私の過去を疑った時、初めて私は私の全てを知る   作:グリンチ

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第8話

 

一仕事終えた後の政庁宿舎棟では、多くの利用者が食事をとっている真っ最中だった。

同じような時間に起き、政庁から請け負った仕事をこなし、同じ政庁宿舎棟で寝る彼らは、必然的に似たような生活リズムになっていく。

その一角で、大田黒は味気ないパンをかじり、この惨状に涙を流した。

塩が少なくバターも使われていないパンは、健康志向と考えれば悪くなかったが、何日も食べ続けるのには味気なさすぎる。

せめてハムなりソースなりチーズなりがあるのなら我慢もできるが、味付けが塩のみのスープが相方では気も上がらない。

彼は潤の姿を見つけると意を決したように立ち上がり、その対面へ座り直した。

表情は暗い。

普段から口数の少ない男だったが、今日はいつも以上に言葉が少なかった。

いつもなら冗談の1つでも飛ばしそうな男が露骨に沈んでいる様子を見て、潤は何か問題が起きたのだと察する。

 

「少し話しても宜しいですかな」

 

大田黒は周囲を見回しながら尋ねた。

声も小さい。

誰かに聞かれたくないらしい。

 

「正直に申しますと、拙はそろそろ限界ですぞ」

 

開口一番に出てきた言葉は重かった。

愚痴とも少し違う、冗談で済まされるような内容ではなく、今まで我慢して積み重ねてきた不満が、外へ漏れ始めたような響きがあった。

 

「椿のことか」

 

何がどうして限界なのかを聞くまでもなく、ピンポイントで潤が確認する。

大田黒は苦笑した。

友人関係と言うには少々疎遠な関係である2人だったが、大田黒と椿の関係が良好とは言い難いことくらい誰にでも分かっていた。

 

「椿氏は、拙が何をしても気に入らないようですな」

 

その言葉に疲労が滲んでおり、怒りだけではなく、諦めも混ざっている。

薪割りの仕事を見つけて以降は特に顕著であり、何か失敗すれば責められ、成功しても当然のように扱われる状況が続いていた。

 

「今日も報酬を全部出しましたぞ」

 

潤は黙って聞く。

遮らないし、肯定も否定もしない。

こういう時に必要なのは助言より先に話を聞くことだと理解していた。

 

「チームのためと言われれば、その理屈は理解できますぞ。しかし、自分で稼いだ金を、ほんのちょっと多く貰うことは、そんなに間違ったことですかな?」

 

大田黒は視線を落とした。

語尾に行くにしたがって、声が少しずつ強くなる。

今まで抑えていた本音がそうさせていた。

異世界にいきなり放り込まれたのだから仕方ないことなのだとは理解している。

しかし理解できることと納得できることは別問題であり、その2つが一致しないからこそ苦しんでいた。

 

「金の使い道は、室内で寝ることか? それとも飯か?」

「両方ですな! どちらか片方だけと言われても困りますぞ!」

 

潤が言う内容2つに対し、大田黒は即座に、しかも身を乗り出して食い気味に頷く。

この異世界での底辺生活は大田黒の想像する底辺の生活だったが、それは底辺に限った話だ。

それはバターを使用した柔らかい白パンにハムとレタス、もしくはタマゴサンドだったり、焼きおにぎりもそうだ。

焼き魚にタマゴ、味噌汁にソーセージがつくような定食を食べようとすると4、5000円もするが、金さえあれば日本と同じ様な食事にありつける。

大田黒は比較的まともな仕事場で働くことによって、自分よりもずっとまともで美味しいものを食べていることを知ってしまったのだ。

ナポリタンらしき麺類、ピザのようなパン、魔法で冷やしたのかデザートにアイスまである。

何て幸せな光景なのだろうか。

他の市民たちの優雅さが、椿桐乃に搾取されているこの境遇の惨めさを加速させる。

大田黒に尊厳らしい尊厳は最早ほとんど残っていなかった。

潤はしばらく返答しなかったが、やがて夜風に吹かれながら小さく息を吐く。

 

「それは当然の願望だな」

 

大田黒は目を丸くする。

少しだけ救われた顔になる。

少なくとも自分の考えがおかしい訳ではないと確認できただけでも、彼にとっては十分な救いになっていた。

その反応を見て、潤は思わず苦笑を浮かべた。

そこからも大田黒の愚痴は長く続き、そして最後に、大田黒は今まで誰にも話していなかった考えを潤へ打ち明けた。

 

チームを離れるつもりだ、と。

 

その夜。

 

政庁宿舎棟の屋上では、イベントテントを布で囲っただけの簡素な寝床が夜風に揺れており、多くの利用者が眠りについていた。

そんな中で、潤と青峰は予め端っこイベントテントを確保していたが、更に建物の端へ移動し、人目を避けながら小声で話し込んでいた。

今日は風が強く、その心配はないだろうが、誰かを起こせば余計な注目を集めかねないため、2人とも自然と声量を抑えている。

そして今から話す内容は、少なくとも大田黒に聞かせるべきものではなかった。

 

「大田黒から相談を受けた」

 

潤は周囲を確認してから切り出した。

青峰は表情を曇らせる。

その名前が出た時点で、良い話ではないことは察せられた。

ここ数日、いや学校生活から続く人間関係を見ていれば、大田黒が何かしらの不満を抱えていることくらいは誰にでも分かったからだった。

 

「チームから離脱したいらしい」

 

青峰は驚いたものの、完全に予想外という反応にはならなかった。

むしろ遅かったくらいだと思う。

大田黒が定期的に薪割りの仕事を得ることができ、ちゃんとした収入を得られるようになってから状況は悪化していた。

仕事にありつけないときは桐乃から役立たずと罵られ、仕事を得たら得たで自分で稼いだ金を毎回共有財産として徴収されている。

そして桐乃は徴収した賃金の一部をちょろまかしていた。

たまたま青空市場での清掃業務を担当した青峰に見つかり、乃亜から厳重注意を受けたのがつい昨日の事だ。

桐乃に労働の対価を全額徴収され、嫌味や批判まで受け続けているのだから、限界が来ること自体は不自然ではなかった。

 

「しかし、ここは日本ではありません。現地民がどこまで信用できるか分からないですし、分からない事ばかりです。冬がどうなるか分かるまで我々は協力し合うべきではないでしょうか」

「俺もそう思う。魔法文化がどう影響するか知らないが、冬に食料を生産する力は低いと見積もっていい」

「その上で、彼は1人がいいと言っているのですね?」

「ああ。それだけ椿のことが嫌いなんだろうさ。気持ちは分る。俺もアイツとはなるべく行動を一緒にしたくないからな」

 

潤の物言いに青峰は驚いたような表情を見せる。

生徒会役員の1人としてここまでおおっぴろげに一個人に嫌悪感を向けているような発言をするのが信じられなかった。

 

「俺がアイツを嫌っているのは気が強いからでも粗野な振る舞いが多いからでもない。ましてや困った時の最初の行動が助けを求めるからでもない。普段は他人を見下すような言動を取るのに、自分が困ったときには当然の様に助けを求め、助けてくれた相手に感謝も配慮も無い言動が嫌なんだ」

「助けを求めない孤高を貫くならそれはそれでいいし、助けを求めるのなら感謝は当然として普段から協調性のある態度をとる必要があると?」

「当然だろ?アイツは自分にとって都合のいい様に周りが動いてくれないと不満がたまっていく質なんだ。付きまとわれてる大田黒には同情するね」

 

青峰は腕を組みながら考え込む。

言いたいことは分かるが現状は非常事態だった。

誰もが生活基盤を失い、明日の食事すら保証されない状況である以上、チームのために金を出し合うこと自体はおかしいことではないし、潤もその部分を否定しない。

実際に潤は危険なスラム清掃で得た収入を全額共有財産へ回している。

だから金を出すこと自体が問題だとは考えておらず、むしろ別の部分に本質があると思っていた。

潤が否定しているのは普段の態度だ。

 

「大田黒の問題は、椿以外にも納得できないからだと思う」

 

青峰は続きを待つ。

大田黒の顔を思い出しているかの様に潤は視線を落とした。

そして彼が本当に不満を抱いている理由について、できるだけ客観的に説明し始める。

 

「大田黒は屋内の個室で寝たいと言っており、また3日に1度でいいから肉を食いたいらしい」

 

随分と俗っぽい願望だったためか、青峰は苦笑した。

しかし同時に極めて人間らしいとも思ったし、今日の様に風が吹き荒れる夜は、確かにその願望は正しく感じられた。

ほぼ野外で雑魚寝をし、粗末な食事ばかりが続く生活の中で、自分の稼ぎくらいは自分のために使いたいと思うことは責められるものではなかった。

 

「室内の個室で眠れて、たまにまともな食事を取れたうえで、その後の余剰分を提供する分には大丈夫なんだろう」

 

全額を強制的に提出するが嫌なんだろうな、と潤は淡々と続ける。

自分の努力によって得た成果を全て差し出せと言われ続ければ、それは協力ではなく搾取だと感じる人間がいても不思議ではない。

せめて感謝の言葉でも集まれば大田黒の気も逸れただろうが、現状は椿桐乃からは暴言が浴びせられ、エレインからは存在しない様な無視を受けている。

青峰はしばらく黙り込んだ後、何かを整理するように息を吐いたが、その時になってそういえばと言葉をつづけた。

 

「そういえば、女子側はどうなのですか?」

「察しがいいな。実は白藤さんからも相談を受けている」

「白藤さんもですか?」

 

青峰は目を瞬かせる。

最も冷静な人物だと思っていたためか、余程予想外の名前だったらしい。

少なくとも表面上は感情に流されず、誰よりも現実的に状況を見ているように見えていたからである。

 

「この間の椿の件で嫌気がさしたらしく、次に問題が起きたらもう管理したくないと愚痴を吐いてきた」

 

潤は苦笑混じりに答える。

責める気はない。

むしろ当然だと思っていた。

桐乃とエレインの問題行動や危機感の薄さに振り回され続けている以上、乃亜が疲弊していても不思議ではなかった。

 

「それでリーダーを代われと言っているのですか?」

「そんなところだ」

 

青峰は天を仰ぐ。

男子側は大田黒が離脱寸前で、女子側は乃亜がストレスのためか管理役を放棄しかけている。

乃亜にもう少し頑張ってくれと頼むのは簡単だが、桐乃の行動を鑑みるに、そのもう少しがどれだけ長く続くかは明白であり、簡単に頑張れとは言えなかった。

ここまで来るとチーム全体が崩壊寸前と言っても過言ではなく、誰かが手を打たなければ遠からず空中分解する未来しか見えなかった。

 

「次に問題が起きたら、とのことですが大田黒さんの離脱が目前である以上、その『次』は明日にでも起きますよ?」

「そうだ。もうどうしようもない。だからどうしようか、アドバイスが欲しくて相談してるんだ」

「このまま白藤さんと、椿さんとエレインさんを一緒に行動させ続けると、何時か白藤さんが爆発するでしょう。ならば、いっそのこと完全に切り分けますか」

 

潤が視線を向ける。

青峰は真面目な顔であり、冗談で言った訳ではないらしい。

確かに今のまま無理に一緒にいるより、相性を考慮して組み直した方が長持ちする気がしていた。

 

「私が椿さんとエレインさんを受け持つので、小栗さんは白藤さんと組んでください。白藤さんはあなたのことを信用していますので」

 

潤は即答しなかった。

考え込む動作にも僅かに間があり、青峰はその反応を見逃さない。

普段なら合理性を優先して判断する男が、珍しく言葉を選んでいるように見えた。

 

「……正直なところ」

 

潤は夜空を見上げる。

そして小さく息を吐いた。

どこか本当に困っているような顔だった。

そのまましばらく考え込んだ後、ようやく言葉を続ける。

 

「今の白藤さんと、どう付き合えばいいのか分からないんだ」

 

青峰は違和感を覚えた。

引っ掛かったのは今のという部分だった。

それが妙に耳へ残る。

まるで昔の乃亜を知っている人間が口にするような言い回しに聞こえたからだった。

 

「今の?」

 

潤は何も答えない。

否定も肯定もしない態度を取るのではなく、青峰の顔を見ながら面倒そうに肩を竦める。

その反応は質問そのものを流そうとしているように見えた。

だからこそ青峰は逆に興味を持ってしまう。

 

「あなたたちは高校生になった後、生徒会就任時に初めて顔を合わせたのではないしょうか」

 

潤は軽く笑う。

それ自体は事実であり、何も間違った情報はない。

だから青峰は別の可能性として、失踪した扱いになっている乃亜の両親と潤の関係を疑い始めた。

 

「白藤さんのご両親絡みでしょうか? 彼女に指輪を残して失踪したという」

「想像力が豊かだな」

 

探るような問いだったが、潤は安易に返答せず、少しだけ目を細め夜空へ視線を戻した。

その仕草だけで、これ以上は答えないという意思表示になっていた。

肯定にも否定にもなっていない。

だが潤が話したくない話題であることだけは伝わる。

 

「青峰はさ……」

「はい」

「家族同然の親しい人が、自分のことどころか、これまでの全てを忘れてしまったら、それは自分の知ってる人と、その人は同一人物だと思うか?」

 

青峰は潤の言葉の裏を探ろうとする。

今までの話をまとめると、乃亜と潤には、どうやら複雑な過去があるかのように思える。

 

「いや、答えはいらない。忘れてくれ」

「それでいいのですか?」

「どうしようもないだろ」

 

潤は露骨に話を遮ったが、青峰はそれ以上追及せず、今は目の前の問題を片付ける方が先だと考えることにした。

大田黒は離脱寸前であり、乃亜も管理役を続けることに限界を感じ始めているため、今の6人がこのまま維持できる保証はどこにもなかった。

異世界での生活は続く。

問題も次々に発生する。

だからこそ2人は夜更けまで議論を続けながら、少しでも崩壊を先送りにする方法を探していた。

 

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