勇者の孫娘とコウモリ少年 人と獣人との黒き事件簿 作:ごぼう大臣
「う……おえっ」
そろそろ日が沈むまでの時間が長くなり、一年でもっとも暑い季節が到来する頃。
ぽかぽかとした陽気が人々を暖め、冬より安全に自然の中へ人々が入って行けるようになる。野山は鮮やかな緑が茂り、人間に危険はあるにせよ街の外には美しい景色が広がっているはずだった。
ところが、王都からほど近いこの野山に立ち入る者は現在、ほぼいない。何種類も飛び回る野生の小鳥を観察する者も、無数に実る野生の果実を採る者もいない。その原因は、山中深くのある場所に横たわる、一人の死体にあった。
「これがスカンクの匂いか……。嗅ぐのは初めてだよ」
顔をしかめてつぶやくのは、口元に布を巻いたロキである。隣のアイリスは無言で肩をはたいてたしなめたが、そんな彼女も匂いが気になるのか同じように険しい表情をし、口布をまいていた。
二人の前にその死体はあった。若い男性で革の鎧に身を包み、髪は白黒のマーブル柄で黒い丸耳を生やし、腰の後ろ側からは髪と同じく白黒マーブル柄の尻尾が鳥の羽根のように末広がりしてのびている。
スカンクの獣人であった。彼は石ころだらけの地面にうつ伏せで横たわり、体を打ったのか酷く出血した状態で息絶えていた。すぐそばには転落したのか数メートルほどの崖がある。
「……死んで一日でこれか」
ロキは鼻をこっそりつまんでつぶやいた。
というのも、痛ましいながらもその死体から立ちのぼる匂いは相当のものであった。エビやカニの殻とタマネギやニンニクをまとめて何日もかけて腐敗させたような胸の悪くなる異臭が夏の空気と日差しのもとでもうもうと立ち込めている。アイリスは呼吸を控えめにしながらやっとの事で十字を切り、そしてつぶやく。
「生まれつきの体の仕組みのせいですもんね……。とやかく言うワケにもいきません」
スカンクというのはもともと敵を追い払うなどするために、尻の近くから異臭のする体液を放つ習性がある。その体液はスカンクの体内で作られており、体を損傷したまま息絶えてしまえば当然ながら異臭は垂れ流しになる。獣人でもそれは同様であった。
さて、そのお騒がせしている死体のところになぜアイリスやロキがいるのか。それは遠巻きに見守っていたパーティーメンバーのセリフを見れば分かる。
「……ラスティさんの事で、探偵さんにまでご足労をかけたみたいですね。本当にすみません」
そう言って進み出たのは、十代後半ていどの見た目の背の低い少女だった。短剣を携え、革の胸当てとスカート型の腰当てを身に着けた冒険者らしき彼女は、ロキたちの前でちょこんと頭を下げる。その姿にアイリスがあわてて首を横に振った。
「リタさん、謝らないでください。仲間であるあなた方の方が辛いはずです」
「まあ僕らも出張るべきなのか怪しいんだけどねぇ」
少女リタにアイリスが遠慮する一方で、ロキは皮肉っぽく笑って言った。アイリスが冷たい視線を送ると、彼は肩をすくめて言う。
「だってそうだろ? 憲兵隊の連中、匂いがつくの嫌だからって僕らに調べろなんて言ってきた」
「それは……だからってそんな態度をしなくても」
「僕らが働くのは怪しい何かがあったり、事件性のある場合だよ。亡くなった人のところにのっけから寄越すなんて失礼だ」
ロキは眉根を寄せて言った。彼なりに雑に仕事を押しつけられた事に思うところはあるらしい。まあ、本音では異臭への忌避感と面倒臭さが不機嫌の理由だろうが。
ともかく、そんな彼らにリタはまた頭を下げ、うつむいてつぶやいた。
「……そちらにお調べいただくような事は無いと思います。ラスティさんは本当に頼りになって……でも、誰にも気にかけられないよりは」
「な、泣かないでください。謹んでお悔やみ申し上げます」
「僕も悪かったよ。ご冥福をお祈りします」
さすがに気の毒になってかアイリスもロキも遺体であるラスティに祈りをささげる。そこへ一人の青年が歩み寄ってきて言った。
「匂いの原因は分かったろ。死因は崖から落ちた事故だろうし、もう片付けてもらおう」
そう言ったのは黒の短髪をした気むずかしそうな青年だった。ガッシリとした体を革鎧に包み、腰に剣を差している。
その青年へ振り向き、リタは涙目になりながら言った。
「マーカス、そんな言い方……!」
「じゃあここに放置しとけってか? 死んだ以上さっさと墓に入れて葬式してやる方が、コイツにとっても良いだろ」
抗議するリタを一蹴する青年、マーカス。言い方は冷たかったがリタも正論だと思ったのかグッと口をつぐむ。しかし顔は今にも泣き出しそうだった。
気まずい雰囲気。そこへリタらの仲間の最後の一人がゆっくりと歩み寄ってきた。
「こらこら、ケンカしないの。ラスティに怒られるよ」
そう言ったのは長身の体格がいい女性だった。見た目二十代前半、長い茶髪を後ろで束ねている。
獣人らしく背中からはワシのような翼が生えており、それを邪魔しないように腰の左右に弓と矢筒が括りつけてある。
「ロベルタさん……」
涙声でそう呼びかけるリタの背中を、獣人ロベルタはぽんと軽くたたく。そしてマーカスへ振り向くと笑ってたしなめた。
「マーカスも。幼なじみならリタの気持ちも分かってやらないと」
「……ふん」
そっぽを向くマーカス。その顔はどこか思い詰めているようで、ロベルタも笑ってはいるが寂しげに見える。
パーティーの仲間を失った彼らがショックを受けているのは雰囲気で分かった。ロキもそれを察して一つ提案をする。
「三人とも、この場は一度お引き取りください。あとは僕ら二人で調べます」
「え、でも……」
「お気遣いなく。匂いが気になるようでしたら、教会をお訪ねください。あそこなら困った人を見捨てはしないでしょうし、ロキの知り合いだと言えば泊めてくれますよ」
スカンクの匂いというのは数週間は取れず、ひどい場合は公共の施設から接近禁止令を出される事さえある。持ち家や借家がない冒険者の場合、寝泊まりできる場所を求めるのは容易に想像できた。
するとやはりリタは顔を輝かせ、深々と礼をした。
「ありがとうございます! そんな事までしていただいて」
「いや別に、労力をかけたワケじゃないしね……まあお気をつけて」
ロキが適当に返事をしてからも、リタたちはアイリスに何度も礼を言って、崖を回り道して帰っていった。それを見送ってからアイリスはロキへたずねる。
「ロキ、残って調べるなんて何か気になる事でも?」
「んー? ま、なんとなく……」
ようやく匂いに慣れてきたのか(それとも鼻が麻痺したのか)気楽そうな表情で振り返るロキ。そして遺体の周辺を改めて観察しながら答える。
「スカンクの獣人ってのは、冒険者の中でも不人気でね。まあ死んだらこの騒ぎだから」
「それで?」
「そんな輩がパーティーを組んでたら、何かしらのトラブルもあったかもなって思ってさ。まあ思い過ごしならいいんだけど」
などと言いながらロキは観察を続けた。一応といった口調だけあってなかなか変わった部分は見当たらなさそうだったが、彼が崖の上まで浮かび上がりそこの地面まで観察の範囲を広げた時、ロキはふと目を留めた。
「これは……」
「どうかしたんですか?」
一足先に回り道をして崖を登ってきたアイリスが声をかける。ロキは振り向かずに崖のふちに降り立つと、しゃがんで足元をジッと見つめた。
「……血痕だ」
「えっ?!」
ただならぬ言葉に顔色を変えて駆け出すアイリス。あわててロキの視線の先を見ると、確かに石ころの一つに血の跡がついていた。
土や草木なら血液など吸収して目立たなくしてしまうが、石なら別だ。そこには崖っぷちから崖上の方面に向かって小さく血が飛散した跡がついている。
それを見ながらロキは神妙な表情でつぶやく。
「最初は転落死かと思ったけど……なら何故ここに血が飛んでるんだ?」
「ここに来る前にケガをしたのでは?」
「それなら、他の場所にも血の跡が続いていたりすると思うんだよ。けど何もないからさ」
ロキは周辺をにらむように見回す。アイリスもそれに倣うが確かに血痕はその一箇所にしかなかった。彼女も眉をひそめる。
「他の小動物とかでもないですよね」
「多分。動物の足跡とかも無いしね。ここで何かが起こったんだ。ちょっとした出血ではあるけど、何かが」
ロキはそう言って少し考える。スカンクの匂いすらまるで気にならないような真面目な顔で悩んだ後、パッと立ち上がって彼は言う。
「アイリス、僕らも教会へ行こう」
「え、どうしてです?」
「知れた事だよ。例の聖女様のところに」
そう言ってロキは崖下の遺体を見つめた。それを見てアイリスは、もうしばらくあの激臭を発する遺体と付き合わなければいけないのだと内心で覚悟した。
――
「ったく、せめてあらかじめ一言伝えぬか!」
「悪い悪い。緊急の用だったからさ」
……数時間後。ロキたちは教会内にある狭い研究室に来ていた。その中央では研究室の主、モニカが不機嫌そうに寝台に寝かせられた遺体を調べている。
「本当にすみませんモニカ。真相究明のために、どうか……」
「はあ……お主の頼みなら仕方ないが……」
アイリスが申し訳なさそうに頭を下げると、モニカはいささかトーンダウンする。しかしそこへロキが笑いながら茶々を入れた。
「似合ってるね、その仮面」
そう言って指さした先では、モニカが鳥のようなクチバシがついた奇妙な仮面をかぶっていた。白地に穴を開けただけのその仮面を見られているのに気づき、モニカは鼻を鳴らして言う。
「からかうでない。これはクチバシの先にハーブを詰めた機能性のある仮面じゃ。コイツの悪臭は凄まじいからの」
「あの……亡くなった方にあまりそう言わない方が」
「それより、お主らはどうだったんじゃ? 聞き込み」
匂いがやはりキツいのか、アイリスが嗜めるのも無視してモニカはたずねる。さらにじれったそうに続けた。
「この遺体……ラスティの仲間たちも教会におるのじゃろう? ソイツらは何か話しておったか?」
「ああ、懺悔室をとっくに使わせてもらったよ。彼らは……」
聞かれたロキは思い出しながら聞き取り内容を答えた。
――
まず一人目。リタはこうだ。
『ラスティさんは最近新しく組んだ四人目の仲間でして……私とそう変わらない年ですが頼りになりました。例の匂いがつくのを恐れて他の皆はちょっと距離がありましたが、クマから私を守ったりもしてくれたんですよ!』
二人目はマーカス。
『別に悪いヤツじゃなかったよ……。つってもあまり話してなかったけどな。リタが優しくしてたから、もっぱらアイツはリタといたなぁ。別にトラブルは無かったぜ? 本当に』
三人目はロベルタだ。
『私より年下なのにしっかりした子だったなぁ。今考えると悪い事をしたよ、持って生まれた体液の匂いを理由に遠ざけるなんて……。実は私、ワシの獣人で嗅覚は鈍いんだけどね? それだけに知らないうちに自分が臭ってるの嫌だからさ……リタはその辺気遣って仲間に入れてくれたっけなぁ、懐かしい』
――
「……とりあえず、不仲ではなかったみたいだよ。目立ったトラブルもないって」
「他には?」
「リタとマーカスが幼なじみで、後にロベルタ、被害者のラスティの順でパーティーを組んだってさ。新人のケアは主にリタがやってたみたいだ」
「とりあえず、リタさんは何もしてなさそうですね」
アイリスがそう口にすると、ロキは曇った表情で否定した。
「まだ分からないよ。リタがよく被害者と一緒にいたとなれば、信用させるチャンスも多い」
「しかし、いっとう悲しんでいたのはあの方ですよ」
「分かってるよ。ただ可能性の話さ」
口をとがらせるアイリスをロキは軽く流す。そして彼はモニカの方へ話を振った。
「それはそうと、遺体の方に妙な点はなかった?」
「ふむ……それが、あちこちに打撲傷があるだけで、不審な点は見当たらなくての」
「つまり転落して転がったようにしか見えないと?」
「そうじゃな。切ったり突いたり、矢が刺さったり……そんな痕は一つもなかった」
アイリスの問いにもモニカはキッパリと言い切った。そこへロキが口をはさむ。
「じゃあ誰かが殴った可能性は? 崖から落ちた傷に紛れているかもしれない」
「あのなぁ、言っておくが殴ったと断定できる傷ならそう伝える。今のところ事故死にしか見えんから言うとるんじゃ」
「……そっか」
モニカは少しつっけんどんになって答えた。研究者の性格上、誰かが手を下したという先入観ありきで判断するワケにもいかないのだろう。ロキがつまらなそうに生返事すると、モニカはため息まじりに言った。
「聞くが、肝心の関係者たちは当時どうしていたんじゃ。手を下した輩がいると言うなら、犯人の可能性は誰にあるのかアリバイを確かめるのが筋じゃろう」
「……アイリス」
「あ、はいっ」
モニカの指摘にロキが目で合図する。するとアイリスがメモを取り出し読みながら言った。
「聞いたところ、彼らは主に例の山の見回りや毒草の駆除などをしていて、新人のラスティさんとリタさんが二人組で、あとの二人は単独行動するのが一般的だった……らしいのですが」
「んん?」
「どうもラスティさんが死ぬ直前、一人で行動すると言い張ったんだそうです。どうももう一人前だとかで……」
「その日に限って一人……それは怪しいの」
難しい顔でうなずくモニカ。それからロキの方を見てたずねる。
「本当に一人前だなんて曖昧な理由なのか?」
「それが……皆なんだか話しにくそうにしていてね。大事な事らしいけど詳しくはまだ知らないんだ」
「歯がゆいのう。無理やり聞くのもどうかとは思うが」
「ただ分かるのは、その日は全員がバラバラに行動していた事です。危険な依頼ではありませんでしたし、まさか亡くなるとは思わなかったでしょうから……」
ロキやモニカは手詰まりだと言いたげに小さくうなった。アイリスも今分かる情報は吐き終えたのか無言になってロキたちの顔をうかがうばかりになった。
その視線に気づいてかロキは意を決して言った。
「……もう一度、話を聞いてみるか」
――
「ラスティさんが一人になった理由……ですか」
「ああ」
……十分ほど後、ロキとアイリスは再び懺悔室にてリタに話を聞いていた。部屋の構造上リタとは壁を挟んで座っており、向かい合う顔の高さには表情がやっと見える大きさの小窓があるばかり。通常の懺悔と違い小窓は開けられ、リタの顔色のおかげで何かワケありなのがすぐ分かった。
リタは少し間を置いて答えた。
「後からハッキリしましたが……私のハンカチを探してくれてたんです」
「ハンカチ?」
「はい、母がくれたモノなんです。もう亡くなってしまいましたが……」
「あ、それは……すみません」
リタの苦笑したような口調にアイリスが思わず謝罪する。するとリタはアハハと愛想笑いしながら言った。
「気にしないでください。母の事を忘れてしまうワケではありませんから。もう何年も前ですし」
「…………」
「あ、でも誰にも言わないでくださいね。マーカス以外には秘密にしているんです。たいてい気を遣わせちゃうので……」
言葉につまるアイリスへ、リタは気を遣って付け加えた。するとそこへロキが口をはさむ。
「そのハンカチとやら、なくした経緯を聞いてもいいかい」
「あ、はいっ」
問われたリタは気を入れ直して真面目な口調で説明する。
「五日ほど前……私はラスティさんと一緒に、彼が後に死んだ崖の近くを通りかかったんです。その時、クマに会いました」
以前に言っていた、ラスティにクマから救ってもらったエピソードの事だろう。ロキたちが耳を傾けるとリタは悲しげな表情で続ける。
「木の陰から急にあらわれて……私たちもセオリー通りに背を向けずにゆっくり下がったんですが、なかなか離れてくれなくて」
「それからどうしたの?」
「私が思わず走って逃げようとすると、ラスティさんが前に出たんです」
そう言って、リタはほんの少し嬉しげに目を輝かせる。それからラスティがどうしたのかを興奮して話しだした。
「驚きました。彼、私をかばってくれたかと思うとクマに立ち向かったんですよ。威嚇して、こう、逆立ちしたんです!」
「逆立ち、ですか?」
「はい、そうなんです。スカンクの一部って、威嚇する時に逆立ちするんですよ。こっちに来るな! って。それで運が良ければ敵も逃げてくれるんです」
「それで、そのクマの時はどうなったの?」
ロキが尋ねると、リタは恥ずかしそうに笑った。
「それが、逆に怒らせちゃって……クマが興奮して襲いかかってきたんですよ。私、叫んで腰を抜かしちゃって……」
「そ、それは大丈夫だったんですか?」
アイリスが思わず身を乗り出してたずねる。リタは嬉しげな笑みを浮かべて言った。
「大丈夫です! 動じるラスティさんではありません。後ろを向いて、尻尾の近くから必殺の体液噴射!」
リタは目を輝かせ、思い出話に夢中になった。心配そうなアイリスや冷めた目のロキへ、彼女はいかにも誇らしげに語る。
「それがクマの顔に命中して……一発で逃げてくれましたよ。格好よかったなぁ」
「スカンクの体液ってその為にあるからね。それからは無事だったのかい?」
「はい。ラスティさんのおかげです! あの人がいたから、私の命があるんです」
そう話すリタの顔は心なしか熱っぽかった。彼女が今は亡きラスティに特別な感情を覚えている事は、間近で見るアイリスたちにはありありと分かった。
しかしロキはそれに構わず話を戻す。
「で、肝心のハンカチは?」
「あ、そうでした。逃げる時に崖下に落としちゃいまして……クマの気を引こうと色々探したら、あわてちゃったんです」
「ラスティや皆はそのハンカチの事を知ってたの?」
「落とし物とだけ説明したのですが……私ったら顔に出ていたんでしょうね。大事なモノと分かってしまったんでしょう」
「…………」
リタはまたもやいたたまれない顔になって言った。おそらく彼女のこうした仕草が、秘密を探りにくくしたり、はたまた放っておけなくしたりするのだろう。ロキはそう思ったが何も言わず、席を立った。
「……ひとまず、今日はここまでにしよう。ご協力感謝します」
「あ、はい。どうも」
ハッとしてリタも席を立つ。彼女の気配が消えたのを確認してから、ロキたちも部屋を出た。
「彼女、気の毒ですね。被害者の方を慕っていたでしょうに」
「確かにね。分かりやすい娘だ」
「私たちも早く犯人を突き止めないと」
「もちろんだよ。しかしまだ証拠が……」
二人が話しながら廊下を歩いていると、前からパタパタと急いだ足音が近づいてきた。ロキたちが見ると、ロベルタが不機嫌そうな顔で走ってくる。
「なあ、調べものはまだ続くのか? 私たちも辛い気持ちで待ってるんだぜ?」
「すみません。もっか調査中でして」
「まったく……リタが気の毒だよ。私も何もしてやれない」
ロベルタはやりきれない口調でつぶやいた。不機嫌の原因はロキたちの不甲斐なさより、力になれない自身へのいら立ちが大きいようだ。
そんな彼女へ、ロキが前に進み出てたずねる。
「ねえ、リタのハンカチの事は聞いた?」
「……ああ。この前落とし物をしたって言ってたが、アレの事? ……やっぱりか」
ロキがうなずくのを見て、ロベルタはため息をついて言った。
「そうじゃないかと思ったよ。あの子は大したモノじゃないと言ったけど、明らかにしょげていたし」
「……そのハンカチがどういうモノかは、やっぱり秘密に?」
「なんだ、あの子が言ってたの? 私は詳しく聞いてないよ。今だって……」
そう言いかけてロベルタは首を横に振り、ロキたちを見ながら言った。
「いや、今さら秘密を聞き出したいとは思わない。とにかくアンタらもややこしい事は早く済ませてくれ。リタは私の大事な仲間なんだ」
「死んだのはラスティだよ」
「私にはリタの方が大事なんだ。あの子を悲しませるヤツは許さない。絶対に」
それだけ言って、ロベルタは思い詰めた顔をして去っていった。その姿を見送りながらロキは「怖いね」などとつぶやいた。
そんな彼へアイリスが言う。
「あの、まさかあの人が怪しいとか言いませんよね」
「そんな風に見えた? そりゃ心外だけど……正直ちょっとね」
ロキは笑って肩をすくめたが、直後に険しい表情に変わる。そしてまた歩きながら言った。
「スカンクの天敵って、何だか知ってるかい?」
「いえ……」
「実は、ワシとかの猛禽類なんだ」
アイリスがピクリと目をしばたかせる。ロキは小声で続けた。
「ロベルタ自身が言ったように嗅覚が鈍い上に、空から獲物を狙うからスカンクに気づかれる前に捕まえていくのさ」
「じゃあロベルタさんが犯人だと?」
「そうは言ってないよ。ただ、上空から狙うのと今回の手口は似てるんじゃないかと思ってさ」
そう言ってから、ロキはアイリスへこう話を振った。
「思い出してごらんよ。ラスティが死んだ日について聞いた時、リタも誰も匂いに言及しなかったろ?」
「匂い……それが?」
「犯人がもしラスティに近寄って仕留めたなら、ドサクサで体液の匂いがつくはずだ。着替えてもムダなくらい強烈なのに、誰も言及しなかったという事は……」
「そもそも犯人じゃないか……あるいは」
「遠くから、気付かれないまま仕留めたって事」
ロキはそう言って考え込む。アイリスは横から口をはさんだ。
「でも、モニカは確か『矢の痕は無かった』って言ってましたよ」
「分かってるよ。別の飛び道具じゃないかと思うんだが……うーん」
ロキはそう言ってまた難しい顔をし、しばらく無言でいた後にふとアイリスへ振り向くとこんな事を言い出した。
「……とりあえず、もう一度現場に言ってみよう」
「え、もう夜になりますよ?」
「頼むよ。捜査は一刻を争うんだ」
「まあ、必要ならいいですけど」
ロキに頼まれ、アイリスは戸惑いながらも了承する。そして二人は早足に教会の出口へと向かっていった。
「…………」
その二人の姿を、物陰から見つめる一つの人影があった。その人物はこっそり辺りを伺うと、ゆっくりとロキたちが向かった先へ歩き出した。
――
「あの、質問なんですけど」
「なんだい?」
「こんな時間に来てまで、何を探すんです?」
……しばらく後、ロキとアイリスは例のラスティが亡くなっていた現場に来ていた。遺体は片付けられ二人のそばには高い崖と無数の石ころ、そして遺体からの血痕にスカンクの残り香だけがある。
その現場を松明で照らしながら、ロキはあいまいに答えた。
「何を探すか……というより、"こんな時間"というタイミングそのものが重要かなぁ」
「はい?」
「お、あったあった!」
眉をひそめるアイリスをよそに、ロキは崖下の隅にとっさに駆け寄り、しゃがみ込む。そして落ちているヒラヒラした物を拾い上げた。
「おそらく、リタが落としたと言っていたのはコレだろう」
それは白いハンカチだった。隅にリタの名が刺繍されたシンプルなもの。それを見てアイリスはたずねた。
「それを探していたんですか?」
「まあね。けどもしかしたらもう一人来るかも」
ロキは崖の上を鋭い目でにらむ。アイリスが首をかしげていると、遠くからザクザクと山道を走る足音が近づいてきた。思わずアイリスが松明を向けると、一人の男がぬっと現れて彼女らを見下ろす。
「マーカスさん!?」
その顔を見て思わず叫ぶアイリス。松明の灯りで照らされた顔はあのマーカスだった。眉根を寄せ、額に汗をかきながら持っていた松明を掲げアイリスとロキたちをにらむ。
「……何してる、お前たち」
そう問いかける声は低く張り詰めていた。対してロキはのんきに答える。
「何って、探しものだよ。ほらコレ」
そう言いながらロキは先ほど見つけたハンカチを掲げる。それを見たマーカスは目の色を変え、あわてた口調で叫んだ。
「ま、ま待て! 見せろ、見せてみろ!!」
マーカスはあわてた勢いそのままに崖から飛び降りそうになってからとっさに思い留まり、横道から崖下へ滑るようにして駆け下りて脇目もふらずロキの方へ駆け寄った。
「それ、リタのか!? 本当にアイツのか!?」
「そうだと思うけど……見てみる?」
「貸せっ!!」
そう言ってマーカスはロキからハンカチを引ったくり、ロキの灯りの下で食い入るように見つめた。光量が足りるようにとアイリスが松明を近づけてやっても気づかないくらい、彼は真剣になっていた。
やがてマーカスも落ち着きはじめ、ハンカチから顔を離して深く息をつく。そしてロキの方を見て言った。
「……助かったよ。よく見つけてくれた」
「ああいや、大した事じゃないよ」
ロキは社交的な笑みを浮かべて言った。しかしマーカスを見たままふと困った顔を作る。
「でも困るなぁ。事件の関係者が一人で出歩いちゃ」
「む……ああ、それはすまん」
「リタさんにハンカチを届けてあげたかったのでしょう? 大事なものですし」
「そうなんだよ。居ても立ってもいられなくてな」
アイリスの言葉に控えめにうなずき、マーカスはそのまま踵を返して帰ろうとする。その背中を追ってロキが話しかけた。
「ラスティも同じ心境だったのかな」
「は?」
「だって、クマと会ったのにまたここに来たんでしょ? 一人きりで」
マーカスは顔だけ振り向いてロキの顔をしげしげと見つめた。ロキはまるっきり他意は無いと言いたげにニコニコしている。マーカスは前に向き直り答える。
「……さあな。そうなんじゃねえの」
「彼は最後、君に何か言ってなかった? 言い残す事とかさ」
「知らねえよ。そんなの知って何になる」
「一人でここに来た理由の確認だよ。本当にハンカチのためにあそこまで来たのか確かめたい」
「…………」
「深い理由があるならラスティが危険を侵すのも分かるよ。でも見た感じ、このハンカチ一枚のために? って正直思っちゃうというか……」
ロキが冗談めかしてそう言った瞬間だった。マーカスが刺すような鋭い目で振り向いたかと思うと、ロキめがけて激しい怒声を発した。
「お前がそのハンカチの何を知っている!? リタはお袋に死なれてから、形見のソイツをずっと持ってたんだ! 軽々しく侮辱するんじゃないっ!!」
その声は夜の山中一帯にこだまし、驚いた鳥たちが木々からバサバサと飛び立つ。一拍置いて、アイリスがあっけに取られているのに気づくとマーカスはあわてて押し黙った。
そこへロキがポツリと問いかける。
「ラスティもそう言ってたのかい?」
「ん……ああ。そうだな。もういいだろ」
取り乱したのをごまかすように、マーカスは咳払いをして襟を正す。そして何食わぬ顔でまた歩き出した時、ロキがまたもや語りかけた。
「君とリタは、やっぱり古い付き合い?」
「それはもう知ってるだろ。何だいきなり」
「さっきの君の気迫を見てると、やっぱり小さい頃からリタを守ってやったりとかしてたのかなぁって」
「……まあな、そこそこ」
マーカスの返事は短かったが、一瞬だけ振り向いた表情は誇らしげに見えた。そんな彼へロキはさらに話しかける。
「剣も子供の時からやってたのかい? 目に浮かぶね、強い剣士になるぞーって張り切る男の子の図が」
「いや……そんなお手本みたいな勇ましいガキじゃなかったよ。俺は」
「そうなの?」
「ああ。たとえ木剣でも買うには金がいるし、かといって落ちてる棒切れじゃ本物と勝手が違うし。俺はもっと実用的な……」
過去を話し出したマーカスだったが、しみじみと話していた彼の言葉がふと途切れる。それから少し無言になり、振り返らずに彼は言った。
「……とにかく、大した事はしてなかった」
「そっか」
「……?」
話を中途半端に切り上げるマーカス。ロキは気にしない様子で相づちを打つが、アイリスは眉をひそめた。
それからマーカスはまた振り返ってロキたちを見たかと思うと、ぶっきらぼうに告げる。
「俺はとっとと帰るから、ついて来るなら早くしな。ここにはクマが出たって聞いたろ」
それだけ言ってマーカスはズカズカと山道を進んでいく。アイリスがあわてて追いかけようとすると、ロキが袖をつかんで止める。
戸惑い振り向くアイリスへ、ロキは小声で言った。
「……ごめん。教会でマーカスたちがまた出歩かないか、目を光らせておいて欲しい」
「え、何時まで……」
「交代で夜明けまで。朝になったら僕また
「そこまで徹底するんですか?」
「ああそうさ。僕らには別の探し物がある」
そう意味深に言って、ロキはいぶかしむアイリスを放って足を早める。そして一人で小さくつぶやいた。
「現場は石ころだらけだった……。そう、石ころ」
含みのある言い方をして、ロキはこっそりとほくそ笑んだ。
――
……それから一夜あけ、日も高く登った頃。
アイリスは再び教会の中にいた。それもいつものモニカの研究室や以前いた懺悔室ではなく、広い礼拝堂である。
王都にあるその礼拝堂はアーチ型の天井が何メートルも高くに造られ、豪華なモザイク画のガラス窓の列が日の光をふんだんに取り入れ、下には百人、二百人と入れそうなスペースに整然と長椅子が設置されている。
その礼拝堂の一番奥。神聖な十字が壁に刻まれ祭壇が置かれた重要な場所に、アイリスはいた。そして、あの関係者の三人も。
「ったく、あのガキンチョはまだ来ないのかよ」
「『ここで待ってて』なんて言って出かけてから、ずいぶん経つじゃないか」
「ま、まあまあ。二人とも落ち着いて」
「すみません。もう少しだけお待ちください」
立ったまま待ちぼうけを食らっている一同。マーカスとロベルタは今にも痺れを切らしそうな表情で周りを見回す。それをリタとアイリスが二人でどうにかなだめていた。
とはいえ、アイリスの表情も気がかりそうである。明け方にロキが教会を出てから、彼女はずっと周りの三人を見張っているのだ。
『リタたちを一ヶ所に集めておいて。礼拝堂がいいな。神様の前で罪を暴いてみせるよ』などと言ってロキは例の現場へまた出かけた。彼の目的が何なのか、アイリスは何も聞かされていない。アイリスも周りに見られないように小さなため息をもらした。
しかし今、問題はそこではない。約束通り関係者を集め、一時間以上も待たせているにも関わらず、ロキが顔も見せない事だ。アイリスは出口を何度もチラチラうかがいながら気まずい汗をかいた。
マーカスもロベルタも口には出さないが、早くしてくれといういら立ちが険しい表情から伝わってくる。リタも仲間を笑ってなだめてくれてはいるものの笑みは完全に作り笑いだ。しかも"罪を暴く"などという曖昧な宣言をアイリスはそのまま伝えてしまったものだから、彼女は気が気でない。夜に三人を見張った事からの寝不足も合わさり、アイリスはこの場で神にすがりたい気分だった。
ところがその時、礼拝堂の扉がバンと大きく開け放たれた。アイリスたちが驚いて振り向くと、そこにはロキが立っており意気揚々と歩いて来ていた。彼は片手をあげ、悪びれないどころか誇らしげに言う。
「やあ諸君。待たせたね」
「待たせたね、じゃねえよ。何やってたんだ」
「色々だよ。確かめたい事があってね」
不機嫌なマーカスにもロキは動じない。ロキが輪に入ると今度はアイリスが言った。
「それで、何か分かったんですか?」
「もちろん。ラスティの死の真相をつかんだ」
ロキの答えに一同が息をのむ。その表情を余裕そうに眺め、彼は続けた。
「彼は他殺だ。あれは事故じゃない」
「まさか、デタラメじゃないのか!?」
「そんな……誰が」
他殺。そう聞いてマーカスが反発し、リタは信じられないという表情で青ざめる。そこへロベルタが割って入って口を開いた。
「待て、待て……ソイツは確かか? 冗談じゃ済まないの分かるよな?」
「もちろん。今から説明するよ」
「大丈夫なんですか?」
即答するロキへ他ならぬアイリスまで半信半疑な顔をする。それに構わずロキはマーカスの方を見てたずねた。
「まず昨日……君と夜に会ったよね? 例の現場で」
「……ああ、それが?」
「確かラスティの事も話したよね。彼が死んだ日……その時に限ってバラバラになって、ラスティがハンカチを拾いに行った日の話を」
「昨日の事なんて忘れねえよ。何が聞きたいんだ」
焦れた様子で聞き返すマーカス。ロキは一つうなずくと話を進める。
「君は確かこう言った。『ハンカチはリタの母親の形見、だからラスティも拾いに行った』と」
「だからそれがどうした……ん?」
いら立った口調のマーカスだったが、彼はふと眉をひそめる。ロキの隣で、アイリスがいかにも気がかりそうな視線をどこかに向けていたからだ。
マーカスはその視線の先をそろそろと追う。するとリタが目を丸くして彼を見つめているのに気づいた。その視線はひどく困惑し、唇をかすかに震わせている。
「リタ?」
マーカスは思わず声をかける。戸惑う彼へ、ただならぬ様子の幼なじみは緊張した声色で言った。
「マーカス……変だよ」
「な、何が変なんだよ」
「あのハンカチの事、ラスティさんには話してない。お母さんの事、マーカスにしか言ってないよ!」
リタは今日一番の大声をあげた。ロキ、アイリス、そしてロベルタの視線が叫ばれたマーカスへと一斉に注がれる。マーカスはハッと息を漏らしてリタを見つめている。よく見るとほの額には冷や汗がにじんでいた。
リタはマーカスの目をまっすぐ見つめて言う。
「ラスティさんは、大事な物としか思ってなかったはずだよ。母さんの話なんて、マーカスくらいにしか話せないもん……」
「いや待て。誤解だ! 俺の記憶とラスティとの会話がごっちゃになって……」
「君はハッキリ言ってたよ。その形見の話、ラスティもしてたって」
「それはっ……」
動揺したマーカスはふいと目をそらす。すると先ほどから深刻な表情をしていたロベルタと目が合った。
思わず息をのんだマーカスへ、ロベルタも口を開く。
「私もその話は知らないぞ。私を差し置いてラスティが知ってたって?」
「だから誤解だって!」
「そうとしか聞こえないんだよ! お前、マジでラスティを追いかけてやったんじゃないだろうな!?」
ロベルタまでが厳しい口調でラスティへ詰め寄る。上背のある彼女に見下ろされてうろたえるマーカスへ、ロキはさらに追撃する。
「確かに、リスクを冒して一人で取り返そうとするなら形見くらいの事情があると思うだろうなぁ」
「なっ……」
「マーカス。君がまさにそうだもんね? 僕らがハンカチを回収しようとした時、君は夜にも関わらず
「マーカスさん、つまりあなたはラスティさんが例の崖に行くと勘づいていながら、無関係を装ったワケですか? それなら理由をでっちあげる辻褄が合いますが」
ロキの煽り、アイリスの追及にマーカスはぐっと顔を歪める。そしてロベルタに追い詰められながらも彼はロキを見たまま怒鳴った。
「バカバカしい……! おい探偵! これだけで犯人扱いしようってんじゃないだろうな!? 他殺だって言い切るなら、もっと他に証拠があるはずだ!!」
早口だったがもっともな指摘。しかしロキは待ち構えていたかのように一切動じず、笑って何度もうなずく。そして「当然さ」と返してからこう続けた。
「途中で冒険者ギルドに寄って、マーカスの登録証を見させてもらったよ。冒険者の年齢とか、特技とかの個人情報が記録されている書類だ」
「何が書いてあったんです?」
「僕が見たのはマーカスの特技の部分。まずは今まさに携えてる"剣"。それからもう一つ」
アイリスに見守られながら話すロキ。そして次の一言でマーカスの顔色が変わった。
「"スリング"」
「……っ!」
「それって確か……」
アイリスが横から問いかけると、ロキはちらと顔を見てから説明する。
「いわゆる兵器じゃない方の投石器だよ。道具はヒモとその辺の石で十分。あとは技術があればただ投げるより何倍も強く石を飛ばせる」
それを受け、リタが思い出したように言う。
「あ……そうだ。確かマーカスと王都に来た時に書類に書いてた!」
「うっ……」
「本当かよ。石なんて使うの見た事ないぞ」
「故郷にいた頃は武器を買うお金がなくて。王都に来て貯金はたいて、やっと剣を買ったの」
ロベルタがたずねてもリタはキッパリと言った。ちょうどマーカスが昨夜に話したのと同じような事情も一緒に。
そこでさらにロキが続ける。
「たぶん木の上にでも登って隠れてから、ラスティが崖に来たタイミングで石をぶつけたんだろう。石による打撲痕なら転落でついた傷に紛れてしまうし、凶器も現場の石ころに混ざって分からない。よく考えたもんだ」
「……あれ? あの、ちょっと待ってください」
ロキの言葉にふとアイリスが待ったをかけた。
「あの、仮にあなたが言うスリングとやらをラスティさんに使ったとしてですよ?」
「うん」
「ぶつけられても都合よく転落するものでしょうか? 崖上の血痕からして何度もぶつけられたとは思えませんし、たった一発でバランスを崩させるなんて故意に出来ますかね?」
事故ではなく他殺と言い切るには無理がないか。アイリスはそう疑問をぶつけるが、ロキは笑って言う。
「おいおい、忘れたかい? リタの言ってた事」
「へ?」
「スカンクが警戒した時には何をするんだっけ?」
ロキの問いかけに首をかしげるアイリス。しかし彼女の脳裏に、昨日聞いたリタの証言の一部がよみがえる。
『スカンクの一部って、威嚇する時に逆立ちするんですよ。こっちに来るな! って。』
直後、アイリスの口から無意識に返答が漏れていた。
「……逆立ち……」
「そう。あの場所は数日前にクマが出ていたし、ラスティも緊張していたろう。見つからないように茂みに石を投げるなりして音を立てれば、本能的に威嚇の逆立ちをした可能性もある」
「じゃあ、その不安定な姿勢をした瞬間に……」
「石をぶち当て、崖から落としたってワケ」
ロキはそう言ってマーカスたちを改めて見据える。そして自身の腰から提げていた小さな袋を掲げた。
「これを見て欲しい」
「何だいそれは」
「現場を探し回ってやっと見つけたんだ」
そう言いながらロキは袋の中身を開けて周りに見せる。手のひらにすっぽり入る大きさの石で、一部に黒い血痕がついている。皆がそれを不審そうに見つめていると、ロキは石を取り出して続けた。
「何だと思う?」
「血のついた石、ですか?」
「そう見えるだろう。けどこの血のついた部分をよく見て。よ〜く」
ロキが念を入れて見るので、アイリスたちが間近に顔を寄せて観察する。マーカスは心なしか躊躇していた。
しばらくして、ワシの目を持つロベルタがふと、石の表面に何かを見つけた。キラキラとして細い、普通なら見逃しそうな何か。
「コイツは……毛か?」
「毛ですって?」
「毛と、何かの繊維だ! 間違いない!」
ロベルタが迫真の声をあげてロキを見る。ロキはよく気づいてくれたと言わんばかりに微笑んだ。
「そうなんだ。見たところ麻の繊維と羊毛が付着していた」
「それってまさか、スリングのヒモの材料……?」
「ああ。ちなみにモニカとも調べたけど、被害者の傷口にも同じ物が付着していた。この石によって負傷した証拠だ」
「…………」
ロキの言葉にマーカスがふらふらと後ずさる。唇をきつく噛みしめ、ロキを苦々しい表情でにらむ。しかし反論はしなかった。追い詰められた動物のように脚を震わせ、黙って目の前の探偵を見つめている。
そんな彼へロキは最後の一押しをかけるかのように口を開く。しかし言葉が発せられるよりも早く、リタが不意に呼びかけた。
「マーカス」
真剣な、まっすぐ澄んだ声。呼ばれたマーカスがぎょっと振り向くと、リタが厳しい目つきをして見つめていた。眉尻を上げ、唇を引き結び、怒りに目をむきながらもその目端からは涙がうっすらきらめいている。
その涙にマーカスは表情にたたえていた憎悪をハッと失い、面を裏返したかのように後ろめたい、申し訳なさのにじむ顔になった。おそらくロキに対しては決して向けなかったであろう表情。
リタはマーカスから一切目をそらさず、涙声になりそうなのをこらえて問いかけた。
「ラスティさんを、殺したの?」
「それは……」
「答えて」
「…………」
マーカスは苦しげにうなり、目をそらす。二人に口をはさむ者はいなかった。リタが求めているのは真実だけではなく、幼なじみからの誠意であると皆分かっていたからだ。
マーカスが無言でいると、リタはついに涙をあふれさせながら叫んだ。
「お願い答えて! 違うなら違うと言って! 私にも、神様にもウソをつく気なの!?」
リタの切実な問いにマーカスはよろめき、後ずさる。そして礼拝堂の祭壇にガツンと背中からぶつかった。
思わず彼が振り向くと、背後の壁に刻まれた聖なる十字が見下ろしている。マーカスはリタに向き直り、祭壇に寄りかかってズルズルと崩れ落ちた。
うつむくマーカスを、リタは涙ながらに見つめる。ロキやアイリス、ロベルタは有罪をほぼ確信していたが、リタだけはまだ望みをかけてマーカスを見つめていた。
しかし、マーカスは弁解する事はなくうつむいたまま自身のポケットに手を伸ばす。そしてベルトから提げた袋から短い縄状のものを取り出した。
「ほら……これが証拠だ」
座り込んだままマーカスは手の中のものをロキへ手渡す。それは羊毛や麻でもって編まれ、真ん中に小石を受け止める為の当て布がついたスリング用の縄だった。
それを見て呆然としながらリタはつぶやく。
「それ……子供の頃に使ってたやつ」
「やはりね。君は思い出をかなり大事にするタイプみたいだ」
縄を受け取り、皮肉をぶつけるロキ。マーカスがそれに反応すらせずにいると、ロベルタが横から彼の腕をつかんで強引に立たせた。そして腑抜けた横顔に向かってロベルタが怒鳴る。
「お前……一体全体なんでこんな事した!?」
「…………」
「黙ってないで答えろ! 男だろ、言い訳の一つくらいしてみろ!!」
ロベルタの声が礼拝堂に反響する。その声が何秒間も響き渡って鳴りやんだ後、マーカスは口だけをわずかに動かした。
「ラスティのやつが……を取ったから」
「は?」
「だから! ラスティがリタを取ったからだ!!」
マーカスは表情筋を一転わなわなと震わせながらロベルタに向けて叫んだ。見るとマーカスはみるみる泣きじゃくりはじめ、間近で怒鳴っていたロベルタは元よりリタも、ロキもアイリスも一瞬あっけに取られる。
そこからマーカスは自分への情けなさに耐えられないといった悲痛な顔をしながらも、止められないであろう感情をぶちまけた。
「アイツがパーティーに入って、リタが面倒をみるようになって! いつの間にかラスティはリタに気に入られてた。新人だからって甘えてるうちに!」
「……マーカス……」
「俺の方が昔から好きだったのに! 十年以上も前から、ガキの頃から近くにいたのによ! スカンクだからってちょっと距離を置いてたらこの有り様だ!!」
身勝手な言い分にかえって周りは無言で聞き入っていた。その表情には虚無感や呆れがにじんでいたが、当のマーカスはまだ叫び続ける。
「たまたま距離を空けただけで、なんでこうなる!? 俺はリタの事をよく知ってる。お互いに知ってるんだ! なのにちょっとした間に気を引けたら、ヤツがかすめ取るのが正しいのか!?」
「……マーカスさん、あなた……」
「こんな理不尽な話があるか……? たまたま良さげなところを見ただけ、タイミングが良かっただけ……それたけで人の心が手に入るのか!? 十年以上も積み上げた分が、それでパーになるのか!? なぁ!」
アイリスがなだめようとするが、マーカスは聞く耳を持たない。外聞も気にせず嗚咽まじりに叫び続け、拳を握り地団駄を踏んだ。その姿は駄々をこねる子供そのままだった。
……やがて、その無様な姿を見かねてかロベルタが両手でマーカスの胸ぐらをつかみ、鼻先がつくかという距離で相手を正面からにらむ。そして先ほどまでのマーカスの声にもまさる男にも似た怒声を発した。
「ふざけた事言ってんじゃねえ! そんな理由でお前は……ラスティを殺したのか!?」
「…………」
「言うに事欠いて、リタを取られた!? それが理由か!? 人を殺すような輩に、リタが惹かれると思ったか大バカ野郎!!」
怒りにまかせて言い放つロベルタに、マーカスはただブラブラと揺さぶられるだけだった。マーカス自身、情けなくて言われるままになるしかないのだろう。
するとそこへロキが「まあまあ」と割って入った。そしてロベルタを目でなだめてどうにか引き離すと、立ち尽くすマーカスにロキは語りかける。
「マーカス、僕はね……誰かが悪事を働いた後で人間性をどうこう言うのは好きじゃない。善人だって、誰かを殺したい時くらいあるさ」
「……だから何だよ」
「けど恋愛ってのは、善人かどうかって問題じゃない。好きか嫌いかだ。今回は、リタは君を友達としか思ってなかった。たまたま好きじゃなかった。それだけの事さ」
ロキの諭すような口調に、マーカスは次第に顔を上げ、表情をうかがい出す。いまだロキの言葉の真意はつかめていない。
そこでロキはこう続けた。
「リタは不義理でも何でもない。そんな子じゃないよ。それは君がよく分かってるだろ」
「…………」
最後の言葉に、マーカスの表情から強ばりがスッと抜ける。そして神妙な顔でしばし目をつむったかと思うと、彼はリタの方へ振り向いた。
「…………」
「マーカス……」
無言で見つめる幼なじみへ、リタは弱々しく呼びかける。しかしマーカスは何も言わず、代わりにポケットから何かを取り出した。小さな一枚の布。リタのハンカチである。
マーカスはそれをポンとリタへ投げ渡し、祭壇から離れた。
「へ、マーカス?」
「それはお前のだ。……俺には縁もゆかりもない」
「ちょっと……!」
リタが呼び止めるが、マーカスは背を向けたままうつむいていた。そんな彼の背中をロキが軽く叩いて言う。
「教会の外に憲兵たちを呼んである。行こうか」
「……用意がいいな」
力なくマーカスは言って、ロキに連れられながらフラフラと出口へ歩いていく。アイリスが祭壇の方を振り向くと、リタはハンカチを持ったまま声を押し殺して泣き、ロベルタに慰められていた。
アイリスはそんなリタにも、去っていくマーカスにも言葉をかけられなかった。独占欲と嫉妬に駆り立てられた身勝手な殺人。どんなに相手を大切に想う気持ちがあろうと、事実としてはそう認める他ない。
マーカスが礼拝堂の扉を押し、廊下へ出る。おそらくこれが、幼なじみ二人の最後の別れになるだろう。アイリスはただただ辛い気持ちでそれを見送ったのだった。