雪の瞳の乙女   作:八田里

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いばらの森3

 翌日、噂はインフルエンザのごとく広がっていた。

 別クラスの由乃さんにまで噂が届いているのだから、もしこれが本物のインフルエンザだったら学級閉鎖になっていたところだった。

 

 「祐巳さん、今日のテストどうだった?」

 由乃さんがテーブルに頬杖ついて尋ねた。

 

 「だめ。勉強しようにも、白薔薇様たちのこと気になってしまって。」

 「私も。だって白薔薇様の自伝的な小説だって言われて気にしないほうが無理でしょ。しかも、一説には千尋さまによる暴露本だなんて。」

 

 三教科の試験が滞りなく済んだお昼過ぎ。用もないのに薔薇の館にやってきた祐巳と由乃さんは、人目のないことをいいことに大々的なため息をついていた。

 

 「誰もこないね。」

 「令ちゃん、じゃなくて、お姉さまは来るっていっていたけれど。」

 

 令さまから聞いたところによると、噂は一年生を中心に広まっているらしい。2,3年生は関心がないのか、現実をみているのか。薔薇様方も来るような気配はない。いつもだったら、新聞部に先手を打つためにも真っ先に動くような方々なのに。

 

 「千尋さまはいらっしゃるよね。」

 何か知らないかと思って由乃さんに尋ねた。千尋さまは令さまの同級生だから一緒に薔薇の館に来るのではないだろうか。

 

 「わからないわ。声はかけると言ったけれど、千尋さまについては根も葉もない噂が出てきちゃっているし。あれは絶対千尋さまに悪意を持っている人が流したのよ。」

 フンと鼻息荒く断言する由乃さん。

 

 「千尋さまに悪意を持つ人なんているの?」

 「探せばいると思うわよ。志摩子さんを妹にしたとき、結構な人が悔しがったって聞いたから。」

 志摩子さんが祥子さまの誘いを断って、千尋さまの妹になったことは2年生の間ではちょっとした事件だったらしい。志摩子さんはフランス人形のように可愛らしいからひそかに狙っていた人もいたのだとか。

 

 「そんなの逆恨みもいいところじゃない。」

 その人たちは志摩子さんの猛アタックの甲斐あってのことだと知らないのかしら。

 

 「はあ。」

 そろってため息をついた。

 

 こういうとき、一年生って何もできない。たかだか一年か、二年、早く生まれただけってお姉さま方は言うけれど、その一年や二年の差ってやっぱりすごく大きい。

 でも、薔薇様方は最初から薔薇様であったように思えるし、あと二年経ったところで、あの超人たちのようになれるとはとても思えない。やっぱり生まれもった資質が違うのだろう。

 

 「ん?」

 

 階段を登る鈍い音が聞こえた。この音は、

 「お姉さまかな?」

 「祥子さま?」

 修行の足りない(志摩子さんはのぞく)一年生たちは、足音にいろいろあることは理解していても、誰の音までかは把握できていなかった。この音の大きさとテンポは祐巳の姉の小笠原祥子さまのような気がするのだけれど、祐巳は自信がなかった。

 

 「誰か、いて?」

 ビスケットみたいな扉を開けて入ってきた人物は、背景に真紅の薔薇を背負っての登場(に祐巳はみえた。)

 「お、お姉さま。ごきげんよう。」

 「あら、祐巳。由乃ちゃんも。ごきげんよう。」

 いつ見ても華やかな顔、凛々しい表情。これぞまさしくお姫さまって、優雅な仕草で部屋の中に入ってきた。

 

 「すごいわ。祐巳さん。本当に祥子さまだった。」

 「何の話?」

 祥子さまが尋ねると、由乃さんは嬉々として答えた。

 

 「祐巳さん、足音で祥子さまだとわかったんです。」

 「そう。」

 素っ気ない返事だったけれど「ふふん」と嬉しそう。こんなことで喜んでくれるなら、これからはどんな些細なことでも祥子さまに関わるものだったら、何でも覚えよう。密かに祐巳は決意した。

 

 「それで?」

 祥子さまは背筋をピンと伸ばし、テーブルの上で指を組んで尋ねた。

 

 「いったい、貴女方は何をしようっていうの?」

 「はあ。」

 「何をしよう、ですか?」

 何のことか、わからず祐巳は由乃さんと顔を見合わせた。

 

 「帰ろうと思っていたら、廊下で令に呼び止められたのよ。それで、薔薇の館に行くようにって。千尋も一緒にって言うから、探したのだけど。」

 令さまは千尋さまも巻き込むつもりだったんだ。だけど、千尋さまの姿は見えない。

 

 「千尋さまは後からいらっしゃるんですか?」

 「いいえ。教室に行ったときには、もういなかったの。」

 ぐわっし、ぐわっしと階段を登る音が聞こえてきた。今度は間違いなく令さまであろう。

 

 「おそくなってごめん。」

 

 ベリーショートヘアの前髪を立たせ、黄薔薇様のようにおでこ全開で令さまは姿をあらわした。シスターにみつからないように廊下を走ってきたらしい。祥子さまは「もう少し大人しく登ってこれないの」と文句をいい、由乃さんはハンカチで令さまの額をそっと拭いた。

 

 「さて、祥子にも説明しようか。」

 人数分の紅茶をいれて、ここに集まった理由である件の白薔薇姉妹の噂について、話し始めた。祥子さまは噂について全くご存じなかったようで、聞き終えたときには眉をひそめて如何にも不機嫌そうなご様子だった。

 

 「私もコスモス文庫は全部読んでいるわけじゃないから、絶対とは言い切れないけれど、」

 と前置きしてから、令さまは言った。

 

 「それらしき話に覚えがないから、たぶん新刊なんじゃないかと思うのよ。」

 「新刊っていつ出たの?」

 状況がわかってきたらしい祥子さまが尋ねた。

 

 「今日、毎月16日発売だから。」

 「今日⁉」

 由乃と祐巳が同時に立ち上がった。

 しかし、「購買は売り切れだった」という令さまの言葉にストンと腰を戻した。うーん、由乃さんだけじゃなくて私まで行動を読まれるとは。

 

 「じゃあ、今のところ手がかりはないんですね。」

 「それがね、祐巳ちゃん。」

 令さまが「待っていました」とばかりに鞄から何かを取り出した。

 

 「あれ?」

 それは昨日蔦子さんにみせてもらった表紙とそっくりの、コスモス文庫だった。そして、文庫の頁に挟まっている「コスモス通信」というチラシを取り出して、机の上に広げた。新刊案内とか、作家の一口メモとかが載っている。

 

 「そもそも、タイトルもわからないで、どうやって探したと思った?」

 「あ。」

 令さまもご存じないのなら、どうしてその本が売り切れたとわかったのだろう。

 

 「そこで、この『コスモス通信』が登場するってわけ。新刊案内のところ、見て。数行だけど内容が紹介されているでしょう?」

 指さされた箇所に全員の視線が集中した。

 

 

>>>

 『いばらの森』作・須賀星

 学園で過ごしたその数カ月は、幻だったのだろうか。心の中のいばらの森に、セイはすべてを閉じこめた。期待の新人作家、衝撃の自伝的デビュー作。

>>>

 

 

 「なるほどね。」

 祥子さまは納得されたようだけど、祐巳には全くわからなかった。どうして、これだけの情報で「なるほど」になるのだろう。

 

 「祐巳。白薔薇様の本名を言ってみて。」

 「えっと、確か、佐藤、佐藤聖。」

 「そうよ。」

 セーフ。蕾の妹でありながら、薔薇様方の名前が言えなかったら、お姉さまになんて叱られるかわかったもんじゃない。「セイだけあってる」そのことには気がついたが、「だから、何?」って感じ。まだ根拠が弱い気がする。

 

 「シュガーセイ!」

 祐巳とは違い由乃さんは答えに辿り着けたみたい。突然ひらめいたみたいで、珍しく大声出して叫んだ。

 

 「わかったわ。須賀はきっとシュガーなのよ。祐巳さん、シュガーっていったら?」

 「砂糖?サトウ、って佐藤⁉」

 当たりというように由乃さんが手で丸をつくる。須賀でシュガー、こじつけって言われればそれまでだけど、しっくりくる。

 

 「でも、それだけで白薔薇様がその小説の作者だなんて。」

 無理やりな気がする。

 「そうね。ちょっと勇み足すぎだわ。だから、噂の出所は果たしてそのチラシだけかしら。」

 祐巳の疑問に祥子さまも同意した。

 

 「読んでいないから、まだ何とも言えないけれど。例えば、小説の内容が白薔薇様の過去と酷似しているとか。それだったら白薔薇様が「須賀星」だっていう根拠になるわけだし。」

 「あの、発売日が今日何でしょう?だったら、3、4日前から噂話していたのは変ですよね。」

 発売していなければ、詳しい内容まではわからない。それに一年生は去年の白薔薇様の身に何が起ったのかなんて、ほとんどしらないはずだった。

 

 「発売日前に手に入れる方法があるんだな、これが。」

 コスモス文庫の愛読者である令さまが、腕組みして得意げに言った。

 

 「神田あたりの、大きな書店だとね。コミックスや文庫が、発売日の三日や四日前には店頭に並んでいるんだ。」

 「じゃ、話していた方は発売日前に神田かどこかで買ってその『いばらの森』を読んだってことですか?」

 「たぶん、そうなんじゃない?学校では大っぴらに話せなくても、噂は上級生から耳にはいることだってあるだろうし。祐巳ちゃんだって、二つ三つ年上の実のお姉さんがリリアンに通っていたら、何となくでも知っていたんじゃない?」

 

 これで謎が全て解けた、というわけではないけど、手掛かりはつかめた。

 

 「でも、試験期間中だっていうのに、わざわざ神田まで行って文庫を買って、それを読んでしまうってすごいわよね。」

 由乃さんは「余裕あるのね」なんて微笑んでいるけれど、それは違うと思った。クラスメイトのそれは、余裕ではなく、つまり、

 「逃避、でしょうね。」

 令さまは、祐巳が思っていたのと同じことをズバリと言いきった。

 

 「とうひ?」

 

 不思議な言葉を耳にした、という風にお姉さまが首を傾げる。まさか、祥子さまともあろう人が「逃避」という言葉を知らないなんてことは考えられないけれど。話を進めるために祐巳が説明する。

 

 「逃避っていうのはですね。やらなければならないことがありながら、何か他のものに逃げ出してしまうって現象です。」

 「そんなことわかっているわよ。私がわからないのは、『やらなければならないこと』って何を指しているかってことよ。」

 「何か、って。」

 祥子さまをのぞく、三人が思わず顔を見合わせた。この時期にやらなければならないことって、「試験勉強」以外にあったけ?

 

 (え。それってまさか。)

 祐巳の予感はあたった。

 お姉さまは、喩えでもなんでもなく、本当に試験勉強というものを一切しないお人であったらしい。以前の勉強会はあくまでも祐巳たちのためだったようだ。「千尋も同じだって言っていたわ」だなんて、由乃さんが令さまのことを気の毒そうな顔でみていた。令さまの名誉のために弁護すると、令さまも上位にはいる成績なのだけど、こればっかりは比較対象がおかしい。

 

 「で、問題は千尋のほうなのだけど。」

 「正直、こっちのほうが性質が悪いよ。」

 令さまが厳しい表情で『コスモス通信』を睨む。

 

 「千尋は絶対白薔薇様を傷つけるようなことはしない。『いばらの森』がどんな内容かは知らないけれど、千尋は平気で他人の過去を暴けるような人ではないもの。」

 「お姉さま。」

 怒りをこらえるように握りしめられた拳に由乃さんが手を添えた。

 すでに三時をまわっていたので、四人は今日のところは解散することにした。徒歩の黄薔薇の蕾姉妹に校門で別れを告げ、祐巳はお姉さまと2人でバスで帰った。

 

 それにしても、紅、黄、とつづいて白って偶然にしては出来すぎている。この事件が終わったら、また紅に順番がきちゃうんじゃないんだろうか。なんて恐ろしいことを考えながら、やってきたバスに乗り込んだ。

 

 「本当に志摩子さんに何も知らせなくていいのですか?」

 「問題があったら教えるという形でいいわ。千尋は試験に集中しないといけない立場だから、藪蛇になったら困るもの。」

 祥子さまによれば千尋さまは特待生らしい。試験結果がものを言うのは明らかなのだからそっとしておきましょうって。なお、他の人から耳に入ってしまうのは仕方ないということだ。

 

 駅ビルの中に入っている書店によると、『いばらの森』は残り2冊でギリギリ私たちは一冊ずつ買うことができた。

 「やめておいたほうがいいかしら。」

 「え?」

 脈絡なく言われたものだから、何のことかすぐにわからず祐巳は目を瞬かせた。

 「これを読むのをやめたおいたほうがいいかしら。」

 祥子さまの手には買ったばかりの文庫本。

 わざわざ寄り道して手に入れた本を、どうして今更読むか読まないか迷ったりするのだろう。

 

 「祐巳はどう思う?」

 いつも自信満々な祥子さまが弱気になっている。

 平凡な祐巳の頭では望むような答えは出せないと思うけど、かといって無視できるほど肝は据わっていない。

 

 「私だったら、ということでよろしいでしょうか。」

 「ええ。」

 どうぞ言って、と祥子さまは祐巳の言葉を待った。

 

 「私だったら読みます。」

 「どうして?」

 「白薔薇様と千尋さまのことが好きだからです。」

 「私もよ、でも。」

 祥子さまはそこで口を噤んだ。好きだからこそ、傷つけたくない。大切だからこそ、暴いてしまうのではないかと踏みとどまってしまう。その気持ちは痛いほどわかる。

 

 「大丈夫ですよ。」

 だから、祐巳は祥子さまを勇気づけるように明るく言った。

 

 「さっき、『いばらの森』は千尋さまとは無関係だとおっしゃったじゃないですか。」

 「ええ、でも。内容がどう読んでも白薔薇さまのことだったとしたらどうするの?」

 「別に......どうとも。」

 「あなた、別にって。」

 「白薔薇様が作者だとしたら、たぶん尊敬します。記念に文庫本にサインをしてもらうかもしれない。」

 祐巳の言葉を聞いて、祥子さまはこめかみに手をあて大きなため息をつくと、やがて笑った。

 

 「そうね。」

 「あの、お姉さま?」

 祥子さまは文庫本を鞄にしまうと祐巳のタイをおもむろに直した。

 

 「あなたのそういうところ、いいわ。」

 「へ?」

 「読むだけ読んでそれから考えてみる。」

 すっきりしたって顔で整えたタイをポンポンと叩くと「ごきげんよう」といって颯爽と改札の向こうに消えていった。

 

 帰る途中で購入した問題の本、『いばらの森』は荒っぽく言えば、少女同士の禁断の愛を描いた作品だった。

 

 少しずつ心を通わせていく二人の少女。セイとシスター志望のカホリは近づけば近づくほど惹かれていく。しかし、大人たちは心配し、彼女たちを引き離そうとする。一緒に生きていけない将来に、絶望し、追い込まれた二人はクリスマスの夜に当てのない旅にでた。そして、終着駅で電車を降り、森にはいって心中を図った。

 

 だが、片方は生き残ってしまった。

 取り残された片割れ、作者のセイは自分自身より大切な物を失ってしまったことを知って号泣する、というところで話が終わる。 

 

 由乃さんから電話があったのは、夜の九時半ごろだった。

 「ごめんなさい。夜分遅く。でも、何だか誰かの意見聞きたくて。」

 「どうしたの?」

 と聞きながら、たぶん本のことだろうなって思った。そうなると、由乃さんも祐巳と同じく『いばらの森』を読んでしまったことになる。

 

 「令ちゃんがね。この件から手を引くって、私にもあまり関わってほしくないっていうの。どうしてなのかしら。」

 由乃さんの声はちょっと震えていた。

 

 「どうしてって。私にわかるわけないじゃない。由乃さんに聞きたいくらいよ。」

 「そうよね。私だけがわからないわけじゃないんだ。何だか混乱して自分の感受性に欠陥があるのかと心配しちゃった。」

 「落ち着いてよ、由乃さん。令さまが手を引くってどういうこと?試験勉強するために読むのを後回しにするとか、そういうことじゃないの?」

 「小説はね。読んだみたい。」

 「読んだの?」

 

 令さまも、こういうことにかけては我慢強くないらしい。少女小説が愛読書だから余計に気になっていたと思う。

 

 「でも、読まなかったことにするって。噂のことについても、今後一切関わりたくないって。」

 「わからないなぁ。あ、そういえば、祥子さまも何だか乗り気じゃなくなっていた。文庫本を買っていながら、読むの渋っている感じ。」

 「祥子さまも?」

 「うん。」

 二人して受話器を握りしめたまま、黙り込んでしまった。例え、令さまと祥子さまが同じ理由で消極的になっていたのだとしても、結局どうしてそういう風に変わってしまったのか、ということが全然わからなかった。

 

 「主人公のセイについてどう思った?」

 「ちょっと白薔薇様とタイプが違うように感じたかも。」

 小説のセイは可愛いからって女の子に手をだすような人に思えないし。

 「そうよね。でも、私、読んでいて思い出したことがあるの。白薔薇様って、令ちゃんの話だと昔は今みたいに砕けていなくて、ちょうどあんな感じだった気がする。」

 

 由乃さんと令さまは従姉妹でお隣同士だから、去年の山百合会の幹部連中がどんな人々なのか教えてもらったらしい、そのときの印象と入学してからの印象がだいぶ違うと言った。

 

 「白薔薇様って、あ、去年だからまだ蕾なのだけど、少し怖い人だと思っていた。だから、今年の四月、本人をみて別人かと思ったくらい。」

 あの隙さえあればすぐに抱きついてきて、祥子さまにも、よく怒られる中身おじさんのどこが怖いというのだろう。

 

 千尋さまが怖いっていうのならまだわかるけれど。あの怜悧な雰囲気は人となりを知った今でも近寄りがたさを感じる。志摩子さんが隣にいるときは中和されるから大丈夫。

 

 「でも、セイと白薔薇様が同一人物だとしたら、同級生と心中して生き残ったということになるよ。そんなことがあったら、今回の噂はもっと大きくなったはず。」

 「私も同感よ。でも、少なくとも令ちゃんや祥子さまは、あの主人公を白薔薇様だと思った。だから、あまり触れられたくないとか。」

 「そうかもしれないね。」

 

 同じ校舎で過ごしていたのだ。全てではなくとも、一年前に起きた何かを高等部一年生だった二人は知っているかもしれない。そのうえで手を引くべきだったと判断したなら、妹である自分もそれに従うべきなのだ。

 

 「でもさ。千尋さまはどの登場人物だったのかな。」

 「わからない。」

 

 もう一つの謎は、千尋さまの存在なのだ。作品の中では主人公のセイと相手のカホリは、周囲からどんどん孤立していく。しかし、現実では学園祭までに千尋さまは妹になったはずなのだから、準ずる登場人物がいても可笑しくないのだ。

 

 「それに千尋さまが書いたとも思えないような内容だった。」

 もう一つあった千尋さまによる暴露本だという噂。

 これはやっぱりデマだろう。

 

 「私たち、何をしているんだろう。」

 「ほんとに。」

 やる気は失速して墜落寸前といったところ。

 心なしか、由乃さんの声も落ち込んでいた。

 

 受話器を置いたあと、祐巳にはぼんやりわかったことがある。大好きな人が事件に巻き込まれていたら何かしたいと思うのは当然のこと。だから、文庫を読んだのだ。でも、自分のできることには限りがある。その事に今更ながら気づいて、やるせなかった。

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