よろしくお願いします。
第5話
「無事……北門まで、たどり着けた」
城門の内側へ辿り着いた瞬間、レイネルは肩へ担いでいた青峰の身体を半ば投げ出すように地面へ下ろし、そのまま数歩よろめいて石畳に腰を下ろした。
脚は限界で、肺も焼けるように痛い。
20分近い戦闘の直後に人1人を担いで全力疾走した代償は想像以上に重く、安全圏へ辿り着いたと理解した瞬間、それまで張り詰めていた緊張が一気に身体から抜け落ちていった。
そして静寂が訪れる。
いや、正確には静寂ではない。
周囲には人の声がある。
それでもレイネルの耳に残っていたのは、スライムの内部から必死に外へ出ようとしていた早坂の手と、半透明の膜の向こうで歪んでいたあの絶望的な光景だけだった。
「あいつ、喰われたのか……? ……喰われたんだよな」
呟きは独り言に近かった。
誰へ向けたものでもない。
現実を認めたくないだけだった。
だが次の瞬間、重い音がして、レイネルの視界が一瞬白く弾けた。
自分が倒れるまで、その鈍い反響音の出所が――自分の頬だということに気付かなかった。
「あんた何考えてんのよ! あんたが早坂を――!」
そう叫んで殴りかかるのは桐乃だった。
怒りで顔が歪め、足に力が入らずその場に倒れ込んだレイネルに、さらに怒鳴りながら蹴りを入れる。
倒れたレイネルへさらに詰め寄る姿からは、同級生を失った悲しみと、この先への不安が制御不能な形で噴き出していることが見て取れた。
「椿さん、目の前で同級生が、その、――た、食べられたんです。誰しも冷静さを失うはずで、その状態では誰であっても正常な判断ができるとは思えません」
桐乃の怒声を、乃亜が遮る。
声は小さいが、言葉の内容にいたたまれなくなったのか桐乃の勢いがそがれた。
夕暮れ時、道の端で5人は立ち尽くしていた。
行き交う人々だけが、彼らを避けるように通り過ぎていく。
転移してからまだ半日にもかかわらず、世界はすでに、彼らを容赦なく選別し始めていた。
桐乃も一瞬だけ言葉を失ったが、それでも感情は収まらなかった。
「い、いや、だからこそ、でもあるのよ! 青峰だってこの様じゃない! 仕切りなおそうとか、一休みする時は交代で見張ろうとか、何かあったでしょ、何か!」
「ち、違う……俺は――」
「言い訳とかそんなのいらない」
「椿さん!?」
「でもそうじゃない! もし小栗までやられてたらどうする気なのよ! 明日から私たちどうやって生きるの!」
乃亜が制止しても止まらない。
潤と大田黒含む女子一行は、いつの間にかモンスターに接近されていた、という状況を防ぐためにやや高い位置で薬草摘みをしていた。
発案者は潤。
定期的に周囲を警戒しつつ、しかし黙々と作業する彼の姿に、桐乃も感心したものだった。
――それに比べ、自信満々でモンスター退治に行ったこの男ときたら。
そう考えるとこの現状に何か言ってやらないと気が済まなかった。
「ていうか、何そのツラ? 反省してる顔のつもり? ホント、キモイ! 生き残った自分かわいそうです、って? 友達1人死なせておいて」
「言いすぎです! ……そうですね。それよりこれからどうするか、なにか指針を決めましょう」
乃亜は手持ちの情報が少なすぎるため、この都市では正しい判断はできないと思って黙っていた。
しかし、そうも言っていられない。
感情的になっている今の桐乃に、茫然自失になっているレイネルへの責任追及を続けさせると不味いことになる。
乃亜自身も気にしている、今後の動向に関して議題を提示する。
「拙が思うに最弱のスライムすら倒せなかった以上、討伐は諦めるべきかと。街に行って事務仕事でも探すべきでは?」
「――それは無理だろうな」
「小栗さん! 無事でよかった」
後ろから潤がクラスメイトの輪に声を掛ける。
全身にスライムの粘液を浴びており、まったく無事そうに見えなかったが、レイネルの離脱が早く済んだためか、潤も潤で素早く逃げることができた。
怪我らしい怪我も無い。
今の雰囲気の中、ようやく見つけた明るいニュースに乃亜がはにかむ。
「おおう、小栗氏、無事の帰還 嬉しいですぞ。「早坂がやられた。 全員北門まで逃げろ」と言われたときは、向かった小栗氏も無事で済むかと心配しましたぞ」
「そんなことより事務仕事が無理ってなんで? 生徒会の2人なら全然何でもできるでしょ?」
「エレインさん、小栗さんは恐らく私たちの立場の話をしていると思います。残念ですが、今の、私たちを、冷静に客観視すると、ですね。後ろ盾のない根無し草で、社会的信用もない―― まるで」
乃亜は今の自分を合理的に客観視しようとしていた。
しかし、その結果は、優秀な才女として生徒会に所属していた乃亜からすると口にし辛い様子だった。
その評価は正しい。
だからこそ、乃亜には口にするのが苦しかった。
「その、誰からも推薦されない16、7歳のフリーター同然の立場です。能力を見る以前の段階で門前払いされます」
「なるほど……、確かにその通りかも。じゃあ委託の仕事でもする?」
「委託は基本肉体労働だった。本気の肉体労働を、1日8時間。もつか?」
大田黒にも他人事ではなかったが、特に女子3人が考え込む。
生徒会に所属している才女である乃亜、その唯一の欠点は運動音痴であり、それは割と有名だった。
桐乃は比較的優秀な身体能力を持っているが、あくまで女子の中ではとなる。
財閥令嬢のエレインは、アルバイトどころか家事程度の労働すらしたことがない。
「そも働き先があるかも分かりませんぞ? 5人に3人は委託を諦める世情とのことで委託だけでは生きていくのは難しいとの話です」
「討伐無理っぽい? 委託は毎日受けられない? 委託は肉体労働で女は難しい? えっと……、どうするの?」
「あああああ! やっぱり詰みかけてるじゃない!」
乃亜が話をそらすために別の課題を出したが、逆にそれが最後の一押しになってしまった。
絶望を前に、桐乃が頭をかきむしる。
委託仕事も厳しい。
討伐も現状では難しい。
生活基盤も存在しない。
異世界で生きるという現実を改めて数値化されたことで、漠然とした不安は具体的な絶望へ変わり始めていた。
そして彼女の視線は、それまでずっと地面を見つめながら何かを呟いていたレイネルへ向けられる。
「あんたがちゃんとしてたら、誰も死ななかった! 責任取ってよ! どうすんの、この状況!」
「どうするって、何をしてほしいんだ?」
力なく俯き、茫然としているレイネルとは対照的に、桐乃の言葉は鋭く容赦もなかった。
その声は責任を押し付けるためというより、どうなるか分からない明日の恐怖から目を逸らすためのものに近かった。
「私たち、あんたのせいで詰みかけてるんだけど? 討伐を仕切っていたのはあんた! 早坂を見捨てたのもあんた! 小栗残して真っ先に逃げた、それだってあんた!」
「いや、レイネルに逃げろといったのは俺だが」
潤もこのまま桐乃を放置する危険性を感じ取ったため、責任の分散を目的に口を挟む。
しかし桐乃はそれすら拒絶し、とにかく何か言えとレイネルへ怒鳴り続けた。
「小栗は黙ってて! これからどうしたらいいのよ! 黙ってないでなんか言いなさいよ! 考えなし! 甲斐性なし! 負け犬!」
「――……、おい、今、なんて言った?」
レイネルの中で、何かがぷつりと切れた。
声は震えており、目も半ば虚ろで死にかけている。
しかし、恐怖と後悔に押し潰されていたはずの胸の底から、怒りだけがゆっくりと姿を現し始めた。
「レイネル、落ち着け。椿も追い詰められてるんだ。わかるだろう?」
潤は止めようとしたが、既に遅かった。
レイネルの中で何かが完全に切れてしまっていたからだ。
「ああ、確かに俺は友人の早坂を見捨てた。で? 見捨てたからなんなんだ? 見捨てなかった青峰は早坂を助けられず、今も起きない。俺もこうなるのがお前の望みなのか?」
「よりにもよって逆ギレ? 最低ね、アンタ」
「そうだよ。逆ギレだよ。だからなんだ?」
吐き捨てるような声だった。
自嘲も混じっているし、理性も崩れ始めている。
しかし開き直ったレイネルは、友人の死から目を逸らすことが出来たのか、先ほどとは打って変わって落ち着いた様子を見せる。
その姿がまた桐乃の逆上を煽った。
「逃げろと指示したのは小栗。俺が逃げたのが考えなしの行為だってんなら、指示した小栗の間違いだ。こいつも考えなしじゃないか? お前は何をもって俺に責任追及をしてるんだ?」
「今度は何開き直ってるのよ! 何様のつもりよ! アンタ!」
「何様って、俺様だが? それで、偉そうに能書き垂れてるお前は、その間何してたんだ? 何キロ薬草を集めたんだ? 最低限だって集まってないんじゃないか?」
「護衛を勝手にやめて薬草摘みを切り上げて門まで逃げろといったのは俺だ。その件で何かあるなら、まず俺に言うべきだ」
「そうかい。なら責任取って黙ってろ。癪に障る」
「論点ずらさないでくれる? いつも偉そうに仕切ってるくせに、こんな時は保身だけに精一杯でバカみたい」
「ズレた論点で話してるのも、馬鹿も、お前も一緒じゃないか?」
青峰を監視役にして戦力を分散させた早坂。
自分の安全はしっかり気を配って、早坂同様戦力分散に一役買った乃亜。
戦闘に向いている可能性がありながら、自ら討伐組へ加わらなかった潤。
警戒役なのに声掛けが遅れた青峰。
最悪の事態を考慮せずにモンスター退治組の背を押した椿とエレイン。
一息で、全員が少しずつミスした結果が早坂の死だとしたのなら、みんなが悪かったとレイネルは叫ぶ。
正論と暴論と感情論が混ざり合った叫びだったが、その根底にあるのが極限状況で壊れかけた人間の悲鳴だということだけは、全員に伝わっていた。
それが正しいかは、レイネル自身も分からなくなっていた。
だが、止まらなかった。
「もういい。お前らと一緒にいたら、次は俺の番だ」
ギルド長の言葉は正しかった、そう判断したレイネルは、このままではクラスメイトに殺されると思って笑った。
乾いた、救いのない笑いだった。
「最低ね。一歩間違えれば人殺しなのに」
「その人殺しに何を求めてるんだよ。反省か? 謝罪か? 違うだろ? お前の言いたいことの根底は『私は悪くない』だろ? だから俺が悪いことにしたいだけだろ?」
「…………」
「お前の自己保身で悪者になるなんてごめんだね。だが、早坂を死なせた責任は取ってやるよ。お前らと袂を別つって形でな」
そう言ってレイネルは人込みの中へ、1人で行ってしまった。
誰も追わなかった。
誰も呼び止めなかった。
誰にも余裕がなかった。
異世界の空だけが不気味なほど澄み渡り、沈んだ夕陽の残光が離れていくレイネルの背中を彩っていた。
その光景は、もう後戻りできないという事実だけを如実に表していた。