勇者の孫娘とコウモリ少年 人と獣人との黒き事件簿 作:ごぼう大臣
「やれやれ、女の子の買い物ってなんでこう長いかな」
「文句言わないでくたさいよ。色々と必要なんです」
ある昼下がり、アイリスとロキは王都の大通りを二人で連れ立って歩いていた。この日は事件に遭遇する事もなく、人通りの多い道を堂々と進んでいる。
にも関わらず、ロキの表情はいまいち白けていた。隣のアイリスはさまざまな商店のテントが賑わっているのをキョロキョロとマメに観察していたが、ロキは半目のまま黙々と歩を進めるばかり。
そして彼はふとアイリスへ恨めしげに眼球を動かし、ため息まじりに言った。
「ねぇ、これって丸っきり荷物持ちだよね?」
そう、今のロキは買い物したであろう商品の包みをいくつも両手に抱え、前方の視界がまるでふさがれている状態であった。その重さに耐えつつ横目にアイリスを見て道を確かめる彼の細腕は、すでにプルプルと震えている。
対してアイリスは心なしか愉快そうに目を細めてこう返す。
「仕方ないじゃないですか。私はいざという時に戦う役目があるんですから」
「にしても、自分より背の低い相手にこれは無いだろう。一軒ごとに食料品やら砥石やら香水やら、しかもムダに吟味して買っていくんだから」
「普段から食えない態度で接してくるお返しです。たまの平和な日くらい好きにさせてくださいよ」
「君もたいがいな性格してるねぇ……」
ロキの苦笑もどこへやら、アイリスは軽い足取りで商店街を進んでいく。ロキはそれをあわてて追いかけた。
ところがそんな時、手の荷物を揺らしながら駆けていたロキの耳元に、何者かのあわてた声が届いた。
「ロキさん! ロキの旦那ぁっ!」
「……ん?」
知ってる名を呼ぶその声にアイリスは振り向く。するとそばの建物のすき間からひょっこり顔を出す一人の人物。
薄いシャツとベスト、長ズボンに革靴というよくいる平民の格好をした、見たところ成人男性らしいひょろ長い体格の男性。何が入っているのかパンパンになったズック袋を右肩にかけている。しかし羽織ったローブのフードをすっぽり被っているため顔はよく見えない。
アイリスは怪しみの視線を送るが、その男は手招きしながらなれなれしい声で言った。
「相棒の方……アイリスさんも一緒ッスね。へへ、はじめまして」
「はじめまして……あなたは?」
「オイラ、そこの御仁のお仲間ですよ。もっとも人脈としての価値は下から数えた方が早いんですが。今回はちょっと耳寄りなお話がありまして」
フードの奥で微笑む口から白い牙がのぞく。アイリスはそれで相手が獣人なのだと気づいた。言動はいかにも怪しいが、ロキと知り合いならばロキも話をするだろう……と彼女は隣を振り向く。
しかし、ロキは荷物を持ったまま何故かそっぽを向いていた。
「……ロキ?」
「行こう。急がないと日が暮れる」
「いや、お知り合いじゃないんですか? さすがに無視は……」
「いいから」
戸惑うアイリスをよそにロキは早足でその場を去ろうとする。さっきまで荷物を重そうに持っていたとは思えない素早さであった。
が、そこへ男が追いすがり媚びた口調で言った。
「も〜、つれないッスね〜! 大丈夫ですよ、今回は本物に間違いありません! 確実に儲けられますって!!」
「…………」
「前回はヒドい目にあいましたが、今回は大丈夫! 儲けが入ったら四割、いや三割はお約束しますって!!」
なにやらうさん臭い言葉を吐く男を、ロキはジロリとにらみつける。そして持っていた荷物を無言で男へ押しつけた。
「うぐっ!?」
「はぁ……仕方ないな」
突然の荷物の重みにうめく男へロキは渋い顔で振り向く。そして相手の鼻先を指さすとため息をついて言った。
「とりあえず、このフード脱いだら? 見るからに怪しいよ」
「……はっ! いや、すいません。いつものクセで。へへ」
言われた男は軽薄な笑いとともにフードを取る。するとその中から艶のある黒髪とともに黒毛が生えピンと尖った三角形の"耳"があらわれた。
人間のではない、獣人特有の耳。あらわになったそれをアイリスが驚いて見つめると、ロキは彼女を見て男を指さした。
「アイリス、コイツは"ローマン"。狼の獣人て、僕の知り合いさ」
「どうも〜」
ローマンはアイリスへ気安く手を振る。アイリスも会釈するが、その横からロキは邪険な口調で言った。
「コイツはいわゆるトレジャーハンターでね。色んな宝物の情報を探しては教えてくれるんだ。……と言っても大半がロクなものじゃないんだけど」
「そんな〜、ちゃんと当たりを引く事もあるじゃないスか〜」
「君の情報は厄介事の種が多すぎるんだよ。この前なんて、異国の墓荒らしを持ちかけて現地の人に追い回されたじゃないか」
「そういう危険もあっての宝探しじゃないッスか。いい体験になったでしょ?」
「冗談じゃない。いいか、友達じゃなかったら誰が君なんかの為に大枚はたくか……!」
ロキとローマンの言い合いがエスカレートするのを、アイリスは横から眺めていた。ローマンは終始ヘラヘラしながら相手をなだめていたが、ロキは一貫して呆れた顔で対応している。
そしてついに、ロキはぷいっと顔を背けアイリスの手を引いた。
「行こう。これ以上付き合ってられない」
「本当にいいんですか?」
「耳寄りどころか耳障りだよ、アイツの話は」
「えぇ〜!? 一度くらい内容聞いてくださいよ! ってか荷物!!」
「断る。下手したら今にも何かしらの危険が……」
心底ウンザリした表情で、荷物を両手に食い下がる友人を追い返そうとするロキ。しかしその時、ローマンの背後から不意に低い声がした。
「動くな、コソ泥」
今までいなかった第三者の声。同時にローマンが背中に刃物でも突きつけられたのだろう、お調子者らしかった顔が蒼白になった。
アイリスとロキの視線が鋭くなる。その直後、ローブに身を包んだ痩身の影がローマンの背後からぬっと顔を出した。
「……ワシの先祖の財宝を嗅ぎ回っとるのはキサマじゃな」
しゃがれた声でそう話す何者かの被るフードの下から、メガネの反射光がキラリと光る。その奥から悪意ある瞳がロキたちをにらんでいた。
「だ、旦那ぁ……助けて」
情けない声をあげ、ローマンは震える両手を上げた。持っていた荷物をあえなくドサドサと落とし、すがるようにロキを見る。しかしロキはまるで上下関係を思い知らされるバカ犬でも見るような目つきでローマンを見返し、やれやれとつぶやいた。
「……だから君と関わるのは嫌なんだ」
ーー
「ワシの名はジェンキンス。見ての通り、ヤギの獣人じゃ」
王都から離れた深い渓谷のただ中であった。日のロクに射さない切り立った崖に挟まれた細道を、ロキ、アイリス、ローマン、そして先ほど名乗ったジェンキンスが固まって歩いていた。
最後尾でローマンにナイフを突きつけているジェンキンスはフードを脱ぎ、白髪の薄くなった頭からヤギさながらの太く曲がった角をあらわにしていた。角から下へシワを刻んだ細面の顔を眺めていくと、アゴからは長い白ひげが垂れている。
「場所は知っとるのじゃろう。ほれ、さっさと歩け」
「は……はひ」
その老人ジェンキンスに脅されながら、ローマンはギクシャクした足取りで歩いていく。ローマンの蒼白の顔を横目に、ロキは人ごとのように言う。
「ちゃんと財宝はあるんだろうね。僕らだって何日も付き合ったんだから」
「ちょっと! 少しはオイラの心配してくださいよ! 刃物の先っちょがさっきから当たっているんスよ!?」
「大丈夫だよ。宝のありかを知ってるのは君だろ? 殺しゃしないさ」
「そういうワケじゃ。ま、妙な真似をすれば指を何本かもらうかもな」
「あ、あわわ」
ロキとジェンキンスにそろって笑い捨てられ、ローマンはパクパクと口を震わせるばかり。そこへアイリスが気まずい顔で口をはさんだ。
「ところでローマンさん。例の財宝ってまだ先ですか?」
「え、あっはい。ええとね……」
ローマンはあわてた仕草で懐から何かの紙束を取り出し、ばさりと広げる。そして紙上のかすれた文字をなぞる。
「……はい。ざっとここから1キロほど」
「ふん。地図か? もうソイツがあれば良いかもな」
「いっ、と、取らないでくださいよ!? 言っときますが、オイラにしか分からないメモとかもありますからね!?」
自分にまだ生かす価値があると必死にアピールするローマン。すると今度はロキがたずねた。
「ねえジェンキンス。君のご先祖さまの財宝ってのは、本当に値打があるの?」
「む?」
ジェンキンスは鬱陶しげにロキを見て、アゴヒゲを撫でながら答える。
「さてな……戦争時代に残したモノなのは確かじゃ。我らヤギ獣人の仲間たちにな」
「言っちゃなんだけど、そういうのって少し繋がりがあるだけの輩が、横からかっさらう事もあるよね」
「貴様の知り合いは部外者じゃろう。ワシがもらう方がまだ正当じゃ」
ジェンキンスが吐き捨てるとローマンはバツが悪そうに肩を落とす。そこへアイリスが居心地悪そうに言った。
「もう早く行きましょうよ。さっさと見つけて解散しましょう」
「無事に帰れると無邪気に思ってるんだね」
「やめてください。めっそうもない」
鼻で笑うロキへアイリスはしかめっ面を返す。するとロキはローマンの方を見てたずねた。
「で、ローマン。場所が近いなら目印とかは無いのかい?」
「へ、ああ。少し待ってくださいね」
ローマンは地図を読み返し、そこにある文字を声に出す。
「『安息から離れた荒野を目指せ。同胞の半分は留まり、もう半分の我らが罪を背負い、財宝を託す』」
「荒野……ねぇ」
「なんだかスケールの大きい言葉ですね。急に荒野なんて言われても」
「何かの比喩なんですかね? 半分だの罪だの、オイラもピンと来なかったんです」
ロキ、アイリス、ローマンは三人でそろって首をかしげる。ジェンキンスが一人いら立った口調で彼らを急かした。
「どうした。場所はキチンと分かるんじゃろうな?」
「ひいっ! 怖い声出さないでくださいよ!」
「まあ焦らないで。そのうち手がかりになりそうな場所が……おっと」
呑気な口ぶりで歩を進めていたロキが、ふと前方を見て声をあげる。その先では、久しく長い一本道だったのが左右に分かれていた。
その分かれ道の手前まで来て、一行は自然と立ち止まる。ロキたちが周囲を観察する中、ジェンキンスは片足で何度も足踏みをしてまたいら立った声をあげる。
「どっちだ? さっきの暗号はここで使うものではないのか?」
「そ、そうなんスが……まだハッキリ分からなくて」
「ええい、左右どちらかじゃろ! そんなに迷うような事か!?」
「怒鳴ると血圧が上がるよ。お爺さん」
ロキが相変わらずな様子で茶化した。しかしアイリスはそれより、先ほどからおびえているローマンの様子が気になった。ジェンキンスが怒る目の前でしきりに地図を確認するそぶりを見せているが、よく見るとしきりに頭を動かしなから一方の道を見つめているのだ。その動きは犬が匂いを探る時のそれに似ていた。
アイリスはおそるおそる、そんなローマンの見つめる先をのぞき込む。すると右の道に進んですぐの地面に、かすかにだが表面が不自然に盛り上がっているような違和感があった。
こんな人のめったに立ち入らない渓谷で、一体誰がどうしたのだろう。アイリスがいぶかしんでいると、その脇をジェンキンスが早足に横切った。
「ワシは行くぞ! まったく、外れたら戻ればいいんじゃから……!」
「あ、ちょっと」
しびれを切らして片方の道をズンズン先行しだしたジェンキンス。そんな背中をロキが呼び止めようとするが、その直後に驚くべき事が起こった。
「――うわあぁーーっ!??」
突如、ジェンキンスがとんでもない悲鳴をあげた。彼が地面の盛り上がった部分を踏んだ瞬間である。
ジェンキンスの足元の土が半径一メートルほどの円形にガボッと陥没し、彼の体は真下に広がった穴の中へあっという間に消えていった。アイリスの目には、彼の姿が地中に消え失せる一瞬の出来事がスローモーションになって鮮明に映った。
「ぁぐーー」
直後、穴の中からくぐもった悲鳴が短く聞こえた。それ以降、ジェンキンスは顔も出さないどころか音一つ鳴らさなくなってしまった。
「あ、あの……ジェンキンスさん?」
「見ない方がいいよー」
「うわっ、グロ……」
おそるおそる落とし穴をのぞこうとするアイリスをロキはとっさに止める。ローマンは中を見ながら顔を引きつらせていた。
不穏な表情のアイリスを、ロキは手を引いて穴の脇へ誘導して先へ進ませる。結局、穴から遠ざかるまでジェンキンスが姿を見せる事はなく、アイリスもその姿を確認する事はなかった。ロキが口調こそ冷静なものの、しきりにダメだと制止したのである。その釘の刺しぶりは万が一にもジェンキンスの末路を見せまいとする意思が見てとれた。
……実際、落とし穴の中には無数の木の槍が埋まっており、尖った先端を四方八方から突きだしていた。無警戒で落ちたジェンキンスは否応なく全身を槍に貫かれ、あわれ天を向いたまま血まみれで事切れていた。ローマンなどはそこから離れてもしばらく最後尾で青ざめて吐きそうになっていた。
「うぷ……気持ち悪……」
「一体何なんでしょうか。あの罠……」
「ああ、さっきの暗号が教えてくれたよ」
血なまぐさい匂いが背後から流れてきて困惑するアイリスへ、ロキだけが冷静に話しだす。まず先ほどローマンが言った暗号を復唱した。
「『安息から離れた荒野を目指せ。同胞の半分は留まり、もう半分の我らが罪を背負い、財宝を託す』……荒野と、"半分が罪を背負う"ってのでピンと来た」
「と、言いますと?」
「古〜い信仰にね、二頭のヤギを用意して片方を村に残し、片方に人々の罪を背負わせて荒野に追放するって儀式があったんだ。スケープゴートって聞いた事あるだろ? ヤギを生贄にして人の罪を許してもらう……財宝の隠し主はそれになぞらえたんだろう」
「生贄……だから誰かが落とし穴で死ぬルートが正解だと?」
「ああ。ジェンキンスみたいな邪魔者がくっついてくるのも想定していたんだろうね」
自分たちが財宝のありかを暴こうとしているのを棚にあげ、ロキはうなずく。それからローマンの方を見て声をかけた。
「ちょっと。暗号にはまだ続きがあるんだろ? 教えてくれないと場所を見過ごしちゃうよ」
「わ、分かりました……ふぅー……」
ローマンは冷や汗まじりに息を整え、例の文書を再び凝視する。そして次の文章を読み上げた。
「『天に最も近き場所へ行け』……まさか天国を見るために死ねとか?」
「いや、単純に辺りで一番高い崖って事じゃないの?」
「でも、そんなの地上から見てたらすぐには分からないですよ」
「まかせて。飛べばすぐ見つかる」
ロキはそう言って上空へ一直線に飛び立つ。そして上から辺りを旋回して見渡し、地上のアイリスたちへ手を振った。
「見つけた、こっちだ!」
言うなりロキは高い崖を目指して遠くへ飛んでいってしまった。下から見ていたアイリスたちは一瞬で見失い、急いでロキの行った方角を目指して道を探る。
「あはは、風情も何もない方ッスねぇ」
「笑ってないで走ってください!」
つまらなそうに笑うローマンへ背を向けたまま叫ぶアイリス。そして彼女は細い道を走り回り、目指す方角から微妙に逸れた曲がり角やいくつもの行き止まりにもどかしくなりながらも必死に駆けた。
そしてしばらくすると、彼女の頭上からロキの呼ぶ声がした。
「おーい、こっちこっち。上だよー」
アイリスが見ると、二十メートルはある崖の上から顔を出したロキが笑って手を振っている。アイリスはあわてて手をメガホンにして上へ叫んだ。
「ロキ! 危ないから乗り出さないでください!」
「悪い悪い。それより待っててね」
ロキは平気そうに言って顔を引っ込めた。その直後アイリスへ追いついたローマンが汗をぬぐいながらつぶやく。
「はぁ……はぁ……にしてもこんな崖、どう登ればいいんスかね」
「私にはどうにも……ローマンさんは考えてないんですか? 場所はあらかじめ掴んでいたんでしょう?」
「いやぁ……だいたいの場所の見当がついたところで、ロキさんに手伝ってもらおうと舞い上がっちゃって……」
「そんなテキトーな。トレジャーハンターなら前もって備えておいてくださいよ」
ごまかすように笑うローマンに、アイリスは呆れた顔になる。するとそんな二人の前に、バサリと音を立てて何かが降りてきた。
「これは……」
それは目の前に垂れ下がった、一本のロープだった。上へ視線を動かすとそのロープは端を結んで何本もつながり、ロキのいる崖の頂上へと続いていた。
アイリスとローマンがそれを見上げていると、ロキがさっきより控えめに崖から顔を出して説明する。
「こんな事もあろうかと用意してきた! 登ってきてくれ!」
「さっすがロキさん! 準備がいい!」
「けど、なんでこんな都合よくたくさんのロープが……」
「ほらアイリスさんも! さっさと登りましょう!」
「あ、ちょっと押さないで……!」
いぶかしむアイリスをローマンは無理やり引っ張り、ロープを登らせる。手を慎重に動かし、足を岩肌にかけて体を持ち上げる。次第に地面は遠くなり、風が強くなってきた。
「うぅー、ヤバい! 体が震える!」
「早く行ってください! あなたが登らないと動けないんですよ!?」
「急かさないでください! こちとら手汗が酷くて……うひゃあ、下を見ちゃった!!」
「はぁ……」
後をついてくるアイリスへ叫び返してから、ローマンは小さくなった地上をちらと見て震え上がった。それにため息をつきながらも、アイリスはローマンとペースを合わせたまま登り続けた。
やがて二人は崖を登りきり、なんとか頂上に手をつく。高所を吹きつける風にあおられるアイリスたちに、ロキが歩み寄って声をかける。
「ヤギには高い崖をヒョイヒョイ登る種もいる。だからこんな場所に細工できたんだろう」
「な……なるほど」
「さて君たち。周りを見てもらえるかい」
言われたアイリスは顔を上げ、十メートル四方程度のわずかなその平地を見渡す。短い草に覆われた平地からは、ちょうどロキの腰ほどの高さの小さな墓石のような四角い石が突き出し、いくつも並んでいた。
その石はアイリスから見て横並びの列が二つ重なっていた。その向こう側には細くしおれた木が二本離れて生えており、その内一本にロープが結んである。
列になった石を見渡し、アイリスがつぶやく。
「これは……一体」
「それも書いてあるんじゃないかい? ローマン」
ロキがたずねると、ローマンはあわてて立ち上がり、風にめくれる文書に苦労しながら目をこらした。そして目の前の光景を見比べながら音読する。
「『我らには常に、大いなる先祖たちが天にいる。言葉を伝える、我らに通ずるその口を見よ。迷える子羊たちを導き、足元を照らしてくださるのだ』」
「……なんか本当にピンと来ないですね」
「とりあえず天にいる、という事は……」
ローマンが上を見上げると澄みきった空が見える。雲一つない青空をポカンと見上げていたローマンは風に煽られ倒れそうになった。
「うひゃっ!?」
「危ない!!」
ふらついたローマンがあおむけに倒れ、その上から思わず飛び出したアイリスが覆いかぶさる。アイリスはローマンが落下しなかった事に安堵したが、その直後に眉を小さく動かした。
「あれ……?」
「あの、どうかしました?」
「ちょっとそのまま!」
「うぐっ!?」
頭をもたげたローマンへ、アイリスは不意に彼の鼻面をわしづかみにしたかと思うと、そのまま上を向かせて押さえつけた。ローマンがうめいてジタバタともがく。
「な、何するんスか……!?」
その時、アイリスは押さえたローマンのアゴをのぞき見るような姿勢で言った。
「『大いなる先祖たちが天にいる』……これってもしかして、下から見上げるのが正解って事じゃないですか?」
「み、見上げるって何を……?」
「この暗号を書いた方のご先祖……ヤギ獣人をですよ!」
そう叫んでアイリスは背後を振り返る。そこには例の二列に並んだ石と、奥に離れて並んだ二本の木。それをにらんで彼女は続ける。
「そこの木をヤギの角に見立てたら……並んだ石が何に当たるか。顔のパーツだとすると"歯"じゃありませんか?」
「ははぁ、『我らに通ずるその口を見よ』ってのはそういうワケか」
ロキが感心した顔でうなずく。すると押さえつけられていたローマンが勢いよく跳ね起きたかと思うと、一目散に石のそばへ駆け寄った。
「とにかくこの石が重要なんスね!? ここまで来たら全部掘り返して……!」
「待ってローマン」
息巻くローマンにロキは待ったをかける。ローマンは急ブレーキをかけて前のめりに止まるや、焦れた口調で言った。
「どうしたんスか、もうちょっとなのに」
「落ち着いて。この石の周りを見てごらんよ」
「えー、別に……うわっ!」
言われて目線を落としたローマンが悲鳴をあげる。なんとその地面には小鳥が十羽以上も、動かなくなった亡骸から骨になったものまで、さまざまな状態になった死体で転がっていたのだ。
アイリスも近寄ってその亡骸たちに息をのむ。ロキは険しい目つきで石を見渡して言った。
「もしかしたら、ハズレの石に毒でもついてるのかも知れない。くわしく暗号が分かるまで、手を出さない方がいい」
「で、でも! 毒なんて何年も経てば蒸発したりしないッスかね?」
「毒が液体かは分からないよ? 粉状のがすり込んであるかもしれない。匂いで判別できるかも知れないけど……ローマンやってみる?」
「え、遠慮します……」
さっきの勢いはどこへやら、ローマンは叱られた犬のように尻込みしだす。ロキが呆れた視線でそれを眺めていると、アイリスが横から言った。
「でも、ヒントが分かりにくいんですよね。この石が歯だとして、どれも同じような形ですし」
「ふむ……」
ロキが注意深く辺りを見回す。そして並んだ石に視線をめぐらせ、ポツリとつぶやいた。
「三十……七」
「え?」
「この石、37個ある」
「それがどうしたんスか?」
「ヤギの歯は人間と同じ
「ご、拷問……?!」
「つー事は、5本分多いんスね」
恐ろしい言葉に目を丸くするアイリスを尻目に、ローマンが真面目な顔でうなずく。そして何かに気づいて顔を上げた。
「そうか! 確かヤギって上の前歯が無かったんスよね」
「ああ。ヤギ獣人から『我らに通ずるその口を見よ』ってのはつまり、『ヤギに存在しない歯があるからそれを見抜け』って事でもあったんだ」
「という事は……角もとい木に近い方の、よけいな歯のどれかが隠し場所!」
ハッとした顔で言うアイリス。そして言った通り木に近い側の石の列へ駆け寄るが、そこでまた止まってしまう。
「……でも、そのニセモノの歯5本のうちの本物はどれでしょう」
「うーむ、上の前歯が無いとすると、上の列の真ん中5本のうちどれかだろうけど」
「5本全部が隠し場所だったりしないスかね」
「待て待て。残りの文章は『迷える子羊たちを導き、足元を照らしてくださるのだ』……か」
「もう暗号はそれで終わりッスよ」
考え込むロキとローマン。暗号に続きがないなら、すでに在り処は示されているはず……。
「迷える子羊……ヤギ……あっ!」
その時、ロキが大きな声をあげた。そして他の二人に向けてたずねる。
「ねえ、"先頭のヤギ"って聞いた事ない?」
「知らないです」
「オイラも」
アイリスとローマンは首を横に振る。ロキは焦れったそうに、それでも希望の宿る瞳をしながら訴えた。
「羊の群れを飼う時、ヤギを一匹まぜると先頭を行くリーダーになるんだって。羊だけじゃ気質が穏やか過ぎてさ」
「なら、『迷える子羊たちを導き……』ってのは」
「導くための先頭、一番前を探せって事だろう」
「前と言っても……前歯の"真ん中"に当たる部分を探すんじゃないんですか?」
両手を広げて辺りを示し、アイリスが言う。確かに真ん中と先頭という言葉は矛盾しているように思える。しかしロキはおもむろにアイリスへ詰め寄って来たかと思うと、彼女の顔を指さしてこんな事を言った。
「アイリス、歯を出して」
「は?」
「早く。いーって」
「い、いーっ……」
言われたアイリスはぎこちなく微笑み歯を見せる。ロキはそれをジロジロと何秒も凝視した。
そのうちなんとなく気恥ずかしくなったアイリスが赤面しだすと、ロキはやっと顔をそむけて言った。
「よし、分かった」
「本当スか!?」
「前歯の中で一番前方に生えているのは真ん中だ。その足元……下の地面に埋まっているんだろう」
そう言ったロキは懐からひょいとスコップを取り出し一つを自分で持ち、もう一つをローマンへ手渡す。そして自らは目当ての場所……つまり上の歯の中央に当たる場所の位置の前に屈んだ。
「本当に準備いいなぁ……」などとローマンがつぶやいていると、隣でアイリスが自分の歯をつつきながら言った。
「……これってセクハラになりませんかね」
「オイラに言われましても……」
「おーいアイリス。君の分のスコップもあるから、早く手伝って」
不満げだったアイリスもロキに呼ばれ、三人は目当ての石の下をせっせと掘り返す。そうして腕が届くかどうかという深さまで来た時、アイリスのスコップが何かにぶつかった。
「……あっ!?」
腕に衝撃を感じながら穴の中を見た彼女は、土の下から何か埋まったモノが見えているのに気づく。手で土をよけると、そこには手のひらサイズの鉄の蓋があった。
それを見たローマンはがばりと身を乗り出し、その蓋へ震えながら手をのばす。
「これ! きっとこれッスよ、探してたお宝!」
「ああ!やっと……」
「じゃ、開けてみようか」
涼しげな顔のロキとは対照的に、ローマンは目を輝かせながら蓋を取る。すると壺と思われる容器の中には、なんと札束がギッシリと詰まっていた。
「お、お金……お金だっ」
「本物なんですか」
「やったー! ついにやったッスよ! 大金持ち!!」
「ちょ、ちょっと……」
いぶかしむアイリスなど気づかず、ローマンはアイリスの手を取って勝手に歓喜のダンスを踊りだした。調子っ外れなその足踏みにアイリスが閉口していると、ふとロキが札束を一つ拾い上げて言う。
「ローマン……悪いけどさ」
「ん? ああ謝礼は弾むッスよ! 約束通り……」
「いやそうじゃなくて、これ」
浮かれているローマンの目の前に札束を突きつけるロキ。それに目を留めたローマンが、ピタリと動きを止めた。
「へ……あれ?」
その紙幣には金額とヤギ獣人らしき老人の肖像が描かれている。しかしそれをアイリスがのぞき込み、首をかしげた。
「こんなお金……ありましたかね」
「いいや、これはもう市場に出回っていないはずだ」
「
要領を得ない顔で聞き返すアイリス。一方でローマンはみるみる笑みが消えて青ざめはじめた。その表情をちらと見てロキはこう説明した。
「……これはね。戦争前に人間たちが、ヤギ獣人たちと取引するために臨時で作った紙幣なんだよ。戦争で関係がこじれて使われなくなった」
「って事は……」
「今はただの紙くずだね。残念ながら」
肩をすくめて笑うロキ。ローマンはその場で呆然と立ち尽くした。それをアイリスが気の毒そうに横目に見ていると、突然ローマンは先ほど掘った穴へ飛びつき、壺の中の札束をガサガサと漁りはじめた。
「そんな……そんなハズないッス! これ全部がゴミなんて……!!」
かすれた呼吸とともに裏返った声を発しながら、ローマンは札束を両手で取り上げては束をばらして確認するのを繰り返した。
ロキとアイリスに見つめられながら、ローマンは何度も何度も札束の中身を、そして壺の中身を凝視した。
いつしかローマンの足元には紙幣が積もり、手の中には最後の札束が残った。壺の中は空になり、正真正銘に最後のその金をローマンは今にも死にそうな顔で一枚ずつ確認する。
……そして、持っていた紙幣がはらりと地面に落ちた。その落ちたのも全て、今は使われていないモノだった。
がくり、と音がしそうなほどの勢いでローマンはその場に崩れ落ちた。うつむいて肩を震わせ、何もない両手をわなわなと見つめる。
「ふ、ふふっ……うふふふふっ……」
口から低い笑い声がもれた。その不気味な声にアイリスがギョッとしたのもつかの間、ローマンはバネのように立ち上がるや両手を広げて高々と笑いだした。
「あはははは!! あーはっは!! なんてこった、今までの苦労が!! ふひゃひゃひゃ、うぇーはっはっはぁ!!」
ヤケクソに笑いながら彼は足元の紙幣の山を蹴散らし、両手で抱えて崖からバサバサと放り出した。何百枚もの紙幣が雪のように崖下へ散っていくのを見もせず、ローマンは空に向かって怒鳴り散らした。
「バカヤローッ!! 神様なんていないんだ! 贅沢するつもりだったのに! お酒も女の子もこれでもかってくらい堪能できるはずだったのに! 全部台無しだあーーッ!!」
「ろ、ローマンさん! 落ち着いて……!」
「うぅっ……白ワイン、赤ワイン……獣娘、爬虫類娘……」
アイリスにあわてて取り押さえられ、なだめられながら、ローマンは泣き崩れて未練をグズグズとこぼした。そんな彼のあわれな背中を見ながら、ロキは相手に見られないようにして一人冷ややかに笑っていたのだった。
――
「いやー、今回は骨折り損だったね。一銭の得にもならなかったや」
……数日後、王都に戻ってきたロキとアイリスは暗くなった家路を歩いていた。うんと伸びをして笑うロキへ、後ろを歩くアイリスが口を開く。
「ローマンさん、大丈夫ですかね? ひどく落ち込んでいましたが」
「んー、放っておきなよ。いつものパターンだからアイツ」
ロキは振り返りもせず答える。そのドライさにアイリスは苦笑いしていたが、すぐに気を取り直して言った。
「なんだかんだアナタもガッカリしているんじゃないですか? ロープだのスコップだの用意していましたし」
それは単なるロキへの茶々だった。しかしロキはふと足を止めると、顔だけ振り向いてアイリスへたずねる。
「本当にそう思うかい? 僕が宝探しにワクワクしていたと?」
「へ……まあ、そう見えましたが」
「あはは、僕の演技もなかなかだったね」
ロキは笑いながら体をアイリスへ向けた。その態度に困惑するアイリスへ、ロキは愉快そうに目を細めながら近づく。そして徐々に声をひそめながら話した。
「残念だけど……君の予想はハズレだ」
「どういう意味です?」
「実を言うとね、僕は前にも来てたんだ。あの場所」
「えぇ!?」とアイリスは思わず声をあげる。それを上目遣いに見ながらロキは続けた。
「僕らの一族……この国の諜報機関が、あの程度の場所をつかめないワケないでしょ」
「じゃ、じゃあ。あの隠し場所は、周りのトラップは?」
「おいおい、横取りしたなら悟られないように元に戻さなきゃ。ま、本丸はちゃんともらったけど」
ケラケラと笑いながら、ロキは自身の懐から何か取り出した。その手には片手で持てるほどの小さな瓶があり、中には粉のようなモノが入っていた。
アイリスか目を凝らすと、その粉はうっすらピンク色でかすかにきらめいている。謎の物質を見つめる彼女へロキはこう言った。
「岩塩だよ。しょっぱい味がする鉱石で、ヤギの好物でもある」
「それが、本当の宝物なんですか」
「そ、あの古い紙幣はフェイク。使い所のなくなったお金を埋めただけなんだけど、君も騙されたでしょ」
してやったりと口角を上げるロキに、アイリスはあんぐりと口を開ける。ロキは瓶をしまってから見透かしたように続けた。
「ローマンやジェンキンスも騙しちゃったけど……ああいうのは自分の目で見るまで探し物に執着するからさ。まあ、ジェンキンスは気の毒だったけども」
あはは、と笑って舌を出すロキを見る目が、呆れたそれになっていくのがアイリス自身わかった。ローマンたちはつまり、ロキの手のひらでずっと転がされていたのだ。道理でロープやスコップなど準備が良いはずだと納得した。とんだ茶番である。
アイリスはふんと息を吐き、ロキを追い抜いて歩き出した。ロキが振り向く間にも、彼女はどんどん歩を早めていく。
「待ってよ。おかげで岩塩はちゃんと流通したんだ。戦後に塩がどれだけ貴重か分かるでしょ?」
「分かりますから、もう帰らせてください。……やっぱりあなたは食わせものです」
「うーん……反論できないなぁ」
不機嫌そうに言うアイリスに苦笑しながら、ロキもそれ以上言い訳しなかった。二人は明日からも一緒に働くためにまっすぐ家路を急ぐのだった。