「もっと優雅に。」
3拍子に合わせて目の前の志摩子さんをリードする。ダンスを覚えるのは2年生からだから山百合会の1年生組には教えなくてはいけない。志摩子さんは日本舞踊をやっているからか振りを覚えるのは得意なようだ。
「そろそろ私たちも音楽に合わせてみようか。次の曲からはいるよ。」
「はい。お姉さま。」
細い腰に手を添える。
折れないように優しく包み込むように。
志摩子さんも私の肩に手を置いた。ふわりと花の匂いがする。銀杏が好きなクセにいい匂いをさせるとは、美少女はズルい。
身を寄せ合うと胸が触れてしまったり、志摩子さんの柔らかなクセっ毛が頬にふれてくすぐったい。ワルツが当初破廉恥だと言われたのも納得してしまう。
「いいよ。その調子。」
紅薔薇様曰く、姉とは妹を導くもの。
ならばダンスのリードだって余裕でこなしてみせようぞ。
「あ。」
たとえ、足を踏まれたとしても。
「申し訳ございません。」
「大丈夫。痛くないから落ち着いて。はい、一、二、三、一、二、三。」
口でリズムをとりながら踊り始める。暫くすると志摩子さんの足取りも安定してきた。来年の授業ではこの子は誰と踊るのだろう。そんなことを考えながら楽しそうな志摩子さんをリードした。
曲が終わって、壁際にはける。
どうやら祐巳さんは白薔薇様にワルツを教えてもらっているらしい。アタフタする祐巳さん相手にニンマリ笑っている。あの方は中身が親父でいらっしゃるから、若い子と触れ合えて嬉しいのだろう。
「ちゅうもーく!」
「わわっ!?」
やがて、体育館の視線が、新顔の彼女にむけられていることに気づくと、お姉さまは片手をあげて皆に祐巳さんのことを紹介した。
「祐巳さん完全に振り回されているね。」
「そうですね。」
祐巳さんは王子の代役の令さんと踊るようだ。ひどく緊張した面持ちでフロアに歩いていく。私からすれば令さんはただの同級生なのだけれど、少し前まで山百合会と全く関係のなかった彼女からしてみれば、アイドルの手をとるようなものなのかもしれない。
好奇の目が二人に集中する。今、福沢祐巳さんは学園の中で最も注目されている生徒の一人。その一挙手一投足に関心を寄せられることは自然なことだ。
三薔薇様は全校生徒の憧れの象徴。そして、その妹である蕾たちも次期薔薇様候補として敬われている。完全な世襲制ではないけれど、それに近いのだから。現在残っている席は、紅薔薇の蕾の妹だけ。ようやく9人が揃うか否かという意味もあるのだろう。
「シンデレラみたいですね。」
祐巳さんを眺めながら、志摩子さんはポツリと呟いた。
「なんだか、今の祐巳さんの状況がまさにシンデレラのようで。」
「そうだね。」
まだ蕾でもない未熟な彼女。
どうか、周囲の思惑にへこたれずに頑張って欲しいと思う。
「お姉さま、次も私とお相手ください。」
「張り切っているね。」
「はい。私も祐巳さんを見習って誠心誠意務めます。」
祐巳さんといい志摩子さんといい、どうしてこうも健気なのだろう。私にもこんな時期があっただろうか。チラと白薔薇様のほうを見ると壁に背を預けたまま手を振ってきた。どうやら今日は練習に参加しないつもりらしい。まあ、いつものことだけど。この場にいることさえ珍しいと感じるのは白薔薇としてどうなのだろう。
でも、仕方がない。
それがあの方なのだから。
白薔薇ロサ・ギガンティアの花ことばは「自由な心」
私などの手におえる人でないのは、とっくの昔に知っている。
放課後。
「あれ、どうしたの?祐巳さん。」
お聖堂でイエス様を見上げる祐巳さんと出会った。他人の御祈りの最中に声をかけるなんてご法度なのだけれど、後姿が哀愁を漂わせていて、放っておけなかった。
「ごきげんよう。白薔薇の蕾さま。」
いつもの溌剌とした雰囲気がなりを潜めて、アンニュイな空気を纏っている。退屈なときの黄薔薇様のようだった。
「私はここにお祈りにきたのだけど祐巳さんも?」
「白薔薇の蕾姉妹はそろって信心深いんですね。私は少し一人になりたくて。」
私は別にクリスチャンではないのだけど、話の腰を折らないように尋ねた。
「新聞部?」
「それもそうですが、クラスメイトの皆さんも。」
そういって祐巳さんは力なく笑った。
リリアンの生徒はお嬢様ばかりといえど、いや、だからなのか噂話が好きだ。それは閉鎖的な環境ゆえのものでもあるだろう。高等部にあがってから注目される立場におかれたからわかる。
けれど、千尋には心構えをつくる時間はあった。突然舞台にあげられた祐巳さんの心労は並みの事ではないだろう。
「逃がしてあげようか。」
ハッとした表情で祐巳さんが見上げた。
「そもそも貴女は今回の騒動に巻き込まれた被害者。今からでも貴女が無理だといえば、私は全力で貴女を逃がしてあげるよ。」
「......いいえ。ありがたいですが、それには及びません。」
ポツリ、ポツリ、祐巳さんは語り始めた。
「さっき、クラスメイトに聞かれたんです。祥子さまの申し出を受けるのかって。」
つぶらな瞳に涙が浮かんだ。
祐巳さんの瞳は日本人に多い茶色の瞳。色の薄い志摩子さんのものや、千尋とは異なる親しみやすい色だ。
「嬉しくないわけではないのです。私はずっと祥子さまのことが好きで、どんなことがあっても好きで、嫌いになれるはずがありません。でも、受けられないんです。」
「どうして?」
肩が小刻みに震えているのがわかった。思っていることをすべて吐き出してしまえばいい。これ聞くのは彼女を巻き込んでしまったことをよしとした私たちの義務なのだから。
「そんなの決まっているじゃないですか。たまたまぶつかっただけの一年生に妹を申し込むなんて、そんな誰でもいいと言わんばかりの行動を祥子さまにとってほしくなかったんです。」
ホロホロと泣く祐巳さんにハンカチを差し出す。拭ったりなんかしない。それは他の人の役割だから。
「祐巳さんは本当に祥子さんが大好きなんだね。」
「......千尋さまも、志摩子さんと同じことを言うんですね。姉妹だから、似るのかな。」
「違うよ。祐巳さんが純粋に祥子さんを慕っているから。周りにもわかるんだよ。」
祐巳さんは顔を両手で覆って泣き始めた。
「どうして、千尋さまは志摩子さんの申し出を受けたのですか。」
「どうして、か。」
志摩子さんはどこまで話したのだろう。
「わからない。」
「え。」
「理由があったような気がするし、なかった気もする。」
私は祐巳さんの視線を感じながら、イエス様の前で手を合わせた。
このイエス様でも、オリーブ山で死にたくないと神に祈った。けれども、最後は全てを受け入れた。なぜなら、彼は神様を信じていて、愛していたから。
「確かなのは、私にとって志摩子さんは大事な人だということだけ。」
どんなに拒んでも、志摩子さんが必要だというのなら、千尋は断ることはできないのだ。私は組んでいた指を解いて、祐巳さんに向き直った。
「それに、あんなに可愛い子がずっと独り身っていうのも何だかね。」
「千尋さまも志摩子さんのことが好きなんですね。」
私ってそんなに淡白にみえるのだろうか。
「誰だって好きではない相手とは姉妹にならないよ。」
そう千尋が答えると、祐巳さんはハッとした顔になった。
さて、ここから先は彼女自身で折り合いをつける問題。暫くしてから薔薇の館に来なさい、といってお御堂を出た。
「千尋も私のことが好きなのかしら。」
「白薔薇様。」
途中で扉の軋む音がしたが、それは白薔薇様だったのか。薄ら笑いを浮かべながら近づいてくる。
「ねえ、貴女も去年の学園祭のときは逃げたかった?」
「いえ、プレッシャーは感じましたがそんなことは全く。」
白薔薇様の指先がタイの結び目に突き付けられる。
「ごめんね。逃がしてあげられなくて。」
私はその言葉を聞かなかったことにした。
「たまには一緒に薔薇の館に行こうか。」
「はい、白薔薇様。」
影の落ちる長い睫毛に、彫りの深い端整な顔。見慣れているけれど、こうしてつくづく眺めると彫刻のように美しい人だなと思う。こんなに綺麗な人が姉だなんていまだに信じられない。
白薔薇様と薔薇の館で珈琲を飲んでいると落ち着いたのか祐巳さんがやって来た。
「あれ、聖様だけですか?」
「あっちに千尋もいるよ。」
「あ、申し訳ございません。」
「そこからだと見えないよね。祐巳さんも珈琲でいいかな?」
慌てて頭を下げた拍子にツインテールも元気よく揺れる。
志摩子さんの言う通り、小動物みたいで微笑ましい子だ。
「私がやります。」
「いいんだよ。それよりも白薔薇様がうずうずしているからお相手してあげて。」
祐巳さんを白薔薇様の隣の席に座らせる。
「よしよし。関心だね。お迎えなしでこられたか。」
「幼稚園児ですか、私は。」
白薔薇様にグリグリと頭を撫でられて、ちょっぴりむくれる祐巳さん。
「ちょっと早すぎちゃったみたいですね。」
「気にしない。気にしない。ほら、千尋のいれた珈琲は美味しいよ。豆から挽いてくれる。」
珈琲にうるさい白薔薇様のために薔薇の館にミルとフレンチプレスが置いてある。豆は白薔薇様が持ってきたお高いブルーマウンテン。紅茶党の人が過半数なので消費するのはもっぱら白薔薇ファミリーだけど。
「千尋さま、ありがとうございます。」
「熱いから気を付けてね。」
祐巳さんの前に珈琲のはいったカップと砂糖とミルクをおく。たぶん、ブラックでは飲まないだろうと思っての事。
予想通り、祐巳さんはミルクと砂糖たっぷりの甘いカフェオレにしている。
「なんだ、まだロザリオを受け取ってないのか。」
ヒョイと白薔薇様がコーヒーを飲む祐巳さんの制服の衿を引っ張る。こぼしそうになった祐巳さんが非難の声をあげた。いくらリリアンの制服がカラスみたいな暗い色だとしても、コーヒーのシミは目立つ。
「祥子もなー。1日1回はロザリオを出すぐらいしないとね。」
「聖様は千尋さまにそうしたんですか?」
「するわけないじゃん一発よ。」
人差し指を立てて白薔薇さまは答える。
祐巳さんがこちらを向く。
期待に満ちたキラキラした目をしているけれど、そんなに夢のある話ではないんだけどね。
「もともと山百合会にお手伝いで出入りしていてね。ちょうど白薔薇の蕾の妹があいていたからそこに収まったってだけだよ。」
他にも色々あったのだけど、わざわざ教えなくていい。
「だって、やる気ある学年1位の秀才が山百合会に入りたいとなればそれはねぇ。」
「政略結婚みたいなところがありましたね。」
だからね、と白薔薇さまは祐巳さんに言った。
「姉妹になる理由に正解なんてないの。どちらか申し出て、もう一方が受け入れる。それで成立するのよ。」
「そうですね。白薔薇さまの仰る通りです。」
十組あったら十通りの姉妹の在り方がある。
白薔薇の言葉に祐巳さんは納得されたようで、それ以上のことは聞かなかった。でも、思う所はあるらしくてグルグル表情が変わっている。
「また、百面相をしてる!」
「ちょ、聖様!」
ふざけた白薔薇さまが祐巳さんに抱きついたその時、
「随分、賑やかですね。階段まで声が聞こえてきたわ。」
ドアが軋む音がするほうを見やると、冷ややかな目が私達に向けられる。祥子さん、潔癖なところがあるから白薔薇さまみたいな戯れがお嫌いなのだろう。
「やきもちかな?」
不敵に笑った白薔薇様は祐巳さんのことをさらに強く抱きしめたらしく、「ぐえ」と怪獣のような声が祐巳さんから漏れた。
「よくも妹の前でそんなことができますね。」
「大丈夫だよ、祥子さん。むしろ申し訳ないけど相手をしてもらって助かってる。」
サラッと流すと一瞬だけ白薔薇様の顔が強張ったような気がした。あくまでも、そんな気がしたってだけで、すぐにもとのニヤケ顔にもどると祥子さんのことを揶揄った。
「そうそう。それにサービスしたんだよ。祥子がはいってくるのが見えたから。」
悪びれもせずに、白薔薇さまは言う。サービスって。これは、来るぞ。
「サービスですって?」
想像したとおりに祥子さんの米神がピクピク動き出した。
白薔薇様が「がんばれ。」と言って祐巳さんを祥子さんのほうに押し出した。よろめいた祐巳さんを祥子さんが抱きとめる。
「さーて、私は1階の様子でも見てくるかな。」
「私もご一緒しますね。」
祐巳さんを生け贄に私達は避難する。あまり似ていない姉妹と言われるけれど、こういうときは息が合う。縋るような視線が突き刺さるが無視。許せ、祐巳さん。
「冗談も過ぎると本気で嫌われますよ。」
部屋を出た後、ジト目で隣を睨む。先ほどの茶番はおおかた祥子さんの嫉妬心を煽るのが目的だったのだろう。食えない人だ。
「貴女に?」
「祥子さんにです。」
どこまでも惚ける白薔薇様にため息が隠せない。
「私たちの馴れ初めは今の1年生も知っていると思ったのだけど、案外、皆口が固いのね。」
「山百合会の憧れを汚すような話を聞かせたくないのでは......私はあの選択に後悔なんてしておりませんが。」
山百合会に所属したい私と仕事をしてくれる妹が欲しかった聖さまはある意味お似合いだった。
聖さまがくれたのは白薔薇の蕾の恩恵だけ。私も本来の姉妹としての情は望まなかったし、求めてもいない。それで今まで続いているのだからいいだろうと思っている。
「少し外の空気を吸ってまいります。」
シンと張り詰めた空気のなか、先に目をそらしたのは私のほうだった。
冷たい空気を胸一杯に吸い込む。火照った身体に気持ちがいい。
ぼんやりと一年前のことを思い出す。無知で純粋で、残酷なまでに無垢だったあの頃を。皆、千尋は悪くないと言うけれど、そうではないことを自分だけが知っている。
落ちたばかりの銀杏の黄色い葉が二三枚、道に散った。
高校に入ってから二度目の秋が学園祭とともに終わる。そうすれば、冬になって新年をむかえて、次の世代にバトンが引き継がれる。私たちはバトンを受け取り、そして送りださなければならない。
でも、ふと思う。
そもそも白薔薇様は私の見送りが必要だろうか。白薔薇様は私のことをよく思っていないはず。妹にしたのだって他に選ぶのが面倒だっただけだと思う。
白薔薇様には愛した方がいた。でも、その人は妹になることを望んでいなかったから代わりがなった。それだけのこと。それだけのことなのだ。