雪の瞳の乙女   作:八田里

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怪人が誕生するまで5

 音楽室から響く、歌声。

 それから、誰かの叱責。

 外を通る人は一瞬、足をとめて、いつものことかと通りすぎていく。

 

 「貴女の歌、機械が歌っているみたいで面白くないわね。」

 CDを止めて、静がため息をつく。机をコツコツ指先で叩いているところをみると、相当重傷らしい。

 

 静は合唱部のエースで白薔薇様と同じく声楽を学んでいるらしい。多忙な三年生に代わり部活のない放課後や早朝の練習に付き合ってもらっていた。

 

 「私も歌うから、デュエットを歌ってみましょう。会話みたいなほうが彩りがつけやすいかもしれないから。」

 そう言って、静は楽譜を渡してきた。再会したラウルとクリスティーヌが歌う曲で恋人たちが愛を確かめ合うシーンだ。

 

 「でも、この歌はラウルが歌うものでしょ。」

 「ちゃんとしたミュージカルならこの歌のメロディーを怪人が歌うこともあるの。それとも歌えない?」

 「いや、歌える。」

 素人にはわからない理屈で静は練習を進めた。私はそんなものかと考えて歌い始めた。伸びやかな静の声と違い、たどたどしく拙い歌声。私の声は恥ずかしさでどんどん小さくなっていた。伴奏が止められた。

 

 「ねえ、真剣にやってるの。」

 「真剣だよ。だからこそ、恥ずかしくて。」

 「せめて声はだしなさい。」

 子どものような言い訳に彼女は呆れている。

 

 舞台を成功させるぞと決意したというのに何という体たらく。

 

 原作の『オペラ座の怪人』は読んで、難しいことを引き受けてしまったと思った。愛を知らない怪人がクリスティーヌに恋をし、無償の愛を知る。その過程に自分と白薔薇様を重ねてしまった。

 

 だから歌うのが恥ずかしい。まるで詞が、自分の気持ちを代弁しているようで話すとぎこちなくなってしまう。そうなってしまうのは、私の中に未だに下心が残っている証拠。潔く割り切れないのが情けない。

 

 静との練習のあと、あまりの情けなさに一人になりたくなった。もともと友人が少ないからいつも一人のようなものだけど。

 

 校舎の裏で、建物の間を流れる雲をみているとこのまま千尋の身体が浮かび上がって空に融けていくところを想像した。一時でいいから、身軽になりたい。

 

 「こんなところにいた。」

 「白薔薇様。」

 「落ち込んでいるの?」

 図星をさされてぐうの音もでない。おまけに逃避したくなっていたなんて、尊敬する白薔薇様には口が裂けても言えない。

 

 「ねえ、千尋。あなた、陰でなんて呼ばれているか知ってる?」

 

 白薔薇様は時々、こうして試すようなことを尋ねる。聖様と今更普通の姉妹みたいになることができないことも白薔薇様はご存じのはずで、白薔薇様の質問の意図がわからなくて困っている。

 

 「確か、怪人でしたっけ?」

 「それは劇でやっているからでしょ?」

 惚けてみせるが、もちろん白薔薇様が何を言いたいのかわかっている。

 

 「ユダでしたっけ?」

 

 無論タダイではなくイスカリオテのほうのユダだ。千尋に不満な方々は、妹になった背景を野心的だと攻撃することにしたらしい。

 この場合、イエスは誰を指すのだろうか。おおかた、そこまで深く考えてはいないだろう。聖書で野心的と言えば「ユダ」の名前が真っ先に思い浮かんだだけだと思う。

 

 「白薔薇様、貴女もそう思いますか?」

 

 白薔薇様は何も答えない。ただ微笑んだままジッと見つめてくる。

 つくづくこうして眺めると、本当に美しい方だと思う。心の底まで見透かすような澄んだ瞳は、しかし、大事なものには気づいてくれない。

 

 「周りにどう思われても構いません。でも、貴女にだけはそう思ってほしくないですね。」

 

 白薔薇様は千尋にとって太陽のような存在だ。

 

 眩しすぎて辛くなる。多くの人に慕われて、私の暗い心も照らしてくれた。その背中に追いつきたくて、近づきたくて、でも追いつけなくて。藻掻きながら頑張っている。

 私とあなたの間にあるのはただの先輩と後輩の関係だけで「特別」なんてないのかもしれない。だけど、わざわざ振り回すことなんかしないでほしい。「恋」が終わったあとでも、私は変わらず白薔薇様を尊敬しているのだから。

 

 「バカね。けしかけた張本人がそう思うわけないでしょ。」

 白薔薇様は千尋の頭をクシャクシャっと撫でると隣に座った。

 

 『エリック。怖がらずに顔を見せて。』

 唐突に、白薔薇様は自分の台詞を口にした。

 『、、、クリスティーヌ。』

 『さっきは驚いただけ。あなたの顔は怖くないわ。』

 

 確か、この場面は怪人が初めて醜い姿を晒したとき。怪人は歌姫の言葉を信じて、受けいれられたと、愛されていると誤解するのだ。

 

 「私も貴女の言葉を盲目的に信じろと?」

 「そうよ。貴女は私を信じて楽しめばいいの。上手くやろうなんて考えずにね。」

 白薔薇さまは私の手を強く握ってくれた。

 小さくて熱い手。

 それがどれほど嬉しく、そしてどれほど私を傷つけるものであるのか、私も知らなかった訳ではない。けれど、あの向日葵のように輝く笑顔が私だけに向けられているのだ。

 「信じます。」

 「ありがとう。さあ、今日は一緒に帰るわよ。あなたに会わせたい人がいるの。」

 白薔薇様は私の肩をポンポンと軽く叩くと立ちあがった。

 

 待ち人は校門の外にいた。

 「こんにちは。」

 笑顔の明るい素敵な青年だった。

 

 「紹介するわ。彼が花寺の生徒会長の史彦さん。ラウルよ。で、こっちが可愛い孫の千尋。」

 「はじめまして。光井史彦です。千尋さん、と呼んでもいいかな?」

 「はい。怪人役の細田千尋です。よろしくお願いいたします。」

 

 人目があるからと3人は駅近くの個人経営の喫茶店に入った。煙草臭くなく、陽気なジャズが流れている親しみやすい店だ。

 

 「全体の顔合わせ前に個人的に会いたくてね。僕と恋人を取り合う音楽の天使はどんな人なのだろうって気になって。」

 

 怪人と言わなかったのは、女である千尋への配慮だろうか。史彦さんは、流石白薔薇様が選んだ方であっていい人だった。話は知的で面白いし、初対面の千尋にも積極的に話かけてくれる。私がギターを弾くことを白薔薇様から聞いていたらしく、今度弾き語りをしようと誘ってくれた。

 

 「私にも聞かせてよね。千尋の歌を独り占めさせないわ。」

 「歌うのは個人の自由だろう?」

 「何のために、私が千尋を舞台に引っ張ったと思っているの?千尋と歌う最高の環境を整えるためよ。」

 「生徒会長が私情で動いていいのかい?」

 

 歌への情熱が熱いのが玉に瑕だが、それは白薔薇様も同じこと。

 

 「おっかないなぁ。千尋さん、大変だろう?コイツ、歌にかけては変人だから。」

 「私が変人ならあなたは物好きね。」

 

 お似合いだと思った。

 遠慮なく言い合う2人は、この先もずっと一緒にいるのだろうなと想像できた。

 会計のとき、「全員分を払う」と言う史彦さんと「千尋の分はおばあちゃんの私がもつ」という白薔薇様で揉めていたけれど、それすらも恋人同士のじゃれ合いに見えた。

 

 「本当に送っていかなくて大丈夫?」

 「はい、付き合わせるのは悪いですから。」

 「遠慮しなくていいんだぞ?」

 「帰りは明るい道ですから、大丈夫ですよ。」

 

 一緒に帰ろうという先輩方の申し出を、寄るところがあるからと辞退する。

 

 「そう?では、また今度。」

 「次は楽器を持ちよって歌おう。」

 

 優しい先輩達は改札の向こうに消えていった。2人の背中が雑踏に紛れて見失うまで、動けなかった。

 

 用なんてない。

 ただ同じ電車に乗りたくなかっただけ。

 

 自分はどんな顔をしているのだろう。

 ショーウィンドウをみるとリリアンの制服を着た赤髪の幽鬼が映っている。通行人たちが目線を合わせないように千尋の横を通りすぎていく。

 このままぼんやりしていたら、学校に通報されてしまいそうだ。重たい足を引きずるように、千尋も改札を通った。

 

 失恋したときもこんな感じだった。

 

 白薔薇様がまだ蕾でもなかった頃、一緒に帰る日があった。

 駅で向かいのホームに花寺の集団がいた。

 私には全員同じようにしか見えなかったのに、あの人の目はたった一人を映していた。

 

 夕陽をうけた瞳が燃えている。

 なんと美しい横顔だろう。

 まっすぐ、ただ一人だけをみている。

 

 あなたが恋をしていたのも知らなかったのに、すぐにあなたが誰を愛しているのか気づいてしまった。

 

 私は黙った。

 何も知らない後輩のふりをした。

 

 でも、あの燃えるような瞳に映る学生服が羨ましいと思った。私の心もあの人に出会った夏の日から、ずっと燃えていたから。

 

 家に帰ると私は洗面台の鏡の裏の棚からメガネケースとコンタクトレンズを取り出した。まだ慣れていないけれど稽古の間だけだったら間に合うはずだ。

 

 その日、千尋は怪人の仮面をつけた。




 「どちら様ですか?」
 令は思わず、素で尋ねた。

 美青年がいる。
 真っ赤な髪は夕陽の如く煌めいて、肌は透き通るほど白い。澄んだ瞳は雪のように冷たくて、凛々しい眉が精悍さを与えていた。

 「余の顔を忘れたか?」
 「ハハァ。」
 従妹の影響でついのってしまった。

 「って、その声は、千尋?」
 「いかにも。」
 将軍様、もとい同級生だった。

 「やっぱり令も驚くわよね。」
 先に来ていた祥子の言葉にコクコクと頷く。今日は衣装合わせの日で、薔薇の館に集合してから被服室に行く予定だった。

 「綺麗な顔をしているじゃない。なんで隠していたのよ。」
 「このまま校内を歩いて見せびらかしにいきましょうよ。」
 「いいわね。書類回収とかも、それでやってもらいましょう。」
 三薔薇様はご機嫌な様子だ。
 想像以上に白薔薇の蕾の妹が美形だったからテンションが上がっているらしい。白薔薇の蕾も気難しいあの方にしては珍しく、千尋の変貌ぶりに驚きながら、肩を組んだり頭をぐりぐりしたりしていじっている。

 二人とも系統は違うが日本人離れの異国情緒溢れる美形なので、眼福だなと思った。令の姉である江利子さまも千尋の顔がお気に召したらしく、目を輝かせているが嫉妬の感情も起こらない。

 「祥子ちゃんと令ちゃんもついてくる?」
 「はい。」
 「はい。」
 薔薇様方は被服室に行くまでの道中で、本当にnew千尋を見せびらかすらしく、予定よりも先に行くことにしたようだ。令と祥子も皆の反応に興味があったので、ついて行く。

 「ごきげんよう。」
 「ごきげんよう。薔薇様方。あの、そちらの方は?」
 「白薔薇のとこの末っ子よ。」
 「え!まさか千尋さん?」

 黄色い歓声に本人は戸惑っていたけれど、薔薇様方も隣の祥子も鼻高々な様子だった。
 令だって胸がすく思いだった。
 以前、姉の江利子さまから千尋が山百合会を神聖視する生徒から呼び出しを受けていたことを聞いた。その話を聞いたとき、すでに終わったことなのに怒りのあまり飛びだしたくなった。

 でも、江利子さまは言った。
 
 「言わせておけばいいわ。その程度で彼女はへこたれないもの。臍を噛むのはどちらでしょうね。」

 そこまで自信満々に言わせるなんて、千尋は何をしたのだろうか。気になって尋ねたけれど、お姉さまはいつかわかると教えてくれなかった。
 
 被服室には手芸部の生徒たちの黄色い歓声が響いた。人だかりの中心にいるのは今回の主役。

 「流石、白薔薇様、お美しいわ。」

 銀の刺繍がさされた白い光沢のあるレースを着た白薔薇様はうっかり見惚れてしまうほど似合っていた。広報のために呼ばれていた写真部の人もバシャバシャ撮りまくっている。新聞部の記者もメモの速度が異常に早い。

 「千尋さん、脚長いわね。多少、詰めるのを予定して作ったのに。なのに、ウエストはブカブカって。」
 「背だけは高いですから。」
 「ちゃんとご飯食べてる?」
 振り返るとタキシードを着た千尋が立っていた。制服を脱いだ千尋は、ますます青年にしか見えない。悲しいことに他人事ではないのだけど。

 「胸、潰しても平気?」
 「このぐらいなら大丈夫です。」
 「そう?けっこうきつく巻いているから無理しないのよ。」
 え、千尋って胸が大きいの?
 祥子も豊かな胸元をしているし、もしかして三人の中で一番胸が小さいのって私なのかな。

 鑑賞するのはそこそこに、私も用意された衣装に袖を通した。ドレスではなく、男性用の礼服。離れたところでは、祥子はドレスを来ていた。紅薔薇様が「可愛い、可愛い」と言いながらフィッティングを手伝っている。
 お姉さまも「素敵ね」と褒めてくれるけど、乙女心は複雑だ。どうせなら、自分もドレスを着て褒められたい。

 「すみません。リボンタイってどう結べばいいですか?」
 男性のタイなんて結んだことがないからわからない。モタモタしていると千尋が助けてくれた。

 「令さん、やろうか?」
 「ありがとう。」
 普段、同級生の顔を見上げることはなかったので、どこか新鮮な感じがする。ベルガモットの爽やかな香りがした。
 
 「寝不足?」
 「どうしてそんなこと?」
 目の下に薄く隈があることに気づいた。 

 「だってここに隈があるから。」
 頬に手を添えて親指で目の下をなぞると、「やりづらい」と注意されてしまった。

 「コバルト文庫のブルーみたい。」
 「まさか女子校でみられるなんてね。」

 外野の声に頬が赤くなる令とは異なり、千尋は落ち着いた様子で結んでいる。薄い唇は真一文字に引かれて『ブルー』がナニであるか知らないのだろうなと思った。もっともコバルト文庫が何であるかさえわからないと思うけど。
 千尋の読書の趣味は私よりも祥子に近い。

 「はい、できた。」
 そういって千尋は離れた。
 「ありがとう。」
 令の姉は学園一美しいタイを結ぶと言われるけど、千尋だって劣らないのではないかと思う。
 
 「あなた達何やってるのよ。」
 ネイビーのドレスを着た祥子お嬢様が呆れたように話しかけてきた。あ、やっぱり祥子も胸が大きい。

 「祥子、似合ってるね。」
 「どこのお姫さまが来たのかと思った。」
 「お上手ね。」
 「一曲どうですか?」
 「生憎ですが、気分になれませんの。」
 3人でふざけていると黄薔薇様がせっかくだから一年生だけで撮ってもらいなさいと教室前方の開けたところに誘導した。

 「貴公子2人に、貴婦人が1人。」
 「おかしいわね。ここには女の子しかいないはずなのに。」
 「フッ、フッフ。」
 江利子さまと蓉子さまは楽しそう。聖さまはお腹を抱えて笑ってる。聖さまってゲラなんだ。初めて知った。
 
 その後、全体で一枚撮ったあと、新聞部の希望で白薔薇様と千尋のツーショットも撮ることになった。

 「うーん。ただ突っ立っているだけだと面白くないわね。」
 「過激なのは駄目よ。」
 納得のいく写真が撮れなくて唸る二年の方に、紅薔薇様が釘を刺す。

 「なら、これはどうかしら?」
 白薔薇様はそういうと千尋に耳打ちする。

 「ええ、今、過激なのは駄目って。」
 「いいじゃない、お祭りなんですもの。」

 何をするつもりだ?
 ワクワクしながら見ていると、千尋が白薔薇様の後ろにまわった。白薔薇様もスラっとされた方だけど、それ以上に千尋の身長が高いから顔が見えないなんて心配はない。

 「ほら、早くしなさい。」
 急かされて、観念した様子の千尋は一つ大きく深呼吸をすると白薔薇様を抱きしめた。

 『うわぁ』
 被服室が沸いた。
 令も内心、歓声をあげていた。
 タキシードの麗人が着飾った貴婦人を抱きしめる姿は、某歌劇団のトップのコンビみたいで華やかだった。

 「それ、すごくいいです!」
 感動した写真部員が興奮のままにシャッターを切る。気分をよくしたのか、白薔薇様が千尋の頬に手を滑らせると悲鳴のような歓声があがる。

 千尋は心を無にしているのか、その横顔は氷のように冷たく硬いものだった。真面目な彼女らしい。聖さまは嫉妬しないのかと思ってチラリと見ると、予想通り難しい顔をされていた。
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