蕾の妹になった順番は、令と祥子さんが同じぐらい。その後に千尋。けれど、薔薇の館に出入りするようになったのは、三人の中だと千尋が一番早い。
5月に行われた新入生歓迎会が終わってすぐに、江利子さまが教室にやってきて、唐突に言ったのだ。
「私の妹にならない?」
江利子さまは黄薔薇の蕾。その妹になるということは必然的に薔薇の館の住人になるということ。けれど、江利子さまと一緒にいるのと楽しそうだと思った。
だから、令は直観に従って了承した。
「それじゃ、薔薇の館に行きましょう。」
「えっ。」
「今日は剣道部もないでしょう?」
ロザリオを受け取ってすぐ、仲間に紹介するからと教室を連れ出された。江利子さまの手は、細くてやわらかくて少し冷たかった。いつもは前を歩くことのほうが多いから、手を引かれるのは新鮮だった。
これから会う人たち、行く場所を想像をすると臆しそうになる。高等部を取り仕切る薔薇様方とその妹たち。令も、壇上に立つ彼女らを、憧憬の想いで仰ぎ見た一人である。心の準備なんてできやしない。
けれど、しっかり握られた手の感触に、ついていきたいと思った。
「あら。」
薔薇の館の前で江利子さまが足を止めた。
「なんてことでしょう。」
少し離れたところでは紅薔薇の蕾も同じように立ち止まっていた。
薔薇の館は生徒会館のようなものだから、蕾たちが近くで出会うのは当然のこと。だから、お二人が驚いていた理由は相手ではなく、相手の連れにあった。
紅薔薇の蕾、蓉子さまの後ろには一年生がいた。
小笠原祥子。
彼女とは幼稚舎から一緒だったけれど、親しく言葉を交わした記憶はない。
物心ついたときから棒を振り回してチャンバラごっこをしていた自分とは違う、とてもきれいなお姫様。それが彼女の印象だった
「ごきげんよう。令さん」
「ごきげんよう。祥子さん。」
微笑みながら挨拶をされて、令は内心動揺していた。先ほど、黄薔薇の蕾から姉妹の申し出をされたと思ったら、今度はお姫様に話しかけられる。今日は色んなことが起こる日だなあと思いながら、初めて薔薇の館に入った。
「あら。」
「こんなことってあるのねぇ。」
「私の負けね。」
部屋に入った4人を見て、薔薇様方は目を丸くしていた。そして、部屋の中には仏頂面の白薔薇の蕾と、見覚えのある同級生の姿もあった。
「ちょっと、聖。お財布を預けるから購買でいちご牛乳を買ってきてちょうだい。」
「えー、なんで私が。」
自己紹介が済んだ後、白薔薇さまはいちご牛乳を振舞ってくれると言った。後から聞いた話によると、妹獲得レースに出遅れた白薔薇家への罰ゲームだったらしい。
「白薔薇様、私が行きます。」
ブーブーを文句を垂れる聖さまの隣で、千尋さんが申し出た。
「聖を行かせるのは絶対だから。千尋ちゃんはお茶を淹れるのをお願いね。」
「かしこまりました。」
千尋さんは頷くと、慣れた様子でお茶の支度を始めた。手伝おうとすると「今日は2人が主役だから」と断られた。
(千尋さんと話すのも久しぶりかもしれない)
千尋さんは中等部から一緒だった。
祥子さんも近寄りがたさを感じていたけれど、それは千尋さんも同じ。彼女はいつも一人だった。教室で静かに本を読んでいるか、図書館で勉強をしているか。
千尋さんは頭がよく、それが切っ掛けで山百合会にヘッドハンティングされたと噂にきいていたけれど、まさか本当だったとは。
「令さんと祥子さんは紅茶にミルクをいれる?」
「ありがとう、千尋さん。いただくわ。」
手際よく人数分淹れ終わった千尋さんが尋ねる。
茶葉からいれた紅茶は薫り高く、緊張がほぐれるような気持がした。千尋さんは給仕が終わると黄薔薇様の隣に座った。
令は紅茶を飲みながら反対側の千尋さんの様子を伺っていた。
赤い髪に牛乳瓶の底みたいに分厚い眼鏡。とびぬけて高い背は入学した時点で先生方を抜かしていたと思う。バスケ部とバレー部の子が羨ましがっていたっけ。彼女とも、同じ一年生同士、薔薇の館の交流で仲良くなれたらいいなと思った。
しばらくするとビニール袋を持った聖さまが帰ってきて、ドサッと机の上にいちご牛乳を置いた。ピンクのパックを数えて、令はおやっと思う。
「あら、数が足りないわよ。」
「ご心配なく。ちゃんと人数分ありますよ。」
そういって、聖さまは缶コーヒーを二本取り出して、一本を千尋さんの前に置いた。
「私は珈琲の気分だったの。千尋も付き合いなさい。」
ぶっきらぼうに言い捨てて聖さまは白薔薇様と紅薔薇様の間に座った。
「ありがとうございます。」
千尋さんは缶コーヒーを両手で包み込むように持つと、聖さまにお礼を言った。想像よりも穏やかな声だった。
(意外だな)
そのやり取りから、令はなんとなく千尋さんはいちご牛乳が嫌いなんだなと思った。だから、聖さまは千尋さんのために缶コーヒーを2本買ってきたのだろう。
それは他の人も気づいたようで、何も言わずに微笑ましそうに見守っていた。
そんなこんなで、令は薔薇の館の仲間入りをした。
山百合会の雑用は1年生の仕事。
私は剣道部に所属していたから、ほとんど2人に任せていた。けれど、今日は顧問の都合が悪いとかで、急に部活がなくなったので、思う存分、薔薇の館で働ける。
(お姉さまは喜んでくださるだろうか)
来ないと思っていた令が顔をだしたら、お姉さまはどんな表情をするだろうか。考えると、自然と足が速くなった。
「令が悪いということはないと思います。」
扉の向こうから祥子さんの声が聞こえた。
「じゃ、何が問題なのかしら。私たちの頭の固さ?」
「そのようなこと、申し上げていません。」
お姉さまと祥子さんがなにやら令のことでもめている。自分のことが話題にあげられて、ドアノブに置いた手が固まった。
「確かに令には多少の問題があります。でも、それは些細なことです。ね、千尋さんもそう思うでしょう?」
「確かに私もそう思うけどさ。」
部屋には千尋さんもいるみたいだった。
「ほら、千尋さんも同じ考えです。」
「ふうん。千尋ちゃんも祥子の味方をするのね。」
「令は間違っていませんから。」
文脈から推測すると、なにやら令が失態を起こしてしまって、それを2人が弁護しているみたい。しかし、令はお姉さまに責められていることよりも、他のことに気をとられた。
(呼び捨てで呼ばれた)
リリアン女学園では上級生は「さま」づけ、同級生は「さん」づけで呼ぶ伝統がある。呼び捨てにするのは親しい仲だけに許された特別な呼び方。令は自分の顔が赤くなるのを感じた。
「はいらないの?」
「うわっ。」
後ろから急に声をかけられた。
振り返ると、そこには白薔薇の蕾が立っていた。
「ご挨拶ね。このでかいチビちゃんは。」
でかいチビちゃんって、それは矛盾していないだろうか。
「あら、令。来ていたの?」
「は、はい。」
お姉さまは令を見つけると花が咲いたように笑った。動じない態度をみると、先ほどの会話は令を悪く言うたぐいのものではないらしい。根拠はないけれど、直感でそう思った。
「聖。私の可愛い妹を苛めないでくれるかしら。」
「だから、可愛がっていただけだよ。」
現にお姉さまは令が聖さまに何かされていないか心配してくれている。睨みあう二つの蕾を諫めるように白薔薇様が言った。
「令ちゃん、中に入りなさいよ。ついでに、その後ろに立っている人もね。ふふ、やっと来たわね、聖。」
「たまには顔を見せないと、契約不履行で訴えられませんからね。千尋も元気にしてた?」
「まあ、それなりに。」
聖さまは珍しくご機縁で、白薔薇様と千尋さんの間に座った。
祥子さんが書類のようなものを片付けていたので、千尋さんと一緒にお茶の支度をすることにした。
「千尋、私は珈琲でよろしく。」
「インスタントでいいですか。」
「本当は豆がいいけれど我慢しよう。」
聖さまのお願いで千尋は少し離れた棚にインスタント珈琲を取りに行った。
シュンシュン音をたてる電気ケトルを眺めなら、ふと先ほどの会話を思い出す。祥子さんと千尋さんが自分を呼び捨てにしていたのは聞き間違いであったろうか。
「ねえ、でかいチビちゃん。」
「うわっ。」
振り返ると背後霊のように佇む聖さま。
「一辺倒な驚き方だね。バリエーションないの?」
「すみません。」
体育会系のノリが骨の髄までしみ込んだ令は、どんなに理不尽なことでも反射的に謝る。
「さっきの、気になっているんでしょ。」
「さっきのって。」
今日はやけに絡んでくるなと思った。
普段は近づくなオーラをビシビシ感じるのに。
「呼び捨てにされてたよね。」
どきっと心臓がはねた。
「私も呼び捨てにさせてもらおうかな。千尋と祥子がいいなら、私だっていいでしょ。」
「......ご勝手に。」
白薔薇の蕾は不機嫌なときは傍にいると緊張するぐらい怖い。けれど、ご機嫌なときも近づいたら、それはそれで警戒が必要そうだ。玩具にされそう、と言う意味で。
「ごめんなさい、令さん。手伝うわ。」
書類の片付け終わった祥子さんが令に声をかけた。呼び方はいつも通りだ。
「あ、いいから。普段、祥子さんや千尋さんにばかり頼っているから、できるときはやらせて。」
令が答えると聖さまも横から口をだしてきた。
「心配しなくても、私が見張っているから大丈夫。それより、さっきから一人で珈琲の瓶を探している千尋の手伝いをしてあげて。」
「わかりましたわ。」
ムッとしたように祥子さんは背中を向けた。
(まだ聖さまに憑りつかれるのか)
ケトルのお湯をポットに注いで温めていると、聖さまが小声で呟いた。
「令もさ。しちゃえば?」
「何をですか。」
「呼び捨て。」
一瞬手元が狂いそうになった。
「本人のいないところで呼ぶっていうことは、本当は呼び捨てで呼び合いたいんじゃないの?」
「そうなんでしょうか。」
「令、千尋も祥子もさ。タイプは違うけど屈託なく相手を呼び捨てにできるような人間にみえる?」
令はちらっと背後の同級生を見た。
彼女たちは気づかずに話している。その姿は距離はあるけれど、親しい関係に見えた。
「羨ましい。」
ぽつりと本音がもれた。
「羨ましいなら、令もあの中にはいればいいんだよ。」
聖さまは優しく言った。
その横顔は大人びていて、二つも三つも上のように思えた。
こうしてみると、白薔薇様が顔で選んだというのも納得するくらい、この方は顔立ちが整っていると思う。
「聖さま、あとは私たちがしますから。」
「令さん、私たちも手伝うわ。」
痺れを切らした祥子さんと千尋さんが近づいてきた。聖さまは令にだけ聞こえる声で「がんばれ」と言って白薔薇様のところに戻っていった。
祥子さんと千尋さんは、令と仲良くしたいと思ってくれているのだろうか。
もしそうなら。
「さっ、祥子と千尋はさ。」
こちらから、一歩踏み込んでみよう。
先手必勝は令の好きな言葉。
潔く、体当たりでぶつかっていけば倒せない壁はないのだから。
放課後の薔薇の館。
やることがなく手持ち無沙汰になって、上級生の間で流行っているクロスワードパズルを皆でやろうということになった。
「この問題は上級者向けなのよ。」
「祥子ちゃんと千尋はやったことがあるかしら?」
白薔薇様、江利子さま、祥子さんと千尋というなかなか珍しい面子が揃っていた。
「ヒントから縦のマスと横のマスを埋めていくのよ。」
そういって江利子さまはお手本で一つ埋めてみた。
簡単なヒントもあれば、すぐにはわからない難しいヒントもある。そういうのは後回しにして先ずは埋められるところを片っ端から解いてしまおうということになった。
暇つぶしで始めたけれど、やってみると面白く、だんだんと熱が入る。一番熱中していたのは意外にも祥子さんだった。
「例が悪いということはないと思います。」
「じゃ、何が問題なのかしら。私たちの頭の固さ?」
「そのようなこと、申し上げていません。」
一見大人しそうな祥子さんがはっきり自分の考えを言うのを、江利子さまはいい玩具をみつけたと言わんばかりに弄り倒していく。わざと逆のことばかりいうものだから、祥子さんも余計に熱くなる。
「確かに例には多少の問題があります。でも、それは些細なことです。ね、千尋さんもそう思うでしょう?」
「確かに私もそう思うけどさ。」
祥子さんよりいくらか冷静だった千尋は賛成しつつも言葉を濁した。
「ほら、千尋さんも同じ考えです。」
勝ち誇った顔の祥子さんは可愛らしいと思うけど、相手が上級生だということを忘れてはいやしまいか。
「ふうん。千尋ちゃんも祥子の味方をするのね。」
「例は間違っていませんから。」
「今年の一年生は生意気だわ。」
「はいはい、江利子ちゃんも後輩で遊ぶのはそこまでにしましょうね。」
さらに祥子さんを焚きつけようとする江利子さまを白薔薇様が嗜める。すると、ようやく自分が揶揄われていたことに気づいた祥子さんが、江利子さまに詰め寄ろうとしたときだった。
「うわっ。」
「ご挨拶ね、このでかいチビちゃんは。」
振り返ると入口に聖さまと令さんが立っていた。
「あら、令。来ていたの?」
「は、はい。」
後ろから聖さまに驚かされでもしたのだろうか。
令さんは動揺しているようだった。
「聖。私の可愛い妹を苛めないでくれるかしら。」
「だから、可愛がっていただけだよ。」
江利子さまが文句を言うも、聖さまはどこ吹く風と聞き流す。
「令ちゃん、中に入りなさいよ。ついでに、その後ろに立っている人もね。ふふ、やっと来たわね、聖。」
「たまには顔を見せないと、契約不履行で訴えられませんからね。千尋も元気にしてた?」
「まあ、それなりに。」
いいことでもあったのか、いつも不機嫌そうなのに今日は機嫌がいいみたい。聖さまは白薔薇さまの隣に座るとニカっと笑った。
祥子さんがクロスワードの紙を端にまとめて片付け始めたので、令さんと一緒にお茶の支度をすることにした。パズルを解くのに真剣になって誰も紅茶を淹れようといいださなかったのだ。
「千尋、私は珈琲でよろしく。」
「インスタントでいいですか。」
「本当は豆がいいけれど我慢しよう。」
インスタント珈琲の瓶は少し離れた棚にしまわれている。お湯を沸かす令さんの横をはなれると、聖さまがそのスペースにぬるりと入ってコソコソ小声で話しかけ始めた。
(令さんと話したかったのか)
珈琲が飲みたいといったのは自然と距離をあけさせるためだろう。そう考えて千尋はわざとゆっくりインスタント珈琲の瓶を取り出した。
「ごめんなさい、令さん。手伝うわ。」
パズルを片付け終わった祥子さんが令さんに声をかけた。
「あ、いいから。普段、祥子さんや千尋さんにばかり頼っているから、できるときはやらせて。」
令さんが答えると聖さまも横から口をだしてきた。
「心配しなくても、私が見張っているから大丈夫。それより、さっきから一人で珈琲の瓶を探している千尋の手伝いをしてあげて。」
「わかりましたわ。」
ムッとしたように、祥子さんが千尋のそばに寄ってきた。
「千尋さん、インスタント珈琲は見つかりそうかしら?」
「うん。見つけた。」
「せっかくだからとびっきり濃いものをお出ししましょう。」
「仰せのままに。」
聖さまも用事が済んだのか、単に飽きたのか、令さんを揶揄うのをやめて手元のティーポットにお湯を注ぐところを後ろからジーっと眺めていた。
本当に見張っているのか。
あれだといくら令さんでも淹れづらいだろう。
「聖さま、あとは私たちがしますから。」
「令さん、私たちも手伝うわ。」
令さんが取り出してくれたティーカップを並べていると、令さんが言った。
「さっ、祥子と千尋はさ。」
脈絡なく突然呼び捨てにされて驚く千尋とは対照的に祥子さんは冷静だった。
「なにかしら?」
「えっと、あの、なんだっけ?」
令さんが動揺している。
耳まで真っ赤にしてあたふたとしている。恐らく、呼び捨てにするために集中した結果、肝心の質問の中身を度忘れしたのだろう。
私たちは中等部からリリアンだったから、顔は知っているし、名前も知っているし、クラスメイトになったこともある。千尋はあまり人と深く関わってこなかったので、一緒に遊んだ思い出はないけれど。
(そういえば交流らしい会話もなかったな)
それは祥子さんも同じで、だから私たちは薔薇の館で蕾の妹として通うようになってからも「さん」づけで呼びあっていた。
「私はね。」
祥子さんが口を開いた。
「紅茶のお茶請けに、紅茶のクッキーはどうかと思うわ。」
「え?」
令さんが赤い顔のまま祥子さんを見た。
「では、珈琲ならいいのかって問われれば、それも微妙ね。緑茶は論外。合うはずがないわ。」
今日は薔薇の館にはお菓子の準備はない。もちろん、紅茶のクッキーも。だから祥子さんの話は仮定の話。取り留めのない無駄話。
「じゃ、何ならいいと思う?」
令さんが尋ねた。
祥子さんは少しだけ間をあけて呟いた。
「ホットミルク。」
「ああ、ホットミルク。」
令さんは納得したように頷いた。
「令は?」
自然に祥子さんは令さんを呼び捨てにした。
「祥子の意見に乗っかっていい?」
今度の「祥子」は、はっきりしていた。
「そう。千尋は?」
祥子さんは千尋にも尋ねた。
「私もホットミルクがいいと思う。っていうか、それ以上のものはないんじゃない?」
「じゃ、決定ね。」
三人のやり取りを聞いていたお姉さまたちが「どういう話で盛り上がっているのよ」とクスクス笑っていた。聖さまなんて、何がツボだったのか普段の気難しい様子は嘘のように大笑いしていた。
(ああ、だけど)
楽しそうに話す祥子さんと令さんをぼんやりと眺めながら、千尋は思った。呼び捨てにされても厭な気持にはならなかった。
けれど、千尋から二人を呼び捨てにするのは違う気がした。