助け合いながらささやかに生きる。
あなたといるから、ありふれた日常がこんなにうれしい。
雪が花びらのように降ってきた。
初めて会った日に咲いていたあの花のように、心につもる白い雪。
昔の恋を、思い出を、面影さえも消していく。
あなたがいなくても、生きていけるなんて。
あの頃の私は知らなかった。
いばらの森1
日が暮れるのも早くなり、マリア様のお庭に集う乙女たちも学校指定の黒いコートに襟巻をつける今日この頃。
学期末試験が近づいていた。
薔薇の館には祐巳と志摩子さんの二人っきり。
今日はとくに集まる理由がなかったのだけど、自習室が混んでいたので薔薇の館で勉強しようと思って来た。あわよくばお姉さまのお顔を見てやる気アップも狙っている。
「志摩子さんって試験に向けて特別な勉強している?」
「そうね。苦手な科目を念入りに勉強するくらいかしら。あとはお姉さまに勉強を見ていただいているわ。」
「お姉さまに勉強を見てもらうのいいな。」
志摩子さんの姉の千尋さまは入学以来、誰にも首位を明け渡したことがない。祥子さまは涼しい顔をして言っていたけど、負けず嫌いだから内心悔しがっているんだろうな、と思う。だって、千尋さまの点数を知っていそうなんだもん。毎回本人に尋ねているに違いない。
「それなら、たぶんお姉さまも薔薇の館に来るから、祐巳さんも一緒に勉強しましょう。約束はしていないから保証はできないけれど。」
「え、いいの?あ、でも申し訳ないかも。」
志摩子さんも祐巳と同じく「あわよくば」を狙っていたみたい。でも、せっかくの姉妹の団欒のときをお邪魔するのも申し訳ない。
「白薔薇さまの言う通り、祐巳さんってわかりやすいのね。大丈夫よ。」
私の考えていることはお見通しなのか、志摩子さんはコロコロ笑った。
「なら、お言葉に甘える。」
「よかった。お姉さまも喜ぶと思うわ。」
「え、なんで?」
「私もだけれど、祐巳さんのことが好きだから。」
躊躇いなく言われた「好き」という言葉にドキっとした。鼓動が早くなる祐巳のことは知らないように志摩子さんは言う。
「それに白薔薇様も祐巳さんが山百合会に出入りするようになってから大分楽しそう。私は甘えるのが下手だから。」
少しだけ苦笑する志摩子さんには申し訳ないという気持ちが表れていた。確かに志摩子さんは白薔薇様との距離が遠いように思えるときもあるけれど、それだって気になるほどじゃない。志摩子さんの気にしいなだけだと思う。
「さてと、お姉さまが来るまで勉強していましょうか。」
「あ、うん。」
取り敢えず、苦手な古典の教科書を鞄からだした。志摩子さんは日本史の教科書と大学ノートを机の上に広げている。開いたページをよく見てみると、授業の板書をうつしたものではないみたいだ。
「綺麗にまとめているのね。」
「これはね。前にお姉さまに教えていただいたの。要点だけをまとめて、試験前にも読み返せるようにって。」
祐巳のほうによせられたノートは単語を赤ペンで書いてある他に、簡単な図や表も書きこまれていてまるで小さな教科書のようだった。ところどころにふき出しで豆知識みたいな雑学が載っていて面白い。
「ここだけ字が違う。」
「それはお姉さまの字。」
恐らく、千尋さまが志摩子さんの興味のあることや好きそうなところを思い出して付け足したのだと思う。志摩子さんのお手本のように綺麗な字に寄り添う角ばった字をなぞると、千尋さまの几帳面さが伝わってくるようだった。字は性格を表すってよく言うけど、その通りだと思う。
「千尋さまって先生に向いているのかもね。」
「私も以前そう言ったのだけど、怖がらせてしまうから無理だって言うの。」
「中学生や高校生だったら大丈夫じゃない。むしろ人気の先生になりそう。」
お姉さまも先生になったら生徒からの人気が高そうだな。祥子さまが先生だったら苦手な授業でも幸せな時間になりそう。姦しくおしゃべりをしていると、トントントンと階段を登ってくる音が二つ聞こえた。
「誰だろう。」
「たぶん、千尋さまと祥子さまよ。」
志摩子さんの予想通り、祥子さまは千尋さまの開けた扉から入ってきた。その手には大きなギターケースが抱えられていて。だから鞄しか持っていない千尋さまが後ろから手を伸ばして祥子さまの代わりに扉を開けたのだろう。
「ごきげんよう。祐巳、志摩子。」
生き生きとした表情の祥子さまとは反対に千尋さまは少し憂鬱そう。どうしたのだろうと思っていると、お姉さまがギターを机の上に置いた。
「聞いて、祐巳。今度、千尋にギターを教えてもらうことになったの。」
「試験が終わったらね。」
「わかってるわよ。」
お二人の会話から察するに持っているギターは千尋さまの私物みたい。志摩子さんが台所にお茶をいれに行ったので、祐巳もお手伝いする。
「ギターって意外と重いのね。初めて持ったわ。」
「本体は軽いよ。」
千尋さまはケースからギターをだすとチューニングを始めた。もしかして今からギター教室が始まるのだろうか。ギターを構える千尋さまの姿は様になっていて、分厚い眼鏡と前髪のままでもかっこいい。
前々から思っていたのだけど千尋さまは、もっと人気がでてもいいのではないかと思う。勉強もできるし、歌も(聞いたことないけど)上手いのに、地味だと思われているのは歯痒い。そんな祐巳の思いは知らずに、千尋さまは祥子さまに尋ねる。
「取り敢えず1曲弾けばいいのね。」
「ええ。」
なるほど。薔薇の館に来るまでに祥子さまが千尋さまにリクエストしたらしい。
何がいいかな、と呟きながら千尋さまが適当に鳴らしている。今、気づいたのだけど千尋さまの手は大きくて指も長い。爪の形も整っていて綺麗だ。
「祐巳さんは何かリクエストはある?」
「へ?」
千尋さまが祐巳に尋ねた。
妹の志摩子さんを差し置いて私が答えてしまってもいいかしら。
「私よりも志摩子さんに聞いたほうが。」
「いいのよ。私は以前、聞かせていただいたから。」
志摩子さんは遠慮なさらないでというように微笑んだ。「お姉さまはたいていの曲なら弾けるのよ」とちょっぴり誇らしげに語るのが可愛らしい。
「私は詳しくないので、千尋さまの好きな曲を聞きたいです。」
「私の好きな曲かー。」
「はい、千尋さまのことをもっと知りたいですから。」
「へぇ。」
祐巳の答えに千尋さまは目を丸くすると、次の瞬間には可笑しそうに笑った。クックッと笑いを噛み殺している様子は珍しい、何かおかしなことを言ってしまったのだろうか。
「ごめんね。前にも同じようなことを言っていた人がいて。」
話しながら千尋さまは曲を決めたのか、「知らないと思うけど。」と前置きをして歌った。
>>>
白い花、白い花
彼女は月の光がみせた幻か
夢の中の淑やかな乙女よ
夜の庭にただよう深い霧
たちこめるような花の香りは
愛しい彼女の香り
白い花、白い花
窓の下では最愛の人がお前にふれる
ケガレを知らぬ月の乙女よ
白い花弁は彼女のうなじ
やわらかなひとひらは
清らかな彼女のこころ
白い花は彼女の花
いつまでも私のこころに咲きつづけて
彼女の愛した白い花よ
彼女の愛した白い花よ
>>>
「白薔薇の蕾」と呼ばれる千尋さまらしい選曲だった。ギターの調べにあわせて切々と、この世にいない想い人への思慕を訴えかけている。とてもきれいな、とても優しい声が心に染み入るようだった。この曲はCMでよく使われるから祐巳もよく知っているけれど、あらためていい曲だなと思った
「すごいです。千尋さまは歌がお上手なんですね。」
「そうでもないよ。2年には私よりももっと上手い人がいる。」
謙遜されるけど、千尋さまの歌は魅力的だと思った。興奮する祐巳の横で千尋さまはギターをケースにしまうと「息抜きはおわり」と鞄からノートと教科書をだした。
どうしてこの曲が好きだったのか聞きたかったけれど、そんな空気はなくなってしまったので次の機会にする。祥子さまも古典の教科書を鞄から出した。祐巳に合わせてくれたのかと思うと嬉しい。
千尋さまが志摩子さんが開いていた日本史のワークの或る問題をシャーペンのおしりでなぞる。どうやら解いた問題の解説をしているようだった。
「ここの年代順の並び替えは、各文の単語からその時代の執権が誰かを考えれば簡単だよ。例えばー」
志摩子さんは相槌を打ちながらノートにまとめていく。今までの試験もこんな風に二人っきりで勉強をしていたのだろうか。毎回、この熱量の勉強をしていたら志摩子さんが高得点なのにも納得できる。
「ちょっと祐巳。聞いてるの?」
「は、はい。」
それから、下校のチャイムがなるまで真面目に勉強をした。幸せな時間だった。わからない問題でもお姉さまに聞くと丁寧に教えていただけたり、同じような問題が解けると褒めてくれたりしたので、こんな勉強だったら毎日でもしたいと思う。
帰り際、千尋さまはギターを一階の物置化している部屋に置いた。
「あの、ずっと気になっていたのですが、どうしてギターを家から持ってきたのですか?」
学園祭の期間ならわかるけれど、試験も控えた今の時期に持ってくるのは不思議な感じがした。
「ああ、これは持ってきたわけじゃないよ。前から学校に置いていて。祥子に現場を差し押さえられたから薔薇の館に持ってきただけ。いつもは音楽の準備室に置いている。」
「どうして今まで遭遇しなかったのかしら。」
「怪人は歌姫の前にしか現れないからだよ。」
「ああ、そう。」
千尋さまの冗談をお姉さまが受け流す。
蕾の方々は元から仲がよかったけれど、千尋さまが呼び捨てにしてからさらに結束力が高まった感じがする。私達も来年はあんな風になれたらな、と志摩子さんのほうをチラッとみるとにこやかに微笑み返してくれた。
薔薇の館を出て、白いマリア像の前に着くと、千尋さまは私たちから離れたところでお祈りをするのを待っていた。祐巳は知らなかったけれど、白薔薇の蕾が登下校のときにお祈りをあまりしないのは有名な話らしいので、志摩子さんも祥子さまも何も気にしない。ミサには参加するらしいけど。
ホント、どれだけ周りのことに無関心だったのだろうと思う。
(あれ、でも前に聖堂であったような?)
祥子さまの妹になる前、聖堂で泣く祐巳のもとにあらわれた千尋さまは「お祈りにきた」と言っていた。前を歩く千尋さまの大きな背中を見ながら、祐巳は首を傾げていた。