千尋を妹にしたのは、学園祭前。自分みたいなのが妹なんてお姉さまに申し訳なくて、他の人に妹を譲ったほうがいいのではないかと考えるまで追い詰められていた。
そんなときだ。千尋が契約を持ちかけたのは。
「私に空いている席をくれませんか。白薔薇の蕾。」
第一印象は作り笑いが上手な子。
入学以来、あの小笠原の御令嬢をおさえてずっと試験で首位をキープしている秀才でお姉さまが手伝いとして連れてきた。後継者としてなら、彼女以上の人材は現一年生の中にはいないだろう。
「私は貴女のことを妹扱いしないし、妹と呼ばないよ。」
でも、私の心の中にはすでに栞がいたから、彼女が普通の姉妹関係を望んでいるのなら応じるわけにはいかない。私の言葉に千尋は当然だと言った。
「私が欲しいのはただ一つ、山百合会での地位だけです。それ以外のものは望みません。」
他の人が聞いたら、卒倒するか激高しそうな過激な発言。でも、私にとっては渡りに船だった。
「いいよ。なら貴女をつぼみの妹にしてあげる。」
「ありがとうございます。」
頭を下げる千尋にロザリオをあげようとしたら、手で制された。
「恐れいりますが、ロザリオを首から下げるのは遠慮します。」
「どうして?」
「私はクリスチャンではないからです。」
細かい子だなと思った。わざわざ姉妹の儀式に信仰心の有無を気にする生徒なんてほとんどいないだろうに。
「わかった。これは預けるだけにする。」
お姉さまからいただいたロザリオを千尋の掌に置いた。
「ありがとうございます。」
千尋はまるで宝物を抱くように胸の前でしっかり握った。
聖は千尋に深く理由を聞かなかった。
このときの自分を殴りたい。
教室にはいるといつもの如く、自席で友人が待ち構えていた。
ただ、いつものように挨拶しようと片手をあげたところで、動きが止まる。
「ごきげんよう。千尋。」
「静、その髪。」
友人、蟹名静は腰まであった長い髪を肩口までバッサリ切っていた。髪を切るのは個人の自由だけれども、祥子さんとはまた違った艶やかな黒髪に密かに憧れていたので軽くショックだった。
「どう似合う?」
「似合うよ。驚いたけど。」
首元で涼やかに揺れる髪は大人びた静に似合っている。
「ありがとう。それよりも私の歌どうだった?」
「アリアの独唱、素晴らしかったよ。志摩子さんも感動していた。後夜祭で言おうと思っていたのにいなかったから週明けになってしまったけれど。」
「そりゃあ、探してもいないはずよ。私、聖様と一緒にいたんですもの。」
「え。」
笑顔だけど目は笑っていない。
千尋がまだ山百合会のお手伝いでしかなかったころ、彼女は一時期白薔薇の蕾の妹候補に挙がったこともある。その噂は周囲が勝手に盛り上がっていただけなのだけれど、彼女の思いを知っている身としては今でも後ろめたい思いがある。
静は合唱部のエースとして中等部のころから有名だった。
千尋がお情けで「音楽の天使」と呼ばれるのにたいして、彼女の「歌姫」は純粋にその歌声を称賛するものだ。平凡な一般生徒と実績があって人気もある彼女。静が本気で聖様の妹になろうとしていたら、私の学園生活は違ったものになっていたことだろう。
「もっとご自分の姉を大事にされたらどうかしら。」
「返す言葉もないけれど、どういう風の吹き回しかな。あなたが口出しするの初めてじゃない?」
周囲に聞かれないように小声で話す。
「理由はなんだっていいわよ。それより昼休み、白薔薇様と会うのでしょう?今度はちゃんと話すのよ。」
そう言い残すと静は自席に戻った。
(後夜祭で2人は何を話したのだろう。)
静が髪を切ったのは単なるイメチェンか、それとも何か理由があるのか。おかげで授業中はずっと上の空だった。
昼休み、静に言われたからではないが、今度は逃げ出さずに中庭に行くとゴロンタと戯れている白薔薇様がいた。
「ごきげんよう。千尋。」
「ごきげんよう。白薔薇様。」
側に購買部の白い袋が置かれているところをみると、白薔薇様はここでお昼を食べるらしい。念のため、お弁当を持ってきてよかったと思う。
「相変わらず好みが渋いわね。」
「たまには唐揚げとかも作りますよ。」
同居人の好みが和風に偏ったものだから自然とお弁当の中身も地味になる。毎回、美味しいと言っていくれるから作り甲斐があるんだけれど、今度はキャラ弁とかにも挑戦してみようか。
「君には煮干しをあげよう。」
白薔薇様は自分の昼食を食べながら、ビニール袋からゴロンタ用の煮干しを取り出して、餌付けをしていた。ゴロンタも嬉しいのかニャーニャー鳴きながら、足に身体をこすりつけている。
「ずいぶん慣れていますね。」
「カラスにつつかれているところを助けたらね。」
あまりお腹が空いていなかったのかゴロンタは煮干しを3匹ぐらい食べたらいなくなった。
「それはそうと私との約束を忘れるほど志摩子ちゃんと踊るの楽しかった?」
「ンっ、別に志摩子さんとは踊っていませんが。」
急に話題をぶっこんできて、ご飯粒が変なところにはいるかと思った。白薔薇様は苦笑の笑みを浮かべた。その表情はこの1年の間で初めてみるものだった。
「申し訳ないと思ってくれるんだ。」
「行きたくはなかったですけど、申し訳なくは思っています。」
「よかった。もしも何とも思われていなかったら、さすがにショックだったよ。」
白薔薇様と2人っきりで話すのはいつ以来だろう。薔薇の館でも校舎でも、会うときは誰かしらが側にいた。自分たちは、いつでも距離を置いている姉妹だった。
「ねえ、千尋。」
「なんですか。」
白薔薇様は空を見上げてつぶやいた。
「私、去年のあなたの歌を聴いていなかったわ。」
知っている。
でも、どうして今さらその事を持ち出すのだろう。
「お姉さまを熱い眼差しで見つめる怪人が哀れでみていられなかったから。」
「お言葉ですが、哀れではないですよ。怪人も救われていました。」
白薔薇さまの言葉に反感を抱いた。
怪人はクリスティーヌを得られなかったけれど無償の愛を教えられた。不幸なだけではない。救われていたと思う。
「では、千尋。怪人はどうにしろ、あなたのほうはどうだったかしら。あなたの真心にお姉さまは気づいてくれた?」
「よく見ているんですね。驚きです。」
「類は友を呼ぶと言うじゃない。恋するものは自然と嗅ぎわけるのだよ、君。」
白薔薇様は芝居じみた言い回しで言う。
私たちは同じだった。好きになってはいけない人を好きになって、結局フラれる。唯一、違うのは白薔薇様は両想いだったという点だ。
「気づかれなくてよかったんです。」
「花寺の会長とお姉さま、デキていたものね。」
「そうです。だから、よかったですよ。」
早い段階で諦めがついたから私の恋は愛に変わった。
返されなくてもいいから、全力で投げつづけることができた。もしも、白薔薇様が知っていたら劇どころか山百合会の手伝いでさえ断っていただろう。
「あなたは誤魔化すのが上手すぎる。千尋の悪い癖よ。嘘をつきつづけて自分の気持ちがわからなくなっている。志摩子がどうにかしてくれると思ったけれど気が変わった。」
「突然、何を言うんですか?私は昔から素直ですよ。」
「あら、私はあなたが他人に不安や文句を言っている姿をみたことがないわ。」
「他人に愚痴を言うのは恥べき行為です。」
「なら、私は恥の多い人生を送ってきました、って詫びなければいけなくなるわね。」
人間誰しも踏み込まれたくない領分があると思う。白薔薇様はずけずけとその領分を荒らす侵略者のように思えた。
「つまり白薔薇様は私に愚痴を言えというだけで呼び出したんですか?」
「そうよ。だから先ずは私への恨み嫉みをぶつけてみなさい。」
正直、姉妹になってから思うことがないわけでもない。もっと仕事しろとか、サボるなとか。あ、両方とも一緒のことか。しかし、千尋には白薔薇様がここまでしてくれる理由に見当がつかなかった。
「どうして白薔薇様は、その、文句の的になろうと思われたのですか。」
千尋がたずねると白薔薇様は眉を八の字にして困ったような表情をされた。白薔薇様は飄々とした態度をとることはあっても、千尋にそのような苦みばしった笑みを向けるのは珍しい。
「あのね。いくら私が他人に無関心なところがあっても、気の合わない人や好ましくない人を妹にするほど割り切ったことはできないの。」
「はぁ。」
つまり何が言いたいのだろうか。
「だから、千尋のことはそれなりに好ましく思っていたってことよ。」
「そうですか。」
嘘ではないと思う。
白薔薇様は気難しい方だけどそういうことに関しては潔癖な人。けれど、千尋は驚きのほうが先行して素直に喜ぶことができなかった。
「私は自分の穴を妹に埋めさせる酷い姉だった。今さら許してくれ、なんて言うつもりはないけれど、せめて一度くらいは姉らしいことをさせて。」
「白薔薇様。」
「あなたにお姉さま特権を振りかざすわ。私のために歌いなさい。あなたは歌うときは素直になれるみたいだから。」
白薔薇様ほど傍若無人という言葉が似合う人を他に知らない。千尋も周りもどんなに振り回されたか。でも、そういう聖さまのことを心から憎むことはできない。だから、白薔薇姉妹は今日までやってこれた。
「期待しないでくださいね。」
「大丈夫よ。」
「先生は静に頼んだからー」と白薔薇様は去っていった。静が絡んできたのはこのせいかと納得がいった。
教室に戻ると、朝みたいに静が私の席で待っていた。
「また、お願いしますね。先生。」
「出来の悪い生徒がまた戻ってきたわ。」
ため息をつく静の髪が軽やかに揺れる。
一年前も千尋は静に歌のレッスンをつけてもらっていた。前の白薔薇様も指導してくれたとはいえ、実行委員で忙しかった。だから、部活がないときに静が指導してくれたのだ。後から聞いた話によると、合唱部の部長に紅薔薇様が根回しをしてくれていたらしい。
「何を歌えばいいんだろう。」
「好きな曲を歌えばいいじゃない。」
悩む千尋とは反対に楽しそうな静さん。
「えー。アルフィーと吉田拓郎を歌えと?」
「ギター弾けるならいいじゃない。その髪も高見沢さんに似ているんだから丁度いいと思うわ。」
「静がサングラスをかけてくれるの。」
「私は板崎さんポジションだもの。」
静もフォーク聞くんだ。ちょっと嬉しい。一緒に歌うのも面白そうだけど、でも完全に趣味に走るのもなんか違う気がする。唸っていると静はこう提案した。
「タイミングの指定はなかったのでしょう。卒業まで時間があるのだし、クリスマスに私と歌ってみるのはどうかしら?」
「フォーク?」
「フォークは横において。歌は日々の地道な練習があってこそよ。でも、発声だけやっても張り合いがないと思うから。クリスマスに、というわけ。」
「なるほど。でも、部活動とはどうするの?」
クリスマスのミサの後、合唱部の聖歌を聴くのがリリアン女学園高等部の風物詩だ。
「あなたとは有志でやるわ。合唱部の後に時間をとっておく。」
クリスマスの選曲は静が任せてほしいといった。
白薔薇様が私のことを見ていてくださったのも、「姉」であることに何かしらの思いを抱いていたのも意外だった。けれど、千尋の心は強情で、あんなにやさしい言葉をかけていただいたのに受け入れることができなかった。
疑いは晴らせない。
けれど、お気持ちは嬉しい。だから、せめて「妹」らしく「姉」孝行して差し上げようと思う。