思いついた勢いのまま書き始めた作品です。少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。
白い部屋の中で、少女が伊織を見ていた。
十二歳ほど。腰まで届くウェーブの黒髪と、整いすぎた顔立ち。幼さの残る輪郭を除けば、見覚えのある女によく似ている。
部屋には扉も窓もなかった。
床と壁の境目さえ曖昧で、少女と伊織の影だけが、どこからともなく降る光に薄く伸びている。
「あなたは誰?」
少女の声に怯えはなかった。
警戒だけがある。知らない大人を値踏みし、近づけば排除すると告げる目だった。
伊織は、彼女との距離を詰めなかった。
「榊原伊織。医師です」
「私は、あなたの患者ではないわ」
「ええ」
伊織は頷いた。
「私が診察したのは、二十八年後のあなたです」
少女は笑わなかった。
「それなら、どうしてここにいるの?」
その問いに、伊織はすぐには答えられなかった。
治療のため。
現在へ戻るため。
自分の精神を守るため。
どれも嘘ではない。だが、目の前の少女へ告げるべき答えではなかった。
伊織は彼女へ近づかないまま、ようやく口を開いた。
「あなたを――置いていかないためです」
その言葉を聞いても、少女の表情は変わらなかった。
ただ、背中に隠していた右手が、ほんの少しだけ動いた。
触れてほしいのか。
触れられたくないのか。
伊織にはまだ、判断できなかった。
だから、手を伸ばさなかった。
「――目眩がするのです」
女は、今日の天気でも告げるような口調でそう言った。
診察机を挟んだ向かい側。背筋を伸ばして椅子に腰かける姿からは、体調を崩している様子など微塵も感じられない。
身にまとっているのは、光沢を抑えた漆黒のドレスだった。
夜会に着ていくような華美なものではない。襟元は慎ましく閉じられ、細身の袖が手首までを覆っている。腰から裾へ流れる線も端正で、丈はふくらはぎの半ばほど。装飾と呼べるものは耳元の小さな黒曜石と、両手を包む薄い手袋くらいだった。
外来患者の服装としては随分と仰々しい。
しかし、不思議と服だけが浮いている印象はなかった。女の白い肌と艶のある黒髪、整いすぎた顔立ちを前にすると、むしろ病院の簡素な診察室の方が場違いに思えてくる。
年齢は四十歳とカルテに記載されている。実際には三十代前半にしか見えなかった。
「目眩というのは、周囲が回って見える感じですか。それとも、ご自身がふらつくような感じでしょうか」
榊原伊織は、患者の華やかな容貌から意識を切り離し、端末へ視線を戻した。
患者名の欄には、M・Yという二文字しかない。
年齢、性別、主訴以外はほとんど空欄。住所も職業も、緊急連絡先さえ記載されていない。既往歴の項目には、赤い文字で《機密指定・レベルA》とだけ表示されていた。
医師になって七年、この病院へ移って半年になるが、機密指定の既往歴というものを伊織は初めて見た。
「回って見えるわけではありません。床が少し傾く、と申し上げればよろしいかしら」
「症状は何秒くらい続きますか」
「長くても十秒ほどです」
「意識を失ったことは?」
「ありません」
「耳鳴り、聞こえにくさ、吐き気は」
「どれも」
伊織は回答を入力しながら、女の顔を観察した。
発声は明瞭。表情筋にも左右差はない。焦点は安定しており、質問への反応も速い。少なくとも、診察室へ入ってきた時点で神経学的な異常は認められなかった。
「最初に症状が出たのは、いつですか」
「三週間ほど前です」
「そのとき、何をしていました?」
「仕事です」
「具体的には」
「書類を読んでおりました」
「どんな書類でしょう」
女は、そこで初めて考えるような間を置いた。
「人事に関するものです」
答えたくないらしい。
患者が話したくないことを、初診で無理に聞き出す必要はない。伊織はひとまず質問の角度を変えた。
「その後も、仕事中に?」
「ええ。今朝も少し」
「それで来院されたんですね」
「いいえ」
女はにこやかに否定した。
「放っておくつもりでしたが、周囲がうるさいものですから」
どこかの会社経営者か、資産家の夫人だろうか。
そう考えれば、この服装も特別区画も一応は説明がつく。しかし、それだけで病院長が直々に伊織を呼び出し、診察前に私物端末とCADを預けさせた理由にはならない。
この診察室がある七階東棟は、普段は要人や著名魔法師のために使われる。今日は午後から東棟全体が封鎖され、勤務者まで必要最小限に減らされていた。
看護師さえ診察室へ入っていない。
扉の外には女の付き添いを名乗る男が二人。そのほか、病院職員とは思えない人間を廊下で少なくとも四人見た。
軽い目眩の患者一人に対する警備ではない。
伊織の脳裏に、診察前の病院長との会話が蘇った。
『余計なことは訊くな。普段どおりに診察しろ』
『どちらですか』
『何がだ』
『余計なことを訊かないのと、普段どおりに診察するのは両立しません。問診というのは、患者が余計だと思っていることまで訊く仕事です』
病院長は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
『……診療に必要なことだけ訊け』
『それなら、いつもやっています』
あのときは妙な依頼だと思っただけだった。
今になって、もう少し強く断っておくべきだった気がしている。
「では、Mさん。脈拍と末梢循環を確認します。右手をこちらへ」
「Mさん?」
「お名前がイニシャルでしか登録されていませんので」
「あら。そうでしたの」
女は右手を差し出したが、手袋を外そうとはしなかった。
「手袋は?」
「外す必要がありますか」
「直接触れて測る方が正確です。ただし、接触を望まれないなら光学走査で代用できます」
「精度は?」
「この症状の一次検査には十分です。異常が出た場合だけ、改めて理由を説明して許可をいただきます」
女は伊織の顔を見た。
検査方法ではなく、説明した伊織の方を値踏みしているような視線だった。
「では、それで」
伊織は非接触式の走査器を起動した。細い光が黒い手袋の表面をなぞり、その下の血流と脈波を読み取っていく。
脈はやや遅いが、乱れはない。
伊織は女自身に携帯型の検査機を手首へ装着してもらい、続いて瞳孔反射と眼球運動を確認した。立位と座位で血圧を測り、簡単な平衡機能検査を行う。
女は指示に素直に従った。
「次に歩行時の平衡を確認します。背後から姿勢を見ますが、触れません」
「ご丁寧にどうも」
ただし、そう断ってから伊織が背後へ回った瞬間だけ、空気がわずかに変わった。
表情も呼吸も変化していない。それでも、見えない刃を首筋へ当てられたような感覚が走り、伊織の足が止まる。
魔法が発動した痕跡はない。
殺気とも違う。
女が何かをしたのではなく、伊織の身体が、この距離より先へ入るなと警告したのだ。
「どうかなさいまして?」
女が振り返る。
「いえ。続けます」
患者へ恐怖を感じたなどと、診療記録へ書くわけにはいかない。
伊織は何事もなかったように検査を終え、女へ椅子を勧めた。
「今日までに行われた検査結果も確認しました。脳、循環器、平衡感覚のいずれにも、目眩を説明できる異常は見つかっていません」
「健康ということかしら」
「現在の検査で原因が見つからなかった、という意味です。異常がないと断定できたわけではありません」
「似たようなものではなくて?」
「違います。原因を見つけられない医師が、患者に問題はないと言って責任を終わらせることはできません」
女は一度瞬きをした。
ほんのわずかな反応だったが、初めて彼女の作り物めいた微笑が崩れたように見えた。
「随分と真面目な先生なのね」
「よく言われます」
「褒めたつもりはないのだけれど」
「それも、よくあります」
女の唇から小さな笑いが漏れた。
伊織はそれを聞き流し、生活状況に関する項目を開いた。
「最近、仕事の量は増えましたか」
「一年前から増えました」
「役職が変わった?」
「そのようなものです」
「平均睡眠時間は」
「三時間ほどでしょうか」
「原因が分かりました」
伊織が即答すると、女は上品に首を傾けた。
「まあ。先ほどは分からないとおっしゃったのに」
「少なくとも、身体が休ませろと抗議する理由は分かりました。三時間では足りません」
「昔からあまり眠らないのです」
「昔から健康に悪い生活を続けてきたことは、今後も続けていい理由になりません」
「仕事を減らせと?」
「まずは睡眠を一時間増やしてください」
「難しい相談ね」
「一日二十五時間働いているわけではないでしょう」
「私の立場をご存じなの?」
「存じません。ただ、自分の都合で身体まで従わせられると思っている患者は、大抵、経営者か政治家です」
今度こそ、女は明確に笑った。
扉の外で、何かが動く気配がした。会話を聞いていた付き添いが反応したのかもしれない。
伊織は気にしないことにした。
外の人間の機嫌まで診療対象に含めていたら、医師の方が先に病気になる。
「食事は取れていますか」
「必要なだけは」
「一日何回です?」
「日によります」
「それは取れていない人の答えです」
「厳しいのね」
「身体はもっと厳しいですよ。限界を超えれば、本人の都合など聞かずに止まります」
端末へ記録を加えながら、伊織は次の質問を選んだ。
過労だけで説明できる可能性は高い。しかし、他科から回されたこの患者を、睡眠不足の一言で帰すわけにもいかなかった。
「症状が出始めた前後で、精神的な負担になる出来事はありましたか」
「仕事以外に?」
「仕事も含めてです。身近な方との関係、生活環境の変化、過去を思い出すような出来事でも構いません」
女の微笑は変わらない。
だが、先ほどまで膝の上で緩く重ねられていた指先が、もう片方の手をわずかに強く握った。
「過去を思い出す、とは?」
「目眩が起きる直前に、以前経験した出来事と似たものを見聞きした可能性です。本人が意識していなくても、身体だけが反応することがあります」
「経験した出来事……」
女はその言葉を、舌の上で確かめるように繰り返した。
「何か心当たりが?」
「さあ」
「過去に、大きな事故や重い病気はありましたか」
「事故ではありませんが、身体を損なう出来事はありました」
声の調子は穏やかなままだった。
苦痛を語る患者の反応ではない。自分とは無関係な症例を説明しているような、奇妙な距離がある。
「そのときのことを覚えていますか」
「必要な事実は承知しています」
「事実を知っていることと、覚えていることは違う?」
女は静かに微笑んだ。
肯定も否定もしない。
医学的には、意味記憶と経験記憶の偏りとして考えることができる。だが彼女の言葉には、事故や病気による欠落とは違う、意図的で構造的な響きがあった。
「記憶か精神情報体に対して、医療的な処置を受けたことがありますか」
初診で訊くには踏み込みすぎた質問だった。
扉の外の気配が、今度こそ明らかに硬くなる。
女は気分を害した様子を見せなかった。
微笑んだまま、答えなかった。
診察室の温度が下がったわけではない。それでも伊織は、ここから先が許可されていない領域だと理解した。
「質問を変えます。その処置と今回の目眩に関係がある可能性を、担当医へ検討させることはできますか」
「必要だと判断した根拠は?」
「“覚えている”ではなく、“事実を承知している”と表現されたからです。単なる言葉の選び方かもしれません。しかし症状が特定の書類を読んでいるときに繰り返しているなら、無視はできない」
「私の精神へ触れるおつもり?」
「許可なく触れるつもりはありません」
「許可しない、と申し上げたら?」
「触れずに調べられる範囲から始めます」
女は数秒、伊織を見つめた。
「では、その範囲で」
「分かりました」
榊原伊織には、医療記録へ書いたことのない既往歴が一つある。
彼の人生は、これが二度目だった。
魔法の存在しない世界で一度生き、死に、前世の記憶を持ったままこの世界へ生まれ直した。
前世から持ち越したのは、この世界で有利に立ち回るための知識でも、これから起きる出来事を知る力でもない。ただ、人の心は本人のものであり、他人が都合よく作り替えてよいものではないという、ごく当たり前の感覚だった。
この世界では、精神構造へ干渉する魔法も医療技術として存在する。本人の意思より、家族や管理機関の判断が優先される症例もある。必要性も、制度上の理由も、医師として理解はしていた。
それでも、当然だとは思えなかった。
人の心へ直接触れられる世界だからこそ、触れないという選択と、本人の許可には意味がある。
その感覚だけは、二度目の人生を三十三年生きても、この世界の常識へ馴染まなかった。
伊織はそれ以上訊かなかった。
初診で開かない扉を無理に押せば、診療関係そのものが壊れる。
そもそも、この扉は押し続けると中から何か恐ろしいものが出てきそうだった。
「処置を受けた時期だけ確認できますか」
「子供の頃です」
それだけだった。
どのような処置か。なぜ必要だったのか。誰が行ったのか。
何一つ明かされていない。
それでも、本人が「覚えている」と言わなかった事実だけは残った。
「今日はここまでにしましょう」
「もうよろしいの?」
「追加の検査結果を確認したうえで、まず睡眠と食事を改善して経過を見ます。目眩が強くなる、意識を失う、手足の痺れや発語の異常が出る。その場合はすぐに連絡してください」
「精神的な問題ではないのですか」
「可能性はあります。ただし、身体的な原因を見つけられない医師が、よく分からない症状を患者の心のせいにして終わらせるのは怠慢です」
「私には、心の傷などないかもしれませんよ」
「その可能性もあります」
「否定なさらないのね」
「患者が苦しそうに見えないことと、傷が存在しないことは別ですから」
女の目から、笑みが消えた。
冷たいという印象はなかった。
むしろ、それまで美しく整えられていた仮面が一瞬だけ外れ、その向こうに何もない暗闇が覗いたように感じた。
次の瞬間には、いつもの優雅な微笑へ戻っている。
「お名前を伺っても?」
「榊原です。榊原伊織」
「榊原先生」
女は確かめるように呼んだ。
「次回も、先生が担当を?」
初診の患者が担当の継続を確かめること自体は珍しくない。
だが、その問いに安堵を求める響きはなかった。目の前の医師が、次も同じ境界を守る人間かどうか。その一点を確認されているように、伊織には聞こえた。
「私は神経・精神情報科の担当です。次回も同じ症状なら、原則として私が――」
「そう」
女は静かに立ち上がった。
立ちくらみを確認するため、伊織は反射的に腰を浮かせた。しかし彼女の足取りに乱れはない。
「本日はありがとうございました」
「お大事に。睡眠時間は増やしてください」
「善処いたします」
「守らない人の返事ですね、それは」
女は振り返らなかった。
「検討しておきます」
扉が開く。
廊下で待っていた初老の男が、深く一礼した。
「奥方様、お車の用意が整っております」
「ありがとう」
女が去ったあと、診察室には微かな花の香りだけが残った。
伊織の意識に残ったのは、彼女の容姿でも、明かされなかった身分でもなかった。
自分の身体に起きていることを正確に説明できるのに、それを自分の痛みとしては語らない。その不一致が、医師として気に掛かった。
伊織は椅子へ座り直し、長く息を吐いた。
ひどく疲れた。
会話そのものは穏やかだったはずなのに、一時間近い手術を終えたような緊張が肩に残っている。
カルテを閉じようとしたところで、病院長から内線が入った。
『診察は終わったか』
「今、お帰りになりました」
『失礼はなかっただろうな』
「患者には全員、同じように接しています」
『それが心配なんだ』
「どういう意味です?」
内線の向こうで、病院長が重い溜息をついた。
『君は、あの方を誰だと思っている』
「M・Yさんでしょう。経営者か政治関係者だとは思いますが、身元は訊くなと言ったのは院長です」
『四葉真夜様だ』
「……は?」
一瞬、言葉の意味が分からなかった。
四葉。
魔法師でありながら、その名を知らない者はいない。
十師族の一角。魔法技能師開発第四研究所を出自とし、世間では《アンタッチャブル》の異名で呼ばれる一族。
――迂闊に関わるな。
――敵に回すな。
そして――可能なら興味すら持つな。
魔法師社会で生きていれば、誰に教わるでもなく身につく種類の常識だった。
「……四葉真夜」
『現四葉家当主だ』
伊織は静かにカルテを閉じた。
「辞表はどちらへ?」
『待て』
「雇用契約上、退職は一か月前までの申請でしたよね」
『その契約書の第十七項を読め』
「第十七項?」
『特別指定患者に関する付属規定だ』
伊織は自分の端末を開き、半年前に署名した雇用契約書を呼び出した。
給与、研究費、勤務日数、有給休暇。医療責任と患者の権利に関する項目は、署名前に三度確認した。
その一方、関連法人と特別指定患者に関する付属資料は、膨大なページ数に辟易して流し読みした記憶がある。
第十七項を開く。
特別指定患者の継続診療中、担当医の一方的な都合による契約解除には、医療管理委員会の承認を必要とする。
「この医療管理委員会というのは?」
『理事長直属だ』
「理事長は?」
『形式上は別人だが、実質的な任命権者は四葉家当主だ』
嫌な予感がした。
伊織は病院の出資者情報を開く。医療法人。その上に公益財団。その財団へ資金を提供する資産管理会社。さらに幾つかの企業をたどり、最後にFLT系列の法人名へ行き着いた。
この病院は四葉のものだった。
知らなかった。
いや、契約書には書かれていた。誰が見てもすぐには分からない形で、実に丁寧に。
画面の隅に、新しい通知が表示された。
《特別指定患者・継続診療に関する暫定担当者指定》
患者名――四葉真夜。
暫定担当医――榊原伊織。
本人の承認により、次回診察は一週間後。
「院長」
『何だ』
「私、まだ引き受けると返事をしていません」
『先方は、もう決定事項として扱っている』
再診予約の下には、既に警備部門、非公開診療区画、検査部門の承認印が並んでいた。
仕事が早い。
恐ろしいほどに。
二度目の人生で医師を志したとき、患者を身分で選ぶつもりはなかった。
確かにそう思った。
一度目の人生で得た記憶は、もう存在しない身体に属している。それでも伊織は、その喜びも痛みも他人の記録ではなく、自分が経験したこととして覚えている。
別の身体に刻まれた経験を、現在の自分へ結び直して生きる。
それが精神情報体の上でどれほど異質なことなのか、伊織自身はまだ知らなかった。
まして、その構造がいつか、ある少女の人生から形を失った経験の痕跡を、自分の痛みとして組み直すことになるなど、知るはずもない。
だが、限度というものがある。
契約画面を遡る途中、採用時の添付資料が目に入った。
この病院の求人へ応募したのは伊織だ。
ただし、求人を紹介してきたのは医療人材会社の方だった。前の勤務先で予算を打ち切られた研究、希望していた診療日数、必要としていた設備。そのすべてに、不自然なほど都合のいい条件を提示された。
半年前は、自分の論文を高く評価してくれたのだと思っていた。
四葉の名を知ったあとでは、その幸運が急に薄気味悪く見える。
伊織は閉ざされた診察室で一人、もう一度雇用契約書を最初から開いた。
今度は一文字も読み飛ばさないと固く誓いながら。