少し短いですがどうぞよろしくお願いします。
それはある日のことだった。
「茶々丸。ちょっと研究室まで顔を出してもらっていいカ?」
一日の授業も終わり、帰り支度をしていた茶々丸に超から声がかけられる。
「……」
超の傍らにはエヴァンジェリンがたっており、茶々丸がそちらを向くと何も言わず、行って来いとでも言うかのように笑みを浮かべ教室から出ていく。
「ささ、早くするネ」
超に目を向けると何かをたくらんでいるかのような表情を浮かべ、自分の荷物を片手に茶々丸を手招いている。
メンテナンスはまだ先のはず首をとかしげながら茶々丸は荷物を持ち、超の後に続いて教室を後にした。
「超、メンテナンスはまだ先だったはずですが、何か問題でも?」
「いや、なに。そういうんじゃないヨ」
そう言って手を軽く振りながら超は研究室の中に入っていく。
超に続けて研究室の中に入った茶々丸の目には超が一つの小さな箱を持っている姿が映る。
蓋はついておらず、その箱の中では小さな何かがもぞもぞと動いていて、ときおり「なー」という声が聞こえてくる。
「どうかね、茶々丸。私にかかれば子猫一匹程度、ちょちょいのちょいネ」
箱の中で動いていたのは以前茶々丸がけがをさせてしまった子猫だった。
超の言う通り、あの時のぐったりとした様子とは違い、しきりに箱の中から出ようと箱の壁をひっかいている。
「茶々丸?」
超はしばらくどや顔で茶々丸の反応をうかがっていたが、いつまでたっても帰ってこない茶々丸の反応を訝しむようにその名を呼ぶ。
しかし茶々丸からは何も返ってこない。
言葉も、動きさえもなく茶々丸はただ子猫を見つめていた。
そんな茶々丸に超はさらに声をかける。
しかしその表情は先ほどまでの訝しむような表情ではなく、何かに気づいたかのようににやりという笑みを顔に貼り付けていた。
「どうしたね、茶々丸。うれしくないかネ?」
「……わかりません」
固まったまま、ただその一言を茶々丸は絞り出す。
茶々丸が固まってしまった理由は単純なものだった。
わからない
自分の中に広がる暖かさ(安堵)が、その中に混ざる小さな痛み(罪悪感)が、それが何なのかが単純にわからないからこそ動けなかった。
もちろん超とエヴァンジェリンはこうなるかもしれないと、正確にはなって欲しいと思っていた。
いろいろな感情を感じ、悩むことが心の成長につながると二人は考えている。
超は最初、猫が完治した段階で茶々丸に会わせずに森に戻そうと考えていた。
助かったとはいえ自分がけがを負わせてしまった猫と茶々丸を会わせることがその芽生えかけた心にどのような影響を与えるかは超をしてもわからなかったからこそそう考えたのだが、そこにエヴァンジェリンがストップをかけた。
「子猫の一匹ごときから逃げているようでは私の従者は務まらん」
超の研究室に乗り込んできてそう言い放ったエヴァンジェリンのその言葉には茶々丸に対する信頼とこれくらい乗り越えて見せろという思いがこもっているように超には感じられた。
超も茶々丸の親だという自負がある。だからこそ自分の前で自分以上に茶々丸を信じているエヴァンジェリンに対抗心がわいたというわけではないが超も茶々丸を信じることに決めた。
結果として今、茶々丸は超たちの目論見通り未体験の感情によって悩んでいる。
あとはこれを乗り越えられるかということだった。
なおこの時の二人の会話を聞いていたクラスメートは子供の教育方針でもめる夫婦のようだと失言を漏らし、二人によって制裁されているというのは別の話である。
「もう怪我ひとつないからネ、この子はお前に返すヨ。飼うなり、元の所に戻すなり 好きにするといいネ」
まぁ飼うのはエヴァンジェリンが許さないだろうけどネと言って超は茶々丸にむかって箱を差し出す。
箱の中では猫が茶々丸に気づいたのか、先ほどより大きな声で鳴き始める。
その声につられるように茶々丸は恐る恐るというふうにゆっくりと手を伸ばして子猫を撫でようとする。
あと少し、超が心の中で呟いとき、わずかに、ほんのわずかに猫の体が怖がるようにこわばった。
それはもしかしたら猫自身も自分の体がこわばったとは気づいていなかったのかもしれない。
「……っ」
普通の人なら気づかないような、それほどわずかなことだったが、茶々丸はそうではなかった。
その目のカメラは残酷なまでに正確に猫の体がこわばったのをとらえ、そしてその瞬間、茶々丸の視界にはあの時のけがをした猫が映し出され、次の瞬間にはエラーという文字で埋め尽くされる。
切り裂かれてしまうのではないかと思うほどの痛みを感じ、反射的に猫に触れようとしていた手を下げ、その手のひらをきつく握る。
「茶々丸?……茶々丸!」
自分に呼びかけてくる超の声も遠く、茶々丸は一歩、二歩と後ずさりをしたあと踵を返すように研究室を後にする。
茶々丸の中では自分を、生まれたての心を守るように、自己防衛システムが作動し、そのシステムが茶々丸と今回のエラーの原因との距離を開けようとしたゆえの行動だった。
ふらつくように、一歩一歩と茶々丸は逃げるように研究室を離れていく。
「茶々丸!」
すぐに茶々丸を追おうとした超だったがそれを引き留めるように研究室の窓が開き闖入者が入ってくる。
「あいつは大丈夫だ。超、お前は今何があったか調べろ」
「……いつから居たネ、エヴァンジェリン?」
「……いいから早くしろ。茶々丸は大丈夫だ」
超の突き刺すような視線から逃れるように腕を横に一振りし、闖入者、エヴァンジェリンは超をせかす。
自分に言い聞かせるように茶々丸は大丈夫だと2度繰り返したエヴァンジェリンとしばらくにらみ合い、このままだと埒が明かないかと超はあきれたように一つ息を吐く。
「わかったよ、お父さん」
「誰が、お父さんだ!」
食って掛かるエヴァンジェリンをなだめるようにしながら片手で研究室内部のカメラの確認を始めた超が、その手に持っていた箱の中が空っぽになっていることに気づくのに遅れ、気付いた時にエヴァンジェリンと二人であたふたするのはもう少し後の話。
「……」
「にゃー」
あれからしばらくして落ち着いた茶々丸の耳にその声が聞こえてきたのは研究室からあまり離れた場所ではなかった。
茶々丸がそれほど速く歩いていないこともあってか猫は茶々丸についてきていた。
茶々丸がそれに気づいてからしばらくたったが茶々丸は時折困ったように猫を覗うが、猫は変わらず茶々丸の後をついてきていた。
追い払うことはできず、また距離を離そうと歩くスピードを上げても、そのたびに聞こえる悲しそうな猫の鳴き声に理由はわからないが茶々丸の足は止まってしまう。
結果としてまるでハーメルンのように猫を引きつれ茶々丸は街の中を歩き回っていた。
「絡繰?」
商店街に差し掛かろうとするところでそんな茶々丸の名前を呼ぶ声がし、茶々丸は足を止め、同じように猫もまた足を止め一人と一匹は声のした方を向く。
「よ、猫なんか引き連れてどうしたんだ?」
そこには見たまんま買い物帰りの真が片手をあげ立っていた。
エヴァンジェリン=子供に試練を与えるお父さん
超=心配性なお母さん
茶々丸=生まれたての子供
そんなイメージです。
後で終わり方を少し修正するかもしれません。