勇者の孫娘とコウモリ少年 人と獣人との黒き事件簿 作:ごぼう大臣
「これって……本物の血?」
目の前に広がる赤色と、鼻をつく鉄の匂いにアイリスは思わずつぶやいた。
王都。そのとある一角には、小金持ちというべき平民の上澄みが暮らす地区がある。並ぶのは大きめの一軒家で、貧しい人々から見れば豪邸の立ち並ぶ区画。そしてそこは、稼いでいる冒険者たちがもっぱら家を借りる場所でもあった。
そこは王都の中でも比較的治安は良く、いつもならば血の一滴、悲鳴の一つも珍しい一帯だった。しかし今日ばかりは様子が違ったのだ。
「……こりゃ酷いね。静かな場所だと思ってたけど」
まだ涼しい空気が残る朝方。ロキが袖で鼻を押さえながらつぶやいた。隣ではアイリスが顔をしかめながらある場所を見つめている。
すぐ前方にある小綺麗な一軒家。その玄関のすぐ手前に小さな赤い水たまりが広がり、その中心には大人の握り拳ていどの大きさのかたまりが落ちている。
水たまりの赤より黒みが増した、生々しい肉のかたまり。表面には何本かの管の切れ端がくっつき、周囲に血なまぐさい異臭を放っている。
「これって……多分、心臓ですよね? 作り物じゃなくて」
アイリスは青い顔を上げてそうたずねた。その視線の先で住人らしき人物がうなずく。
「は、はい……今朝、この場所に落ちていまして……私が最初に見つけたんです」
家を借りているその冒険者ら複数人はそろって怯えていた。互いに顔面蒼白で視線をかわし、返答の声も上ずり震えている。目の前の異様な光景がやはり恐ろしいのだろう。
そんな彼らへロキがたずねる。
「君たち、最初に冒険者ギルドの僕らのところに来たよね?」
「は、はい。頼りになる探偵さんがいると聞いていたので」
「でも事件ならまず憲兵隊に知らせないの? なんでいきなり僕らに?」
ロキがたずねると住人の面々は答えにくそうに顔を見合わせた。彼らの不可解な行動には何か事情がありそうだった。
少しして、一人が歯切れ悪く答える。
「その……ライナスとは色々あって」
「ライナス?」
「あ! その、 こ、この心臓の持ち主がソイツかなって。つまりはもう死んでて……」
唐突に出てきた人名と要領を得ない説明にアイリスが首をかしげる。そこへロキが補足するように言った。
「チラッと聞いた事がある。なんでもギャンブルにはまってて、裏社会のヤバい連中にまで借金してたって」
「それと何の関係が……」
「ヤバい連中ってのは、金を返さない輩に厳しいんだ。時には法に外れた事も、それを周りへ見せつける事も躊躇しない」
「そんな、まさか」
アイリスは戸惑いながら心臓に視線を移す。が、視界に入った玄関の扉には血文字で警告らしきものがでかでかと書かれていた。"PENALTY"(報い)と。
一方でロキはまるで動じずに考え込み、何事かつぶやいた。
「僕の知り合いにもそんな金貸しがいたよ。ただ……」
一人で首をかしげ、彼はしばし腑に落ちない表情で宙を見る。しかし冒険者らが心配そうに見つめているのに気づくと、からりと笑顔を作って言った。
「えー、とりあえず……君たちはそのライナスと知り合いなんだね。具体的には?」
「元パーティー仲間でした。でも、おっしゃる通りギャンブルにはまっちゃって。私たちにまで金を無心するから縁を切ったんですが……」
「一人になっても、借金でギャンブルを続けた?」
「はい。私たちはもう関係ないはずなんですが……」
ロキの確認に沈んだ表情でうなずく冒険者。ロキもそうかとうなずくと、穏やかな笑みのまま言った。
「合点がいった。つまり君たちはライナスを殺した連中が自分たちにまで危害を及ぼして来ないか心配で、僕らにコッソリ調べてほしいと。当たりかい?」
「は、はいっ! 憲兵隊に頼むと、賄賂を握らせられたりして役に立たない場合がありますから……」
「分かった、分かった。裏で調べるのは探偵の得意分野さ」
ロキはなだめるように言って、転がっている心臓へ駆け寄る。そして懐から空の袋を取り出すと心臓をしまった。それを見ていたアイリスが顔をしかめる。
「それ、持っていくんですか?」
「もちろん。放置するワケにもいかないでしょ。さて……」
ロキは立ち上がって冒険者らへ向き直ると、安心させるように笑って言った。
「言われた通り調査はするよ。念のため、なるべく外出は控えてね。いい?」
「は、はいっ」
「それじゃ」
「あ、ちょっとロキ!」
踵を返して歩き出すロキをあわてておいかけるアイリス。現場から離れ、路地で二人きりになったところで彼女は後ろからロキへたずねる。
「落ち着きすぎじゃないですか? あんな光景を見たのに」
「今までなんべんも死体を見てきたじゃないか。君もそうだろ?」
「それはそうですが……」
「それに、手がかりならもうじき来るよ」
来るとはどういう事か。こんな得体の知れない事件の手がかりが、動き回れるような何かだというのだろうか。もう目星がついているのか?
ロキについて歩きながら混乱していたアイリスだが、ふとその足が止まる。
「…………」
一瞬だが体がわずかに緊張し、視線をせわしく辺りへ巡らせた。他に誰も見当たらない路地でアイリスは何故か険しい表情になり始める。
「何かあった?」
そう言ってロキも立ち止まり振り返る。その顔は何かを予想していたかのように喜色が浮かんでいた。
するとアイリスはそんなロキの隣へぶつかるようにして並んだかと思うと、腕をつかんで横並びに歩きながらロキへこっそりとささやく。
「……ロキ、次の角で右に曲がってください」
「ん〜? なんで〜?」
「いいですから。言う通りにしてください」
すっとぼけた様子のロキを引っ張り、アイリスは自らが言ったように角を右に曲がる。するとすぐさま立ち止まり、建物の壁に背をつけた。
まるで何かから隠れるような仕草。周囲に誰もいなければただの奇行なのだが、彼女らが来た道の方からはなんと誰かの足音が近づいて来るではないか。
サクッ……サクッ…と地面をゆっくりと踏みしめ、なるべく気付かれないようにする時の足音。しかし近づくにつれ、気を張っているアイリスは気配が分かるのか少しずつ飛び出す態勢になっていく。
そしてついに人影が視界に入った瞬間、アイリスは風のようにその何者かに飛びかかった。
「でええぇいっ!!」
「うわっ!?」
不審者はアイリスの勢いに悲鳴をあげ、抵抗する間もなく壁に押しつけられ取り押さえられた。腕を取りヒジで頭を押さえつけ、脚まで絡めて動きを封じるその手腕にロキはヒューッと感嘆の口笛を鳴らした。
アイリスはその呑気な口笛に呆れた顔をしながら、取り押さえたその人物を観察する。髪が赤茶色で、頭から三角形の耳が二つ生えて腰からはフサフサとした尻尾が生えている。
キツネの獣人だ。
「……っ?」
アイリスはその獣人をけげんな顔で見つめる。そして何者なのかとたずねようとした。しかしその時。
「アイツに雇われたかい? ご苦労様だね」
唐突にロキが口角を上げて言った。アイツとは誰なのかアイリスには分からないが、目の前の輩は図星らしく表情をゆがめた。
「おおかたライナスの行方を嗅ぎ回っていたんだろう。で、僕を見つけて思わず追ってきた」
「……」
「隠さなくてもいい。ライナスが金を借りた相手には見当がついてた。ちょうど行こうと思ってたんだ」
何やら勝手に進む話にアイリスは困惑する。そして思わず二人の間に割って入った。
「あの、一体どういう事なんですか」
「ああ。違法ギャンブルをしている連中には知り合いがいてさ。関わってる相手も見当がついてる」
「えっ!?」
あっさりと言ってのけるロキにアイリスは驚愕する。そんな危ない者たちとの関係を簡単に話すとは。
しかし、ロキはさらに驚くような一言を放った。
「ついでに言えば、簡単に客を殺すようなヤツじゃない」
「で、でも。それならあの心臓は何なんです?」
あわててたずねるアイリス。心臓を抜かれて生きていられる者はいない。それならアレは何なのか、誰のモノなのか? みるみる混乱するアイリスを見て、ロキはクスリと笑った。
「確かめればきっと分かるよ。この下っ端に案内してもらえばいい」
「…………」
「急ごう。ライナスはきっと生きてる」
アイリスか話を呑み込めないうちから、ロキは下っ端を引っ張って歩き出した。その後をアイリスはとっさに追う。
下っ端はロキに黙って連れられていた。ロキはのんきに色々と話しかけては笑っている。そんな背中を見ながら、アイリスはロキに見えているであろう真実は何なのか、いまだ掴めずに首をかしげていた。
――
……王都の中心部から少し外れた場所。王城や教会、その周囲の貴族たちの排出するゴミや汚れを受け止めたかのような、華やかな市街の影のごとく暗くどんよりとした一帯があった。
大都市のおこぼれで生きる貧しい人々の住みか、スラムというヤツである。
残飯と廃材に舗装された狭い路地をたどった先の一角に、地下へとのびる小さな階段があった。死んだ目をした住人たちが目もくれないその階段を、スラム内では浮いた綺麗な身なりの二人組が薄暗い階下へ向かって歩いていった。ロキとアイリスである。
そして先頭のロキが地下に通じるドアをゆっくりと開ける。
「やあ、久しぶり」
開口一番そう言ってロキは微笑んだ。ロウソクの灯りしかないそのほの暗い地下室はテーブルが一席だけ中央に置かれ、周りを守るように大柄な男性が二人、そして椅子には若い青年が一人腰かけている。
地下室の者たちはその青年も用心棒らしき男性らも皆、キツネの獣人であった。
青年の住人は黄色い目を光らせ、ロキをにらむ。
「……何の用だ」
「相変わらず怖い顔するね、ヴィーザル。知ってる仲なんだし、もっと歓迎してよ」
ロキはペラペラとしゃべりながら青年ヴィーザルの正面に座った。用心棒が動きかけるが、ヴィーザルが手で制する。
アイリスがそれを戸口で立ったまま見つめながら、不安そうにたずねた。
「……ロキ、その方が手がかりなんですか?」
「そうだよ。ヴィーザルといって、スラムを牛耳ってる獣人だ」
それを聞いてアイリスはヴィーザルをしげしげと見つめる。黒いハットに黒いコートを身に着け、毛並みのいい尻尾が垂れている。アイリスの視線を鬱陶しがってか彼が振り向くと、片目に傷があるのが分かった。
アイリスがその傷にほんの一瞬たじろぐと、ヴィーザルはロキへ向き直り言った。
「ロキ、あの女は何だ?」
「ああ、紹介が遅れたね。僕の仕事仲間のアイリスってんだ」
「とぼけるな。勇者の孫娘だろう」
ヴィーザルの語気が強まる。同時に部屋の空気がピリつき、アイリスは全身がすくみ上がるのを感じた。ヴィーザルの視線が彼女をまっすぐ突き刺す。一方でロキは平然と答える。
「だったら? 戦争は何十年も前に終わったろう?」
「俺たちの中では終わっていない。現に人間の街の仕組みに合わせなければ、スラムなぞに獣人はいなかった」
「この子が消えればその問題は解決するのかい? 人間嫌いも相変わらずだね」
ロキは肩をすくめて平然と答える。表情を険しくするヴィーザルに向かって、彼はたずねた。
「で、本題なんだけど。ライナスって人を知ってるかい」
「さあな」
「しらばっくれないでよ。君のところの客でしょ」
「そんな奴らいちいち覚えていない。だいたい金が無くなったヤツは客じゃないからな」
ヴィーザルはせせら笑うように答える。すると横からアイリスが口をはさんだ。
「客じゃないから、殺したんですか」
「……む?」
ヴィーザルが眉をしかめて振り向く。アイリスへの視線が虫でも見るかのように冷たい。その冷酷な目つきにアイリスは息をのんだが、気を入れ直して続ける。
「今朝、ライナスさんの仲間が誰かの心臓を見つけました。私たちは、何者かがライナスさんを殺したのだと疑っています」
声が震えそうになるのを堪えながら彼女は言った。凍りつくような顔つきで見つめてくるヴィーザルへ対抗するように疑いの目をぶつける。
……ところが、ヴィーザルはそんなアイリスの意地には反応せず、代わりに片眉をはね上げ不可解という表情をする。そのどことなくマヌケな表情にアイリスが戸惑っていると、ヴィーザルはロキの方を見て言った。
「何の話だ? 覚えがないぞ」
「そう? ライナスの事を嗅ぎ回っているようだったけど」
「それはヤツが金を返さず逃げ回っていたからだ。殺したら金が返って来ないじゃないか」
ヴィーザルはまるで覚えがないという顔で話す。アイリスはムッとしてヴィーザルへ詰め寄った。
「じゃあ! 今朝見つかった心臓は一体なんだって言うんですか!? あんなマネ、犯罪者の見せしめのやり口ですよ!」
「…………」
「その周囲であなたに雇われたという獣人も捕まえました! あなた何か知っているんじゃないですか!?」
アイリスは一気に叫んで息を荒げる。それも目の前のヴィーザルが知らぬふりをしているとしか思わなかったからだ。
しかしヴィーザルはそれに答えず、ロキを見たまま言う。
「心臓って……え? 何?」
「ちょっと、無視しないでくださいよ!」
「ああ、今見せるよ」
不審そうな顔をしてヴィーザルはまたロキへたずねる。アイリスは横で憤慨するがロキもそれに構わず、自身の持っている袋をどんとテーブルに置いた。
そしてヴィーザルの前で袋の封を解くと、中から例の心臓があらわれた。血なまぐさい匂いが部屋に広がり、ヴィーザルが顔をしかめる。
「これが今朝、落ちていたと?」
「そうなんだ。本当に君は覚えが無い?」
「無いな。部下や下請けの行動はみんな俺の耳に入る。というかコレは……」
ヴィーザルが何やら眉をひそめて袋の中をのぞき込む。穴が空くかと思うほどじっくりと。そのしぐさにアイリスは違和感を覚えたが、そこでロキが不意に席から立ち上がった。
「ま、いいや。今日のところは帰るね」
「あ、ちょっと……」
アイリスは止めようとするが、ロキはそそくさと袋を閉め直すと戸口へ歩いていく。まだ気になる事があると内心で叫びながらアイリスが後を追うと、扉の直前でロキが急に立ち止まり、振り返る。
アイリスは危うくぶつかりそうになりつんのめる。一人で恥じらうアイリスをよそに、ロキはヴィーザルを見ながら言った。
「言っておくけど、現状では君がライナスを殺したというのが一番自然だ。ギルドも憲兵隊も君を疑うだろう」
「だから何だ」
「僕らが真相を突き止めれば、君も濡れ衣を回避できる。だから僕らの好きにやらせてもらえないかい」
ロキがそう持ちかけるとアイリスは自然とヴィーザルの表情をうかがった。顔つきに威圧感が戻り、険しい目でにらんでいる。
そしてヴィーザルは吐き捨てるように言った。
「借金は回収する。こっちのやる事は変わらん」
「それは、僕らも勝手にしていいという意味かな?」
「さあな。死体でも見つかればこっちは手を引くさ」
「言っとくけど、ギルドを敵に回すとあのデボラに目をつけられるよ」
「…………」
一瞬、ヴィーザルの肩が小さく跳ねた。しかしそれでも鋭い目つきは変わらず、虫でも払いのけるかのようにロキたちへ手を振った。
「帰れ。二度は言わん」
「ヴィーザルさん、ウソはついていないでしょうね?」
「…………」
アイリスが念押しするが、ヴィーザルは最後まで彼女と話さなかった。不満そうなアイリスをロキがなだめ、二人は地下を出ていった。
……それから、階段を上がり地上に出たアイリスはスラムのよどんだ風に当たりながら、改めて周囲を見渡した。やせ細った浮浪者が、子供から老人まで当たり前のように道端にうずくまっている。死んだように身じろぎすらしない彼らを見回し、彼女は悲痛な表情でつぶやく。
「いつの時代も、貧富の差は無くなりませんね」
「これでもスラムとしちゃマシな方だよ。獣人の逃げ場として成立してる」
ロキはのんきにそう言った。アイリスが見ると確かに周りの浮浪者は獣耳があったり翼があったりと獣人が多かった。ここでの浮浪者はいわば住民の一部でしかないのだろう。
それをよそにロキは歩を進めながらアイリスへ話しかける。
「で、これからどうするかなんだけど」
「そうでした。ヴィーザルさんは何も話す気なさそうでしたし」
「大丈夫だよ。手は考えてある」
ロキはそう言って浮浪者の一人に駆け寄る。物陰に潜み、いかにも肩身が狭そうにうずくまっている男。よく見ると獣人ではなく人間だ。
そのそばにしゃがみ、ロキはにこやかに話しかける。
「やあ、久しぶり」
「あ……ロキさん?」
「悪いけど、また頼まれてくれないかい? この辺で新入りの男を探してる。大人で、元冒険者だ」
「あ! それなら見た覚えが。確か……」
どうも二人は知り合いらしいロキはそのまま声をひそめていくらか話した後、男へ数枚の小銭を渡し、アイリスの元へ戻ってきた。
「何してたんですか?」
「聞き込みさ。人間の浮浪者ならたいてい僕に味方してくれる。ヴィーザルがあの通り人間嫌いだからね」
ロキはそう答え、歩き出してアイリスを手招きした。
「もう少し聞いて回ろう。ただし、なるべく獣人の目に留まらないように」
「でも、それって効果あるんですか?」
「もちろん。人間なら獣人より浮浪者になる可能性が低い分、この辺じゃ目立つ」
「……という事は、逆もしかりなんじゃ」
何かに勘づいた様子でつぶやくアイリス。ロキはそれを見てうなずいた。
「ご明察。表じゃ獣人の行方が分からなくなるのも、さほど珍しくない」
「なら、調べたら獣人の関係者が思わず浮上するなんて事も……」
「ああ、あり得るかもね」
ロキはそう相づちを打ち、続けてアイリスをこううながした。
「後でギルドに行こう。冒険者のリストがあるはずだ」
アイリスもうなずき、歩くロキの後を追った。
――
「ライナスの資料……これだな」
……数時間後、夕暮れ近くなってきた頃にロキたちは冒険者ギルドに来ていた。カウンターに居座りギルドマスターであるデボラと対峙している。
そのデボラは手元に資料を広げ、ある人物のものを抜き取りいぶかしげに読む。
「しばらくここには来ていないな。仕事はどうしていたのやら」
「それどころじゃなかったのかもね」
「パーティーからも追い出されていたらしいですし……」
アイリス、ロキはデボラとともに三人で資料を隅々まで読み込む。ライナスの署名、年齢、特技などが事細かに記載されている。
やがてロキは顔を上げ、デボラへこう頼んだ。
「ライナスと組んだ事のある冒険者を洗ってくれるかい。今は在籍してなくてもいい」
「辞めたヤツまで含めて探せと? 日が暮れるぞ」
「ああそうだね。じゃあ……」
ロキは訳知り顔でうなずき、いくつか条件を出す。
「獣人で、ライナスがパーティー脱退後からもっとも最近まで関わっていた冒険者を調べてくれ。おそらくソイツが手がかりだから」
「そ、そうか。やってみる」
デボラは話が見えず眉をひそめるが、言われた通りカウンター奥に行き資料を漁る。それを見ながらアイリスが小声でロキにたずねた。
「ロキ、なぜそんな条件を?」
「別にヤマカンじゃないさ。獣人の関係者が浮上するかもって、君も言ったろう?」
「でも、だからって獣人の方が関わっている確信はどこから……?」
アイリスが疑わしげに問うと、ロキは自身の持ち歩いている例の袋をチラと見た。封をされた袋の中でそろそろ鮮度が落ちはじめた心臓が異臭を放っている。
その様子に思わずアイリスは口をふさぐが、ロキは平然と答えた。
「それはね。この心臓がおそらく人間のじゃなくて……」
ロキが言いかけたその時、ちょうど資料を見ていたデボラが声をあげた。
「見つけた。これだ」
その瞬間にアイリスが急いで資料へ目を向ける。ロキもそれにならって視線を移すと、デボラは説明をはじめた。
「名はパトリック。豚の獣人だ。ライナスが一人になってからも、一週間前まで一緒に仕事を受けていた」
「豚の……でも、何故ライナスさんにそこまで?」
「言いにくいが、お互い冒険者として拾ってくれる仲間がいなかったんだろうな。特技も無かったようだし」
デボラが気まずい顔で資料を指さす。パトリックの特技欄には"食材"と記載されていた。
アイリスがそれを見て痛ましい顔をしていると、横からロキがたずねる。
「そのパトリックって、最近では姿は見かけた?」
「いや……私も現場にばかり居るワケではないが、確かに見かけていない気がする」
デボラは険しい表情で答えた。それは見かけていない事に気づいたというより、嫌な予想をしたという方が正しく見えた。例えば生活に困窮してスラムに流れて……といった可能性である。
その表情を見たロキは何か察したように目を細める。そして作り笑いを浮かべて言った。
「ありがとう。また探してみるよ」
「もういいのか?」
「今ので一体どこまで分かったんです?」
デボラとアイリスはそろって眉をひそめる。しかしロキは笑ったまま答える。
「核心の部分はおそらく分かった。行こう、アイリス」
「きちんと話してくださいよ。毎度毎度……!」
「分かった分かった。道すがらね」
アイリスを楽しそうになだめながら、ロキは連れ立ってギルドを出ていった。デボラは見せた資料を眺めながらロキの思惑を考えたが、まるで見当がつかなかった。
その時にはすでに、空は薄暗くなってきていた。
――
……そして、日がすっかり暮れた頃。賑やかな王都もいくぶんか静かになり、歓楽街のけばけばしい灯りや民家のほのかな囲炉裏の火のそばをのぞいて、人々は暗闇の中に溶けている。
とりわけ、スラムともなれば活気も明るさもますます鳴りをひそめ、しんと静まり返った夜の闇が見たくないものを覆い隠す。
そんな区画の隅で、一人の男が縮こまっていた。壁の崩れた廃屋に身をひそめ、たき火もせずにボロ切れを頭からかぶって目だけを光らせている。
「ふぅー……ふぅー……」
ブルブル震えるその男は、よく見ると小太りの中年。ボサついた金髪に無精ひげを生やした彼は、ぎらついた瞳で彼はあちこちを忙しなく見つめ、何も見えない闇の中で震えていた。
「……っひ!!」
その怯えるネズミのような男のすぐそばで、かすかに足音がした。男がそれに小さく悲鳴をあげて飛び退いた、その直後。
「やあ、ライナス」
男に呼びかける声とともに、二人の人影が暗闇からあらわれる。ロキとアイリス、その二人の姿に男……
それをおかしげに笑いながらロキは言った。
「探したよ。やっぱり生きていたか」
「な、なんだお前らは……!?」
「あはは、すごい怯えよう。
ロキの見透かすような口調にライナスはさあっと青ざめる。するとずっと険しく眉根を寄せていたアイリスが口を開く。
「……あなたが自らの死を偽装したのは調べがついています。パトリックさんを使って」
「パ、パトリック……!? い、いや知らねえ! そんなヤツ知らねえぞ!?」
「じゃあ、誰がこんな事するんだい?」
うろたえるライナスの足元へ、ロキが持っていた袋を投げつける。どさりと地面に放られた袋は封が解け、中から腐りかけの心臓が転がった。
それを見て息をのむライナスへ、ロキはさらに言った。
「それね、最初は人間の心臓かと思ったけど……違ったんだ」
「…………っ」
「豚だよ。豚の獣人の心臓。パトリックのだ」
豚の獣人の心臓。そう言った直後にライナスは心臓をわしづかみにされたかのように表情をこわばらせた。ロキは続ける。
「豚は体内の構造が人間によく似ている。特に心臓をはじめとしたいくつかの臓器は、専門家でも間違えそうになるぐらいだ」
「ぐっ……」
「借金をしてパーティーからも追い出された君は、知り合いの豚の獣人パトリックを利用した。自分を信用させ隙をつき、殺して心臓を取り出してかつての仲間の家の前に放置し……あたかも自分が殺されたかのように見せかけた」
ロキが推測を語るうちに、ライナスはみるみる冷や汗をかいて泣きそうになりだした。続いてアイリスも追求する。
「少なくとも、あなたが最後に会った冒険者はパトリックさんだと判明しています」
「はっ……ひっ」
ライナスは抗弁しなかった。それどころか気弱そうな表情をますます深くしたかと思うと、とうとう涙ぐみはじめる。
そして涙目になってロキとアイリスを交互に見たかと思うと、アイリスへすがるよう這い寄って叫んだ。
「た、助けてくれ! 俺が生きてるってバレたら殺されちまう!!」
バレたら、つまり死を偽装したと自白しながらライナスは地に伏して泣きだした。うつむいて嗚咽をもらす彼へアイリスは驚いて後ずさる。
ロキはそれを見下ろしながら言った。
「認めるワケだね? 殺しをしたと」
「ああ。ああ認める。だからヴィーザルには言わないでくれ。何でもするから……」
「大丈夫だよ。僕らアイツらの仲間でも何でもないからね」
そうなだめつつ、ロキはライナスの目の前にしゃがんで目線を合わせる。そして肩をつかんでこう言った。
「だが、タダで逃がすワケにはいかない」
「そ、そんな……」
「当然だよね? 獣人とはいえ人を殺したんだし」
ロキはそう言ってニッと微笑む。息をのむライナスの前でロキが手を挙げて何かを合図した。
その直後、周りの暗闇から三人ほど黒スーツの男たちが姿を現した。そろってサングラスをかけた怪しげな風貌で、背中にはコウモリの翼を生やしている。
その男たちにライナスは一人でキョロキョロと戸惑っていた。そんな彼へロキは笑ったまま告げた。
「このオジサンたちと一緒に鉱山に行こうか。僕の親戚が管理してる現場でね、まあ人里はなれた所だけど、死にはしないから」
「し、死にはしないって……?」
「心配ないよ。そこならヴィーザルもチョッカイかけられないからね。一生そこで働けばいい」
「一生って……!? 嫌だ! おい離せぇっ!!」
含みのあるロキの言い方にライナスは顔面蒼白になるが、黒スーツの男たちに取り押さえられる。そして無理やり立ち上がらされたライナスは、そのまま暗闇の中へ引きずられていった。
「た、助けてくれ! お願いだ! 他の方法を……!!」
ライナスは必死にわめき続けたが、遠ざかるにつれその声も聞こえなくなった。完全に辺りが静まり返った後、ロキがやれやれと伸びをする。
「……一件落着、かぁ」
「でも、本当に憲兵隊の所じゃなくて良かったんですか」
「ヴィーザルが憲兵隊に圧力をかける可能性もあったからね。まあ今回はこうする方が安全だよ」
釈然としない様子のアイリスにロキはさらりと答える。そして踵を返して言った。
「早く帰って寝よう。明日はヴィーザルと話をつけなきゃ」
「あの人をまだ気にしなきゃいけないんですか」
「気持ちは分かるよ。アイツは悪だ。けど"今は"、"必要悪"。オッケー?」
ロキが目線を送るとアイリスは一瞬だけ難色を示す。しかし何も言わずにため息で答えた。
「……分かりました。帰りましょう」
「そうしよう。夜のスラムなんかいつまでも居れない」
大げさに怯えた表情をしてロキは歩き出す。アイリスは沈んだ表情でそれについていった。
――
「……というワケで、ライナス君はいち労働者として再出発したから。邪魔しないでね」
翌日、ロキとアイリスは再びヴィーザルのいる地下室を訪れ、同じテーブルについていた。ロキは背もたれに寄りかかりヘラヘラ笑いをし、アイリスはその隣で呆れたような顔ですましている。対するヴィーザルはいかにもイラついた様子で目を吊り上げ、無言でロキをにらんでいた。
その不機嫌なヴィーザルの眼前に、ロキは重そうな札束を二、三個ドンと置く。それは一つだけでも冒険者が一生かけて稼ぐほどの額だった。
「…………」
ヴィーザルの額に青筋が浮かぶ。ロキはわざとらしくふんぞり返って続けた。
「この通り、借金は僕が代わりに返す。つまり君があのつまらない男を追い詰める必要はなくなったワケだ」
「あの、ロキ。話をつけるってこういう事だったんですか」
「もちろん。札束で頬を叩いてどうにかなるなら、それでいいじゃないか」
遠慮がちにたずねるアイリスの前で、ロキは肩をすくめてヴィーザルを見る。目が合ったヴィーザルが一つ舌打ちしてつぶやいた。
「……舐めるな」
「ん?」
「舐めるなと言っている!」
ヴィーザルが突如さけんで立ち上がり、テーブル上の札束を払いのけた。バサバサと落ちるそれに護衛が思わず目を吸い寄せられるのには気づかず、ヴィーザルはロキたちをにらんで言う。
「貸した金はこっちで回収しなきゃ示しがつかない! 横から邪魔をされて俺が喜ぶと思ったか?」
「いや怒ると思ってたよ? 今みたいに」
「貴様……!」
「けど、丸く収めたいなら冷静になってよ。ヴィーザル?」
ロキはテーブルに身を乗り出して呼びかける。見るからに怒りをたたえているヴィーザルへ、ロキは淡々と語りかけた。
「あのギャンブル中毒者に誠意を求めて何になる? ちょっとは冒険者としてならしていたらしいけど、パーティーを解雇されてスカンピンになったじゃないか」
「……獣人を身勝手な理由で殺した」
「だから許さないと? ははぁ、やっぱり臓器でも売るつもりだったか」
ヴィーザルの眉間のシワが深まる。否定しない姿にアイリスは表情をこわばらせるが、ロキは飄々として続けた。
「君が大嫌いな人間相手に商売する理由は分かってる。お金でしょ? で、私情も捨てきれないから臓器まで売る。まだ割り切れてないんだ」
「知った風な口を聞くな。人間に味方して勝ち馬に乗ったお前の一族とは違う」
「だから小悪党に成り下がってお山の大将やってるのかい? 中途半端だねぇ」
バカにしきった口調で言うロキ。緊迫した空気にアイリスは視線をヴィーザルとロキとで行ったり来たりさせていたが、ロキは構わずに口を開く。
「君のご先祖はまだ格好よかったよ。獣人たちをまとめて反乱したリーダーだったんだろ? ま、負けたけど」
「負けたのはお前らのせいだ! お前らの裏切りが……!」
「言われなくても分かってるよ。後ろ暗いところがあるのはお互い様。とにかく……」
噛みつくヴィーザルにため息をつき、仕切りなおすようにロキはこう言った。
「僕が言いたいのは、君みたいのが表社会から目を付けられたら不利益は当たり前だし、君の主義が聞き入れられるハズもないって事。僕だって穏便に収めたいんだ」
「…………」
「言い方を変えようか? それ以上チンケなプライドを優先するならどうなっても知らないよ」
ロキの目が最後通告だと言わんばかりに鋭くなる。ヴィーザルはしばし不服そうな顔で目をつむったが、やがて音を立てて椅子に座り直しそっぽを向いた。
それから背もたれにヒジをつき、ロキを見もせずに言う。
「……帰れ。今回だけは忘れてやる」
「じゃ、ライナスには手を出さないね?」
「帰れと言うんだ」
念押しも無視されたロキは苦笑して立ち上がる。すると去り際、ヴィーザルがつぶやいた。
「逆の立場なら、お前はどうした?」
「……僕がかい?」
「お前の一族が敗者の側になったとしたら、俺と同じような事をしたんじゃないか?」
しばし場に沈黙が流れる。アイリスがロキを見ると、ロキは扉の前で背を見せたまま佇んでいた。
アイリスが心配そうに見つめていると、ロキは振り返らずに答えた。
「君の想像通りだろう。なんせ根っこは同じなんだ」
そう言ってロキは扉を開ける。そして後から来るアイリスを待ったが、アイリスは何故かその場に留まっていた。
ドアの陰からロキが見て首をかしげる。ヴィーザルも目だけでいぶかしげにアイリスをにらんだ。そこでアイリスはヴィーザルの方を見るや、毅然として言った。
「ヴィーザルさん!」
「?」
「いつか……人間も獣人も平等に裁かれる時代が来ます。平和になって、こんな必要悪が必要じゃなくなる時が、きっと」
ヴィーザルはきょとんとしてアイリスを見た。アイリスは真剣な顔でジッと相手を見つめている。
しばらくして、ヴィーザルは目をそらして答える。
「そうなるといいな」
「ようやく私と話してくれましたね」
「…………」
アイリスは少し笑ってロキへと向き直る。ロキは戸惑った様子でドアを押さえてやり、二人は扉の外へ出ていった。
……直後、ヴィーザルはこっそり札束を拾っていた護衛たちに気づいて無言でにらみを効かせていたのだった。
――
それから、アイリスとロキはスラムの路地を連れ立って歩いていた。先行するロキをアイリスがついていく。
その先行する背中が何も言わず、どこか沈んで見えるのにアイリスはふと気づく。するとロキが前を向いたままポツリとつぶやいた。
「……償いになると思ったんだ」
「え?」
「今の探偵稼業さ。少しでも他人を助けられればと始めたんだ」
ロキの声はどこか自嘲の響きを持っていた。アイリスが何も言わずに言葉を待つと、ロキはまた話し出す。
「僕は小狡い裏切り者の血を引いている。おかげでお金も人脈もあるけど、恨みと罪を生まれながらにたくさん背負ってるんだ」
「…………」
「だから探偵なんて始めた。なるべく市民と直に話せて、しがらみの少ない仕事を。君を呼び寄せたのも、僕自身が正義感に欠けると分かっていたからさ」
いつになく悲しげに語るロキを見ながら、アイリスは自然と歩調を早めていた。ロキのそばへ、口で何か言うより先に体が動いていた。
そして間近でロキが振り返り、作り笑いをして言った。
「バカだよねぇ。大した事出来てやしないのに……」
ロキの言葉は途中でとぎれた。彼の頭に、アイリスの手のひらがふわりと乗せられたのだ。
へ、とロキは目をしばたかせてアイリスを見上げる。隣のアイリスは最初こそいたたまれない表情をしていたが、すぐに笑いかけて口を開いた。
「そんなに卑下しないでください」
「けど……」
「そりゃ、あなたが複雑な身の上なのは知っています。そして皮肉屋でズル賢くてデリカシーに欠けて……」
「ああもう、何なのさ」
ロキが口をとがらせてアイリスの手をどける。アイリスは寂しげに微笑んで「でも」と前置きして続けた。
「あなたが真実を突き止めて人々を助けたのを、私は知っています。一族の方々がどうでも、あなたが救った人がいる」
「と言っても、まだ数人じゃないか」
「じゃあこれからも続けましょうよ。どこまでも付き合います」
アイリスは当たり前のように言った。ロキが照れたような顔をそむけると、アイリスの手がロキの手を取る。
温かい感触にロキは自然と手のひらに力を込めた。アイリスも握り返しながら話し続ける。
「私の先祖も、戦争でたくさんの命を奪いました。立場はロキと同じようなものです」
「それは先祖の話で……君は悪くないじゃないか」
「そう。だからあなたも悪くない」
即座にアイリスが切り返すと、ロキはマヌケな顔になる。それから数秒見つめ合って、おかしくなって二人で同時に吹き出した。
それからアイリスは笑いを抑え、ロキの手を引いて歩き出す。
「さ、行きましょう。依頼人やデボラさんを安心させないと」
「そうだね。……君がいて良かった」
「お互い様です」
夕暮れが近づく王都の一角で、二人の足音が連なって響く。大きな争いが終わっても、決して完全な平和のない世界の片隅で、二人の物語はまだ始まったばかりだ。