難しいことを考えたからか小腹が空いたので、購買によってから薔薇の館に行った。
ビスケット扉をあけると令さん、祥子さん、祐巳さんの面々が学園祭の写真を見ていた。祐巳さんが写真部の蔦子さんからもらってきたらしい。机の上には空の封筒が四つほどあった。
「綺麗に撮るね。」
「はい。蔦子さんの写真は素敵なものばかりなんです。」
令さんが感心していると祐巳さんが誇らしげに胸をはる。友人が褒められて嬉しいのだろう。
「あ、祥子さんと祐巳さんのだ。本当にカレーを食べている。」
「千尋は食べに行ったの?」
「ええ、赤カレーをクラスの方とね。」
「私も赤カレーを食べたわ。」
祥子さんと祐巳さんが向かい合ってカレーを食べている写真。この時、既に姉妹になることを決意していたのではないかと思う。笑いあう2人の顔には相手への信頼が表れていた。
「ごきげんよう。」
「ごきげんよう。志摩子。」
「ごきげんよう。志摩子さんも写真をみようよ。」
祐巳さんに手をひかれて志摩子さんも写真を眺める。何枚か手にとると、そのうちの1枚を見て微笑んだ。
「ふふ、3人とも仲がいいんですね。」
「黄薔薇ファミリーの日常ってところね。」
上演前の舞台袖の写真だった。緊張していた令さんを黄薔薇様と由乃さんが励ましている。由乃さんが発破をかけて、黄薔薇様がさらに不安を煽るようなことを言う、という令さんの日頃の立ち位置がわかるものだった。
「あれ。千尋が間食だなんて珍しいね。」
「お昼が足りなかったんだ。」
「ふうん。」
写真について言及されたくなかったのか、令さんがこちらに話題の矛先を向けてきた。
「やっぱり背が高いと食べる量も多いの?」
「たぶん。学食だと物足りなく感じるから。」
定食をふたつ頼んでも完食できると思う。目立つからしないけど。袋からメロンパンとしるこ缶を取り出すと令さんの口の端が引きつった。
「甘党も大概にしなさいよ。」
「千尋さまは甘いものがお好き何ですか?」
「そうだね。大の甘党。」
メロンパンの包装紙を開けながら、祐巳さんに答える。
「志摩子に味見してもらって、ようやくカレーを食べるぐらいだものね。」
「しかも、あーんまでしてもらって。」
「またそのネタこするの?」
祥子さんと令さんが面白がっている。ここで反論すると余計にいじられるので、耐えの一手だ。志摩子さんは写真をみるのをやめてお茶をいれていた。祐巳さんはまた百面相している。何を考えているのやら。
「白薔薇様も実は渋いものが好みですか。」
「ええと。そんなことはないと思うけど。急にどうしたの?」
「あなたたちの見た目と嗜好が意外すぎるのよ。」
祥子さんの言葉で納得した。志摩子さんは全体的に色素が薄くて、長い睫毛とふわふわの髪は西洋人形みたいだと言われる。私は父の影響で言わずもがな。
「千尋、修学旅行で寝巻に浴衣持ってきていたもんね。」
「そういえばそうだったわね。」
「千尋さまがお着物を?」
祐巳さんが「意外だ」という表情をしている。
「志摩子さんも家では和服でしょ?」
「そうですが。パジャマも着ます。」
「ほんと、白薔薇のつぼみ姉妹はギャップがすごいわ。」
「でも、ギャップ性で言えば白薔薇様も負けていないと思う。ほら、祐巳ちゃんへの態度とか。」
この言葉に部屋の全員がああ、と納得した。あの方に関してはギャップというよりも残念と言うべきか。人を突き放すことがなくなったと思ったら、今度は軟派になって。加減というものを知らないのだろうか。もはや紅薔薇さまは諦めて放っておいているし。
「あっ。志摩子さんに全部やらせてごめんなさい。」
「謝らないで。私が勝手にやったことですもの。」
志摩子さんが人数分のお茶の支度をしていた。
慌てる祐巳さんに志摩子さんがふんわり微笑む。
以前、代々、紅は白に世話を焼きがちと先代黄薔薇様に聞いたけれど、こと今の1年生の代に当てはまるか不思議なところだ。紅薔薇様は隙をみつけては手を抜きがちな白薔薇様と黄薔薇様の尻をよく叩いているし、妹の祥子さんもイニシアティブを取りがちだけれども、祐巳さんは二人とは方向性が違う気がする。
「そろそろ片づけようか。」
写真も封筒にもどして、仕事の準備を始める。
「ごきげんよう。」
「ごきげんよう。」
噂をすればなんとやら、紅薔薇様と白薔薇様がビスケット扉から入ってきた。
「何をみてたの?」
白薔薇様が机の上にのった封筒に目ざとく気がつく。
「学園祭の写真です。白薔薇様。」
紅茶を置いた際に、志摩子さんが答える。
「へー、いいじゃん。志摩子もみたの?」
「はい。学園祭だけでなく、展示されたパネルの写真も入っていて面白かったです。」
「え、学園祭だけじゃなかった?」
首をかしげる令さんの言葉に私も同意だ。パネルの写真もあったなんて量が多くて気がつかなかった。あとでもう一度みよう。
「おしゃべりもいいけれど、そろそろ今日の仕事を始めましょう。」
しばらくして薔薇さま方も到着し、つつがなく今日の活動も始まった。ただお汁粉の缶を黄薔薇様が睨むように見ていたのが地味にショックだった。お嫌いなんだろうか。
今日は薔薇の館の会合がなかったので、HRが終わると急いで帰った。
「由乃、起きている?」
勝手知ったるといった感じで、ノックの返事も待たずに部屋に入る。由乃はベットに仰向けに寝たまま、顔を少しだけ動かして侵入者の顔を確認した。
「何で。」
「なんでって。用がなければ来ちゃいけないの?」
病人に出迎えを期待してはいないけれど、来て早々「何で」と言われるのもなぁと思いながら、令は勉強机の椅子を持ってきて枕もとに座った。
由乃の部屋は素朴だ。象牙色の壁以外は床も天井も窓枠も本棚も全部焦げ茶色。カーテンも淡緑色のシンプルなものだ。
部屋の中がこれだけ地味なのだから、カーテンぐらい花柄にすればいいのに、なんてお節介にも思ってしまう。
「熱はまだ下がらないの?」
由乃の額にはヒヨコ柄のハンドタオルがのっていた。そのタオルでないと、由乃は落ち着かないのだ。プリント模様はぼやけてしまって、端はほつれるたびに令によって縫い直されている。叔母さんがちょっと前に絞って置いていったようで、触れてみるとまだ冷たかった。
「調子、変わらないの?」
具合があまり芳しくないのか、由乃は口を開かなかった。返事がないことに慣れているので、令は汗に濡れた髪を整えてやると構わずつづけた。
「令さんは今日は宅配便屋さんだから、お届け物が済んだらちゃんと退散するよ。」
鞄からバインダーを取り出し、預かってきた書類一式を机の上に置いた。
「英語のリーダーのプリントは来週までの宿題ね。それと古文のレポートが返ってきたから預かってきた。あと、」
「部活はどうしたの?」
遮るように突然由乃が言った。
「部活?」
「もうすぐ交流会があるから特訓だって、令ちゃん言っていたじゃない。」
校内では敬語だが、それ以外では昔通りの言葉づかいになる。呼び方も、外では「お姉さま」、内では「令ちゃん」を器用につかいわけている。
「言った、けど。」
「私のためにサボったの?」
ヒョコのタオルを外して、わざわざ起きあがって探るように尋ねてきた。愛読書は推理小説とハードボイルドの彼女は、何でもお見通しといった目でみるから、ついつい正直に頷いてしまいそうになる。だが、ここで頷いたら、それこそ心臓発作を起こしかねないほど怒り狂うことも、長年の経験から察している。
「そんなことないよ。今日はお父さんに稽古つけてもらおうと思って早めに帰ってきたんだ。」
だから、令はにっこり笑って否定した。
「本当?」
「本当。」
年々、由乃にだけ嘘が上手くなっていく。
由乃もまた、令が嘘を重ねる分だけ嘘を見抜くことが上手になっているはずだった。今だって納得してみせているものの、どこまで信じているかわからない。
それでも全くの嘘ではないと心の中で言い訳をする。父に道場で稽古をつけてもらうと約束していたのは本当、ただそれまで少し時間があるだけのことだ。早く帰りたかったのは由乃の為ではなく、自分のため。由乃のことを考えて稽古に身が入らないよりは、部活を休んでその分自宅で稽古したほうがいいと思った。
(由乃のことが気になって身が入らなくなる方が時間の無駄だ)
父は言う。
太刀筋はいいが。お前の剣は安定していない女の剣だ、と。父は剣において男女差別をしない。だからこそ、その言葉は令の心に深く突き刺さった。自分でも自覚していることなのだ。
「プリント見せて。」
「はい、どうぞ。」
由乃は濡れタオルを枕元の洗面器に引っかけると届け物を吟味し始めた。ちょっと窶れてみえるのは髪を下ろしているからだろうか。頬も紅潮しているようにみえる。視線に気づいて由乃が「何?」と顔をあげる。
「なんでもない。」
令は微笑んで首を横にふる。
由乃のことは何でも知っている。同じ敷地に建つ、隣の家に住む従妹のことはロザリオを渡す前から本当の妹だと思ってきた。
由乃のためだったら、マリア様の前でだって必要なら嘘をつける。由乃に心配をかけさせないためなら、由乃の平穏な生活を守るためなら、世界だって敵にまわしてもいい。そうやって今まで由乃の騎士として生きてきたんだから。
「令ちゃん、これ何?」
「あ、そうだ。忘れていた。新聞部から頼まれたアンケート。」
「アンケート?」
令は薔薇の館で姉と話したことを手短に説明した。
気恥ずかしそうな令とは対照的に呟きながら由乃は複雑な表情をしていた。
「じゃあ、令ちゃんが書いてよ。私の分も。」
「いいよ。」
令は用紙を受け取ると一枚目に書かれていた生年月日、星座、血液型など、パーソナルデータをすらすら埋めてしまった。二枚目は好きな言葉とか愛読書といった設問だったのでインタビュアーのように一問ずつ由乃に尋ねていく。
大体は予想通りの答えだった。
これだったら聞かなくてもよかったかもしれない。
「令ちゃん。あと、どんな賞があった?」
「それがねえ。」
令はうんざりした様子で語り始めた。実は新聞部主催の全校アンケートで決まった賞というのはベスト・スール賞だけではなかった。今日の放課後に全部の賞が決まったらしいのだが、令はミスター・リリアンという不思議な賞も受賞していた。
「令ちゃん、かっこいいものね。」
「ときどき、勘違いした下級生が『お兄様』なんて呼ぶからいけないんだ。」
「令ちゃん、髪伸ばしたら?千尋さまみたいにのばしたら呼ばれなくなるかもよ。」
「確かに千尋ぐらい長かったらいいだろうけど。」
「じゃあ、伸ばしたらいいじゃない。」
由乃は手を伸ばして、令のベリーショートをくしゃくしゃに撫でた。令は手をよけるもどことなく嬉しそうだった。
「似合わないし、防具つけるのに邪魔。」
「ふーん。ねえ、他の人はどんな賞を貰っていたの?」
「えっと。祥子はミス・クイーン、千尋はミス・レッド、志摩子はミス・プリンセス、今年は番外でミス・シンデレラとして祐巳ちゃんが賞をとった。」
指折り数えながら教える。
「千尋さまだけ、なんか手抜きじゃない?」
「本人も微妙な顔をしていたっけ。志摩子がプリンセスだから、ビーストじゃなくてよかったとは言っていたけど。」
千尋は或る意味白薔薇様の名に相応しい背丈だし、顔がわかりにくいから初対面では怖がられやすい。付き合ってみれば面倒見のいい気さくな人物なのだけど、接点のない一般生徒からみるとやっぱり近寄りがたいのだろう。
「今年度はまだ御開帳していないからね。仕方ないよ。」
「あっ!あの去年の写真をかわら版にのせてもらうのはどうかしら?」
「千尋は新聞部と折り合いが悪いから、嫌がるよ。」
去年、新聞部がお聖堂に千尋そっくりの神父様がかつて在籍していたと、某週刊誌よりも眉唾なゴシップを書いたせいで、千尋の機嫌が悪くなったことがあった。新聞部に乗り込むとか、周りに八つ当たりするようなことはしなかったけれど、抜身の真剣のようなピリピリ感があった。それもあって下手な名前が付けられなかったのかもしれない。
去年の今ごろは白薔薇ファミリーは大変だった。令は一年生だったからよく知らないけれど、千尋は渦中の人物として追い掛け回されていた。
「ふうん、でもやっぱりもったいないわ。」
「そういえば、祐巳ちゃんも似たようなこと言っていたな。」
「そうなの!」
「うん。」
という話をすると、由乃は「祐巳さんかぁ」と感慨深げにつぶやいた。
「そんなに祐巳ちゃんが気になるの?」
「ちょっとね。」
由乃は病弱でクラスメイトと深く関わろうとしないところがあったから、その言葉は嬉しかった。内弁慶なところがあるけれど、あの祥子の妹となった祐巳ちゃんなら由乃の偏屈なところも余裕だろう。
「祥子のロザリオを受け取ったらしいから、これからはもっと親しくなれるよ。」
「本当?」
令の報告に、由乃は蒲団を跳ね除け身を乗り出した。晩秋の夕暮れ、暖房をいれるまでもないが、パジャマ一枚は寒々しい。令は自分の着ていたカーディガンを由乃に羽織らせた。
「祥子さまはお幸せでしょうね。」
由乃はパジャマの合わせを心臓の前でギュッと握った。
「由乃?」
「ううん。ありがとう。令ちゃん。」
痩せた白い胸に、令が渡した深緑のロザリオが揺れた。