仕事の早いことで、新聞部はもう令さんと由乃さんのことを記事に仕上げたらしい。おかげで午前中は色んな人に根掘り葉掘り聞かれて疲れた。
お昼になると千尋はお弁当箱と割り箸、それとビニール袋をもって外に出ていた。銀杏並木はすっかり黄色くなって大量の葉を落としては用務員さんたちを困らせている。
「ごきげんよう、お姉さま!」
約束の場所にいくと仔犬のように志摩子さんが駆け寄ってきた。右手には千尋と同じようにビニール袋と割り箸が握られている。
「いい?拾うのは一人一袋だけだからね。」
「わかっています。お姉さまは心配性ですね。」
おかしそうに「ふふふ」と笑う志摩子さん。
でも、千尋は知っている。
目の前のお淑やかな美少女は食べ物に関しては、アグレッシブになるということを。春の山菜採りやタケノコ採り、秋の山での栗拾いなど食料調達の手段の豊富さは平成の子にしては多いのではないでしょうか。千尋もいつも付き合っているから同じなんだけれど。
「たくさん落ちていますね。」
「そうだね。踏まないように気を付けないと。」
「そうですね。」
白薔薇の蕾姉妹が人目をさけて銀杏林にいるのは話題のスキャンダルを言及されることを恐れてはではない。銀杏を拾うためだ。千尋は以前、秋になったら一緒に銀杏を拾うと志摩子さんと約束をしていた。今日はその約束を叶える日だった。
「あ、お姉さま。できるだけ大きい実を拾ってください。小さいと食べるところがないので。」
「はいはい。仰せのままに。」
志摩子さんの指導のもとビニール袋にオレンジ色の実を詰めていく。触れないように慎重な千尋と違って志摩子さんは手馴れた様子でひょいひょい拾っていく。
「拾った銀杏はどうやって食べたい?」
「そうですね。煎ったり、茶碗蒸しにいれたり......あっ、炊き込みご飯に混ぜるのはどうでしょう。」
いつになく饒舌なご様子。生き生きと銀杏の調理方法について語る美少女とはこれ如何に。銀杏にこれだけ心をときめかせるなんて、日本中探しても志摩子さんだけではないだろうか。
「ときに志摩子さんは昨日のことで何か聞かれなかった?」
「はい。存じませんと云ったら皆さん納得してくれました。」
「そう。」
サラっとそう言ってパンパンになった袋を見つめながら、ふんわり笑う志摩子さん。手早く口を結ぶと、まだ半分しかいれていない私の袋にもどんどん詰めていく。たぶん、聞いた人は納得したのではなくて、気後れしただけなのではないかと思うけど、気づいていないならそれでいい。
「お姉さま。」
「何?」
「大量にとれましたね。」
嬉しそうにギンナンの入った袋をかかげる志摩子さん。持っているものに目をつぶれば、お人形さんのようにかわいらしい。
「私の拾ったものも志摩子さんにあげるけど、食べすぎには気を付けてね。」
「父と母にも同じことを言われました。」
このまま教室に持っていくと異臭騒ぎになるので、帰りがけに拾うことにして校庭の隅に隠す。誰も持って行かないと思うけど、落葉と一緒に持っていかれる可能性もなくはないので。
袋の上に黄色い葉っぱをこんもりと被せた。
「千尋さまの叔母さまにもおすそ分けしませんか。」
「それもいいかもね。」
千尋の叔母は今は水戸に住んでいるけれど、以前は都内に住んでいたから志摩子さんとも面識がある。
そう言えば、志摩子さんにはアレを話していなかった。早いうちに教えておいたほうがいいかと思って、お弁当を食べながら説明する。
「二人目ができたみたいなんだよ。」
「えっ。」
志摩子さんは驚きのあまりつまんでいた煮豆を落としてしまった。お弁当箱の中だからセーフ。
「次も女の子なんだって。旦那さんがニコニコしながら教えてくれた。」
「それはおめでたいですね。」
「落ち着いたら遊びに来てって。」
ふと、水戸の家にはまだ行ったことがないことに気づいた。
「学園祭にも来ていただきましたよね。私はお会いすることができなかったのですが。」
「叔母さんはリリアンの卒業生だから。旦那さんと小春ちゃんが来ていたかな。」
小春ちゃんというのは年下の従妹。
幼稚園の年長さんで、将来の夢はお花屋さんらしい。一番好きなお花はガーベラだそうだ。私は旦那さんの影響なのではないかと思っている。だって、よく叔母さんに花束を贈っているそうだし。
次の授業は体育なので着替える時間を考えるとあまりゆっくりしていられない。しかし、ドアを開けると不思議なことに着替えていない生徒が大量にいた。しかも、何人かは泣いている。
「どうしたの?」
小声で教室にいたであろう静に聞くと、「破局だそうよ」と返事が返ってきた。
「まさか、昨日の令さんたちに影響されて?」
「そのまさかよ。」
静も若干呆れ気味。
「昨日の今日で早くない?」
「まだ読んでいないならあげるわ。」
かわら版を受け取って流し読みをする。
「センスのいいこと。」
先日のベストスール賞のときの令さんと由乃さんのツーショット写真をまん中で破いたようなレイアウト、内容もお涙ちょうだいの美しい姉妹愛として描かれていて、娯楽としてはこの上ない出来上がりだ。語尾が「ーではないか」「ーと思われる」と断定を避けているところもいやらしい。
「三奈子さんは綴り方がお上手ね。」
「新聞部に乗り込んじゃ駄目よ。」
「いやねぇ、静さん。他藩の御家騒動に口出しできるわけないでしょ?」
「先日だったかしら、白薔薇の蕾が黄薔薇様の腕を掴んで廊下をのしのし歩いて行ったと噂で聞いたわ。」
「ノーコメントで。」
ああ、でも嫌だなぁ。こんな記事をつくる新聞部もそれを読んで影響される周りの生徒たちも軽薄に思える。泣いている同級生たちは、おそらく姉妹関係を解消したか、されたのだろう。
「直談判はやめなさいよ。」
「わかってるって。あー、体育楽しみだなー。」
こういうときは運動するに限る。
ぐずぐず悩むより、身体を動かしてさっぱりしたほうがいい。それに、薔薇の館にいけば頼りになる薔薇様方がいるのだ。今できるのは口を開かずに耳をそばだてることだけ。あとは令さんを見守ることぐらいだ。
「あれ、お二人だけですか?」
「今の所ね。間が悪いことに江利子のやつは歯医者の予約をいれてしまったらしくてね。今日は来ないよ。」
薔薇の館に行くと白薔薇様と祐巳さんがいた。志摩子さんは環境整備委員会の仕事が終わり次第、合流すると祐巳さんが言っていた。
「千尋にもインスタントコーヒーを淹れてあげましょうか?」
「いえ、白薔薇様の手を煩わせるわけにはいきません。それに、今日は紅茶の気分なので。」
「あら、そう。じゃあ、3人分頼むわ。」
「かしこまりました。」
お湯を沸かし直して新しくカップを取り出す。背後から聞こえる話の流れから察するに白薔薇様が黄薔薇様の人となりを祐巳さんに語っていたみたいだ。身近な人の印象を他の人から聞くのも面白い。私からみると黄薔薇様は好奇心の塊というイメージだけれど、付き合いの浅い祐巳さんからすれば掴みどころのない印象を受けるらしい。
黄薔薇様こと鳥居江利子さまは白薔薇様や祥子さんたちと同じく幼稚園からリリアンに通っている。とくに練習もしなくても好成績を残せるという超人で、苦手なものがない。ただ本人は競争意識が薄いのか飽きっぽいし、常に面白いものに飢えている。山百合会に入ったばかりのころ「地毛なの?」と聞かれたことは未だに覚えている。
「今回、江利子は事態の収拾には協力するけれど、令と由乃ちゃんのことに関しては当人たちに任せるつもりだそうよ。」
「自分の妹と孫のことなのにですか?」
「まあ、黄薔薇様は紅薔薇様のところみたいにお節介を焼かないから。もちろん令のことは大事に思っているはずだけれど、令と由乃ちゃんほどの強いつながりはないもの。流石に長引くようだったら強引にでも手をだすと思うけどね。」
アールグレイが入ったカップをお盆にのせて机に置くと、白薔薇様が尋ねてきた。
「千尋もかわら版を読んだ?」
「はい。三奈子さんは文才があるようですね。」
「そうね『お姉さまが黄薔薇様のつぼみだったという悲劇』だなんて、上手いこと言ったものだわ。」
つぼみは薔薇様方が卒業されるとほぼそのまま次代の薔薇になる。そして、その妹も蕾と呼ばれるようになる。だから、山百合会の幹部を姉妹にもつ二年生はいずれ学園を背負っていく素質をもった一年生を選定する使命があった。
「千尋もロザリオを返したくなった?」
「返しませんよ。それは白薔薇様がよく分かっているはずです。」
「うむ。」
白薔薇様は満足そうに頷くと、先ほどから静かに百面相をしている祐巳さんに抱きついた。
「ぎゃ。」
「なーに考えているのかな、子狸ちゃんは」
祐巳さんが怪獣の赤ちゃんのような悲鳴をあげて逃れようと身をよじっている。階段を登ってくる音がするけれど、白薔薇様はともかく祐巳さんは気づいているのだろうか。
「白薔薇様は誰彼構わずこういったことをなさるのですか?」
「誰彼なんて節操がない。祐巳ちゃんだけだよん。」
セクハラ親父の本領発揮といってもいい。祐巳さんを抱きしめ直すと、柔らかそうなほっぺにキスを落とした。と、同時に響く扉の開く音。あーあ、もう知らない。
「祐巳。」
「さ、祥子さま!」
祥子さんと志摩子さんが立っていた。
必死に弁明しようとする祐巳さんを無視して、祥子さんは白薔薇様に詰め寄ると冷ややかに言った。
「知っていておやりになったのね?」
3つのカップを指して言った。ポットを片手に千尋は、てっきり白薔薇様と祐巳さんのおかわりだと思ってた。
「何のことかな?」
白薔薇様は祐巳ちゃんを解放して、トンと祥子さんのほうに押し出した。たたらを踏む祐巳さんを祥子さんがしっかり受け止める。そして、ハンカチで先ほど白薔薇様がキスしたところを拭き始めた。ちゃんと見てたんだ。
「白薔薇様、いい加減祐巳のことを甘やかすのはやめてください。躾は姉である私の仕事です。」
「いいじゃない。減るものではないのだし。祐巳ちゃんて抱き心地がいいからクセになるんだよね。」
セクハラ大王化した白薔薇様に何を言っても無駄だと思う。呆れていると矛先がこっちに向いた。
「あなたも黙っていないで何か言ってよ!妹でしょ?」
「祐巳さん、私の代わりにいつもありがとう。」
祐巳さんに合掌。
「そういうことでなくて!」
ヒステリックに叫ぶ祥子さん。もう少しで地団駄を踏みそうな勢いだ。
「ほら、千尋も公認だし、受け入れなよ。」
「ああ、もう!だったら志摩子のことを抱きしめたらどうです!」
紅茶を飲もうとしていた志摩子さんが驚いた表情で顔をあげる。銀杏に思いを馳せていたのだろう。ぼんやり秋の味覚の幸福を想像していたら一気に現実に引き戻されたというような感じだ。
「志摩子?考えたことなかったわ。」
「じゃ、お考えになって。それで私の『妹』には手出し無用でお願いいたします。」
「そっちを考えておくね。」
「妹」の部分を強調する祥子さん。やきもちを焼いているのが丸わかりだ。
「祐巳!あなたも暴れないの。嫌がれば嫌がるほど白薔薇様を喜ばせるだけなんだから。」
「申し訳ございません。紅薔薇様。」
ついには祐巳さんにまで怒りの矛先がむけられた。学園祭が終わったばかりからか、プロト版のシンデレラ祐巳と義姉祥子を思い出す。
「そんなに怒るなら祥子さんも祐巳さんのこと抱きしめたらいいのにね。」
隣の志摩子さんにコソッと言うと、「そうですね」と同意してくれた。
「でも、祐巳さま。祥子さまに怒られて嬉しそうですね。」
「そうね。」
祐巳さんも祥子さんの不器用な愛情表現に気づいているのだろう。どのみち、あの癇癪についていけなければ姉妹になんてなれない。ゆくゆくは現紅薔薇様の代わりに祥子さんの手綱を握っていてほしいもの。
「お姉さま。お代わりはいかがですか?」
「いただこうかな。」
カップを下げようと屈んだ際にセーラーカラーの隙間から、ネックレスがのぞいた。千尋は未だに、この細い首に自分のあげたロザリオがかけられているのを見ると心臓がキュッとなって落ち着かない気持ちになる。
今なら、ロザリオを突き返した妹たちの気持ちがわかるような気がした。
相手のことが大切だと思えば思うほど、釣り合いがとれているのか秤にかけてしまう。そして、その結果がでるのが恐ろしくて揺れる秤から自分を引いてしまうのだ。
令さんは来なかった。