第4話
いざモンスター退治へ向かおうという段階になって、一行は自分たちが武器らしい武器を何も持っていないことに気付いた。
慌てて角材や使えそうな木片を探し回る羽目になったため、政庁へ辿り着いた頃には日はすでに傾き始めていた。
人通りも少なく、庁舎の中も静まり返っている。
窓口にいた職員はそんな新人冒険者たちを一瞥しただけで状況を察したのか、慣れ切った様子で依頼制度の説明を始めた。
「代読代筆は5分で中銅貨1枚。自分のランクより一段上の依頼までは受注可能だが、全て自己責任。その旨、忘れないように」
事務的な説明を聞き流しながら、レイネルはどこか落ち着かない様子で依頼書の束へ視線を落としていた。
頭の片隅に残っているギルド長の忠告が離れない。
足手まといは見捨てろという冷酷な言葉を何度も反芻していたが、生活基盤すらない現状で、同じ日本出身という現地民よりも信頼できる仲間を切り捨てる決断など下せるはずもない。
彼は答えを保留したまま現状維持を選んでいた。
「モンスター討伐でええやろ。どうせ他にあらへんしな」
勢いよく宣言した声には迷いがなかった。
早坂もまたギルド長の発言を思い返していたが、彼の頭に残っていたのは、仲間を見捨てろという忠告ではない。
青峰より劣ると言われた、あの評価の方だった。
その評価を受け入れられない早坂は、内心では反発心を募らせていた。
ギルド長の言葉を否定するため、どのような言葉であっても逆の行動を選択しただろう。
「2階に残った2人、なんか妙に重たい空気ね」
「そうですね」
「ねえ、皆がモンスター退治?してる間、私たちどうするの?」
桐乃が首を傾げ、乃亜も静かに同意した。
そこに珍しく割って入ってきたエレインの提案は、若干空気を読まない発言だったものの、極めて合理的な話だった。
乃亜は空気を換えるため、女子組が何をするかという現実的な話をし始めた。
「何もしないのも悪いので薬草採取を受けましょう。採取対象の特徴は、すでに記録してあります。……念のため、小栗さん、護衛してくれますか?」
もしモンスター討伐が失敗した場合、この世界で生きるための資金も経験も何も残らなくなる。
その危険性を指摘されて、初めて一同はその発想の重要性に気付かされた。
「……そうきたか。わかった、付こう」
「草原での採取報酬は……基準報酬から7割引きですか。驚くほど少ないですが、草原での経験は必要でしょう。最低限の金が入れば選択肢も増えるでしょうし」
「拙も薬草採集にいたしますぞ。きっと足手まといでしょうからな」
青峰と大田黒も同意し、女子3人と男子2人が採取組へ回ることでようやく役割分担が決定した。
この時点では、誰もその選択の重さを理解していなかった。
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レイネル、青峰、そして早坂の3人は都市近郊の草原で、半透明の身体を揺らしながら移動するスライムの群れを発見した。
まずはその習性を観察しながら慎重に接近した。
「結構おるな。4匹で1グループ作っとるんか? そんな習性持っとるとはな」
「あと1時間もすれば日没が始まって城門が閉まりだす。まとめて相手取るのは危険性が高い。まずお試しで1匹倒す事に集中しよう」
青峰が周囲を見渡し、傾き始めた太陽を見上げる。
夕暮れ時には城門が閉まることを庁舎窓口で注意されたため、時間に厳しい彼は無茶をする気はなかった。
モンスター退治にかかる時間も不明な今、1グループまとめて相手取る気も同じくない。
「そうだな。早坂はどう思う?」
「方針はそれでええ。青峰は周り警戒しといてくれ。お前が一番目ぇええしな。後ろから襲われたら危ない」
早坂は青峰を周囲の警戒のため、最初から前に出さない決断をした。
4匹で1グループを形成するモンスターに、1対2の数的優位を作るためと考えれば、その判断は間違ってはいなかった。
そうして、彼らにとって初めてのモンスター退治が始まったが――その初戦闘は想像以上に泥臭かった。
早坂が綺麗な太刀筋で角材を振り下ろす。
鈍い衝撃が腕を貫く。
しかし叩き潰したはずのスライムは肉でも骨でもない奇妙な弾力で衝撃を受け流し、湿った布を殴ったような感触だけを残して再び元の形へ戻ってしまった。
「っ、硬っ……。いや、当たった瞬間だけ硬いんか?身体は柔らかいのに、どうなっとるんや?」
角材を引き抜いた瞬間、半透明の体液が糸を引いた。
ぬるりとした粘液が先端から滴り落ち、草を濡らす。
続いて早坂が追撃を加えたものの、スライムは転がるだけで致命傷を受けた様子を見せず、その異様な生命力に2人は次第に焦り始める。
「なら俺が」
レイネルも振り上げ追撃したが、スライムは草原を転がるだけで、行動に支障をきたした様子はない。
それもそのはず。
レイネルは今まで見たこともない、ゲームからそっくりそのまま出てきたかのようなスライムとはいえ、自分を殺そうと襲い掛かってくる生き物を殺す行為にそのものに躊躇いがある。
それが無意識下に存在しているため、どうしても角材を全力で振り切れない。
その上で安全を考慮してか、殴り飛ばす行動に出ているためイチイチ距離が開く。
効率は最悪と言ってもよかった。
――そのため、初めてのモンスター退治は、20分が過ぎても終わらなかった。
「どうなっとるんや! この生き物!」
横から早坂の角材が叩き込まれる。
ぐしゃりと身体を潰されても、スライムは時間をかけて元の形へ戻っていく。
まるで終わりが見えない。
異様な光景だった。
人間なら何度も死んでいるはずの損傷を受けながら、それでも平然と動き続ける姿は生物というより悪夢の産物に近かった。
「まだ動くぞ!」
スライムが震えた。
表面がぶるぶると波打ち、内部で気泡が弾ける。
「ピギィィィ!!」
耳障りな鳴き声が響き、表皮を覆う粘液が飛び散る。
生暖かい液体が腕を濡らした。
それでもレイネルは角材を握り直し、肺が焼けるような呼吸を繰り返しながら必死に前へ出続けた。
「くそっ! こんなに殴ってなぜ死なない!?」
叫びながら振り抜いた一撃でスライムは数メートル吹き飛んだが、それでもなお起き上がり、再び身体を震わせながら突進してくる。
たった1匹の雑魚モンスターだと思っていた相手にここまで苦戦しているという現実が、2人から徐々に余裕を奪っていった。
「落ち着けレイネル! 殴打への耐性が高いんかもしれへん。合わせてくれ!」
「よっし、いくぞ!!」
横から殴りつけるような攻撃をやめ、スライムを挟み込むように2人が攻撃をあわせる。
すると、身体を大きく歪ませたスライムが、断末魔らしき悲鳴をあげて、ついにぐにゃりと崩れ、動かなくなった。
2人は荒い呼吸のまま、スライムの動向を確認した。
動かないことを確認して、その場にへたり込み、角材を握ったまま荒い呼吸を繰り返した。
「たった1匹のスライムに、2人掛かりで20分もかかったんか……?」
「みたいだな」
勝利したはずだった。
だから気が緩んだ。
その時、青峰の表情が変わり、気の緩んだ2人に青峰の怒声が飛んだ。
声は草原の広範囲に響き渡り、夕暮れの静けさを切り裂くほどの切迫感を帯びていた。
「早坂! 後ろだ! まだ生きてる!!」
早坂が反射的に振り返る。
理解は追いつかない。
だが身体だけは動いた。
死んだはずのスライムがそこにいるのだろうと考えながら視線を向けた彼の目に飛び込んできたのは、そんな予想を遥かに超える光景だった。
そこにいたスライムは先ほどまで戦っていた時とは比べ物にならないほど大きく膨らみ、その身体の中央には人間を丸ごと呑み込めそうな裂け目が開いていた。
口のようだったが、その光景は生物的ではない。
見ているだけで本能が拒絶する形だった。
粘液で出来た身体が大きく広がり、その奥にある暗い空洞が獲物を待ち構えるように揺れている様子は、まるで世界そのものが口を開いて人間を喰おうとしているかのようだった。
「えっ!? なんでや、もう死んだは――」
早坂の言葉は最後まで続かなかった。
身体が消えた。
レイネルは何が起きたのか理解できなかった。
理解したくなかった。
目を閉じてしまった。
スライムはただニタニタ笑っている。
レイネルが思わず目をつぶり、そして恐る恐る目を開くと早坂はどこにもいなかった。
早坂がいたはずの場所には、夕暮れの光をぼんやり透かす巨大なスライムだけが静かに揺れていた。
その表面に、笑顔が浮かんでいる。
スライムはただニタニタ笑っている。
目も鼻もない。ただ、裂けたような弧だけが貼り付いている。
それが、にたり、と歪む。
その光景が、なぜだか異様に恐ろしかった。
本来は「笑顔」であるはずの形が、あまりにも醜く歪んで見えた。
動けなかった。
足が地面に縫い付けられたように動かない。
一歩も。
ただ見ていることしかできなかった。
そう――それを、見てしまった。
スライムは、ただニタニタと笑っていた。
胃がひっくり返った。
レイネルはその場に膝をつき、戦闘前に飲んだ水を吐き出した。
胃液の酸味と草の匂いが鼻を刺す中、それでも彼の視線は目の前のスライムから離れなかった。
スライムの右側。
半透明の体の内側から、何かが押し上げていた。
内側から、ゆっくりと五本の指の形が浮かび上がった。
それは明らかに人間の手であり、外へ出ようともがいていることだけは誰の目にも明らかだった。
掌が開く。
助けを求めるように。
必死に縋るように。
だがその形はスライムの脈動に合わせてぐにゃりと歪み、膜の奥へ押し戻されてしまう。
ぐぷり、と鈍い音が鳴った。
それだけで十分だった。
誰の手なのか考える必要もない。
そこにいるのが早坂だと理解できた。
そして彼が今なお生きたまま取り込まれていることも。
「喰われた……?」
手が震える。
歯がガチガチと音を立てる。
声を出そうとしたが、喉が裏返って言葉にならない。
ようやく絞り出した言葉は自分でも聞き取れないほど掠れていた。
残酷なことに、レイネルはほんの一瞬だけ安堵した。
見えているのが顔ではなく手だったからだ。
もしあの膜の向こうに早坂の表情が見えていたら、その光景は一生忘れられない傷になっていただろう。
だが次の瞬間、その安堵は激しい自己嫌悪へ変わる。
「お、おれ、俺の、俺のせいだ。いきなり討伐なんて勧めたせいで、早坂が、早坂が!?」
「レイネル? 早く助けないと! レイネル!?」
青峰が救助のために駆け寄るが、錯乱し始めたレイネルは動かない。
討伐を提案したのは自分だった。
モンスター退治を選んだのも自分だった。
だからこそ目の前の惨劇は偶然ではなく、自分が選択した結果なのだと理解してしまった。
早坂が捕食された直後、巨大なスライムの身体が不自然に震え始めると、内部を漂う気泡が次々と弾けながら異様な鳴き声を発し、その音は草原全体へ響き渡る警報のように広がっていった。
聞いたことがない声だった。
甲高く不快だった。
それでいてどこか意味を持った呼び掛けのようにも聞こえた。
青峰は嫌な予感に襲われながら周囲へ視線を走らせた。
その予感は的中する。
草むらの向こうで何かが動く。
ひとつではない。
見渡す限りの至る所で半透明の塊が蠢き始め、それまで好き勝手な方向を向いていたスライムたちが、まるで見えない命令でも受けたかのように一斉にこちらへ身体を向けていた。
そして全てが笑っていた。
同じ形だった。
同じ笑顔だった。
区別が付かないほど同じだった。
草原一面に並ぶ無数の笑顔は人間の理性が理解できる範疇を超えており、その光景を目にしただけで背筋を冷たいものが這い上がってくる。
「集まってきてる……!?」
青峰が叫ぶ。
数が異常だった。
10や20では済まない。
遠くに見える個体まで含めれば、それは既に群れではなく災害と呼ぶべき規模へ達しようとしていた。
当然ながら、彼らは知らない。
この都市ではスライムに関する研究が既に進んでおり、捕食後は栄養を群体で共有する習性が確認されていることも、安易に接近した冒険者が何人も犠牲になっていることも知らなかった。
「四方八方から追加でやってくる! 早く助けなければ!」
青峰は迷わない。
まだ諦めていない。
助かる可能性があるのなら助けるべきだ、という正しさを信じている。
彼にとって仲間を見捨てるという選択肢は存在せず、それがどれほど無謀であっても前へ進もうとしていた。
「駄目だ!」
「何言ってるんだ! ふざけてるのか!」
「黙れ! 周りが見えてないのか! 20は迫っているんだぞ! 俺たちも死ぬぞ!」
しかし、青峰は引かない。
焦ったレイネルは夕暮れ前に都市に帰ってきた、同業者らしき男を見つける。
「あっ! そ、そこのアンタ!」
「あん?」
同業者らしき男は過去に似た様な経験でもあったのか、今のレイネルと青峰の状況を一目で察した。
そして、スライムよりもよほど愉快そうに、新しい玩具を与えられた子供のような顔で、だが残酷に、スライムのようにほほ笑んだ。
「……ふ~ん。仲間がスライムに捕食された、だから助けてほしい、ってか?」
「そうなんだ! 見たところ場慣れしてるんだろ? お願いだ――」
「い や だ ね」
レイネルは最初その言葉の意味が分からなかった。
分かりたくなかったのかもしれない。
「な、な、な――何言ってるんだ! アンタは!」
「スライム如きに喰われた? そんなゴミ、誰が助けんだよ! そのゴミの死に様見て、存分に泣き喚け、ボンクラ!」
――ははははははは!!
数か月ぶりに楽しいことがあってよかった。
そんな言葉を残しそうなほど愉快の笑い声をあげて、その男は颯爽とその場を去った。
「なんなんだ! この異世界!? あんなクズしかいねえぞ!?」
レイネルが吠えるも状況は変わらない。
青峰の方を改めてみてみると、多勢に無勢、複数のスライムから連続して体当たりを受けた青峰は息も絶え絶えになっていた。
頬からは血が滲み、口からも出血が見られる。
「ぐっ、……数が、多い」
頬が裂けている。
口元にも血がある。
呼吸は明らかに浅い。
それでもなお仲間を助けようとしている姿を見た時、レイネルの中で何かが軋んだ。
迫り来るスライムの数を見れば、青峰の救助すら自殺行為であることは明白であり、彼の脳裏にはギルド長の言葉が何度も何度も反響していた。
――見切るんだ。
――見捨てろ。
「あっ、あっ、あっ……」
身体は言うことを聞かない。
思わず手を伸ばした。
青峰もやられる――そう思った、その瞬間だった。
伸ばされたレイネルの手の前を、影が横切った
「どけ」
短く、冷たい声がしたかと思えば、またたく間に粘ついた破裂音が、連続して響いた。
どう動いたのかすら見えなかったが、青峰の周囲にいたスライム6匹も吹き飛んだ
潤だった。
「くそっ……身体が重い。怠けすぎてたか」
「ぐっ、く……お、おぐり、か。早坂を」
青峰は血塗れのまま顔を上げた。
意識も朦朧としている。
それでも彼は最初に早坂の名を口にした。
「……早坂は、残念だった。 捕食された瞬間は、丘の上から確認している。 今から助けても間に合わない」
「仮にそうだとしても、まだ助かる可能性がある。 俺は諦め――」
「アホか! 粘るところが違うんだよ!」
言葉を聞き終える前に、潤は青峰の腹部へ渾身の一撃を叩き込んだ。
青峰の体が折れ、そのまま地面に崩れ落ちた。
蹴り飛ばしたスライムが体勢を立て直し、周囲をぐるっと囲みなおしたこの状況、言葉による説得を潤はすぐに諦めた。
「な、何して――!」
叫ぶレイネルに、潤は振り向きざまに怒鳴る。
「担げ!!」
「え……?」
レイネルは一瞬だけ動けなかった。
担げと言われても、目の前の現実に思考が追いつかないのか、何を担げばいいのかすら分からず、その場に立ち尽くしてしまう。
周囲ではスライムが粘ついた身体を震わせながら距離を詰めていた。
地面を擦る音が、湿った音となって耳にまとわりつく。
「青峰を連れて門まで行け! 女子も向かわせた! 今は何も考えるな! 走れ!」
その一喝でようやく現実が戻ってくる。
レイネルは青峰へ駆け寄った。
青峰に肩を貸す。
身体は重い。
だが背後を振り返った瞬間、彼の足は再び止まりそうになった。
潤は1人で立っていた。
スライムの大群と、自分たちの間に。
身長なら自分の方が上だ。
体格だって勝っている。
同じ高校生として生きてきたはずだった。
それなのに目の前の少年だけが、自分たちとは全く別の生き物のように見えた。
恐怖がない訳ではない。
死を理解していない訳でもない。
それでもなお迷わず立ち塞がるその背中は、夕暮れの草原で異様なほど大きく見えた。
レイネルは青峰を担ぎ上げる。
歯を食いしばる。
そして門へ向かって走り出した。
背後では潤がたった1人でスライムの群れと向き合っていたが、その姿を見たレイネルの胸に宿った感情は安心感でも信頼でもなく、どうしようもないほど醜く激しい嫉妬だった。
なぜあいつだけが迷わない。
なぜあいつだけが立っていられる。
同じ地獄を見ているはずなのに、どうしてあいつだけが汚れずにいられるのか――レイネルには、それが理解できなかった。