが何を思っているかはなんとなくわかるが、そこをまげて頼むヨ。」
そこでいったん言葉を切り、超はエヴァンジェリンの顔を見る。
「しばらくはあそこには行かない方が良い」
心は非常に繊細なものだ。
もちろん心が芽生え始めたことは嬉しいことだが、急いで成長させようとしても心にとってはよくない。
生まれたての心は弱く、もろい。
今回のようなことがまたあれば、芽生えたばかりの心は消えない傷を負うかもしれない。いやすでに負っているかもしれない。
だからこそ、いったんあの場所から遠ざけ、時間をおいてほしい。
押し黙り、超の話を聞くエヴァンジェリンに超はそう語った。
「……茶々丸」
「はい、マスター」
エヴァンジェリンは軽く顔を傾け茶々丸の方を向く。
「私は言ったはずだ。お前の行動を縛りはしないと。そして、自分で考えて行動しろと」
「……はい」
数瞬の間をおいて答えた茶々丸の言葉に満足したようにエヴァンジェリンは席を立ち、超を見下ろす。
「超、聞いた通りだ」
「やれやれ、ずいぶんとスパルタなご主人さまネ」
そう言うとあきれたような笑みを浮かべ、超もまた席を立つ。
そして最後に確かめるように茶々丸の顔を見る。
「茶々丸、あまり無理はしないでほしいネ」
「はい、超」
超はその答えに満足するように一つ頷き玄関に向けて歩き出す。
数歩、歩いたところで今度は顔だけを茶々丸のほうへ向けからかうように笑う。
「ご主人様に愛想が尽きたら私のラボに来るといいヨ。助手はいつでも募集中ネ」
その超の言葉に茶々丸はゆっくりと首を横に振る。
言葉はなかったが、その動作が茶々丸の思いを何よりもあらわしていた。
その様子に再び超は笑みを浮かべエヴァンジェリンの方へと顔を向ける。
「どうかねエヴァンジェリン。主人冥利に尽きるだろウ?」
「ふん、いいから貴様はさっさと帰れ」
「おぉ、怖い怖い」
そう言って笑いながら超はエヴァンジェリンの家を後にする。
思ったよりもずっと大事にされている自分の作品(娘)の今に満足しながら、そして伝え聞くより、ずっとやさしさにあふれた吸血鬼に笑みをこぼしながら超は寮への道を歩いていく。
その笑みは先ほどまでの胡散臭い笑みではなく、年相応の柔らかい笑みだった。
(どうすればいいのでしょうか?)
体中に猫を乗せながら茶々丸は考える。
用事があると言って彼女の主と別れた後買い物を終え、気付いたら彼女は再び森の中の広場への道を歩いていた。
手の中の買い物袋には数日前と同じようにキャットフードの缶が入っていた。
好きなものを買えと毎月彼女の主から渡されるお金の使い道は貯金か、このような猫の餌に消えることが多い。
あの日から数日、どうすればいいのか彼女の中に明確な答えはないが、自分にもよくわからない気持ちに従い茶々丸は広場に向かっていた。
広場に近づくに従い回転数を上げる彼女の胸の奥にある機械仕掛けの魔力炉にチェックプログラムを走らせるが返ってくるのは原因不明というエラーコードのみ。
彼女を急き立てるものは何かと百人に聞けば百人が好きだからと答えるだろうが、茶々丸にはそのことが理解できず、またそれをするにはいまだ経験が足らなかった。
茶々丸の中に入れられた一般常識が、感情や心を持つロボットは存在しないという常識が皮肉にも彼女の心の成長を邪魔しているのだが、それは製作者である超たちにも完全に盲点の事実であった。
(いずれこのエラーの意味が分かるでしょうか?)
エヴァンジェリンや超が期待している心を得ればわかるかもしれないがそんなことができるのかと考えると行動に制限がかかったように足取りが重くなる。
そうこうしているうちに広場にたどり着いた茶々丸の視界に入ってきたのはいつもの広場とベンチ、そしてそのベンチに座りスケッチブックに対して一心不乱に筆を動かす黒髪の青年だった。
傍から見てもとても楽しそうに筆を動かすその少年、真は歩いてきた茶々丸に気づく様子もなくスケッチブックに向かっている。
茶々丸は真に目を向け、その邪魔にならないように広場の端のベンチに座りキャットフードを取り出すとそれにつられたように猫が集まってくる。
そしてまた、よじ登ってくる猫を拒めずに、猫まみれになってしまう。
何度か猫を下ろそうとつかもうとしたのだが、原因不明のエラーがその手の動きを止めてしまう。
(どうすればいいのでしょうか)
このままでは今日も夕食の時間に間に合わなくなってしまい、また考えろと言ったマスターの期待を裏切ってしまうと考えると茶々丸は胸の奥に今まで感じたことのない、締め付けるような痛みを感じる。
その茶々丸の視界の片隅で先ほどの少年が深く息をつき筆を置くのが見えた。
「あの……」
エヴァンジェリンの求める答えはまだ出ていないが、遅れるよりはと真に声をかけた茶々丸の耳に聞こえてきたのは「猫人間」という意味不明な一言だった。
「ただいま戻りました」
エヴァンジェリンはそう言って帰宅した自分の従者にちらりと目を向ける。
自分より遅く帰ってきたということは今日もまた猫に餌をやりに言っていたのだろうとあたりをつけながらも、今までよりはずいぶん早く帰ってきたことに自分の心配は杞憂だったかと考える。
超にああは言ったが、エヴァンジェリンももちろん心のもろさは知っており、もしかしたら猫をどかせず今日も帰宅が遅くなるのではと考え、最悪迎えに行くことも考えていた。
しかし、茶々丸は、多少遅くなったもの十分許容範囲の時間に自力で帰宅した。
自分の従者が自分の想像を上回ったことに、彼女は自分の口角が上がるの感じた。
「マスター?」
問いかけてくる茶々丸に口に浮かぶ笑みを深くしエヴァンジェリンは答える。
以前、楽しくなりそうだと考えたことは間違いなかったと思いながら答える。
「お帰り茶々丸」