日曜日。
祐巳は志摩子さんと一緒に大きな総合病院の個室を訪れていた。
受付で名前を書いて病棟を歩くと、消毒薬なのか薬なのかわからないけれど独特の匂いがする。
「お邪魔しまーす。」
「お邪魔します。」
「ああ、祐巳さん。」
由乃さんは読んでいた本を閉じてすぐに顔を上げ、花が開いたみたいに笑った。
「祐巳さんと私から。」
「ありがとう!とっても綺麗。」
志摩子さんは持参した花束を差し出した。
別々の花だけれど、黄色い花が三種類。何となくだけど清楚な印象の由乃さんによく似合う。
「由乃さん。花瓶をひとつお借りしてもいいかしら。」
「確か下の棚に空いているのがあったような。」
志摩子さんは生け花を習っているとかでお花の扱い方が上手かった。水場で花束を整えて来ると、手際よく花瓶に生けていく。
「おおー。」
祐巳と由乃さんの口から感嘆の声がもれた。
「そんなにみられたら恥ずかしいわ。」
志摩子さんはそういうけれど手元には迷いがなかった。所作が綺麗な人ってきっと彼女のような人のことを言うのだろう。
「お花屋さんに選んでもらったの。匂いのきついものは避けるとか、色々あるんだってね。鉢植えはいけないって初めて知ったわ。」
ちなみに志摩子さんは知っていた。流石である。
「ああ、『ねつく』っていうからね。私は別に気にしないけれど。」
病院という場所は命に近い所だからか、けっこう縁起を気にするらしい。言葉遊びに近い洒落はどこにでもあるから日本人特有のものなのかもしれないけれど。
「日曜日なのに、お二人ともごめんなさいね。」
「ううん。平気。」
すすめられた丸椅子に腰をかけながら、祐巳は首を横に振った。日曜日がつぶれたことより、由乃さんが「会いたい」と電話をくれたことのほうが嬉しかった。
「気になさらないで。お休みもお話しできるなんて嬉しいわ。」
志摩子さんも穏やかに笑った。
病室に個性の違う美少女たちが笑いあっている。祐巳は自分がこの空間に交じっているのは場違いなような気がしたけれど、思い直した。大変なときに、わざわざ呼んでくれた由乃さんの好意を無為にしてはいけない。
「変なの。初めて話すのが学校の外なんて。」
「学園祭で忙しかったから、落ち着いて話す暇もなかったもの。」
「志摩子さんとも薔薇の館で顔を合わせるぐらいだったものね。」
幼稚舎からリリアンに通っているのに、二人は一度も同じクラスになったことがなかった。顔を合わせるようになったのも、祐巳が薔薇の館に出入りするようになってからだ。
「どうしている?」
由乃さんの質問は主語欠けていたけど、誰を指しているのかはすぐにわかった。
「しばらくぼんやりしていたけれど、祥子さまと千尋さまに曷いれられてた。」
祐巳が答えると由乃さんの表情が明るくなった。
「流石、お二人だわ。じゃ、今は立ちなおっているのね?」
「いや、そこまでは。」
壊れたテープレコーダーみたいに無意識にあらましを語ることはなくなったけれど、まだまだショックが抜けていないように見える。祐巳が令さまの現状を説明すると、由乃さんは深くため息をついた。
「来週の土曜日にね。令ちゃん、交流試合があるの。」
「うん。」
「どうしても勝ってほしいんだ。だから、令ちゃんには多少なりとも元気を取り戻してほしかったのだけど。」
由乃さんは心配そうな声でいった。だったら、どうして元気がなくなるようなことをしたのだろう。祐巳は疑問に思いつつも由乃さんの話を全部聞くことにした。
「祐巳さん、『リリアンかわら版』読んだ?」
「由乃さんと令様の?うん、読んだけど。」
実は、その特集は後日発行の「黄薔薇革命」と銘打たれた破局騒動の号外と一緒に祐巳の鞄の中に入っている。もし、由乃さんが読みたいと言ったときのために持参してきたのだ。
「あれね。読んでいて全然不自然じゃなかった?」
「何が?」
「誤植っていうのかな。ミスプリントっていったほうが通りがいいかな。とにかくかなり大きな間違いがあるのよ、あの記事。」
祐巳はあわてて鞄の中から「リリアンかわら版」を取り出した。うっかり後日発行のかわら版もベットの上に飛びだしちゃって、由乃さんに素早く拾われてしまった。
「あまり見ない方が。」
止める志摩子さんの声も聴かずに由乃さんは目を通した。
「あら、結構大変なことになっているのね。」
ベットの上に飛びだしたかわら版は二枚。一枚は例の破局騒動。もう一枚は最新号の蕾姉妹の破局騒動に便乗した後追い破局騒動だった。紙面に載っているだけでも、十組の姉妹がリストアップされている。
しかし、これは新聞部が把握しているごく一部だから実際にはもっと多くの姉妹がさようならをしているらしい。祥子さまが呆れたように言っていた。
「って、ミスプリってどこ?」
いかんいかん。すぐに脱線するのだから。
「そうよね。誰も気づかないわよね。」
「じゃ、ただの漢字の変換ミスとかじゃないんだ。」
祐巳はよく「巳」の字を「己」とか「乙」とか色々間違えられる。ひどいときだと「祐」のしめすへんを木へんにされたこともある。
「内容よ。」
「内容?」
「内容?」
そう指摘されて、志摩子さんと再度持ってきたかわら版を読むが、やはり分からないものは分からない。隣の志摩子さんにも目線で尋ねるけれど首を横に振られた。白旗をあげて由乃さんに渡すと「全部」といった。
「全部!?」
「そう。パーソナル情報以外は全て私と令ちゃんの答えが入れ替わってるの。」
「嘘。」
そう言ったのは私と志摩子さんのどちらだったろう。いや、両方だったかもしれない。
由乃さんの答えだと愛読書「少女小説」、令さまの答えだと愛読書「剣客もの」と書いてあるのだけれど、それが反対らしい。由乃さんは証拠とばかりに読んでいた文庫本のカバーを外した。
【池波正太郎】
なんか、一気にガクンと力が抜けた。
「これ全部そうよ。」
追い打ちをかけるように、由乃さんはサイドテーブルの文庫タワーを指さした。これ全部が?
「じゃ、じゃ、由乃さんの趣味は。」
「自分じゃできないせいかな。スポーツ番組観るのが好きなの。相撲とか、野球とか、サッカーとか。オリンピックなんか最高よね。」
なんということだ。まるっきり違うではないか。
それに、もう一つの趣味欄には「編み物」と書いてあった。ということは、
「これもね。令ちゃん特製なの。」
由乃さんは着ていたカーディガンをつまんでみせた。
唖然。学校で竹刀ふるって格好いい令さまが、お家では編み棒を握っているって誰が想像できよう。絶対わからない。賭けてもいいけど、教えなければ誰もこのミスプリには気づけないと思う。流石に二年生以上の山百合会のメンバーは違和感を持つかもしれないけれど。
「私ね。令ちゃんって無理しているじゃないかって思うの。」
「無理って?」
志摩子さんが尋ねる。
「昔から私のことを騎士のように守ってくれて、その上あの容姿でしょう?みんな令ちゃんのこと男の子みたいに思ってしまっているけれど。」
内面は女の子らしい女の子ってわけだ。
祐巳は混乱していた。
話がどこにつながるのか脱線しすぎて訳わからない。
「私がいると令ちゃんが駄目になると思ったの。だから、ロザリオを返した。」
「そうだったんだ。」
由乃さんが令様のために身を引いたっていうのはあながち新聞部の妄想ではないのか、と思った。でも、由乃さんは「黄薔薇革命」の記事を手にもって全然違うと言った。
「私ってこんなに健気じゃないのよ。ただ、このままの関係が良くないって感じたから。いったん白紙に戻しましょうってだけの話なの。」
「どういうこと?」
「令ちゃんがこう言うの。由乃のために強くなるって。じゃあ、私がいなくなったらどうするのかしら。」
由乃さんは目を伏せた。
濃い睫毛が影をつくる。
「本当は令ちゃんって芯がしっかりしていて強い人なんだけれど、今は私の存在を楯にして強がっているだけ。だから、それに早く気づかないとね。」
由乃さんは前々からどうにかしたいと思っていたらしい。それには距離をとるのが一番なのだけど、生憎学校も同じなら家も隣同士。そうなると姉妹の関係を解消するしか方法がなくて。タイミングを見計らっているうちに、令様のあまりの過保護さにカッとなって勢いでロザリオを返してしまった、というわけだ。
「すごいね。由乃さんは。」
相手のことをそこまで考えて、そして実際に行動してしまうんですもの。
「令ちゃんにもっと強くなってほしいから。お荷物だけにはなりたくないわ。」
さすが座右の銘が「先手必勝」なだけあって強気な彼女。
「その代わり、令ちゃんにだけ苦しませやしない。私だって強くなるの。」
由乃さんが十分強いってこと、祐巳は話を聞いていてよくわかった。けれど、これ以上強くなるってどうするんだろう。
「私、手術することに決めたの。」
帰り道。
志摩子さんと並んでバスに揺られていた。車内は人がまばらで、2人用の座席も空いていた。
「由乃さんとあんなにおしゃべりできたのは初めてだったから嬉しいわ。」
「そうなの。」
薔薇の館には由乃さん、志摩子さんの順で入ったらしい。別クラスだし、由乃さんも体調面の都合で休みがちだからお話しする時間が少なかったそうだ。
「私も、仕事を覚えるのに忙しかったから。」
ふんわり笑う志摩子さんの様子から、忙しくても卒なくこなしたのだろうなと思った。
「千尋さまに教えてもらったの。」
「ええ」と志摩子さんは頷いた。
「令さまは部活だし、祥子さまは家の都合で春先は帰ることが多かったから、千尋さまに面倒をみていただいたのよ。」
半年ほど前の出来事を懐かしむように呟いた。
「教えていただいているうちに千尋さまのことが好きになったの?」
千尋さまは見た目はこわいけれど、性格は穏やかで優しいし。志摩子さんはそういうところに惹かれたのではないかしら。
「そうね......。きっと、そうだと思う。私が千尋さまの妹になりたいと思ったのは......そのときよ。」
千尋さまに姉妹の申し出を2回もしたという志摩子さん。
他の方からのお誘いもあったというのに、目移りしなかったのだから大した人だ。
「私も志摩子さんや由乃さんみたいに強くなる。」
そして祥子さまと素敵な姉妹になるのだ。志摩子さんは突然宣言をした祐巳を不思議そうに見つめた。
「祐巳さんも強い人よ。」
「そう?自分ではそう思わないけれど。」
「強いわ。」
志摩子さんの声にはやわらかいけれど、芯があった。だから、祐巳は(ちょっぴり)強くなろうと目標を下降修正したのだった。
「そういえば銀杏拾いはもうしたの?」
志摩子さんは答えずに、花も恥じらうような微笑みをもって肯定した。