「そこの騎士のお兄さぁん。今可愛い娘いるよ?寄ってかない?」
「無視しないでよー。寂しいなー」
「わたし結構いい身体してると思うんだけど、今夜どうー?」
暗い路地には似つかわしくない、ふわりと柔らかい香り、直接頭に響くような甘い声。
その声の元を見れば、人間にはない、頭から伸びた二本の角と、スカートの裾から覗く細く長い尾――
そう珍しいものではない。
魅人族の保護同化政策が始まり、俺の治安維持の担当地区がこの歓楽街周辺になって以降、毎日のように見る光景である。
一年前まで、魔人戦争と呼ばれる戦争が続いていた。
戦時中、魔人族に従属していた魅人族は、武装をせず、王国へ攻撃することは一切なかった。しかし、魔人族の兵站を支えていたのは魅人族であり、魔人族が戦争を継続できた大きな理由の一つである。
このため、戦争終結後、魅人族の処遇についての議論は活発化。当時の魅人族の族長と国王の中でいくつかの対談があった後王国は、魅人族を対象とした保護同化政策を始めた。
その一環として作られたのが、彼女たちの容姿や性質を利用したこの歓楽街である。
歓楽街の客引きをする魅人族は、特に容姿に秀でている者が多い。そんな彼ら彼女らの誘惑を毎日耐えるのは、決して簡単な事ではない。
最初こそ魔人族の同族だと嫌われていた魅人族も、今では立派な王国民であり、王国を代表する光景の一つになった。
騎士として王国を守ってきた俺としては、短い期間で大きな変容を遂げていく王国に対し複雑な気持ちである。
いつも通りの光景。見回りを終え、兵舎に戻ろうとした時だった。
「おい!」
路地の奥から、怒鳴り声が聞こえた。
俺は足を止める。
「いいだろ、別に!」
「やめてください……!」
女の声。
次いで、何かが壁にぶつかる音。
音の方向に向かって体を走らせる。
「おい。何をしている」
路地へ踏み込むとそこには、顔を赤く染めた、恐らく酔っぱらっているであろう男と、一人のサキュバスがいた。
男は彼女の腕を掴み、壁際へ追い詰めている。
「騎士……?」
「チッ……騎士か。おい。とっとと失せろ。俺はこの女に用があるんだ」
「現在王国では、魅人族特別保護法により、魅人族に対する暴行を厳しく取り待っている。お前のやっていることは暴行未遂といったところだ。今ならまだ見逃してやる。去れ」
「なんだと?おい。この地区はこいつらと仲良くなるためのもんだよな?店だってそういうことを目的に運営している。王国はそれを黙認しているどころか、進めているんだよなぁ?王国の犬が、ご主人様の意向に逆らうのはどうかと思うんだがね」
「論点をずらすな。王国は魅人族への暴行を厳しく取り締まっており、意図がどうであろうと、客観的に見てそのサキュバスが否定的な態度である限り、お前のやっていることは暴行に該当しかねない。それ以上行為を進めるのであれば、お前は処罰対象であり、今ならそれを避けることができるということを言っている。お前が今できることは、黙ってこの場を去るか、俺達に捕まり処罰されるかの二択だ」
場に緊張が走る。俺は帯剣しているロングソードの柄に手をかける。
「……チッ」
男は目を細め俺を睨んだ後、足早にこの場を去っていき、場には静寂だけが残る。
俺はサキュバスへと顔を傾け、目を細める。
「お前も気をつけろ。店から離れれば、助けられるものも助けられない。店から離れないことだ。そもそもお前、あの男を誘惑していないだろうな?現行の法律では魅人族の誘惑を取り締まることはできない。店でもない場所でお前から誘惑したのにも関わらず、行為寸前で声を上げたのならば本来お前にも非が出てくる問題だ。そうやって暴行をした者に課せられた罰金を、被害者としてお前達が受け取るというスキームが確認され始めている。先ほどのあれがそれに該当しないことを願っているが?」
「……あれは本当にあの人が襲って来たんだよ。酔っていたのもあるだろうけど、わたしは特にサキュバスの中でも体質が強いから」
魅人族の体質――魅人族の男女関係なく、周囲にいる者を種族関係なく魅了してしまうというものである。学者達の研究では、魔法由来であるという説から、体臭や、目に見えないフェロモンのような生物学的要素が原因ではないかという説も出ている。
「……」
確かに今、彼女を視界に入れているだけでも、どこか気分が高揚する様な、ふわふわする様な感じがある。もっと直接的に言うのであれば、下半身が意図せず反応しているのが分かる。
歓楽街のサキュバス達とは違い、彼女の体は黒いドレスに包まれており、彼女の肌すらほとんど見せていないはずなのにである。
「でも騎士さん、優しい人なんだね。言葉では強く聞こえるけど、わたしの身を凄く案じてくれてるよね?何なら、襲おうとしていたあの人に関しても、いくつかの可能性を考慮しながら話している」
「罰せられるべきものが罰せられるだけであって、無実な者が関係のない罪を被せられ苦しむなんてことを見るのに飽きただけだ」
保護同化政策が決まるまでは、魅人族に対して、魔人族に属していたからと、ひどい仕打ちなどをされているのをよく見た。別に、同情するつもりはない。魔人族の戦争を陰で支えていたと言っても過言ではないからだ。
ただ、魔人族が行った虐殺の分を全て魅人族に負わせるのも、また無茶苦茶過ぎる様には感じた。
「やっぱり優しいんだね」
「ありがとう、とだけ言っておく。それでは、俺はこのあたりで」
これ以上続けても、悲しくなるだけだ。
話を終わらせようとした時、彼女が声をあげる。
「待ってよ」
彼女が、俺の顔の真正面、それも密着寸前の距離まで近付いてきた。
近過ぎる距離。
言葉を発してしまえば、俺の唇が彼女の唇に当たるかもしれないと思い、言葉が出ない。
「お礼、しないとね?」
彼女の手が、俺の頬を包むように添えられる。
柔らかな香り。脳を溶かすほどの甘い声。
紫色の彼女の目が、月明りで怪しく光っている。
どうしようもなく、彼女を抱きしめたい。無茶苦茶にしたくなる。
内なる衝動におかしくなりそうになった俺の脳裏に、一人の女性が写った。
太陽の光の様な、小麦の様な、鮮やかな金色の人。
――裏切りたくない。
「……ッ!結構だ」
反射的に彼女の肩を掴み、押しのけるように背を向け、そのまま逃げるように走る。
失礼な離し方だが、少しでも振り返れば、飲み込まれてしまいそうで、恐ろしかった。
/////
騎士である男が居なくなった路地裏で、紫色の目を持つサキュバスは、走り去っていく男の背中が暗闇の中に消えていくの見ながら、思索に耽る。
「……へぇ」
彼女は特別であった。
サキュバスの持つ種族特有の性質、周囲にいる者を種族関係なく魅了してしまう性質というのは、本来魅人族でも操作ができないものであった。
しかし、彼女は違う。この性質の出力を調整できる。
元々彼女の持つ種族特有の性質は、他のどのサキュバスよりも強いものだった。胸の奥から発せられる、内なる波動の様な、波紋のようなそれ。
他の魅人族ではそもそもの出力が小さく認知が出来ず、結果的に操作の仕方が不明のままだった。しかし、彼女はその強さが故に、どうすればそれを自分が操作できるのか、それを彼女は掴むことに成功した。
「名前、聞けなかったなー」
彼女はこの性質を、
魅人族は、恋雫が原因で、体が先に来る恋愛が基本的である。性的接触の先に、恋愛がある。
別に、そういう文化自体は他の人種にもない訳ではないし、そこから始まる恋愛だってあるのも知っている。しかし――
「体じゃなくて、心で好きになる。内面を見て好きになってくれる人って中々いないんだよね」
どうしても、この魅了の力が、自分達に下駄をはかせてしまう。
心も伴った恋愛をしたいのであれば、少なくとも恋雫に耐えられる人でなければいけなかった。
更に言うのであれば、恋雫にも耐えられる強力な理性と、相手をしっかり観て、思いやれる優しさを持っていること。
「騎士さん、かぁ……」
恋雫に耐えるという最低条件を満たし、人を思いやる優しさ、積極的に助けようとする正義感、あるいは真面目さを持った騎士の男。
また、酔っぱらった男と対峙した時の、あの横顔――
「かっこよかったなぁ……」
はっきり言って、タイプであった。
どうしようもなく、自分のものにしたくなる。誰かの横ではなく、自分の横にいてほしいと思う。
自分の横に立って、笑顔で、二人で何気ない話を楽しんだり、たまには美味しい物を食べに行ってみたり、そういう幸せな未来を一緒に歩きたいと、そう思ってしまった。
彼の横に自分以外の女が居て、彼の横に立つための場所が無かったら。彼の横に、自分の居場所が無かったら――それを想像するだけで、胸が酷く痛くなる。
「私が、選ばれなきゃ」
彼のことを考えるだけで、顔が熱くなる。
ドクドクと、胸のあたりが騒がしい。
きっとこれは、恋雫のせいじゃない。
/////
逃げるように走り、歓楽街を抜け、騎士団の兵舎へと向かう。
あの柔らかな香りが、まだ鼻の奥に残っている気がした。
そのまま鼻の穴にべっとり着いて剥がれない気がして、鼻をこする。
「……っ、はぁ……」
ようやく騎士団の兵舎へ戻る。
扉を開けると、夜勤の騎士たちが数人、談笑していた。酒の匂いと、昼間の訓練で染みついた汗の匂い。さっきまでいた夜街とは、何もかもが違う。
いつもの兵舎である。さっきよりも、息がしやすくなった気がした。
「おかえり」
「……ただいま戻りました」
心が安らぐ、落ち着いた声。
声をかけてきたのは、先輩だった。
長い金髪を後ろに流し、机に向かって書類を整理している。
彼女の姿を見た瞬間、先ほどまでおかしくなっていた自分が、急に冷静になるようで、張りつめていたものがほどけていくのが分かる。
リリア・トリゥシュ。
十四の頃。
魔人侵攻によって両親を失ったあの日。
何もできず、ただ震えていた自分を助けてくれた人。
あの日からずっと、追いかけてきた、憧れの人。
「……どうしたの?」
「いえ」
俺は首を振る。
「夜街の巡回、終了しました」
「そう。異常は?」
「大きなものはありません。ただ――」
俺は今日あったことを簡潔に報告する。
酔った男がサキュバスに無理に迫り、それを制止したこと。
男には警告をして帰したこと。
先輩は黙って聞いていた。
「怪我人は?」
「いません」
「ならよかった」
彼女は小さく微笑む。
「ご苦労さま」
「……ありがとうございます」
その言葉だけで、胸が温かくなる。
昔からそうだった。
先輩に認めてもらえることが、嬉しい。
先輩に褒めてもらえることが、何よりも安心する。
俺が騎士になった理由だって、結局はそういうことなのだ。
あの日、俺を救ってくれたこの人のようになりたかった。
誰かを守れる人間に。
誰かの絶望に手を差し伸べられる人。
暖かい手の平で、相手の涙を拭ける人。
やはりそうだと、確信する。
――俺は、この先輩が好きだ。
「今日はもう上がっていいよー」
「はい」
先輩が立ち上がる。
「また明日ね」
「はい。また明日」
それだけの言葉を交わして、俺は兵舎を後にした。
/////
家に着く頃には、すっかり夜も深くなっていた。
鍵を取り出し、玄関を開ける。
「……」
鍵を閉め直し、携えていた短剣を取り出し、おおよそ八歩ほど右斜め後方に隠れる気配に向かって飛び掛かる。
「ッ!」
「何者だ」
刺客の腹に馬乗りになり、短剣を刺客の首筋に沿わせながらフードを持ち上げる。
「えーと……」
聞き覚えのある甘い声。
紫色のショートヘアと瞳。頭から後頭部に短く伸びる二本の角。服の下から地面を這うように出てくる、先が鎌状の細長い尾。
刺客の正体は先ほどのサキュバスであった。
「……こんばんは?」
「……ここで何をしている。何故俺を着けていた」
「……騎士さんの名前、知らなったじゃん?」
「で?」
「家さえ分かればいつでも会えるし、会えば名前も分かるかなって」
「ふざけているのか?」
「大真面目だよ?」
頭痛がするようであった。
家を知れば名前を知ることができるから尾行していたなど、言い訳にしてはあまりにも突飛過ぎる。ということは嘘なんてついていないことになるのだが。
「……本当の目的を言え」
「……?名前を知りたくて――」
「それで?名前を知ってどうする。裏社会に懸賞金でも流すつもりか?」
「違うって――」
「ならなんだ。言え」
一体どんな意図があったのか。
それを知らなければ、俺は安心して眠れない。
真実というものは美しいが、それを探す間は苦しいだけである。
真実は、白日の下へ晒されなければならない
「……仲良くなりたくて」
彼女は少しだけ眉を下げる。
「好き、だから」
「…………」
時間が、止まった。
「……どうかした?」
「いや、えっと」
好きだから、とは一体どういうことだ?
別に、目的と手段は一致しているように思える。いや、手段はおかしいが、自分が好意を持っている対象と近づくために名前を欲するというのはおかしくない。いや、そんなことは分かっている。分からないのは、何で俺を、好きだと、一体どこを、何故――
「……少し混乱させちゃったみたいだね?」
そう言いながら、彼女は目を潤せながら自らの右手を俺の左頬へと添える。
添えられた手の温かさに、思わず口から息が漏れる。
「わたしさ、サキュバスじゃん?そうすると、まぁ何というか、簡単に言うと体目当ての恋愛というかさ、それが先にあり過ぎて、本当に心からこの人が良いなって思った人と仲良くなってからってならないんだよね。別に、そういう形もあるとは思うんだけど、体が繋がっているだけじゃ、やっぱり幸せにならない時があるというか、心がつながっているからこそ、本当に幸せって言えばいいのかな」
心がざわついているのに、妙に安心する。
黄金色の彼女の温かさが、思い出しにくくなってきている。
「普通のサキュバスと違って、私は人を魅了する力をある程度操作できるんだけど、君が守ってくれた後、本気で君に使ったんだ。それでも君、わたしの魅了を振り切ったよね。そこで思ったんだ。君なら、本当の意味でわたしを観てくれるんじゃないかって」
命の恩人。両親の次に、俺を導いてくれた人。
「あの酔っぱらった男に関しても言った通り、君は凄く優しくて、人のことをよく観て、考えられる人だと思うんだ」
彼女は、先輩は、全てを失った俺に、一から全てをくれた人だ。
「騎士さんは、まだまだ知らない所とか、嫌になるところとか、あるのかもしれないけれど、それでも、一緒にご飯食べたり、遊んだり、どうでもいい様なこといっぱい、二人で一緒に体験したいって思ってる」
俺の全てのはずなあの人を、俺が裏切るなど、あってはいけない。
「君のことが、騎士さんのことが、好きです。付き合ってほしい」
紫色に光る雨雲が、俺の小麦畑に影を落としていく。
「君の隣が、他の誰かなんて嫌だ。君の横は、わたしがずっと居たいと思うし、君の横はわたしが良いって、君に思ってほしい。他の誰でもなく、君とわたしが」
先輩と居ると俺、凄く安心するんです。
「だから、その一歩目として、君の名前、教えてほしいな?」
ずっと一緒に居たいなって、思うんです。
「…………ウィルバート・シュテインレス」
先輩、俺、貴女のことが好きなんですよ。
「……私はシャーナ。シャーナ・アルラフォーネ。これからよろしくね?」
だってそうでなければ、おかしいじゃないか。