勇者の孫娘とコウモリ少年 人と獣人との黒き事件簿   作:ごぼう大臣

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濡れ烏と青年

「朝一番にすまないね。二人とも」

 

「呼び出しとは嫌な予感がするなぁ」

 

 ギルドが始業してから一時間もたたない早朝。アイリスとロキの二人はギルドの二階にある一室で立たされていた。

 そこはギルドマスターの使う小さな執務室。並んで立つ二人の前には、値の張りそうな椅子に座ったデボラが机に両ひじをついてバツの悪そうな笑みを浮かべている。

 

「実は今朝、歓楽街の一角で死体が見つかった。被害者は獣人の女性だ」

 

「また事件かぁ……」

 

「こう立て続けだと、少し参りますね」

 

 デボラの言葉に表情を曇らせる二人。するとデボラは苦笑いして言う。

 

「まだ話は終わってないぞ。実はその事件の容疑者がこのギルドに所属しているらしい」

 

「居場所は分からないのかい?」

 

「いや、すぐそこだ」

 

 すぐそこ、と言われ首をかしげるロキ。するとデボラは立ち上がり、壁際に備え付けられた隣室へのドアに歩み寄る。

 ドアに手をかけると、彼女はふとアイリスたちを見て真剣な声色で言った。

 

「これは内密にしてほしい。約束できるか?」

 

「え、ええ」

 

 戸惑うアイリス。デボラはうなずきドアを開けた。

 

「わっ!?」

 

 その瞬間、中から青年の驚く声がした。ドアの向こうはベッドだけ置かれた小さな居室があり、その真ん中に見た目20代前半の痩せた青年が丸まって座っている。茶の短髪で背が低く、見るからに気弱そうな目をした青年。その男を見て、ロキが冗談めかして言う。

 

「なんだ、ここには監禁部屋まであったのかい?」

 

「失礼な。この部屋は私が仮眠に使うんだ。それはともかく……」

 

 デボラは笑ってから咳払いし、青年を示してこう紹介する。

 

「この子は冒険者のウィル君。今のところソロで活動している」

 

「ど、どうも……」

 

 青年ウィルは座ったままぎこちない笑顔で会釈する。しかしその顔は蒼白で目に濃いクマがあり、明らかに何かあった様子だ。

 アイリスはデボラへたずねる。

 

「あの、この方が容疑者なのですか?」

 

「ああ、驚くかもしれないが聞いてほしい」

 

 動揺されるのも見越していたらしく、デボラは冷静に前置きする。ロキも気がかりそうに目を向けると、デボラが話しだした。

 

「まず最初に、死体が見つかったと話したろう?」

 

「ええ、今朝でしたよね?」

 

「そう。その被害者とウィル君がな……昨晩、会っていたらしいんだ」

 

「ええ?」

 

アイリスの驚きの声に、ウィルがビクリと肩を震わせた。おびえるウィルをかばうように、デボラがすぐ話を進める。

 

「落ち着きたまえ。彼が犯人とは言ってない。今のところ疑われているだけだ」

 

「じゃ、なんだってこんな部屋に?」

 

「匿っている……といったところか。私がちょうどギルドを開けようとした頃、憲兵たちに追いかけられたウィル君が走ってきて助けを求めたんだ」

 

「捕まらなかったのかい?」

 

「ああ、潔白を主張したからな。私も所属の冒険者をただ引き渡すワケにはいかない。もちろん、匿うにも名目は必要だ」

 

 デボラがそう言ってアイリスたちを見ると、アイリスは目をしばたかせてたずねた。

 

「あの、それって私たちですか?」

 

「そうだ。『優秀な探偵を知っているから、そいつらにも調べさせる』と言って、捕縛を保留してもらっている」

 

「よく聞いてもらえたね。憲兵と冒険者とでもめ事になりかねないのに」

 

「君たちは厳密には、ギルドに寝泊まりしているだけの部外者だ。身内を使って憲兵たちに対抗しようというワケじゃない……。建前上はな」

 

 デボラはそう言ってしれっと肩をすくめる。ロキはやれやれと吐息を漏らし、聞こえよがしにこう言う。

 

「……キチンと容疑を晴らさないと、逆に隠蔽を疑われるかもねぇ」

 

「ん、まあ……君たちに責任を負わせるのは心苦しいが」

 

 デボラは気まずそうに笑う。しかしウィルを横目に見て静かにこう付け加えた。

 

「それでも、無罪を叫ぶ者を無視するワケにはいかない。ましてや自分のところで預かる冒険者だ。出来る事をしておかないとマスターの名折れだろう」

 

 そう言ってデボラはアイリスたちへ視線を向ける。そのまっすぐな目を見て、アイリスもロキの方へ視線を送った。

 ロキはその視線に気づくと、気を取り直してウィに駆け寄り、屈んで目線を合わせて言った。

 

「それじゃ、昨晩の行動をくわしく教えてもらえるかな――」

 

 

――

 

 

「……彼によると、この辺りのバーで被害者と飲んでいたそうです」

 

 数十分後、ロキとアイリスは二人で現場となった歓楽街に来ていた。まだ日が高いため人通りは少なく、大小様々な酒場やいかがわしい店舗がひっそり出番を待っている。

 その風景を居心地悪そうな表情で見回し、アイリスは手に持ったメモへ視線を移す。そこにはウィルから聞き取った情報が書き留めてあった。

 

「被害者女性の名はヘザーさん。カラスの獣人で見た目は二十歳前後。ウィルさんいわく昨晩、バーにいたのは短時間で、先に一人で帰ったそうです」

 

「ヘザーね……いつかトラブルになると思ってた」

 

「ご存じなんですか? ロキ」

 

 アイリスがたずねると、ロキは振り向いて苦笑した。

 

「この辺りの友人からよく聞いたよ。男あさりが激しくて、それで金銭まで受け取っていたって。たぶん本業の冒険者よりもうけたんじゃない?」

 

「は、はあ」

 

 気まずそうに相づちを打つアイリス。ロキの言う素行に抵抗はあったものの、殺された人物を悪く言うのは失礼だと口をつぐむ。しかしロキは鼻で笑い、肩をすくめてこう続けた。

 

「ま、カラスは頭がいいからね。刺激には貪欲なのさ。彼女は行き過ぎちゃったようだけど」

 

「……あまり死者を悪く言うのは良くないかと」

 

「分かってるさ。人間にもそんな輩はいるし」

 

 ケラケラ笑いながら言うロキ。アイリスがため息をつくと、ロキはすぐそばの店を指さした。

 

「それはともかくホラ、もう目の前だよ。ウィルが来ていたってお店」

 

 言われてアイリスが顔を上げると、そこには小ぢんまりとしたバーがあった。昼間なので開店はまだだったが、ロキはためらいなく門戸をたたく。

 

「すいませーん。ちょっとお聞きしたい事があるんですけどー」

 

「ちょ、ちょっとロキ……」

 

 ドンドンと遠慮のないノックをするロキへあわてて駆け寄るアイリス。するとベルが鳴るとともに扉がゆっくりと開き、中から一人の人物が顔を出す。

 

「……来ると思っていました。昨日の事件でしょう?」

 

 50代あたりのその男性は、あらかじめ話を聞かれると察していたのか苦い顔をしていた。シワがいくつも顔に刻まれ、パサついたさびしい白髪を落ち着かない様子でなでる。

 対してロキはニッコリと笑みをつくり、すこぶる愛想のいい口調で話す。

 

「突然で失礼。僕ら冒険者ギルドに言われて来た探偵なんですけど、昨晩の事について色々聞きたくて」

 

「ええ……分かっています。まだ開店前ですが、とりあえず中へ」

 

「ありがとう。あなたは店主?」

 

「はい。ここは私が一人でやっています」

 

 店主はそう言って背を向け、アイリスらを迎え入れる。そして客のいないカウンターへ座らせると自らはその向かいに立つ。

 営業時間はいつも立っているであろうその場所に収まっても、店主は緊張した面持ちでいた。対してロキはのんきな顔で酒瓶の並んだ店内を見回している。

 

「こうして見るとつい飲みたくなるよねぇ。ちょっと頂いていこうかな」

 

「ロキ、仕事中ですよ」

 

「心配しなくても君には勧めないさ。また上機嫌になられても困る」

 

「ムッ……今それを言わなくとも」

 

 以前に酔っ払って醜態をさらしたのを思い出し、アイリスはすねた顔をする。すると店主がしびれを切らして口をはさんだ。

 

「あの……それで聞きたい事は?」

 

「ああそうだった。ごめんね」

 

 笑ってロキは向き直り、こう切り出す。

 

「まず、ウィルって子が昨日ここに来たよね?」

 

「ウィル……あのヘザーと一緒にいたヤツでしょうか」

 

「そうそう」

 

 ヘザーの名が知れ渡っていたらしく、話が早いとロキはうなずく。しかし店主は力なくため息をつき、天井を見上げてつぶやいた。

 

「よく来ていましたよ。男性をとっかえひっかえしていて危ないとは思っていましたが……まさかあんな目に遭うとは」

 

「心中お察しします」

 

「キレイな黒髪の娘でね。背中の黒い翼がまた艶がかってキレイでした。私ももっと注意してあげていれば……」

 

 店主の言葉にアイリスもしんみりした表情になる。そこへロキがたずねた。

 

「で、そのヘザーとウィルはどんな様子だった?」

 

「む……そうでした。夜にヘザーがいつもの調子で男……ウィルを連れ込んだのですが」

 

「うんうん」

 

「ちょっと飲んだだけで、二人して出ていってしまったんですよ。その後に外でトラブルになったんだと思うのですが、私にはそこまで知りません」

 

「出ていった?」

 

 ロキが眉をひそめると、店主はうなずいて声を低めた。

 

「ええ、ウィルが趣味なのか手帳にイラストを書きためていまして。それをヘザーに見せたら、なんだか白けてしまいまして」

 

「趣味でイラスト、ねぇ」

 

「はい。ウィルはいわゆるオタクってヤツだったんでしょう。天使とか妖精とかをいくつも描いていて、ヘザーに気持ち悪いなんて言われていました」

 

 神妙な顔で話す店主。それを聞いてアイリスは手元のメモを見返し、ロキへそっと耳打ちする。

 

「……ウィルさん、そんな話していましたっけ」

 

「いいや、聞いたのはあくまでこのバーにいたのと一人で先に帰ったって事だけだ」

 

「どうして隠していたんでしょう」

 

「まあ、オタクってのは趣味を隠したがるのもいるから。大した情報でもないと思ったんじゃないの」

 

 苦い顔のアイリスをなだめるロキだったが、彼の顔も笑っていなかった。それに気づいているのかどうか、店主は腕組みしていまいましげに言う。

 

「まったく、おとなしくフられておけばよいものを女の子に手を出すとは。無害そうに見えて恐ろしいヤツだ」

 

 店主の言葉を聞きながら、アイリスもつい黙ってしまう。その隣でロキは一人、思考にふけっていた。

 

(……ウィルが"一人で帰った"というのはウソ、なのかな……)

 

 ウィルと店主の証言の食い違い。普通に考えれば、ウィルが犯行を隠そうと気休めに一人で帰ったとウソをついたと思うところだ。イラストの件を隠されていたのも、犯行動機を知られたくなかったと考えれば筋が通る。ただ……。

 

(ハッキリした証拠はないしなぁ……)

 

 ロキの脳裏に浮かぶのは、ギルドマスターとして冒険者の無実を信じるデボラの表情である。感情こそ露わにしないが、本当の事が分かるまでは引かないと彼女の眼が語っていた。

 せめてもう少し情報が得られないかと、ロキはそばでアイリスと店主が話してるスキに視線をめぐらせる。すると足元にふと、あるモノが留まった。

 

「ん?」

 

 それは手のひら大の小さな紙切れだった。折れ曲がって落ちているそれを見て、ロキは先ほどの店主のセリフを思い出す。

 ウィルは手帳にイラストを描いていた。足元の紙はちょうど手帳のページくらいの大きさだ。

 

「……あちゃぁ、靴に泥が……」

 

 白々しくそう言って、ロキは前かがみになり紙切れを手に取る。裏返すと、そこには黒インクで小さく絵が描かれていた。

 カラスのような黒い翼を広げた、若い女天使の絵。黒のワンピースを着たそれは顔も描き込まれておらず線も頼りない下手くそなものだったが、ロキはその絵が気になった。

 店主いわく、ウィルは天使の絵も描いていたらしい。それとこの絵が関係あるかもしれない……。

 

 そんな事をロキが考えていると、彼の頭上からアイリスの声がした。

 

「あれ、コレ何ですか?」

 

「ああ、ウィルが置いていったんですよ」

 

 そのやり取りが気になり、ロキはゆっくり体を起こす。するとアイリスの視線は店主のいるカウンターの棚の一角へ向けられていた。

 ロキは拾った紙をポケットへねじ込むと、アイリスの見ている場所をのぞく。そこには小さなインク瓶があった。

 アイリスもロキも二人でそのインク瓶を見ていると、気づいた店主がちらと見て説明を始めた。

 

「アイツ、イラストに描くのに使うんだと見せびらかしていたんですがね……揉めて帰る時に忘れてしまったんでしょう」

 

 店主は鼻を鳴らして言った。その陰でロキは先ほどの天使の絵をまた思い返す。ウィルがインクを忘れて帰ったなら、そのインクを別の誰かが使った可能性はないだろうか。

 ロキは店主の方を見ると一つたずねる。

 

「あの、そういえば当時に他のお客さんは?」

 

「いませんでした。おかげで二人が帰ってからは暇で」

 

「そっか」

 

 ロキはうなずく。よけいな客がいないのなら可能性を絞り込むのも早くなる。彼はおもむろに立ち上がりアイリスに告げた。

 

「いったん戻ろう。また情報を集めないと」

 

「え、じゃあまたウィルさんに……むぐ」

 

「それではお邪魔しました。ありがとうね」

 

 匿われているウィルの名を出すアイリスの口を急いでふさぎ、ロキは彼女の手を引いて出口へ駆け出す。そして扉の前で振り向くと作り笑いで一礼した。

 

「それでは失礼。行こう」

 

「な、ちょっとロキ――」

 

 戸惑うアイリスの言葉を無視し、ロキは相手を引っ張ってバーを出ていった。出口のベルがカラカラとなるのを、残された店主は黙って見つめる。

 

「…………」

 

しかし、一人きりになった店主の目は心なしか冷たく、どす黒い気色が浮かんでいるように見えた。

 

 

――

 

 

「あ……聞いたんですね。僕の絵の事」

 

 ……それからしばらくして。ギルドに取って返したアイリスたちは、デボラと一緒になってまたウィルへの聞き取りを始めた。朝と同じ構図だが、今度のウィルはすこぶる気まずそうな笑みを浮かべている。

 そんな彼へ、ロキは単刀直入に問う。

 

「で、本当なの? ヘザーに自作のイラストを見せたって」

 

「はい……見せました」

 

「出してよ。その手帳」

 

「え、いや恥ずかしい……」

 

「そういうのいいですから。早く」

 

「はい」

 

 この期に及んで恥ずかしがるウィルへ、アイリスさえ呆れた顔でうながす。ウィルは観念したように懐から手帳を取り出し、二人へ差し出した。

 その革で綴じたシンプルな手帳を、ロキがペラペラとめくる。描いてあるのは火を吹くドラゴンや岩で出来たゴーレム、耳の尖ったエルフ……どれもこの世界に実在しない空想の生き物だった。特徴もさまざまで、大きな一つ目をギョロギョロと光らせた巨人の絵などもある。

 ロキが手帳の絵を見るうち、ウィルは目の前でソワソワしはじめる。そして焦れて細い声をあげた。

 

「返してくださいよぉ。めったに他人には見せないのに」

 

「大事な確認なんだよ。なんでも、ヘザーにコレ見せて気持ち悪いって言われたんだって?」

 

「うっ……確かに言われました」

 

「それからどうなったの? 正直に答えて」

 

 手帳をめくる手を止めてまっすぐたずねるロキ。ウィルは打ちひしがれたようにうつ向き答える。

 

「それは朝に言った通りです……。一人で帰ったんですよ。バカにされたショックで」

 

「本当に? ヘザーと一緒に帰ったりしてない?」

 

「え、そんな事しませんよ。どうして?」

 

「バーの店主さんが言うには、帰る時は二人そろってだったらしいんです。だから私たちも引っかかって」

 

 首をかしげるウィルにアイリスが補足する。するとウィルは不可解そうな顔になってふるふると首を横に振った。

 

「そんなバカな。僕は確かに一人で帰りましたよ。とても女の子を連れていける気分じゃなかったし、バーの人も現場を見ていたはずです」

 

「ウィル君、よく思い出してくれ。記憶違いの線もないか?」

 

「ありません! 他にお客さんもいなかったし、取り違えの可能性もないはずです」

 

 隣でデボラが念押ししても、ウィルはキッパリ否定した。その口調はウソをついている風ではなかった。その様子を見てアイリスが悩ましげにうなる。

 

「虚偽の証言となると、今度はそれを証明しなきゃいけませんね」

 

「いや大丈夫だ。おそらくこの手帳に手がかりがある」

 

「ま、まだ返してもらえないんですか?」

 

 いまだ恥じらうウィルを無視し、ロキは再び手帳をめくる。そしてあるページに行き着いた時、その目を鋭く光らせた。

 

「これだ……!」

 

「何か?」

 

「ほら、ここ見てみなよ」

 

 ロキはやや興奮した顔でアイリスに手帳を見せる。それにデボラも加わってその絵をしげしげと覗きこんだ。

 三人に絵をじっくり見られたウィルは苦悶の顔で目を泳がせていたが、そんな彼へロキは見ていた手帳のページを突きつける。

 

「ウィル、これ君が描いたの?」

 

「何ですか……あっ!?」

 

 手帳を見たウィルか目をしばたかせる。そこには黒い翼を広げた天使の絵があった。ロキがバーで見つけた絵にそっくりだったが、手帳のそれの方が線に迷いがなく書き込みも細かい。

 

「はい……僕が描きました」

 

 ウィルはコクリとうなずく。そこへロキが質問を重ねた。

 

「確認だけど、これ君が一から描いたの? それとも何かのキャラクターだったりする?」

 

「僕が一から描きましたよ。真似とかじゃありません!」

 

「あっそう」

 

 少し自慢げになるウィルへそっけない返事をするロキ。そこへアイリスが横からたずねる。

 

「ロキ、この天使みたいな絵が何か?」

 

「そうだった。君はまだ見てなかったっけ」

 

 ロキはポケットから例の紙切れを取り出し周りに見せる。デボラはそれと手帳のページを見比べて驚いた。

 

「……そっくりだな。偶然には見えない」

 

「だろ? バーに落ちていたんだ。ウィルはこれ見覚えあるかい?」

 

「いえ……似ていますけど、僕が描いたものではありません。描くならもう少していねいにやります」

 

 ウィルの返事に、アイリスが思わずハッと驚く。そしてロキと顔を見合わせて言った。

 

「という事は……」

 

「ウィルの絵を真似て描いた誰かがいるって事だね。ウィルは手帳をめったに見せない、昨晩のバーに客はウィルとヘザーしかいなかった、となると……」

 

「そっか! ヘザーさんが描いたんですね! バーに忘れ物のインクがあったじゃないですか。それで描いたんですよ! ウィルさんが帰っていなくなってから!」

 

 アイリスがはやった口調で言う。バーの店主の『ウィルとヘザーは一緒に帰った』という証言がウソだと確信した表情であった。ウィルとデボラが息をのむ中、アイリスはさらに勢いこんで続ける。

 

「ね、そうでしょう? カラスの獣人なら羽をペン代わりにする事もできますし。ヘザーさんと店主だけで残った時間が存在したんですよ!」

 

「ああ、おそらく僕もそうだと思う。ただ……」

 

 対してロキは言いよどみ、難しい顔で口を開く。

 

「可能性は低いけど、あの店主が描いたかもしれない。まだ断定はできないよ」

 

「そ、そうですか……」

 

「とにかく手がかりが足りない。遺体も調べたいところだけど……」

 

 ロキがそう言いかけるが、そこへデボラが沈んだ顔で待ったをかけた。

 

「あいにく、遺体はもう埋葬されてる。掘り返すのも無理だろう」

 

「モニカも言ってましたが、遺体は神様の元に行きますからね。あらかじめ頼まなければ手出しできません」

 

「そうか……」

 

 アイリスも続いて肩を落とすと、ロキは苦い顔であきらめた。しかしそこで、デボラが思い出したように言う。

 

「そうだ。遺体は無理だが、被害者の遺留品ならまだ憲兵隊の詰め所にあるかもしれない。それは役に立たないか?」

 

「遺留品……よぅし」

 

 デボラの言葉にロキは素早く顔を上げる。そしてアイリスの方を向いて言った。

 

「急ごう。なるべく早い方がいい」

 

「え、それで何とかなるんですか?」

 

「ああ、憲兵隊のところに行けば解決は見える。さあ」

 

「は、はいっ」

 

 アイリスはロキの考えが完全には見えなかったが、相方が堂々とした足取りで部屋を出ていったのであわてて追った。

 

 

――

 

 

「ここに被害者の遺留品があります。少しの間なら邪魔は来ません」

 

「ありがとう。恩に着るよ」

 

 ……数十分後、アイリスとロキは街の中心部にある憲兵隊の詰め所に来ていた。それもロキが憲兵の一人にこっそり耳打ちし、こっそり案内をさせたのだ。

 そうして誰もいない部屋の、遺留品が個別に入ったたくさんの金庫の前まで来ると、案内した憲兵はカギを渡して素早く部屋を出ていった。二人で残されるとアイリスは眉をひそめて口を開く。

 

「えーと……これは入れてもらえたって事でいいんですよね?」

 

「ああ。ただ正規の手続きをすると面倒だからね。融通を利かせてもらった」

 

「それはズルなんじゃないですか?」

 

「はは、悪い事に使うんじゃないし見逃してよ。こういう時のために知り合いを潜ませてるんだ」

 

 反省の色もなく肩をすくめ、ロキは金庫の目の前に歩み寄る。そしてカギを確認するとある金庫の扉に差し込み錠を解き、ついに中身を開放する。

 

「ふむ……」

 

 ロキはしげしげと内部を見渡した。そこにはヘザーのものであろう遺留品が所狭しと並んでいた。着ていた装備品や服、下着、使っていたであろうナイフや香水など。そこに混じって高価な宝石なども何点かあり、ロキはそれをつまみ上げて笑みを漏らす。

 

「はは、やっぱりカラスは光り物が好きなんだねぇ。ちょっと貰っていこうかな」

 

「ロキ!」

 

「冗談だよ。急ぐから怒らないで」

 

 眉尻を上げるアイリスへ手をひらひら振り、ロキは別のものを手に取る。それは手のひらに少し余る程度にふくらんだ布袋だった。金庫から持ち出すとかすかにチャリンと金属の擦れ合う音がし、アイリスがある事に勘づいた。

 

「……もしかして、お財布でしょうか」

 

「そ。僕の推測が正しければこれが手がかりだ」

 

 ロキはそう言って紐の封をためらいなく解き、中を覗きこむ。そしてアイリスにもその中身を見せた。

 袋の中は大量の小銭が詰まっており、いくつか折り畳まれた紙幣が混じり、それらに上から蓋をするかのように折り目がついただけの紙幣がベロンと何枚も重なっている。

 その内容を見て、アイリスは神妙な顔で言う。

 

「……かなりの額ですね」

 

「ああ。少なくとも金銭目的の殺害じゃないね」

 

 ロキも同じ声色で言う。そして真面目な顔になり、アイリスへ問いかけた。

 

「他に何か気づかないかい?」

 

「他に、ですか?」

 

「ああ。バーの店主によれば、被害者とウィルは安いお酒を少し飲んだだけ……。会計を偽る必要性は無いだろうとなると、この財布の中身は妙じゃないかな」

 

「……う〜ん……」

 

 ロキに言われ首をひねるアイリス。しかし残念ながら彼女は違和感が湧かず両手を挙げた。

 それを見たロキはたんたんと説明する。

 

「見てみなよ。畳んでいる紙幣とそうでない紙幣があって、広がった紙幣が何枚も上から被さってる。これは大量の紙幣をサッと入れてから畳む暇もないまま殺されたんだと思う」

 

「という事は……殺害のタイミング近くで紙幣を受け取ったと? それは例のバーなのでは?」

 

「ああ。あのバーで何枚も紙幣を受け取るのはおかしい」

 

「え? 会計したら無理もないのでは?」

 

 眉をしかめるアイリスへ、ロキは説明を続けた。

 

「そうでもないよ。安めの支払いを想像してみな? 小銭があったらそれで払うし、紙幣で払うにしてもお釣りで紙幣を返される額なんてわざわざ渡さないでしょ」

 

「ああ、確かに……」

 

「足りるはずの小銭を使わず、かつ不自然にヘザーへ多額のお釣りが返ってくる状況とはおそらく……」

 

 ロキはいったん言葉を切り、なんとも虚しげな表情で言う。

 

「奢ったんだろうね。ウィルが」

 

「奢った?」

 

「ああ。男ならお代を持つべきって、女性慣れしてないほど思い込みそうなものだろ。加えて例の"気持ち悪い"って言われた話からして、とりあえず大金出して一人帰ったんだろうさ」

 

「それで多額のお釣りはヘザーさんが受け取るしかなくなった、と……」

 

「そういう事」

 

 ロキは小さくため息をついた。アイリスも微妙な顔でつふやく。

 

「絵の件もそうですが、どうしてそういう小さな事実をいちいち隠すんですかね」

 

「見栄っ張りなのさ。一人で羞恥心と見栄を上塗りしまくってミルフィーユを作っちゃう。それはさておき……」

 

 ロキは気を取り直すように言った。

 

「これでウィルが一人で帰った確証ができた。あのバーの店主は嘘つきだ」

 

「怪しいですよね。話を聞かないと」

 

「待って。できればしらばっくれないタイミングを狙いたい。だから……」

 

 はやるアイリスを引き止め、思案するロキ。そこへ先ほどの憲兵がこっそりとドアから顔を出した。

 

「あの……」

 

「ああすまない。そろそろ時間かい」

 

 声をひそめる憲兵へロキが笑顔をつくり歩み寄る。そこへ憲兵が神妙な顔で耳打ちした。

 

「実は……先ほど言われたバーの件ですが」

 

 一部が漏れ聞こえ、アイリスもとっさに駆け寄る。そこへロキか振り向き、してやったりという表情で言った。

 

「最新の内部情報だよ。僕らの行ったバーが、いきなり本日休業だとさ」

 

「しかし、私たちが会った時は"開店前"だって……」

 

「よほど店に入られたくないようだね」

 

 ニヤリと笑うロキ。そして憲兵に礼を言うと、一人で出口へ歩きだした。

 

「ちょっと、ロキ!」

 

 堂々と部屋を出ていくロキをあわてて追いかけるアイリス。そんな彼女へ振り向くと、ロキはこんな事を言った。

 

「探偵と言えば張り込みだろ? 見張っていればじき尻尾を出すさ」

 

 その言葉にアイリスは戸惑ったが、ロキの顔は自信に満ちていた。外が夕暮れに差しかかる中、詰め所を飛び出した二人は賑わいを見せはじめた歓楽街の方へ走っていった。

 

 

――

 

 

 ……時刻は移り、そろそろ日付が変わるかという頃。街の灯もすっかり絶え家々は静けさに包まれている。夜にきらびやかな誘惑の光を無数に放つ歓楽街も例外ではなく、通りから人影は消え住処のない乞食が道端にうずくまっているばかりである。

 その歓楽街の片隅に、"本日休業"と札がかけられた小さなバーがあった。あのアイリスとロキの二人が立ち寄った店である。その店の裏口から、こっそりと忍び足で外へ出る何者かの姿があった。

 

「…………」

 

 それはあの店主であった。全身をカーキ色のローブで包んでフードをかぶり、まるで身元を隠すかのような格好である。手には大きなトランクを持ち、ほぼ誰もいない真夜中の往来をせわしく見回しながら彼は細い街路を歩きだす。

 店主は店に目もくれず、緊張した呼吸でその場を離れていく。その様はあからさまに人目を恐れていた。

 そんな彼に、背後から声をかける者がいた。

 

「どこに行くんだい?」

 

 夜闇の中から背後に響く、若い少年の声。店主はぎくりと立ち止まり一瞬静止する。そして先ほど聞いた声が現実か疑うかのように、ゆっくり、ゆっくりと蒼白の顔を後ろへ向けた。

 

「待たせてくれたね。もうどこのお店もやってないよ」

 

 そう言って歩み寄るのはロキだった。店主が目を見開くのをまるで楽しむかのように見透かした視線を送る。さらにその後ろからは険しい表情のアイリスがついて来た。

 店主は小さく跳びはねて体をロキに向けると、震えながら後ずさる。そんな相手へロキはさらに距離を縮めて言う。

 

「言っとくけど夜逃げしてもすぐ捕まるよ。思いっきり田舎にでも行かなきゃね」

 

「なんの……話ですか」

 

「とぼけないでください」

 

 うろたえる店主へアイリスも詰め寄る。そして彼女は店主を正面からにらんで言った。

 

「あなたがウソをついているのは分かっているんです。観念して捕まってください」

 

「し、失礼な! 私がいつウソをついたというんですか!?」

 

 店主は大声で反発するが、その声はわずかに震えていた。そこへロキも進み出てこう切り出す。

 

「ちょっと見てほしいんだけど、これを」

 

「なぬ?」

 

 ロキが一枚の紙を取り出す。それは例のヘザーが書いた天使の絵だった。店主はそれをにらんでから険のある声で言う。

 

「これが何か?」

 

「あなたの店で見つけたんだ。何か知っている事はないかい?」

 

「さあ、私は知らんね。行ってもいいかい」

 

「それはおかしいねぇ」

 

 鼻で笑う店主だったがロキはわざとらしい口調で引き留める。店主は鬱陶しげな視線を送るが、ロキは気にせず続けた。

 

「この絵、どう見てもウィルが描いたのを真似しててね。あなたの店で元の絵を見た時点より後じゃないと、この絵も存在しないはずなんだ。つまり店を一人で切り盛りするあなたが知らないはずがない」

 

「む……」

 

 不愉快そうにうなり、店主は弁解する。

 

「そりゃなんとなく見たのは覚えてるさ。でもあのヘザーが描いてた以外は印象に残ってない」

 

「おや、ヘザーが描いたのは間違いない? もしや彼女が一人でこの絵を描いたとか……」

 

「うっ……いや、二人でいた時に描いたんだ! いくらすぐ帰ったにしろ、落書き一つこしらえる時間くらいある!!」

 

 店主は食い気味に否定した。目が泳いでいる。ロキはアイリスと視線をかわし、今度はこんな事を言う。

 

「……確か『気持ち悪い』とか言われてその場は白けたんじゃなかったっけ?」

 

「そうは言ったが、その……一緒に落書きしなかったとも言ってないだろ」

 

 店主の言葉がどもりはじめる。ロキはわざとらしくため息をついてつぶやいた。

 

「それなら……ウィルはその気まずい時間のために奢りまでしたのかぁ。つまんない男だね」

 

「つまらないどころじゃない。クソ野郎だ! おかげで俺まで疑われて……」

 

「そこまで怒らなくても。どうせ彼にはお釣りを渡してそれまでだったんでしょ?」

 

 ロキは茶化すような口調で言った。それに対して店主はいら立ちがつのってか、こう吐き捨てた。

 

「はっ、その釣りならヘザーがもらったよ! 無駄に多く払いやがって、あのヘタレ……!」

 

 言ってから、店主の語気がふいに弱まる。それから三人は無言になり、その場がしんと静まり返る。

 アイリスとロキは二人で店主をジッと見つめた。見られた店主の顔はみるみる青ざめ、冷や汗をかきはじめた。

 

「変だね」

 

 ロキがポツリと言う。顔は笑っていたが、口ぶりはいやに冷徹だった。彼は続ける。

 

「君は確か、ウィルとヘザーは一緒に帰ったと言ったよね。なんでお釣りをヘザーがもらうんだい?」

 

「っ……それは、少しぐらいなら点数稼ぎにあげたり……!」

 

「さっき"無駄に多く払った"と言った。ウィルが大金を出して奢った事は調べがついてる」

 

 ロキと視線のぶつかった店主が後ずさる。その反応からして奢ったのも大金を出したのも間違いなさそうだ。となればヘザーが大きなお釣りを受け取る理由は、やはり一つ。

 

「君、やっぱりウソついたろ。ヘザーと二人きりになったのを隠した」

 

「ち、違う!」

 

「なら、今は正直に答えてもらおうか。なんで逃げようとしてたの?」

 

「……っ」

 

「それに、僕らが来てから急に店を閉めてのはどうして?」

 

 ロキの問いに店主は答えなかった。苦しげに顔をゆがめて歯がみし、ジリジリと後ずさりする。

 そして、急に背を向けたかと思うと走ってその場を逃げ出した。

 

「アイリス!」

 

「待ちなさい!」

 

 ロキの呼びかけとほぼ同時に、アイリスが飛び出し店主を追いかける。そして頭から突っ込むと、店主に後ろから覆いかぶさり押さえつけた。

 

「逃がしませんよ、今度こそ正直に答えなさい!!」

 

「ええいクソ、離せぇっ!!」

 

 店主はジタバタと暴れるが、下敷きになった状態から逃れられるはずがない。やがて店主が息を切らして動かなくなると、ロキがその前に回り込みしゃがんで言った。

 

「往生際が悪いな。こんな状況になったらどのみち終わりでしょ」

 

「くっ……しゃあしゃあと。お前に目をつけられて呑気にしていられるか!」

 

「僕がどうしたって?」

 

「とぼけるな! 夜の街で知らない者はいないぞ。アンタの不興を買えばたちまちあらゆる人脈が動いて、何もかも失うハメになるって!」

 

 店主の叫びにアイリスが思わずロキを見る。しかしロキは鼻で笑ってとぼけた。

 

「酷いなぁ。誰だい、そんな事をするのは」

 

「このっ……クソガキ……!」

 

「そりゃこの辺に知り合いはいるさ。でもめったな事は言わないでほしいな。少なくとも今は真っ当に仕事してるよ?」

 

 平然と言うロキだったが、店主の言葉を否定はしなかった。アイリスも一瞬だけ眉をひそめたが、何か言う前にロキが口を開く。

 

「それより……肝心な話だ。君、ヘザーに何をした?」

 

「…………」

 

 店主は苦々しい表情で目をそらす。が、やがて観念した様子でポツリポツリ話しだす。

 

「……ヘザーがウィルと少し飲んだ後……ウィルが先に帰った。絵をけなされたショックで、勝手に奢りをしてな」

 

「その後は?」

 

「ヘザーと二人きりになった……。彼女はまだ飲み足りない様子で、俺は酒を出してやって話し相手になったんだ」

 

 ついに明かされる店主しか知らない情報。アイリスが聞き入ると、店主は急に薄ら笑いを浮かべはじめた。

 

「いやぁ、ほろ酔いのアイツは綺麗だったよ。頬が赤らんで、自慢の黒髪が店の明かりのに照らされて濡れたカラスみたいに光っていて……ついつい近寄ってしまったんだ」

 

 話の成り行きにアイリスは目に戸惑いの色を浮かべる。しかしロキは気づいたかのように眉を動かした。

 

「……変な気を起こしたってワケか」

 

「ふっ……ふふ。そうさ。どうせウィルは逃げたんだし、少しでも夜を盛り上げてやろうと思ってね」

 

 店主の笑みが下卑たものに変わる。聞いていたアイリスも怒りと嫌悪を顔ににじませた。ロキだけが一人冷たい口調で確認する。

 

「で、拒否されたんだろ?」

 

「ご名答……。もうバッサリだったよ。俺が迫るなり顔色を変えて、これでもかって金切り声をあげた。勘違いするな、変態、キモい、白髪の中年……さっきまで笑っていたとは思えない暴言をいくつも浴びせてきた」

 

 店主は吐き捨てるように言った。そして眉間にシワをつくり、みるみる表情を険しくしてうなると、地面に向かっていっそうトゲトゲしく叫ぶ。

 

「アイツが、アイツが悪いんだ! 普段から男と寝まくってるクセに、俺が近寄った時だけ拒みやがって! 身の程知らずめ、獣人のアバズレ、スベタの分際で調子に乗った自業自得だ!!」

 

 店主は早口にまくしたてた。それは一切の正当性がない、ただの責任転嫁の自白だった。アイリスは表情をこわばらせ無意識に手に力をこめる。そんな一方、ロキはやれやれといった様子で立ち上がり、言う。

 

「じゃ……出るべきところへ出てもらおうか」

 

「はっ、どこへ出るって? お前の知り合いの殺し屋でも呼ぶのか?」

 

「それも面白いけどね。流石にもう少し穏便にいかせてもらう」

 

 そう言ってロキは路地の暗闇へ目を向ける。するといつからいたのか数人の憲兵が物陰から顔を出し、駆け寄ってきた。その姿にアイリスは驚いてロキを見る。

 ロキは事もなげに肩をすくめる。

 

「あらかじめこの辺に潜むように伝えておいたんだよ。犯人の言質も取れたし役に立ったでしょ」

 

「それなら言ってくださればよかったのに」

 

「ごめんごめん。ギリギリまで犯人には憲兵を見られたくなくてさ」

 

 ロキはほとんど悪びれずに微笑む。一方で店主は憲兵らに拘束されていた。

 

「ほら、自分で歩け!」

 

「触るな、痛いだろ!」

 

「キサマ暴れるな!」

 

 苦し紛れに怒声を吐きながら、店主は憲兵に引きずられていった。その声も夜闇に消えて遠くなると、ロキがうんと伸びをして言う。

 

「やれやれ、一件落着かなぁ」

 

「あの、ロキ……」

 

「うん?」

 

「さっき、殺し屋がどうのって……」

 

 一方アイリスは浮かない顔でロキを見る。ロキは子供を見るような目で苦笑すると、こう弁解した。

 

「親の代からの繋がりがあるんだよ。それも昔の話さ」

 

「でも、気になります」

 

「そりゃ僕も真っ白な身の上じゃないさ。けど人の役に立つなら活用した方がいいだろ?」

 

「…………」

 

 ロキはそう問いかけるが、アイリスは釈然としない様子だった。ロキは困った顔で髪をかき上げ口を開く。

 

「悪いけど、そういうコネも含めて王様から任命されたんだ。君が無理する必要はないけど、僕にしかできない仕事がある」

 

 ロキはそう言ってアイリスを見据えた。後ろ暗い繋がりかあればこそのメリットがある、と目が語っている。アイリスはしばし苦い顔でいたが、やがて頷いて言った。

 

「……分かりました。今はこの話は忘れます」

 

「良かった、じゃあ帰ろうよ。明日も用事がある」

 

「と言いますと?」

 

「決まってるじゃないか。ウィルの事だよ」

 

 そう言ってロキはてくてく歩きだす。ハッキリ答えをもらえなかったアイリスは首をかしげながら後を追った。

 

 

――

 

 

 ……そして、次の日。二人は朝のうちにデボラのところをまた訪ねた。例の仮眠室を開けると結局一晩かくまわれたままだったウィルがベッドに座り込んでいる。

 無実の罪を着せられて浮かない顔でいるウィルへ、ロキは微笑んで声をかけた。

 

「おめでとう。君の容疑は晴れたよ」

 

「え……本当ですか?」

 

 振り向くウィルの目に光が宿る。アイリスも進み出て安心させるように告げた。

 

「昨晩おそくに真犯人が捕まりました。帰っても平気です」

 

「よ、良かったぁ……!」

 

「憲兵隊からの詫びもないがな。まったく失態はいつも隠したがる」

 

 デボラが呆れ笑いしてつぶやくが、ウィルは疑いが晴れただけで十分そうだった。胸をなで下ろし、さり気なく目尻をぬぐう。するとそこへロキが歩み寄り言う。

 

「で、一つ頼みがあるんだけど」

 

「え、何か」

 

「君の手帳、また見せてくれないかな」

 

 手帳。そう聞いたウィルの顔が再びくもる。しかし視線をめぐらせるとデボラは戸惑っているもののアイリスは訳知り顔でウィルの答えを待っている。

 ウィルは少し間を置き、自身の手帳を取り出した。

 

「……どうぞ」

 

 受け取ったロキはパラパラとページをめくる。デボラが心配そうにロキとアイリスを交互に見ると、アイリスは顔を向け、微笑んでみせる。

 悪いようにはしない。しぐさをそう受け取ったデボラはまたロキへ注目する。ロキはあるところで手を止め、ウィルを見て言った。

 

「ヘザーが気持ち悪いと言ったの、もしかしてこの絵かい?」

 

「……?」

 

 ロキが手帳のあるページを広げて見せる。ウィルがしぶしぶのぞくと、そこにはギョロギョロと一つ目を光らせる巨人の絵が描かれていた。ウィルは沈んだ顔でうなずく。

 

「はい……それも見ていたと思いますが」

 

「なるほどね」

 

「どうかしましたか?」

 

 ロキの問いの意図が分からず眉をしかめるウィル。そんな彼へロキはこんな話をしだす。

 

「……カラスってね、目玉模様を嫌うんだ。ギああいうギョロついた強い刺激を本能的に嫌がるのさ」

 

「へ……」

 

「もしかしたらヘザーもそうだったんじゃないかな。じゃなきゃ絵を真似たりしないって」

 

「…………」

 

 ウィルは疑わしそうにうつむく。しかし次第に、険しい表情に悲壮さが混じりだした。コンプレックスで凝り固まっていた思考が徐々にやわらぎ、もしかしたらという希望が彼の脳内に生まれだす。

 

「じゃあ、僕の絵をバカにしたんじゃなかったんですか……?」

 

「かも知れないね。確かめるすべはないけど」

 

「…………」

 

 ウィルは泣き笑いするような表情になり、顔を覆った。そしてか細い涙声でなげく。

 

「なんであの娘を一人にしちゃったんだろ……」

 

「君が悪いんじゃないさ。せめて死んだ後くらい彼女を信じてあげようよ」

 

 ロキはウィルのかたわらで静かになぐさめた。その姿を見ながら、アイリスはロキの謎めいた素性を恐れながらも、人しての情はあるのだと信じる事にしたのだった。

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