第6話
――政庁窓口付近
白崎乃亜が政庁の端から、窓の外を眺めている。
目立つ格好をしているわけでもなく、派手な装飾もなければ、人目を引くような大げさな仕草もない。
それなのに不思議と視線が向いてしまうのは、彼女の周囲だけ空気の流れが穏やかに見えるからだろうか。
肩口で揺れる銀色の髪は窓から差し込む夕日を柔らかく反射し、その下にある整った顔立ちはどこか作り物めいているほど均整が取れていた。
普段なら冷たい印象を抱かせない様な柔和な笑みを浮かべているのだが、この都市に来て数日が経ったこの日、彼女の顔には疲労の色が色濃く反映されていた。
乃亜が静かに胸元のレザーコードの先に手を添える。
これは、乃亜が心を落ち着かせるためのルーティーンだった。
レザーコードの先には銀色の繊細な指輪が通されており、小さく胸元で揺れている。
心臓の鼓動に合わせるように揺れるそれは、失踪した両親の形見、対外的にはそう説明している物であり、今や乃亜にとって数少ない心の支えだった。
ここまで心労が溜まってきているのは悩みの種は、生きる方法がまだ見つかってない点だ。
夕暮れ時、政庁は委託の成果報酬を求める冒険者で溢れかえる。
泥まみれの靴、血のついた外套、怒鳴り声と硬貨の音。
彼らは足早に政庁を去っていくが数人で固まる冒険者もいる。
人数があるがゆえにカツアゲなどに合いにくい利点はあるが、人数が多ければ当然揉め事のようなデメリットも増える。
無論、同じクラスメイトとして乃亜の周囲に集まった彼らとて、その問題からは逃れられなかった。
「まだ2人帰ってきてないですが遅いと日が暮れて危険です。先に今日の収入を確認しましょう」
生徒会は会長、会計を兼ねる副会長、書記の白藤乃亜、庶務の小栗潤の順で立場が作られていた。
そのためクラスメイト同士の場は乃亜が仕切っていた。
「昨日と同じでスラム清掃の大銅貨4枚」
この都市への転移をゲームのように捉え、成り上がりへの夢、未知への興奮、未来への期待を抱いていたが、そんな空気はもう消えていた。
早坂の死、レイネルの離脱に冷や水をかけられ、現実に目覚めた。
青峰は怪我をしており、大田黒は現実的に期待が持てず、潤だけの収入が頼りになっていた。
そのため、清算を済ませた後の成果を確認し合う時間は、ただ憂鬱なだけの時間になっていた。
なぜなら、必ず問題が出る。
必ず言い争いになる。
そして最後に、どうしようもない現実に打ちのめされる。
そして今日も――。
「大銅貨1枚です」
「ハァ!? 今日1日何してたのよ!」
「今日は警備中に強盗犯に出くわしまして、指の怪我で取り押さえるのに失敗しました。それで減給に」
「……それは無理もないわね」
怪我している青峰を無理矢理働かせていることは理解していたのか、桐乃はその内容を聞いて引き下がった。
「青峰の件はどうこう言っても始まらない。女子たちの今日の成果は?」
「……ゼロでした。そもそも、委託を受けられていません」
桐乃があっさり引き下がった理由は、クラスメイトの女子たちの収入も影響していた。
この空気の中で、成果はありませんでしたと言うのは、乃亜でも気が重かったが、嘘をつくこともできない。
このままでは今日も潤の収入頼りになりかねない現実に、乃亜の細い両肩を重くする。
「……そうか、仕方ない。遅れている大田黒とエレインに期待しよう」
「ねぇ、青峰の奴なんだけどアンタのスラム清掃に連れてけない?」
「難しいな。大銅貨4枚貰うには危険手当、つまるところ治安が更に悪いスラムの奥に入らないとだ。何度か襲われてるし、青峰を連れていくにはあいつの怪我が治ってからにしたい」
潤が青峰の指を見る。
折れているような、罅のような微妙なラインだったので、今は健康な指を添え木代わりにして固定している。
その青峰がスラムの住人に襲われれば最悪の結果になりかねない。
スラムと言え比較的安全な外縁部なら潤が監視役になって仕事はできるが、それだと報酬が大銅貨2枚ずつになるため、潤が危険手当貰った方が報酬が増える。
「あいや暫く」
「おっつ~。遅れてごっめ~ん」
そうこうしている間に大田黒とエレインがクラスメイトの輪に加わった。
若干明るいその顔に、乃亜は期待をもって迎え入れる。
「おかえりなさい。今日の成果はどうでしたか」
「皿洗いだったんだけど、店長がセクハラ親父でさ~。仕事中も隙あれば身体触ってくるし、人気のない裏倉庫まで連れて行こうとするから逃げてきた。連続でこういう仕事が来ると流石に萎えるね~」
「拙は薪割りの仕事を貰えましたぞ!大銅貨4枚ですぞ!店長から誘われた故、明日の仕事も同じですな」
「おおっ、やるじゃないか。あんまり力仕事が得意そうには見えなかったけど、これは助かる」
明るい顔に見合った話題に、ようやくクラスメイト全体が明るくなる。
特に収入を安定させるため、危険な仕事をするしかなかった潤は、大田黒を大げさに讃えた。
食方面を最低限に切り詰めるという前提で、この都市で生活していくには1人当たり大銅貨1枚以上必要になる。
この数日、手元に入ってきたのは潤の収入である大銅貨4枚。
怪我をしている青峰が、稀に受託を受けられて大銅貨3枚。
それを6人で分けあっていたと考えれば、暗くなるのも当然だった。
「あんまり鍛えている様には見えなかったけど、見かけによらずって奴だな」
「拙の家、薪の暖炉がありますからな。コツは、肩幅くらいに足を開くことですぞ。楽な姿勢で腰を曲げないことが一番ですな」
「なんとかなる兆しが見えましたね。その間に私も何か出来るようになれば――」
責任感のある乃亜は今まで自分が何もできないことに忸怩たる思いがあった。
もしそれが解消できれば何とかなるかもしれない、それが希望になり、思わず笑顔になる。
「私たちが働くのもそうだけど、その前に動ける人で討伐に行けない? 委託だけだと結局抜け出せないと思うの」
「動ける人って俺か? 何とかなるとは思うが、バックアップは欲しいな。俺が早坂みたいにならない保証なんてどこにもない」
「それは……否定できないわね……」
「失敗できる状況になったのだから、賭けに出る前に生活の基盤を整えて、その上で色々試そう。勿論、俺も事前検証はする」
「私もまずは生活を整えるのが優先かなって。毎日シャワー浴びれないとか信じられない」
エレインの言葉はあまりにも自己中心的な言葉だったが、潤も否定せず、乃亜は消極的に同意しているように見えた。
女性として毎日お風呂に入れないのは確かに嫌だったのかもしれない。
足りない収入、不自由ばかりが目立つ暗黒の日々。
日本で当たり前に揃っていた自由が無くなっていく喪失感。
余裕がないからこそ息をひそめていた何かが、今になって顔を出してきたのは、ギリギリの状況を脱したからかもしれない。
桐乃が小声で、しかし潤に確かに聞こえる声量でぼやく。
「でもそれなら何時まで我慢すればいいのよ。スライム程度、なんとかしろっての。男のクセに臆病な奴ね」
「……」
「……小栗さん」
潤は顔に出しこそしなかったが、桐乃を見る目はしっかり生暖かった。
乃亜は潤の袖をつかむと、縋る様に頼み込む。
「あの、聞き流していただけると」
「わかってる。……椿、苛立つ気持ちは痛いほど分かる。だが、噛みつけばいいというものでもない。レイネルの二の舞を踏みたいのか」
「……ごめん。言い過ぎた」
それは明らかな失言だったのは間違いない。
口に出したことも、その内容も問題だが、失言の根底にある『元の世界の価値基準から抜け出せない』という問題は実に根深い。
16歳にしてファッション誌の専属モデルとして社会的な地位を持った桐乃にとって、何もかも手に入らず、何もできない現実は、容易に受け入れられるものではない。
「やはり、椿氏は必要以上に他人に責任を押し付けてますな。なら、きっと拙はもっと……」
潤の対応は桐乃の現状と、これ以上事態を悪化させたくない乃亜の心情の双方を慮った大人の対応だったが、周囲に与えた影響を無くすことはできなかった。
大田黒の言葉は、事の中心人物である桐乃が周囲の注目されているのもあって、誰の耳にも入っていなかった。
大田黒と桐乃の関係は、いじめられっ子といじめっ子の関係。
今後さらに悪化していくだろう桐乃との関係を思い、大田黒は静かに覚悟を決めていた。
「……白藤さん。全員に大銅貨1枚配ってくれ。今日はもう宿泊所で休もう。その金で政庁の売店で夕食を買って、今後のことは、明日あらためて考えよう。恐らく、今は何を考えても、ネガティブな結論しか出ない」
政庁が一般公開している宿泊棟。
屋内での雑魚寝は中銅貨5枚、日本の避難所に設置される半個室は大銅貨1枚から。
一番安い中銅貨2枚で泊まれる寝床は屋内ですらなく、政庁の屋上で布を壁にしたイベントテントの様な代物に茣蓙ひいて直接横になる。
今まで男子はこの屋上を選ぶ程困窮していた。
男子たちが申し訳程度に政庁の女性宿泊棟まで女子についていき、そして言葉少なに別れる。
その後になって自分の言動をふり返った桐乃は戦慄した。
「もし小栗が居なくなったら? どうやって暮らしていけばいい? 生きるって、こんなに大変なの?」
「今日は考えるのヤメ、って言ってたじゃん。 明日考えよ」
「……」
乃亜は明確に軽口ばかり叩く桐乃、何時もお気楽な態度を崩さず真剣さの垣間見えないエレインに呆れていた。
仮に隣を歩く2人がおらず、潤と自分の生徒会メンバー2人だけだったのならどれだけ楽だっただろうか、その感情が顔に出るのを抑えられない。
「言わなくても分ってるわよ、白藤さん。でも冷静な小栗の方がおかしくない? 目の前で早坂が死んだのよ? 大人大人しすぎてるのよアイツ。どうしても頼っちゃうじゃない」
「それは、そうですね。不自然なほど彼は正しい選択を繰り返してます。こんな頼りになる方だとは、生徒会にいた時も思っていませんでした」
「もうヤダ、家に……」
「いい加減黙ってくれませんか」
何時になく真剣な声色で乃亜が遮る。
「それから先を言われたら私も我慢できなくなります」
この街に来て、数日が経った。
自分たちは英雄でも勇者でもない。
ただ、世間の荒波に飲まれて溺れかけている子供だった。
両親は、世知辛さ、やるせなさ、そういった部分を、自分たちから遠ざけてくれていたのだろう。
弱者にアタリが強いこの世界は、大人に守られていた自分たちにとって、生きていくだけで辛い上に残酷だ。
この街に来て、数日が経って、それが骨身に染みてきた。