第7話
朝露がまだ草原に残る中、潤はモンスター退治の依頼を受け草原に歩みを進めた。
隣にはまだ怪我が治っていない青峰もいたが、潤は彼を戦力と考えておらず、今日は先日桐乃に言ったモンスター退治の検証のつもりだった。
やがて視界の先でぬるりと動く半透明の群れを発見すると、潤はようやく目的地へ辿り着いたことを理解し、小さく息を吐いた。
「作戦はありますか? 無策では危険ですよ」
「もちろんだ。剣道では全国レベルの早坂がやられたんだ。無策のままなんとかなる精神で挑む気はない」
早坂とレイネルの2人がかりで20分かかったのは潤も知っている。
その上で青峰から戦闘の詳細を聞き、またスラム清掃時に周囲の同業者から情報収集を行い、しっかり作戦を立ててきた。
もっとも、殿となったあの場面で既にスライムとの戦闘経験のあった潤は、それほど気負いしてはいなかった。
「あれはゲームによく出る序盤の雑魚敵ですが、決して弱くはありません。それを考慮すると報酬は低すぎる気がしますね」
「それは察しが付くだろ」
「と言いますと?」
「よく考えれば、あの底辺暮らしに満足している冒険者なんていない。誰だってもうちょっと良い生活がしたいはずだ」
「相違ありませんね」
「しかし皆あの窮屈でろくでもない生活で妥協している」
「そこには裏があると?」
「裏と言うか農家、そこひっくるめて一次産業との報酬を綱引きした結果なんじゃないかと思ってる」
「ああ……、なるほど」
冒険者とは犯罪者以外誰でもなれる職業であり、行き場の無い食い詰め、はぐれ物の受け皿であり、最後の選択肢。
だが、誰もが簡単になることのできる冒険者が、それなりの努力で金を稼げるようになったらどうなるだろうか。
仮に農民上がりの三男坊が冒険者になり、そのモンスター退治の報酬で楽に生活が出来るようになるとする。
スタートこそ大変だろうが、スライム以上のモンスターを狩れるようになる頃、農村という閉ざされた世界で生きる長男、長男に縛られる自由のない次男、そして良い女を買って良い飯を食う三男、という格差が出来てしまう『可能性』がある。
勿論、スライムでさえ退治は簡単でないが、『夢が見れる』のが問題だ。
農家、酪農家、漁師などの一次産業従事者は、叶うはずのない夢を見てしまうだろう。
この匙加減の難しさが報酬の低さとなって、冒険者を底辺に押し込めているのだが、解消は思いのほか難しい。
「後は……、思いのほかモンスターは強いってことなんだろうな」
「モンスターが弱く、誰でもレベル上げができるならば、報酬が低くても先ほどと同じ結果になってしまいますからね」
「そういうこと」
「それでも私たちはスライムと戦うしかありません。それで、肝心な作戦は?」
「『君が死ぬまで殴るのをやめない作戦』だ」
「……私が分かるように言ってください」
「同業者に聞いたスライムの生態だが、同じ箇所を10秒以内に4、5回強く殴打するとダメージが入る。だから手数で押し込むのがいいと思った」
この都市でのスライム討伐は、複数人で囲んで叩くことが一般的だった。
スライムはハンマーの様な殴打武器で討伐されることが多いが、回復能力が高く普通に殴るだけでは直ぐに回復されてしまう。
しかし短時間で殴打を繰り返すと、体内で作られた回復用魔力が次の衝撃に過剰反応する。
その結果、逆に全身に対してショック症状が発生し、一気に弱体化するのだ。
「なるほど。では、早坂さんとレイネルさんが時間が掛かったのは、殴り飛ばしていたから、という事ですね」
「わざわざ回復する時間を与えていた訳だからな。そりゃあいつまで経っても終わらないさ」
「それで作戦は死ぬまで殴り続ける、と。上手くいくといいのですが」
「まずは良く分かってない生態から確認しよう。戦うのは生の情報を得てからだ」
そこから2人は草原のスライム相手に、その生態をくまなく調べるところから始めた。
スライムは10メートル付近までは近寄っても無視するが、7メートルほどまで接近すると、こちらに向かって戦闘態勢を取り、襲い掛かってくる。
4匹で1グループを構成するスライムは、1匹が戦闘態勢に入っても同時には襲い掛かってこない。
しかし、周囲の1匹が攻撃されると別グループのスライムも反応して襲い掛かってくる。
その集団は15メートル離れると戦闘態勢を解除して、また草原をうろうろし始める。
その結果から、スライムはまとまって行動するが、決して群れを形成している訳ではなく、お互いを利用し合っているだけだと分かった。
つまり、端の1匹に接近して釣りだし、少し離れた場所で戦えば安全に戦うことが出来るようだ。
「では青峰。1匹釣りだしてくれ。暇だろ」
「いいでしょう。戦闘はお任せするので、釣りだしが私なのは当然でしょう」
青峰が先ほど得た情報に従って、複数いるスライムの端っこの1匹に近付く。
そうすると1匹だけが反応し、青峰はそのままスライムと同じ速さで潤に近付くように後退し、見事1匹だけを作り出すことに成功した。
スライムは青峰と入れ違いで自分の目の前に現れた潤に近付くと、身体を震わせ戦闘態勢をとった。
しかし潤は目の前の光景を見ても緊張した様子を見せず、むしろ何かの作業を始める前のような気怠さを漂わせ、肩を回した。
最初に飛び掛かってきたスライムへ、無造作に拳を振るった。
動きに気負いはない。
力んでもいない。
それにもかかわらず殴られたスライムは砲弾のような勢いで吹き飛び、数メートル先の地面へ叩き付けられると、そのまま破裂するように粘液を撒き散らした。
潤は半歩だけ身体を捻ると、バウンドしたスライムを再び地面に叩きつける。
ただ殴るだけでは連続攻撃にならないので、地面を利用するつもりだ。
ぐしゃり、と鈍い音が響く。
スライムが宙を舞う。
草原の向こうまで転がっていく。
「思ったより軽いな」
潤は呟く。
それは本当に球技で使うボールで楽しんでいる感想に近かった。
殴るたびにスライムたちが面白いように吹き飛んでいくため、危機感どころか検証作業をしている気分に近かった。
正面から蹴り飛ばし、横から来た個体を地面に叩きつけ、そのまままた蹴り飛ばす。
人間相手なら絶対に成立しない乱暴な戦い方だったが、スライムという柔らかい相手だからこそ成立しており、草原のあちこちで粘液が飛び散っていた。
「もう終わりか。弱い。実に弱い」
掛かった時間はせいぜい2分と言ったところ。
青峰は信じられない光景を見たかの様な面持ちで潤を見る。
強力な打撃なら連続して攻撃を当て続ければこんなもの、というのは頭では理解しているが、この様子なら潤が戦っていれば早坂は死なずに済んだかもしれなかった。
「……草原の他の冒険者を観察するに、1匹に3人がかりで10分前後が妥当な戦闘時間の様ですが、これはいったい?」
「あれだ、正直に言うと、元々日本でも喧嘩は強かったんだ。俺」
「そういう事にしておきましょうか」
そのまま6匹ほど倒し、いったん休憩に入った。
事の発端は潤が休憩が欲しいと青峰を止めたことだが、当初青峰は手加減もなく全力でスライム相手に殴る蹴るを繰り返したための休憩と思っていたが、実態は違った。
潤は自分でも信じられないくらいの脂汗をかき、遂には青峰に背を向けると、昼食べたパンを吐き戻した。
「水です。口をゆすいだほうが良いでしょう。……しかし、スライムの体当たりを受けたようには見えませんでしたが、どういう事でしょうか?」
潤は6匹全てのスライムを3分以内に倒している。
それも1発目の攻撃で主導権を握り、攻防どころか一方的に駆除するといった戦いぶりだった。
しかし、潤は今嘔吐している。
青峰には何が何だか分からなかった。
「……正直に話そう。俺は魔力を使用して戦っていた。攻撃力の上昇くらいだが、間違いなく効果はあったと思っている」
「魔力? それはどのような力でしょうか」
「ギルド本部でステータスを調べた時に項目があった。その力だ」
「そういう意味ではなく、魔力とはどのようなもので、何故あなたが使用できているのか聞いているのです」
水を飲んで落ち着いたのか、潤がぽつぽつと先ほどまでの戦闘を振り返り、今の状況を共有する。
しかし、その内容を聞いた青峰は、その言葉の意味は理解できたようだが、その状況はまったく把握できていなかった。
「使えると思ったのは、あの殿の時だな。俺が思うに、魔力とはカロリーに近い物だ。俺たちは運動する際、カロリーを消費しているが……」
「意図して使っている訳でも、自分の意志で使用量を調節している訳でもない、と。論理としては理解できます」
「突き詰めていけばゲームや漫画の様に出力を調整できるかもしれないが、日本出身の俺たちには難しいかもしれないな」
具合の悪そうな潤を目にした青峰は、まだ日が沈んでいないタイミングではあったものの、切り上げて帰ることを検討する。
戦闘の主役は潤。
その潤が行動不能に近い現状、ここは無理せず帰ることが正しい。
青峰はその判断を迷わなかった。
「今日はもう帰りましょう。なに、収穫はありました」
「悪いな。今後は戦い方の検討をしないとだな。日に6匹の場合、素材を回収できれば大銅貨6枚になるから今よりマシになる」
「そうですね。それにはスライムの粘液を回収する方法を考えねば」
スライム1匹あたりの討伐報酬は中銅貨4枚、素材報酬は中銅貨6枚で、大銅貨1枚になる。
潤と青峰の2人合わせた報酬は、日に大銅貨6枚ほど。
仮に今日も素材が回収できればトントンといったところだが、青峰が戦闘に加われるようになればプラスになる。
「では、スライムの皮だけは小栗さんが持ち帰って、イテッ」
帰り支度を始めた青峰が地面に置いていた水筒を手に取った時、彼はいつもの癖で水筒をペン回しの様に手のひらで横に回した。
なんてことはない。
本当に日本にいた時からの手癖であり、ペンにしろ、水筒にしろ、箸にしろ、なにか細長いモノを持った時の何時もの仕草だった。
しかし、彼は今指を怪我しており、指に水筒が当たった時の痛みから、その水筒を思わず弾いてしまう。
若干高い所から転がり落ちた水筒は、草原を縦回転しながら速度を上げ、――他の冒険者を喰らっていたスライムの頭頂部にクリーンヒットした。
集結していたスライムが、一斉にこちらへ身体を向ける。
10メートル以上の距離はあったが、それは捕食した後、栄養を周囲と分け合っている個体とは異なる条件だ。
青峰と潤が顔を見合わせる。
お互い真顔だったが、同じ真顔でも非難する真顔と、謝罪する真顔だった。
「よし! 逃げるぞ!」
「申し訳ありません。しかし、城門までモンスターを引き連れるのは都市の禁止事項です! 草原を回って撒きましょう!」
「アホか!草原の別モンスターに襲われるわ!」
確かにその禁止事項はモンスター退治を受注した時に、政庁職員の口から説明があった。
現在城門は再建築中であり、非戦闘員の土木作業員が業務中のためモンスターに追われている場合、城門への接近は固く禁じられていた。
だが、このままでは数に飲み込まれる。
潤は体調不良で、青峰は怪我で戦えない。
「しかたない。こっち使うわ」
潤はため息を吐く。
スライムの数は30近く、密集度も高い。
普通の冒険者なら顔をしかめる光景だったが、潤は面倒な雑務を見つけた時のような気分で肩を回しながら前へ進んでいく。
スライムたちは身体を震わせながら集まり始め、そのまま獲物を包囲するように広がっていくが、潤は逃げるどころか足を止め、右手を軽く持ち上げて掌を空へ向けた。
風が吹く。
草が揺れる。
次の瞬間、何も存在しなかった空間から白い輝きが溢れ出し、その光が1本の剣として収束すると周囲の景色までもが薄く照らし出された。
スライムたちの動きが止まった。
「あの、それは……?」
「……魔力を消費し続けるのがダメなら、武器として固体化させればいいじゃん、と思ったのでやってみた」
「理屈は分りませんが、その剣だけでどうこうなる状況ではありません。 逃げ――」
刀身は鋼ではなく、質量はあるかどうかすら曖昧で、それでも剣としか表現できないモノがある。
凝縮された光そのものが武器の形を取ったような異様な存在感を前にして、最前列にいたスライムたちは本能的な危険を察知したのか、じりじりと後退を始めていた。
その光景を見た青峰が、何とかなるかもしれないと、その剣を見る。
「まあ、試してみるか」
潤は軽く剣を振る。
力は入れていない。
ただの横薙ぎだった。
それにもかかわらず光の軌跡は10メートル以上先まで一直線に伸び、進路上にいたスライムたちをまとめて両断すると、そのまま草原へ巨大な切り傷を刻んで消えていった。
身体が真っ二つになったことを認識するより早く核ごと切断されていた数十体のスライムは、そのまま崩れるように地面へ広がり、粘液の水たまりへ変わっていく。
「……あ」
潤が固まる。
嫌な予感はしていたが、その予感は的中した。
スライムの皮はゴム製品として加工され、粘液は接着剤として様々な加工品に使われる。
しかし、粘液は地面へ、皮は綺麗さっぱり蒸発して宙に、討伐報酬の証になるスライムの核は消し飛ばしてしまった。
これではなんの意味もなく、その事実に気付いた潤は珍しく心底面倒そうな顔を浮かべる。
「やっちまったな」
潤は額を押さえる。
原因は明白、火力の出し過ぎだ。
スライムはその光景を前に戦意を喪失したのか、蜘蛛の子を散らす様にして離散していった。
戦闘は終わった。
草原は静かになる。
その一部始終を、離れた丘の上から見ている男がいた。
年季の入った革鎧を着ている。
見た目は普通の冒険者だった。
だが彼の顔からは血の気が引いており、自分が今何を見せられたのか理解できないまま草原の中央を凝視していた。
「なんだ、ありゃ……」
思わず声が漏れる。
信じられなかった。
理解も追いつかない。
あれだけの群れを単独で壊滅させる実力者など都市でも滅多に見ない上に、その戦い方は熟練冒険者というより災害そのものに写っていた。