雪の瞳の乙女   作:八田里

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怪人が誕生するまで4

 「千尋。この歌を練習しておいて。」

 終業式の日に白薔薇様から複数の楽譜を受け取った。

 

 「何ですか?」

 それはミュージカル『オペラ座の怪人』の楽曲だった。舞台は見たことが無くても歌は聞いた事がある。

 

 「他言無用で頼むのだけど、今年の山百合会の発表はミュージカルをやりたいと思っているのよ。」

 「そういえば花寺の会長は白薔薇様と同門の方なんですよね。」

 「そうよ。実はずっと前から考えていたの。紅薔薇様と黄薔薇様の承諾はもらっているわ。」

 ミュージカルとなれば演者に求められるものが多いだろうし、衣装や小道具のことを考えると今ぐらいから根回ししないと間に合わないのだろう。

 

 「では、私はここのコーラスを練習すればいいんですね?」

 「違うわ。メインよ。」

 「え?」

 驚きのあまり失礼な返事をしてしまった。

 

 「怪人の役を千尋にお願いしたいのよ。」

 「かいじん?」

 白薔薇様が何を言っているのかわからなかった。ただの生徒が薔薇様方を差し置いて主役級の役どころにつく?顰蹙をかうどころか村八分になる。

 

 「お考え下さい。もし、私が白薔薇様と同じく声楽を習っていたり、合唱部の一員だったら百歩譲って受け入れられたかもしれません。しかし、私はただのお手伝いです。皆が楽しみにしている薔薇の館の方々の発表で一般生徒が薔薇様方を差し置いて目立つのはいくらなんでも。」

 「千尋は私と歌いたくないの?」

 白薔薇様の言葉に黙ってしまう。

 

 「、、、それは。」

 「まあ、そこで言いよどむあたりで答えは決まっているわよね。」

 私と白薔薇様は一年しか同じ校舎に通えない。そして、三回ある高等部の学園祭で白薔薇様と被るのは今年だけだ。少しでも思い出が欲しいと思うのは仕方ないだろう。

 

 「でも、目立つのは嫌です。」

 「そういうと思ったわ。でも、舞台にあがるかは別にして千尋とこの曲を歌いたいわ。」

 白薔薇様は手に持った楽譜を指さして微笑んだ。無垢な子どものような笑顔。これだけで流されそうになるのだから、私は一生この人に頭が上がらないのだろうなと思う。

 

 「わかりました。取り敢えず練習はします。」

 「ありがとう。さすが千尋ね。」

 私の返事は、この人の中では既に決まっていたみたいだ。

 

 「ふあぁ」

 草刈りの最中だというのに、大きな欠伸が出てしまった。お昼ご飯を食べたあとで、気がぬけてしまったみたい。

 

 「休憩にしましょうか?」

 「大丈夫。」

 ビニール袋を片手に志摩子ちゃんが尋ねてきた。

 街行く人が振り返りそうな清楚な美少女が、千尋と同じように軍手をつけて庭の草むしりをしている。

 

 「でも、どこかお疲れのように見えます。」

 「なんというか、文化祭の劇で現実でもできている恋人に横恋慕するから気まずくて。」

 志摩子ちゃんの頬が赤くなった。大人びてみえるけれど、こういうところは年ごろの娘さんらしい。

 

 「それは周りの目を気にされて、ということですか。」

 「いいや、周りは関係なくて。ただ、気まずいってだけで。」

 「嘘でも割り込むのが辛いということですね。」

 「相変わらず察しが良いね。」

 この子の十分の一の機微でもいいから、千尋も身につけたいものだ。

 

 「私も日にちが合えば見てみたかったです。」

 志摩子ちゃんは学園祭には来ない予定だ。ちょうど翌日に日舞の発表会を控えているらしくリハーサルがあるそう。

 

 「千尋さんが舞台に立っている姿は格好いいと思いますから。」

 「そうでもないと思うよ。」

 志摩子ちゃんの言葉に曖昧に笑う。普段は顔がわからないくらいに分厚い前髪を垂らしているのが、デフォルトなのだから。

 

 「それに学園では私と仲良くしないほうがいい」

 「どうしてですか?」

 「どうしてもよ。私の話は終わり。早く終わらせましょう。」

 無心で鎌をふるっていると、おばさまが「おやつよ」と台所から現れた。時計をみると午後三時だった。

 

 「お疲れさま。カステラを切ったから、千尋ちゃんも食べて。」

 「いいんですか。ありがとうございます。」

 井戸で手を洗って縁側に座る。

 汗でベタつく火照った肌にそよ風が心地よい。

 

 「あ、このカステラ、ザラメがついてる。」

 底のジャリジャリしたところが好き。

 笑い声がして顔をあげると、志摩子ちゃんが口元に手をやって微笑んでいた。

 

 「昔から好きでしたよね。」

 「恥ずかしいなぁ。」

 ふふふと笑う志摩子ちゃんのほうがよっぽどいい顔をしていると思う。

 

 「そういえば、志摩子ちゃんはそのままリリアンに持ち上がり?」

 「はい。そのつもりです。」

 志摩子ちゃんの成績なら問題ないと思う。

 中等部と高等部の制服はあまり変わらないけれど、高等部になるとタイの色が白になる。清純な志摩子ちゃんには爽やかな白いタイがよく似合うだろう。

 

 「私も志摩子ちゃんの発表会を見に行きたかったなぁ。」

 「私なんてまだまだです。」

 そう言いながら、お茶を注いだり、お皿を下げたり、何気ない動きに優雅さと気品がある。それでいて成績もいいのだから、これは山百合会の幹部連中が放っておかないと思う。大方、祥子さんの妹におさまるだろうな。令さんは先約があるって言ってるし。そうなると私だけが妹探しに難航するのか。

 

 「演目は何を踊るの?」

 「『鷺娘』です。」

 「ああ、振袖で踊る。」

 「そうです。よくご存じですね。」

 

 「鷺娘」は鷺の精が娘に変身し、恋の口説きを見せたり傘をつかって舞う演目だ。最後が強烈で、鷺の姿にもどると地獄で責め苦にあう様子を舞で表現する。ちなみに鷺が息絶える振付はバレエの「瀕死の白鳥」から輸入されているらしい。

 

 「私は「恋」をしたことが、まだありません。学校も女子校ですから。だからお稽古中は無心になって踊っています。でも、ふと思うんです。私も誰かに恋することがあるのかと。」

 

 彼女はシスターになりたいと願うほど、信仰心が強い。だから、その気持ちが変わらないかぎり「恋」をすることはないのではないかと思う。でも、志摩子ちゃんはこうつづけた。

 

 「お能や唄だと「恋」は妄執だとよく言われます。だとしたら、「恋」をしたことのない私には知らない試練があると思うのです。いつか父は修道院に入ることを『もっと宗教のなんたるかを学んでから決めるべきだ』だと言いました。そして、千尋さんから『ご両親の話を聞きなさい』と言いました。」

 「志摩子ちゃんがまだ小学生のときだっけ。」

 12歳にして修道院に入りたいと願う娘に、視野を広げるためにも話をしてくれないかとおじさまに頼まれて両親のことを話した。もちろん濁したところもあるけれど、神父であっても心変わりすることはあるのだという一つの例で。

 

 「宗教に人生を捧げることがどういうことか。ようやく、その難しさが私にもわかってきたような気がするのです。」

 遠くを見据えながら話す志摩子ちゃんの横顔は、年下とは思えないほど老成した雰囲気を漂わせている気がした。でも、ちょっと真面目に考えすぎなのではないか。

 

 「志摩子ちゃんは「恋」に浮かれるといったことはなさそうですね。」

 「千尋さんは「恋」したことがあるのですか?」

 揶揄うつもりで言ったら、正面から切り返されてしまった。まごついていると志摩子ちゃんはコロコロと笑った。

 

 「是非、ご教授いただきたいです。」

 「うーん。」

 どう答えようかと考えていると、障子を揺らすのではないかと思うほど大きな声が廊下から聞こえてきた。

 

 「おお、2人ともご苦労さま。しかし、今日も熱いなぁ。」

 ナイスタイミング!

 疲れた、疲れたといいながら住職が部屋にはいってきた。そのままドカッと座って、志摩子ちゃんに冷たいお茶を頼む。おかげで話が中断された。心の中でおじさまに合掌する。

 

 「母さんから、最近、忙しいと聞いたぞ。飯はちゃんと食ってるか?」

 「はい。」

 「そうか?少し痩せたんじゃないか?」

 「心配しすぎですよ、おじさま。」

 ただの居候なのに、おじさまは何かとこうして親戚の子のように何かと気にかけてくれる。

 

 「心配しすぎて何が悪い。大人はな、見えないところの子どものことほど気にかけてしまうもんなんだよ。」

 「お父様、千尋さんも困ってしまうでしょう。」

 「わしは良かれと思ってだな。」

 志摩子ちゃんは人数分の冷たい麦茶を置きながら、おじさまの反論を次々とやり込めていく。

 彼女は大人しそうな外見に反して、芯が強い。立場を追いやられてへなへなのおじさまと、優しい口調で追い詰めていく志摩子ちゃんは傍から見ていると微笑ましい。

 

 この家は、あたたかくて居心地がいい。それは住んでいる人がやさしい人ばかりだからだろうか。

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