勇者の孫娘とコウモリ少年 人と獣人との黒き事件簿 作:ごぼう大臣
「崖から落ちたみたいだね。見たところ即死か」
「この高さでは、残念ながら……」
日が昇って一時間も経たない頃。アイリスとロキの二人は王都の外れに広がる森の中に来ていた。
朝早くに憲兵たちに呼び出された二人だったが、くすぶっていた眠気も今は目の前の衝撃にかき消されていた。
うっそうとした木々に囲まれた暗がりに、一つの遺体が横たわっている。朝に発見されたその遺体は細身な少女で、土の上にぐったりとうつ伏せになっていた。特徴的なのは頭に生えた一対の黒い三角耳と、尻の上から伸びた黒く長い尻尾だった。
見たところ、猫の獣人である。服装はいたって簡素で、薄いシャツと短パンの他は上着すら身につけていない。肩まで伸びた黒髪はボサボサで土だらけ。足を唯一まともに防護している靴も色あせている。
アイリスはその遺体から視線を上へと移す。その先には高さ10メートルほどの崖があった。てっぺんの草地から下は岩壁がむき出しになり、足がかりになりそうな場所もない。
つまり、この獣人がこうなった理由は飛び降りたか、さもなくば他人に突き落とされたかの二択である。
アイリスは一緒に遺体を見下ろすロキと視線をかわす。今までの経験もあり、互いに事件性を疑いはじめていた。周りを囲む憲兵らも緊張した面持ちである。
その時、その憲兵の輪をかき分けて一人の人物が割り込んできた。
「ミーシャ! ああミーシャ、なんて事……」
それは見た目20歳前半の女性だった。冒険者らしく革鎧に身を包み槍を背負ったその女性は、長いウェーブのかかった金髪を振り乱して遺体に駆け寄ろうとする。
「失礼。なるべく現場は荒らさないで」
ロキが立ちはだかり女性を止める。一方でアイリスは女性にたずねた。
「あの……あなたは?」
「ああ、失礼しました。……私、ラナと申します。この子のパートナーですわ」
青い瞳をうるませながら女性ラナは頭を下げた。アイリスはラナへ歩み寄るとなるべく穏やかに話しかける。
「私、探偵のアイリスといいます。こちらはロキ。この度はまことに御愁傷さまです」
「ぐすっ……昨日まで普通に話していたのに、どうしてこんな事に」
「涙を拭いてください。ホラ」
「ありがとう……ございます。お見苦しいところを」
しゃくりあげるラナへ、アイリスはハンカチを差し出す。そこへロキが近づいて問いかける。
「ラナさん。聞きたいんだけど、昨日はどちらへ?」
「この森の入り口でキャンプを張っていましたわ。依頼が長引いてしまって」
「この獣人……ミーシャさんを最後に見たのは?」
「昨晩の寝る前……。いつも通り一緒の時間に床に入ったのですが、朝に起きるともう居なくて」
「他に見た人は?」
「おりませんわ。ミーシャは私と二人きりで組んでいましたもの」
「ふぅん……」
ロキが一応信じるかという顔でうなずく。ラナの言うところだとミーシャは夜の間に一人でキャンプを抜け出したらしい。しかし一人で夜の森をほっつき歩いたりするものだろうか。
ロキもアイリスも内心でそう疑ったが、ラナはまるでそれを見透かしたかのようにつぶやいた。
「私がいけなかったのですわ……。自殺するほど思い詰めていただなんて」
「へ、自殺?」
「ええ……ここだけの話、私はミーシャを愛していました」
聞いたアイリスは目を丸くする。この世界の常識では、同性の恋愛はタブーだからだ。一瞬だけ沈黙がはしると、ラナは寂しげに笑って言った。
「といっても、実りはしませんでしたけどね……。それどころかパートナーにとって重荷になり、最後はこんな……」
「あ、あの! 落ち着いてください」
言葉につまり泣き出すラナを、アイリスはあわててなだめる。ところがロキがそれをよそに口を開いた。
「ちょっといいかな? なんで自殺って分かるの?」
「はい?」
「失礼だけど……誰かに恨まれていた可能性とかは?」
ロキの問いにアイリスは気まずそうな顔をする。しかしラナは一つしゃくり上げてから静かに答える。
「そんな事はあり得ませんわ。ミーシャは優しくて素晴らしい子でした」
「はあ、そうなんだ」
「それに……」
生返事するロキをよそに、ラナは遺体を見つめてこう続ける。
「自らの意思で飛び降りたのでなければ、こうはなりませんもの」
「というと?」
「聞いた事ありませんか?"猫は必ず足から着地する"って……。高所から落ちても、受け身くらい取るはずです」
「…………」
そう言い切ったラナだったが、ロキは疑わしげに相手を見る。そして形だけ笑みをつくると言った。
「あの……悪いけどしばし見張りを付けさせてもらえるかな? 色々調べているうちは参考人になってもらいたいから」
「構いませんわ。元よりミーシャの埋葬が済むまで街を移る気はありませんし」
「ありがとう。じゃ、憲兵さんたちに送ってもらって」
ラナはすんなり了承し、何人かの憲兵と共に踵を返す。
その時、ロキが不意に呼び止めた。
「……ラナさん」
「へ?」
「なんだか、あなたの靴やけにキレイだね」
言われたラナは戸惑いながら自分の足下を見る。確かに彼女の靴はミーシャのそれと比べて真新しくキズもなかった。
ラナは顔を上げ、あっさりと答える。
「……ああ、ちょうど予備の靴に替えたばかりで」
「そっか、失礼」
「お気になさらず。では」
ラナは一礼して背を向け、森の出口へ歩いていった。そしてアイリスと二人きりになったところで、ロキは翼を広げてふわりと崖の上へ飛び上がる。
「ロキ、どうしたんです?」
下から呼びかけるアイリスに構わず、ロキは崖の上の地面をジッと見つめる。しばらくして降りてくると不満げに言う。
「……確かに、靴跡は一人ぶんしか無かったよ」
「という事はお一人でここまで……やはり自殺なのでしょうか」
「うぅむ……」
アイリスは腑に落ちた表情だが、ロキはそうでもない。アゴに手を当てて眉間にシワをきざみ、いかにも釈然としない風で言った。
「でも、なんか引っかかるんだよね」
「ロキ。あなたの頭の出来は認めますが、疑うばかりが賢さではないでしょう」
「いや、根拠はあるさ」
そう言ってからロキは続けた。
「親しい人が死んだ時に『きっと自殺だ』なんてすんなり言うと思う? 自分が惚れて重荷になったなら、その事をもっと悔やむものじゃない?」
「それは……けど、あやふやな理由で怪しむのはどうかと」
「何にしろもっと調べないと。うかうかしてたらチャンスを失う」
「…………」
真剣なロキだが、アイリスは密かに温度差を感じた。見たところあからさまに怪しい部分はない。それに夜間の森にはひと気などまるでないのだ。死んだと思われる時間帯の目撃証言はまず取れない。
とりあえず手がかりの一つでも無いものか……とアイリスもロキにならって遺体を観察する。するとその時、遺体のそばに立つ自身の足下に妙なものを見つけた。
指につまめるほど小さな、真っ黒い物体。そして同じくらいの大きさの、何かの葉のかけら。しゃがんで手に取ると軽く表面がくずれる。
(何これ……消し炭と、葉っぱ?)
それは両方とも植物らしかった。なぜ遺体のそばにそんな物があるのか、にわかにアイリスの脳内に疑問が浮かぶ。
「あの……」
「わっ」
その時、アイリスの背後から残った憲兵が声をかけてくる。彼女があわてて振り返ると、憲兵は申し訳なさそうに言う。
「どうします? この現場を保存するか、片付けるか……早めに決めないと、我々も後がありまして」
憲兵たちはそれぞれ心なしか苦笑いしながら視線をかわす。街中ならまだしも、この森の中で現場を見張るのは手間なのだろう。
もちろんそれが仕事なのだが、王都勤めとなると皆ヒマではないのでアイリスも強く言えなかった。かわりに立ち上がってこう告げる。
「突然ですが、遺体を運ぶのを手伝ってもらえませんか。見せたい相手がいるんです」
憲兵らの顔に戸惑いが浮かぶ。そんな中ロキだけが何かに気づいたように言った。
「……ああそうか。"あの子"か」
「分かりますか」
「ああ、君のお祖父様の繋がりだろ?」
「ええ」
「人脈は持っておくものだね」
何やら訳知り顔の二人。いまだ話の見えない憲兵たちへ、アイリスは再度たのんだ。
「お願いします。この方を『聖女』のもとへ」
「……は、はいっ」
その妙な肩書きを聞き、憲兵たちはやっと何か察したように動き出した。
――
「ったく、久々に会ったと思えば遺体の調査とはのう。アイリス」
……数時間後。アイリスとロキは王都の中心部にある教会に来ていた。全面を白く塗られた小さな一室に並び立つ二人の前で、一人の少女が呆れたため息をついていた。その人物にアイリスは苦笑いする。
「ごめんなさいモニカ。久しぶりだというのにこんな用件で……」
「気にするな。おばあ様の代からの縁じゃ」
頭を下げるアイリスに笑って答えるのは、フードつきの白装束に身を包んだ小柄な少女だった。モニカと呼ばれた彼女は背中までのばした赤毛を三つ編みにしており、服のサイズはブカブカで腕は袖の中にスッポリ隠れてしまっていた。
そんなな身なりだがそれでも教会の関係者らしく、白装束はよく見ると白い修道服に金の装飾をあしらった特注品だった。
まるで適当に高い服をキメた子供のような雰囲気のモニカだが、彼女は自信たっぷりな口調でアイリスたちにこう話す。
「まあ安心せい。知っての通り、かつての大戦の従軍医にして聖女とうたわれたおばあ様の名にかけて、我は成功を誓おうぞ」
そう言ってモニカは後ろ手に部屋の中央を指し示す。そこの石造りの寝台の上には、あの自殺したらしいミーシャが寝かされていた。
防具や衣類は脱がされ脇に並べられており、裸の遺体には白い布がかぶせられている。その遺体を一瞥し、今度はロキが言った。
「にしても、専用の部屋まであるとはいい待遇だね」
「本来は薬学の研究用なんじゃがのう。神の元へ行った遺体を調べるとなれば、神の見守る教会でやるしかなかろう」
難儀な仕事じゃて、などと軽口を言いながらモニカは懐から眼鏡を取り出して掛け、遺体をまた観察する。そこへアイリスがたずねた。
「それで、何か進展は?」
「ふむ……まず死因は崖から落ちた事で間違いないじゃろう。傷の具合から見ても、全身を強く打って死んだと見える」
「という事は、やはり自殺……?」
「待て。話はまだ終わっとらん」
早合点しかけるアイリスを制し、モニカは遺体のそばから何か小さなものをつまみ上げた。
「こんなのがくっついておった。見覚えはあるか?」
「あ、それは……!」
モニカの手の中を見て声をあげるアイリス。それはアイリスも現場で見た小さな消し炭だった。ロキもそばへ寄ってきてそれを覗きこむ。
「それは一体? 焦げてるけど」
「あの、現場にもあったんです。これ」
「そうか……これはな」
モニカは少し深刻な顔になって言った。
「おそらく、松の木の破片じゃ」
「松? それがなんで燃えて?」
「あの辺りじゃ山火事もなかったし、|松明≪たいまつ≫じゃろうな」
モニカはそれから少し自慢げな顔で続ける。
「松は油分を多く含んでいてな。灯りとして世界で広く使われておる。東洋でも同様のものに"松"の字が使われとるんじゃ」
「へぇー……」
感心するアイリス。するとその横で真面目な顔のロギがつぶやいた。
「なら、まずミーシャは一人で出歩いたんじゃないって事だね」
「へ、どういう事です?」
「猫は夜目がきく。夜に一人で出歩くなら、わざわざ松明なんか用意しないよ。だいいち、一人きりだったら死んだミーシャのそばに松明が落ちているはずだ」
ロキが言い切ると、アイリスの顔がスッと曇る。当時ミーシャが一人ではなかったとすれば、自殺の前提がくずれる。
深刻な顔のアイリスへ、モニカがまた別の何かを拾い上げ声をかけた。
「それだけではない。これを見てみい」
モニカの手の中には、今度は葉の破片があった。それを見てアイリスが首をかしげる。
「これは……さっきのとは違うのですか?」
「ああ。どうもこれは"キャットニップ"のようじゃの」
「キャットニップ?」
アイリスが聞きなれない様子で眉根を寄せる。それを受けてモニカはごもっともという表情でうなずいた。
「初めて聞くか。別名キャットミントという植物でな、その名にあるように猫が特に好む。匂いで気分がすこぶる良くなるようじゃ」
「気分が……」
「ああ、別に毒ではないぞ。東洋じゃとマタタビという似た作用のモノも使われとる。やりすぎが良くないだけじゃ」
モニカは苦笑いしつつそう説明したが、アイリスはにわかに嫌な想像をした。なにしろそのキャットニップを使っていたであろう当人は死んでいるのだ。例の精神への作用が関連していないとも限らない。
アイリスはなるべく冷静に面々へたずねる。
「しかし何故ミーシャさんはそれを夜中にまで持ち歩いていたんでしょう。彼女にとってはただの嗜好品でしょう?」
「中毒になっていた……かもしれないけど、同行者がいたなら別の可能性もある」
ロキはそう言ってモニカへ目配せする。それに乗る形でモニカも口を開いた。
「抵抗できなくされていた……かもしれんな」
「えっ」
「個体差はあるがの、キャットニップを嗅いで動けなくなる猫もいるんじゃ」
「やっぱりただ事じゃない。その植物を使って誰かが無理やり連れ出したんじゃないか」
推理は恐ろしい方向へ進む。半ばそれを予感していたアイリスの表情もみるみる不安げになる。それにロキも気づいたが、彼は緊張を緩めずに言った。
「でもあり得るよ。一人での自殺じゃなかったとすれば、誰かが死なせたって事なんだから」
「…………」
ゴクリと唾をのむアイリス。ロキやモニカも含め、部屋中に緊迫した空気が流れ出した。そんな中、アイリスがハッとしてあわてた口調で言う。
「けどロキ言ったじゃないですか。現場を見た時、確かに靴跡は一つだけだって!」
「ああ、アレか」
ロキは思い出したようにこう返した。
「確かに言ったよ。
「だったら……」
「けど、そこが盲点かもしれない」
「……おお、そうか!」
モニカが何か思い出したように両手をパンと打つ。置いてけぼりのアイリスを尻目に、モニカは遺体の脇に並べられた遺品の方に駆け寄る。
「という事は、これの謎も……!」
「やっぱりそうか……」
モニカは興奮して被害者のシャツを穴が空くほど見つめている。一方でロキは何故か遺体の足元へ回り込み、屈んで遺体の足裏をジッと見つめている。
アイリスが見ると、ミーシャの足裏があちこち赤らんで出血しているように見える。しかしそれを見ながらも彼女は一人困惑していた。ロキとモニカは何かに勘づいたらしいが、あいにくアイリスにはチンプンカンプンである。
いい加減どういう事か聞こうと彼女が口を開きかけて、その時である。
「待ちなさい! ダメですって!」
不意に、ドアの外から誰かのあわてた声がした。直後にドタバタとあわただしい足音が。
何事かとアイリスがドアを開けると、そのドアに追いすがるような勢いで何者かが飛び込み、それを追って複数人が一気に部屋へとなだれ込んだ。
「ひゃっ!?」
情けない悲鳴をあげて飛びのくアイリス。ロキとモニカが視線を向けると、そこには何故かラナが憲兵たちに取り押さえられて倒れている。
「ラナさん…なんでここに?」
アイリスがたずねる。仮にも被害者ミーシャの関係者であるラナは、真相解明まで自由に動ける立場ではないはずだ。ロキたちも怪訝な顔をしている。
するとその後ろから、憲兵が大慌てで駆けつけたかと思うと枯れた声で叫んだ。
「も、申し訳ない! ここに来ているとうっかり口を滑らせてしまい……お止めしたのですが……」
「は、はぁ……」
憲兵の切迫した顔を見て、アイリスは生返事しかできなかった。ドアの向こうを見るとさらに二、三人の憲兵があわてて走ってくる。とうやらラナが憲兵の制止を振り切ってここまで来てしまったようだ。
「ミーシャを、ミーシャを傷つけないで……!」
「へ……」
言われたアイリスはつい後ろを見る。調べるためとはいえ身ぐるみ剥がして寝かされた遺体。ロキもどこかバツが悪そうな表情で告げる。
「悪いけど今は取り込み中だよ。一段落つくまで待って」
「でも、でも……」
「気持ちは分かるがの。部外者に触らせるワケにはいかんのじゃ」
モニカも進み出てなだめようとする。しかしラナは顔を覆って泣くはかりで一向にその場を動こうとしない。めそめそとしゃくり上げる彼女を見ながら、その場の者たちはやりにくそうな顔を見合わせる。
しばらくしてロキがため息をつき、観念して言った。
「じゃ、いいよ。入って」
「い、いいんですかロキ?」
「ああ」
躊躇するアイリスをよそに、ロキはつかつかとラナへ歩み寄り見下ろしながら言う。
「来なよ。ただし"容疑者"としてね」
「……は?」
泣いていたラナが息をのみ顔を上げる。そして険のある口調で問うた。
「聞き間違いでしょうか。以前は確か参考人だと……」
「事情が変わってね。色々くわしく聞かせてもらいたいんだ」
ロキの口調は冗談のそれではなかった。続けて彼は周囲でポカンとしている憲兵たちへ告げる。
「君たちは外で待っててくれるかい? なるべく情報は聞かれたくないしさ」
「よろしいのですか? 取り乱していましたし危険では……」
「平気だよ。アイリスがいるから」
「えっ?!」
予想外の信頼を受けたアイリスはギョッと目を丸くする。それを無視してロキは憲兵たちを追い出しドアを閉めると、改めてラナと向き直る。
「じゃ、とりあえず座ろうか」
「分かりましたわ……」
「武器はお預かりします」
「どうぞ、ご随意に」
ラナの槍をアイリスが壁に立てかける。それを確認しロキは部屋の隅のテーブルへと相手を案内し、モニカと並んでラナの正面へ座った。アイリスは逃亡を警戒してラナの真後ろに立っているよう言われた。
「…………」
いよいよ事情聴取が迫り、室内の空気がピリつきだす。まず最初に切り出したのはロキだった。
「まず確認するけど、ミーシャさんが死んだと思われる夜、君はどうしていたんだっけ?」
「それはもう説明しましたわ。私が眠っている間に、あの子は亡くなっていました」
ラナは少々じれた口調で答えた。しかしそこてモニカが、例の松の消し炭とキャットニップの破片を取り出す。
「そこが少し疑わしくての。遺体の近くに松明やキャットニップを使った痕跡がある」
「なんですって?」
「猫の獣人なら松明は要らないはずだ。それにキャットニップだって、夜中にまで携行するようなモノじゃない。ミーシャさんが一人でいたにしては、無理がありすぎる」
遺体を調べて出た疑問をラナへ突きつける二人。しかしラナは鼻を鳴らして言い返した。
「しかし仮に同行者がいたとして、それが私だという根拠がありますの?」
「深夜の森の中をわざわざ動き回るヤツはそう居ない」
「居るかもしれないじゃありませんか。根拠とは言えませんわね」
肩をすくめるラナの顔にはまだ余裕が見える。確かに決定的な証拠はまだ見せていない。
ロキは少し考え、アイリスを見て言った。
「ごめん、ちょっとお願い」
「はい?」
「ボディチェック」
「むっ……仕方ないですね」
「な、ちょっと! 何をなさいますの!?」
驚くラナの体をアイリスが手早く調べ上げる。すると腰のあたりに小袋が提げられているのに気づいた。
アイリスはそれを取り上げると、ラナが止める間もなく封を解いてテーブルに置く。
すると今度はモニカがすぐさま身を乗り出し、袋の中身を手であおいで嗅いだ。
「やはり……キャットニップじゃな」
「よほどあわてて来たんだね。捨てもしないなんて」
「何のお話ですの? ぶしつけにも程がありましてよ」
ラナはいら立った口調で言い、腕組みをして背もたれにどっかと寄りかかる。机の下では脚まで組んでいた。
ロキたちの態度のせいもあるだろうが、その大げさなしぐさは一種の防衛反応にも見える。ロキは疑いの目を向けたが、一方でラナはこう主張する。
「そもそも、私がキャットニップを持っていたら何ですの? 何かの拍子でミーシャに偶然くっついたとしたら、近くに落ちていてもむしろ自然でしょう」
「何の用途に使ったか、ちょっと気がかりだね」
「さよう。猫が使うと動けなくなる場合もあるでな」
「しかし毒でも違法でもありません。お料理にだって使いますのよ。プライベートの使用にまで口出しされる
「ただ、起きた事が事だけにちょっとした要素も……」
「いい加減になさって!!」
食い下がるロキたちに向かって、ラナは勢いよく腰を上げ机に両手のひらを叩きつける。狭い室内に激しい音が響き渡り、モニカの体が小さく跳ねた。
一瞬、室内が静まり返る。ラナはしばらくフーフーと荒い呼吸をしていたが、咳払いを一つして座り直す。
「……失礼。取り乱しましたわ」
「いや、かまわないよ」
ロキは姿勢を正して冷静に言う。ついでに隣のモニカの肩をさすってやった。
しかしラナの方はいまだに頑なな態度を崩さない。金髪の陰からロキをにらみつけ、舌打ちまじりに言う。
「それにしても強引すぎません? 決定的な証拠もなしに容疑者だなんて」
「ハッキリした証拠が出たら、ソイツは犯人だよ。容疑者じゃない」
「揚げ足取りは結構ですわ。そもそも私には無実の証拠がキチンとあるはずです」
「ほう、というと?」
ロキが聞き返すと、ラナは勝ち誇ったような笑みをつくって言った。
「あの現場に残された足跡は一つだけだったんでしょう? 私が一緒なワケないじゃありませんの」
「えっ……?」
してやったりとばかりに周囲を見るラナ。しかしロキたちの表情は納得するどころか疑念が浮かび出す。アイリスも眉をひそめ、ラナを背後から覗きこむと恐る恐るたずねた。
「ラナさん……何故それを?」
「はい? 何故って……」
「だってロキが足跡を確認したのは、あなたが立ち去った後のはずです」
「……あ」
アイリスは遺体を見つけてからの記憶を反芻する。『靴跡は一人分だ』とロキが告げた当時、ラナは確かに憲兵に連れられその場を去っていたはずだった。
その事実をアイリスは緊迫した視線でもって訴える。するとラナの表情が次第に曇りだし、青ざめはじめた。
アイリスが口を開きかける。が、それより早くラナは必死になって叫びだした。
「ち、違うんですの! 私はその、事前に見ていたというか……」
「僕らと会った時、ずいぶん憔悴してたけど? のんきに足跡なんて見ていられたのかい?」
「それはだから、たまたま記憶に……」
「いや、言い逃れはもういい」
そう言ってロキが立ち上がる。するとモニカも席を立ち、遺体のそばに二人で並ぶとロキからこう話しはじめた。
「まず僕が"一つ"と言ったのはあくまで靴の跡だ。靴の踏みしめた跡が一人分しかなかった」
「それがどうしたんですの」
「靴跡が一人分だからって、一人しかいなかった事にはならない」
「ハッ、何をバカな……」
一笑に伏すラナ。しかしロキの次の一言でその表情が凍りついた。
「片方がそもそも
「……っ」
「うっかりしてたよ。人間にも裸足で暮らす文化があるのに、獣人が必ず靴を履くと思い込んでいたなんて」
たじろぐラナ。アイリスもハッとしてロキを見た。しかしラナは険しい顔で抗弁する。
「でも、あなた方のお話ではミーシャはキャットニップを嗅いでいたのでは? いかに裸足でも、跡を残さないような真似なんて無理でしょう」
「おや、ミーシャが裸足だったなんて誰が言ったっけ?」
「それは……」
言いよどむラナ。ロキはため息まじりに言った。
「ミーシャは履き慣れなかったんだろう。"君の履かせた靴"が」
ロキは先ほどまで見ていたミーシャの足をつかんで見せる。よく見るとかかとと小指に集中して出血の痕がついていた。
「見事な靴ずれ。山道だもんね。残るは君だけど、冒険者の経験があれば足跡を残さない技術があっても不思議じゃない」
「……けど……」
「待て。まだ証拠はあるぞ」
震える声で抗弁しようとするラナへ、今度はモニカが口をはさむ。そして遺体が着ていたシャツを掲げた。
「着ていたモノを調べたらな、面白いものを見つけた」
「…………」
「シャツの背中に、うっすらとだが足の跡があった。土はさすがにほぼ落ちていたが、血がついていたぞ。小枝か何か踏んだのじゃろ」
モニカは両手にそれぞれシャツと靴を持ってずいとラナへ詰め寄る。ラナは苦い顔をして目をそらした。
「自身の背中を蹴り飛ばせる者など居りはせん。お主がやったんじゃろう」
「…………」
「ラナさん、もう諦めた方が……」
アイリスが見かねて言った。場にしばらく沈黙が流れ、やがてラナは重苦しく口を開く。
「ええ……私がやりましたわ」
「認めるんだね」
「はい。昨日の深夜、ミーシャにキャットニップを嗅がせて連れ出し……崖から落としました。私さえ足跡を残さず往復すれば、皆ミーシャの履いた靴の跡に騙されると思ったのです」
ラナはしおらしい様子で白状した。うなだれる彼女へ、アイリスが辛そうにたずねる。
「でもどうして。ミーシャさんを愛していると言ったのに」
「それは……」
「どうせデマカセさ。わざわざここに来るパフォーマンスまでして」
ロキの冷たい一言にラナは肩を震わせる。そして涙なからにこう述懐した。
「愛しているのは私だけだったんです。あの子が身をまかせてくれるのはキャットニップを使った時だけで……普段は、離れる気力すらないだけでした」
「それは君がそう仕向けたんじゃないの?」
「認めたくなかった。認めたくなかったんです……!」
ラナは首を何度も横に振って歯がみする。それから両手を強く握りしめて彼女は続けた。
「ずっと関係は良くならず、キャットニップを買うお金もかさんで……心中しようと持ちかけたんです。あの子は諦めきった顔でうなずいていましたわ」
「心中……!?」
「でも殺したんだろう?」
驚くアイリス。その横でロキが追求すると、ラナは目を赤くして言い張った。
「最初は、出かける前までは本当に心中するつもりでしたの! ミーシャと一緒に死ぬつもりだった!!」
「じゃあどうして。寸前で怖気づいたかい?」
ロキは間を置かず問いただす。ラナは嗚咽を漏らして言いよどんだ。しゃくりあげ、呼吸を落ち着かせる。
他の三人は答えを待った。おおかた言い逃れをするか、途中でやはり怖くなったのか、いずれにせよ予想はついていたからだ。急かさずとも、常人の思考の範疇の返答が来るだろうと。
……しかし、ラナの反応は予想と違っていた。彼女は口角をぐっと上げると、引きつったその口から笑いを漏らしはじめた。くっ、くくっ、と小さく低い笑い声。
アイリスたちが表情を変える。そんな彼らにラナはふっと顔を上げ、泣き笑いしながらこう答えた。
「死体になれば、私のモノになるじゃありませんか」
「…………うっ」
ラナはうわ言のように言ったきり、焦点の合わない目で三人を見つめた。そんな姿を見返しながら、アイリス、ロキ、モニカは三人とも青ざめた顔を見合わせる。
「お願い、ミーシャを返して……」
力ないラナの声が空気を震わせる。憲兵が様子を見に来るまで、ラナ以外の誰も……言うべき言葉を見つけられなかった。