雪の瞳の乙女   作:八田里

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 祐巳がつかっている台本はもとは祥子さまのものだ。

 台本は予備はあったけれど、祥子さまがもう覚えたからと自分が使っていたものを祐巳に渡した。ページにはマーカーが引かれていたり、舞台の立ち位置がメモしてあったりして、途中参加の祐巳にはとてもありがたい。

 「祐巳にあげるわ。」

 祥子さまの字は習字の先生のように綺麗で、迷いのない線が真っすぐな人柄をあらわしているように感じる。祐巳の丸っこい文字に比べると大人びてさえみえた。

 祐巳は祥子さまからいただいた台本をお守りにしてシンデレラの舞台に取り組んでいた。お綺麗な祥子さまに比べたら自分は子狸にすぎない。けれど、一生懸命に頑張るんだ、と決意していた。

 (千尋さまにも心配をかけてしまったし。)

 憧れの祥子さまに妹になってほしいと言われる。数か月までは夢にもみれないほど光栄なことだ。けれども、祐巳は祥子さまの隣に並んだ時に、自分には役不足だと思った。

 だって、祥子さまをどんどん好きになっていくから。
 春の一方的な出会いから、遠目から眺めるだけの日々。話しかけることも、ましてや触れることなんて考えられないような高嶺の花。祐巳は祥子さまがどんな人なのか全く知らなかった。

 薔薇の館に行くようになってからのほうが強く思った。薔薇さま方にからかわれたり、同級生の蕾たちと談笑したりする姿は、鮮やかに咲く薔薇のように生き生きとして、もっとずっと素敵だった。

 祐巳はあらためて祥子さまについて全く何も知らなかったのだなと思った。知らないことを見つけるたびに、わからないことを知りたいと思うたびに、どんどん祥子さまのことが好きになる。

 探らない。
 試さない。
 疑わない。

 祥子さまがどうして祐巳を選んだのか。
 切っ掛けは偶然にすぎないことは祐巳にもわかっている。
 
 けれども、例え、シンデレラ役になりたくないという理由でも構わないと思う。もしも、祐巳が劇にかかわることで、祥子さまの助けになれるなら、ただ尽くしたい。


4話

 「すみませーん。」

 全員がそろって立ち稽古に入ろうか、という段になって薔薇の館に訪問者がやってきた。

 

 「私が行きますね。」

 祐巳はそういって部屋を出た。

 まだ蕾の妹でもないけれど、一番下っ端である自分が行くべきだろうと思って階段を降りて玄関に向かった。扉を開けると6人の生徒が立っていて、次々に薔薇様方への取次ぎを願い出た。

 

 手芸部が黄薔薇様と、美術部が白薔薇様と、発明部が紅薔薇様と学園祭にむけて最終調整の段取りをつけにきたのだ。ふだんは祥子さまをオモチャにしてふざけることの多い薔薇様方だけど、こうして真剣に相談にのっているところをみると、流石学園を背負う上級生なのだなと思う。

 

 「結構、他の部活の手助けがあるんですね。」

 祐巳の疑問に令さまが答えた。

 

 「正式に依頼したのはダンス部だけなのだけどね。去年の山百合会幹部の劇を見て感銘をうけたらしくて、手伝いを志願してくれる人が多く集まったの。始めはあり合わせのもので行おうとしていたのだけどね。」

 「ありがたいことに、学園祭間近で忙しいでしょうに力を貸してくれるの。気分転換に、とかインスピレーションがわくからと言ってね。そして、良い物を作ってきてくれるのよ。」

 祥子さまが誇らしそうに胸をはる。

 いくら優秀な人が集まっても他の人がついてきてくれなければ意味がない。生徒から慕われる山百合会が祥子さまにとっては自慢なのだろう。

 

 「あの、少し見ていってもいいですか?」

 

 それぞれの打ち合わせも終わって、さて芝居の稽古を再開しようかという雰囲気になったとき、6人の生徒が遠慮がちに尋ねた。初めて合わせなのに見学者がいるなんて、と内心焦っていると「どーぞ」と紅薔薇様が機嫌良さそうに答える。

 

 「よければこちらで。」

 千尋さまがサッとパイプ椅子を持ってきて案内した。そのスマートな振る舞いに生徒たちの目がハートになった、ような気がした。

 

 「ああ、千尋さまがそんなことをしなくても。」

 「去年のオペラ座の怪人、素敵でした。」

 「同じ一年生でありながら堂々と舞台に立っておられる姿は立派でした。」

 

 有志の生徒の中のニ、三年生が千尋さまにはしゃぎながら話しかけている。白薔薇のつぼみは下級生の人気には後れをとるが、上級生の間で人気らしいというのは事実のようだ。

 

 「おー、我が妹ながら鼻が高いね。」

 「うわっ。」

 肩に重みを感じて振り返るとニヤニヤした白薔薇様がいた。この方はどちらかというと下級生の人気が高い。エキゾチックな顔立ちは大人の魅力にあふれていてよく黄色い歓声を浴びている。

 

 「千尋さまの怪人はどんな感じだったのですか?」

 「お、由乃ちゃんも気になる?」

 

 由乃さんも興味があるのか話にはいってきた。志摩子さんも無言でススっと近づいてくる。志摩子さんは目立って甘えたりしないものの、千尋さまのことが本当に大好きなんだろうな、と山百合会に出入りするようになってわかってきた。祥子さまの申し出を断るのも今だったら納得する。

 

 だって、お弁当を食べるときや放課後の薔薇の館での雑談で千尋さまのことを話す志摩子さんは見ているほうがドキドキするほど甘い顔をしているから。

 

 「そうだね、千尋の怪人はハッキリ言ってエロかった。」

 「色気たっぷりで失神した生徒もでたと聞くわ。」

 「ウチの蕾も負けていないと思っていたけど、あれは無理ね。おこちゃまな令じゃ敵わないわ。」

 面白そうに言う薔薇様方に一年生たちは絶句した。

 

 あの千尋さまがエロい?

 白薔薇のつぼみと言えば真面目な方。長い前髪に分厚い眼鏡をかけた、言葉を選ばずに言えばガリ勉なイメージだ。「エロい」という言葉が結びつかなかった。確かに肌は白いし、わずかに見える顎のラインや鎖骨は綺麗だと思うけど。

 

 「百聞は一見に如かずよね。ほら、去年の写真が、」

 「何を見せようとしているんですか!」

 黄薔薇様が写真を取り出そうとすると、こちらに気づいた千尋さまが耳を赤くして詰め寄った。でも、黄薔薇さまのほうが一枚上手で写真を紅薔薇さまにわたすと千尋さまに抱き着いて動きをとめた。身長差がすごいからどちらかというと縋りつくという感じだけど。

 「今よ!」

 「黄薔薇様。そのまま抑えておいてちょうだいね。」

 「千尋、薔薇様相手に暴れちゃだめよ。」

 感謝して、一年の三人が紅薔薇様の手元の写真を覗きこむと、

 「誰?」

 赤い髪をオールバックにした仮面の美青年が、美少女を後ろから抱きしめている様子がうつっていた。

 

 「この怪人って千尋さまですか。」

 「そうそう。」

 話の流れからして当然青年は千尋さまなのだけれど思わず尋ねてしまった。

 長い腕のなかに閉じ込めた歌姫を熱い視線で見つめる怪人。白いドレスに指を這わせて、どこにもいかないように身体をぴったりと重ねている。

 

 「これが千尋さま。」

 「お姉さまは美少年って感じだけど、千尋さまは美青年ね。」

 あらためて写真の中の千尋さまと目の前で黄薔薇様に羽交い絞めにされている千尋さまを見比べる。あの眼鏡の向こうにこんな素顔が隠されているなんて。失礼ながら勝手に平凡顔の仲間だと思っていたのを恥たい。

 

 「本当に素敵だったわ。」

 「クリスティーヌを荒々しく抱きしめるところなんか。思わず悲鳴をあげてしまいました。」

 「最後、ラウルとクリスティーヌを見送る表情が一転して幼子のように切なくて。」

 

 きゃいきゃい騒ぐ上級生。実際に生で見た感動は並大抵のものではないのだろう。そのおかげで今年も手伝いを申し出たと言う人もいるのだから。

 

 志摩子さんは写真をみつめまま動かない。気持ちはすごくわかる。私も祥子さまのシンデレラの写真がだったら目に焼き付けたいし、売られていたらほしいもの。

 

 「でも、終わった後、注意を受けたのよね。」

 「風紀を乱さないようにって。本人が一生懸命にやった結果だというのに怒られて。」

 「哀れだったわよね。」

 「もう辞めてください。居たたまれないので。」

 大きな体を小さくして白薔薇の蕾は項垂れている。そこに黄薔薇様が手をのばして眼鏡をとった。ついでにご自分のヘアバンドをつけて前髪をあげる。

 

 「うん。相変わらず綺麗な顔。」

 

 白薔薇ファミリーの条件には日本人離れの美貌とでも明記されているのだろう。灰色の大きな目に彫りの深い北欧系の顔立ちは白薔薇様とも志摩子さんとも違った神秘的な美しさだった。こんなに綺麗な人に迫られたら、クリスティーヌだってグラリと揺れちゃうのではないかしら。

 

 「せっかくの顔を隠すなんてもったいない。」

 「こんな目立つ顔を晒すなんて嫌ですよ。」

 「大丈夫よ。そこのバタ臭い顔と違って貴女の顔は見るに堪えるわ。」

 「なにを、でこっぱち。」

 白薔薇様が黄薔薇様の手を振り払って千尋さまをご自分のほうに引き寄せる。

 

 「え。白薔薇様?」

 「何?江利子のほうがよかった?」

 「いえ、そういうわけではありませんが。」

 照れているのか戸惑いの表情を浮かべて千尋さまは、白薔薇様に掴まれた腕を眺めていた。

 

 「パンっ」と拍手が鳴った。

 「はいはい。千尋の魅力が一年生にも伝わったところで、いい加減練習にはいるわよ。」

 紅薔薇様の言葉で一同我に返った。

 衝撃的な事件があったからか、人前で演じる緊張感はすっかりなくなって、意外と余裕をもって演じることができた。

 

 それにしても、白薔薇様と千尋さまがクリスティーヌと怪人を演じたのなら、白薔薇のつぼみであった聖さまは何役をしていたのだろう。裏方に専念していたのだろうか。

 

 白薔薇姉妹の関係性は他の姉妹と比べてよくわからない。白薔薇さまは千尋さまに対して淡白だし、千尋さまも白薔薇さまがいき過ぎたら止めるけれど基本的に不干渉だ。むしろ千尋さまのほうが白薔薇さまと距離をとっているようにみえる。

 

 政略結婚みたいな姉妹関係と言っていたけれど、あれは冗談ではなく本当のことだったのだろうか。でも、千尋さま曰く、好きじゃなかったら姉妹になるわけないとのことだし、それにあくまでも他の姉妹と比べたらという話で、仲のいい後輩先輩関係であるとはいえる。

 

 (あー、もうわからない)

 薔薇の館に出入りするようになってから、祐巳は一度も千尋さまが「お姉さま」と呼ぶのを聞いたことがない。けれど、どうしてですか、なんて聞けるほどまだ打ち解けられているとは思えない。

 

 (とりあえず劇に集中しよう)

 祐巳は器用なほうではないから、問題は一つずつ解決するに限る。だから、ふと浮かんだ疑問はひとまず忘れることにした。




 志摩子は去年の学園祭の写真にとても驚いた。
 いつも、穏やかなお姉さまからは想像できない。荒々しい姿。白薔薇様の身を掻き抱く腕は絡みつく蔦のようで、決して放さないという強い意思を感じた。

 らしくないと思った。
 お姉さまは理性で生きる人だから、偽りでも恋に狂う姿が想像できない。姉妹になる前に打ち明けてくれた生い立ちは、お姉さまが人から愛されることに自信を持てない臆病な性質であることを語っている。

 だから、この写真はお姉さまにとって本当に恥ずかしいものなのだと思う。怪人はクリスティーヌと出会って愛を知った。

 もしも、お姉さまが怪人にご自分を重ねていたら。

 そこで考えることをやめた。
 きっとお姉さまは詮索されることを望まない。

 「志摩子さん。」

 私の名を呼ぶ声が好き。
 優しくて遠くから呼びかけるような声は、どこへ行ってもお姉さまが見守っていてくれるような安心感がある。

 お姉さまはよくご自分の在り方を波止場の杭にたとえていう。大海に漕ぎだす船が帰ってくる場所になりたいというのだ。ひっそりと誰かの束の間の居場所になりたいと。

 初めてそれを聞いたとき、私が探していたのはこの人なのかもしれないと思った。手を差し出せばつないでくれる。手放しても、また伸ばせば受け入れてくれる。

 私はお姉さまに出会って息がしやすくなった。
 だから、私はお姉さまをただ信じるのみ。
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