秘封幻界録 〜 The Vision of Albion. 作:ぴの光
京都がおかしい。
そう思ったのは、朝の九時を少し過ぎた頃だった。
大学へ向かう途中、私はいつもの道を歩いていた。
いつもの道、と言っても、京都の街は昔からの道ばかりではない。
古い寺の石垣の横を無人の配送車が静かに走っり、ビルの壁面には今日の気象情報と大学の公開講座の広告が重なって表示されていた。
古都と未来都市。
最初は、その組み合わせがずいぶん奇妙に思えたが、今ではもう慣れている。
慣れてしまうと、人間というものは案外図々しい。
千年前の石段の隣に人工知能研究所が建っていても、学生はコンビニのコーヒーを片手に通り過ぎる。
世界がどれだけ変わっても、大学生の朝は大体同じなのだ。
眠い。お腹が空く。授業には行きたくないが、行かなければならない。
私はそんな、どうでもいいことを考えながら歩いていた、そのときだった。
道の脇に、見覚えのない細い路地があった。
幅は、人が二人並んで歩けるくらい。
入口には古い木造の塀があり、その向こうにさらに道が続いているようだった。
京都では珍しくない光景に、私は足を止めた。
こういうものを見つけると少し嬉しくなる。
知らない道。知らない寺。知らない店。知らない怪談。
秘封倶楽部を始めてから、そういうものを見つけるのが好きになった。
私は端末デバイスを取り出し、地図を開く。
現在地を確認し路地の入口を拡大したが、何もない。
道路と建物が表示されているだけだった。
もう一度、路地を見る。
ちゃんとそこにある。
私は地図と路地を交互に見比べた。
「……おかしいな」
独り言が漏れた。
その声に反応するように、背後から声がした。
「何が? 道が地図に載っていないこと? それとも、地図にはないはずの道が、あなたの目の前にはっきり存在していること?」
振り返ると、メリーが立っていた。
相変わらず、朝から優雅な顔をしている。
私は彼女を見て、それから路地を指差した。
「これ。地図にないんだ。単に更新が遅れているとか、私の位置情報がずれているとかじゃなくて、周囲の建物の配置まで含めて、ここに道がある可能性そのものが記録されていない」
メリーは私の横に並び、路地を眺める。
少しの間、何も言わなかった。
彼女がこういう顔をするとき、私は少しだけ警戒する。
何か見えている。そういう顔だった。
「メリー?」
「……薄いわ。はっきりした形ではないけれど、ここだけ空気の重なり方が違う。向こう側に別の景色があるというより、別の景色がこちらの街に重なりかけているみたい」
「何が重なっているの?」
「境界よ。前にも似たものを見たけれど、あのときは境界が一つの場所に集まっていた。今回は違う。街のあちこちに、薄い膜みたいなものが広がっている」
その言葉を聞いた瞬間、眠気が少しだけ消えた。
私は路地を見た。
何もない、ただの路地だ。
少なくとも、私にはそう見える。
「前にもこういうものは見えた?」
「ええ。でも、前とは違うわ。以前の境界は、そこに近づけば近づくほど輪郭が濃くなった。これは逆。見ようとすると薄くなって、見ていない場所で広がっている」
「それって、つまり、私たちが見つける前から街の中にあったってこと?」
「そうかもしれない。薄い霧が街全体にかかっているような感じなの。ここだけじゃない。あっちにも、向こうにもある」
彼女が指を動かした。
路地の先。向かいの建物。さらに遠くの交差点。
「京都中?」
「たぶん。少なくとも、私が今見える範囲だけでも、いくつもあるわ。境界が一つの場所から広がっているというより、街のいろいろな場所で同時に生まれているみたい」
その答えが、妙に軽かった。
京都中。
世界でも有数の大都市を、たった一言で包んでしまう。
私は笑いそうになったが、もちろん笑えなかった。
「じゃあ、授業は?」
「行くわよ。こんなところで立ち止まっていても、境界の正体が分かるわけではないでしょう。それに、今日の講義を休むと、あなたはあとで必ず後悔するわ」
「こんな状況でも授業の心配をするの?」
「こんな状況だからこそ、単位は取っておいた方がいいでしょう。世界がどうなっても、大学は出席記録を残すでしょうから」
メリーは真顔で言った。
私は少しだけ安心した。
世界が壊れかけていても、彼女はメリーだった。
「それはそうね。幻界に飲み込まれる前に、せめて卒業要件くらいは満たしておきたい」
私は路地をもう一度見たが、入口はいつの間にか消えていた。
そこには古い塀だけが残っている。
「……今、あったよね?」
「ええ。あなたが地図と見比べている間も、確かにそこにあったわ」
「消えた?」
「そうみたい。境界が閉じたのか、こちら側から見えなくなっただけなのかは分からないけれど」
「写真、撮っておけばよかった」
「撮ってどうするの? 写真に残るものなら、そもそも地図から消えてはいないでしょう」
「証拠だよ。少なくとも、未来の私に見せるための証拠」
メリーが笑った。
「ずいぶん信用しているのね、未来の自分を。今の自分より、冷静に判断してくれると思っているの?」
「少なくとも、今の私よりは暇そうだから。今日の私には授業もあるし、調査もあるし、世界の異変まで相手にしなきゃいけない」
私たちは大学へ向かった。
そのときはまだ、それが最初の一件に過ぎないとは思っていなかった。
*****
昼休みには、二件になった。
一件目は、朝の路地。
二件目は、大学から少し離れた場所にある古い町家だった。
昼食を買いに出た学生から聞いた話によれば、そこは昨日まで普通の住宅だったらしい。
ところが今朝、通りかかった人が見ると、二階建ての町家が一瞬だけ三階建てになっていた。
屋根の上に、見たことのない塔のようなものが現れたという。
もちろん、そんな建物は現在の京都には存在しない。
しかし話を聞いた人たちの記憶が一致しなかった。
ある人は「昨日からあった」と言った。
別の人は「今朝初めて見た」と言った。
そして三人目は、そんな建物など見たことがないと言った。
話だけなら、よくある記憶違いだ。
人間の記憶なんて、意外といい加減だから。
問題は、建物そのものだった。
私たちが現場へ行ったときには、町家は元の姿に戻っていた。
ただ、壁の一部に新しい傷が残っていた。
私は写真を撮り、位置情報を確認した。
過去の衛星写真。建築データ。行政の公開記録。
どれを見ても、三階建ての建物が存在した痕跡は見つからないが、複数の人間が同じものを見ている。
私は端末を閉じた。
「どう思う? 私は、単なる見間違いとして処理するには、証言の一致が多すぎると思う。少なくとも、何人かが同じ種類のものを見たことは確かね」
メリーが聞いた。
「まだ何とも言えない。証言が一致しているのは、同じものを見たからかもしれないし、誰かの記憶や噂が他の人に影響しただけかもしれない。建物の傷も、今朝できたものだと断定するには情報が足りない」
「蓮子にしては慎重ね。いつもなら、もっと早く仮説を立てて、現場に残った数字や位置情報を結びつけようとするでしょう?」
「私だって慎重になることくらいあるよ。今回は、私たちが見ていない時間に起きたことだから、見た人の記憶だけで結論を出すのは危険なんだ」
「珍しいものを見たわ。あなたが、分からないことを分からないままにしている」
「失礼だな。分からないことを分からないと言えるくらいには、私も成長しているんだよ」
私は町家を振り返った。
普通の家だった。
古い木材。瓦屋根。小さな植木鉢。洗濯物。
そこに暮らしている人の生活がある。
その当たり前の風景に、さっきまで存在していたはずの別の建物を重ねようとすると、頭の中が変な具合に引っかかった。
世界が一枚の写真なら、誰かが端を少しだけめくっている。
そんな感じだった。
「ねえ、メリー。これ、今までの怪異と同じだと思う?」
「違うわ。少なくとも、私には同じものには見えない」
答えが早かった。
「どうして? 今までだって、普通の人には見えないものや、記録に残らないものを追ってきたでしょう」
「今までは、私たちが探しに行ったでしょう? 噂を聞いて、場所を調べて、境界を見つけて、こちらから近づいていった。でも今回は違う。私たちが何もしなくても、向こう側のものが日常の中へ出てきている」
メリーは町家を見ながら言った。
「今回は向こうから来ている。しかも、私たちだけではなく、普通の人たちの記憶や生活にまで触れているわ」
私は返事をしなかった。
その言葉が、妙に胸に残った。
これまでなら、怪異は私たちのために用意された舞台だった。
誰も気づかない場所を見つけ、誰も知らない境界を覗き込み、誰も信じない話を二人で楽しむ。
けれど今は、舞台の方からこちらへ近づいてきている。
*****
三件目は、夕方だった。
京都大学へ戻る途中、大学の近くにある古い建物を見た。
正確には、建物を見た人から話を聞いた。
「さっきまで、あそこに別の建物があったんだって」
学生の一人がそう言った。
「別の建物? 今ある建物とは、外観が違っていたの?」
「うん。昔の研究施設みたいなやつ。俺の友達が見たって。窓の形も違ったし、入口の上に変な記号があったらしい」
「どんな建物だった? 友達は、いつ、どの方向から見たの?」
「知らない。俺は見てないから、そこまで詳しく聞いてないよ」
「じゃあ、友達に聞いてみた? 見た場所と時間だけでも分かれば、記録と照合できるかもしれない」
「聞いたよ。でも、今はそんな建物見てないって。さっきまで見ていたはずなのに、今になったら、そんなものは最初からなかったって言うんだ」
その学生は肩をすくめた。
冗談だと思っているらしい。
私も少し前なら、たぶん笑っていた。
でも今は笑えなかった。
私は建物を見た。何もない。
いや、正確には何もないわけではない。
いつもの建物がある。
その建物の輪郭が、ほんの一瞬だけ揺れた。
目の錯覚かと思ったが、次の瞬間には元に戻っていた。
「メリー、今の見えた?」
「ええ。建物の輪郭の内側に、別の形が一瞬だけ重なったわ。窓の数も、入口の位置も違っていた」
「私にも見えた。ほんの一瞬だけど、確かにいつもの建物じゃなかった」
「それは珍しいわね。あなたにも、境界の向こう側が見え始めているのかもしれない」
私は眉を寄せた。
「喜ぶところじゃないと思うけど。私の能力は、天体を見て時間や場所を知ることなんだから、建物の向こう側まで見えるようになったら困るよ」
「そうね。能力の範囲が広がったというより、向こう側の方がこちらへ近づいていると考えた方が自然だと思う」
メリーは笑わなかった。
私たちはその場に立ったまま、しばらく建物を見ていたが何も起きない。
車が通る。学生が歩く。
京都は、いつも通り動いている。
だから余計に怖かった。
世界が壊れるとき、もっと派手な音がするものだと思っていた。
地面が割れる。空が落ちる。建物が崩れる。
そういう分かりやすい破滅なら、逃げることもできる。
でもこれは違う。
昨日まで存在しなかった道が現れる。
建物の記憶だけが人によって違う。
ほんの一瞬だけ、別の姿が重なる。
そして、それを見た人間自身が「自分の記憶がおかしいのかもしれない」と思い始める。
それは、ずっと静かだった。
静かなまま、日常の中へ入ってくる。
「蓮子、少し休みましょう。今日だけで三つも異変を見たし、あなたはずっと記録を取り続けている。考え続ければ、見えるものまで見えなくなるわ」
メリーが呼んだ。
「うん。でも、まだ大丈夫。少なくとも、今のところは」
「大丈夫な人は、そんな顔をしないわ」
私は自分の顔を触った。
「どんな顔?」
「怒ってる顔。怖がっているのに、それを認めたくなくて、代わりに世界へ文句を言っている顔よ」
「怒ってる?」
「ええ。世界に」
思わず笑った。
「そんなことある?」
「あるでしょう。あなた、説明できないものを見ると、いつも世界に喧嘩を売るじゃない。今回だって、異変の原因を見つければ、元に戻せると思っているんでしょう?」
「世界の方が先に喧嘩を売ってきたんじゃない? それに、原因が分からないまま広がっていくなら、調べるしかないよ」
「そういうところが、あなたの怖いところでもあるわ。怖がりながら、原因を見つけるまで止まらない」
「メリーだって、境界が見えるなら放っておけないでしょう?」
「ええ。だから、あなたを止めるつもりはないわ。ただ、無理をしていることくらいは認めてほしいの」
「……分かった。少しだけ休む。でも、調査をやめるつもりはないよ」
「それでいいわ」
メリーが少し笑った。
私も笑った。
けれど、その笑いは長く続かなかった。
*****
夜。
私たちは部室に戻っていた。
秘封倶楽部の部室は、大学の片隅にある古い部屋だ。
机の上には調査ノート、端末、過去の怪異について書いたメモ。
最初の頃はもっと雑然としていたが、今は少しだけ整理されている。
と言っても、普通のサークルから見れば十分に散らかっている。
私は今日の記録をまとめた。
路地。町家。建物。
共通点を探す。
時間。場所。目撃者。記憶。位置情報。
私は画面を睨んだ。
朝の路地は、地図上では存在しない。
町家の三階部分は、建築記録に残っていない。
夕方の建物は、複数の人間が見たにもかかわらず、見た記憶そのものが揺らいでいる。
私は三つの地点を地図上に並べた。
それぞれは離れているけれど、完全に無関係というわけではなかった。
異変が起きた場所を線で結ぶと、京都の中心部を横切るような形になる。
私は画面を拡大し、ひとつの仮説を立てた。
「……起点がある」
向かいでメリーがノートを読んでいた。
「幻視鏡?」
「うん。まだ断定はできない。でも、これまでの異変の広がり方を考えると、あの鏡を中心に何かが変化している可能性がある。鏡がどこにあるのかは分からないけれど、あれを見たあとから、私たちの周囲で境界に関する現象が増えている」
私は画面を回した。
「異変の場所を時系列で並べると、広がり方に一定の方向がある。偶然の可能性もあるけれど、幻視鏡が見せた別の京都と、今回の異変が無関係だとは考えにくい」
「鏡は今、どこにあるの? 夢美教授が持っているのか、それとも、私たちが見た場所にまだ残っているのか」
「分からない。夢美教授が消えたあと、鏡の行方も確認できてない」
「それなのに、鏡を起点だと考えるの?」
「だからこそよ。直接確認できないものが、見えない場所から影響を広げている可能性がある。もし鏡がまだこちら側にあるなら、誰かが触れなくても、境界を開いた状態が続いているのかもしれない」
私は椅子の背にもたれた。
幻視鏡。最初に見たとき、私はただの鏡だと思った。
けれど、今はそんな言葉ではもう説明できない。
鏡の向こうには別の京都があった。
そこには私がいて、メリーがいた。
そして、その世界は消えようとしていた。
夢美教授は、そのことを知っていた。
彼女が残した言葉も覚えている。
――二人が揃えば、扉は開く。
私はその意味を、まだ完全には理解していなかった。
ただ、最近になって、その言葉が妙に現実味を持ってきている。
「ねえ、メリー。私たちが鏡を見つけたから、こうなったのかな」
「分からないわ。私たちが鏡を見つけたことが原因なのか、もともと境界が薄くなっていて、その兆候として鏡が現れたのか、今の情報だけでは判断できない」
「鏡が原因じゃなくて、私たちが何かを開けてしまっただけかもしれない。二人で触れたことが、扉を開く条件だったなら、あのときから向こう側との接続が続いている可能性もある」
「それも分からない。ただ、あなたの考えを否定する材料もないわ。だからこそ、簡単に結論を出すのは危険ね」
「じゃあ、どうする?」
メリーはしばらく黙っていた。
やがて、ノートを閉じた。
「調べるんでしょう? 幻視鏡の現在地を探して、今日の異変がどこから始まったのかを確認する。夢美教授が残した記録にも、まだ手がかりがあるかもしれないわ」
私は彼女を見た。
「怖くない?」
「怖いわ。境界が街全体に広がっているなら、次に何が現れるのか分からない。私が見ているものが、いつまでこちら側のものとして保たれるのかも分からない」
意外なほど素直な答えだった。
「私もよ。今までは、怖くても、どこかで自分たちが見に行く側だと思っていた。でも今回は、向こうから日常へ入ってきている。私たちが何もしなくても、街の道や建物や記憶が変わってしまう」
「でしょうね」
「じゃあ、どうして?」
メリーは窓の外を見た。
夜の京都が広がっている。
古い寺の屋根。新しい高層建築。道路を走る車。
遠くを移動する光。
その全部が、いつもの京都だった。
少なくとも、見た目だけなら。
「怖いから、でしょうね。怖いものを放っておいたら、もっと怖くなるでしょう? それに、何が起きているのかを知らないままなら、私たちは自分の見ているものさえ信じられなくなる」
私は少し考えた。
「それ、かなりメリーらしい答えだね。見えないものを見てしまうからこそ、見えたものを確かめたいんだ」
「あなたは?」
「私は、分からないから調べたい。数字や記録にできれば、少なくとも、私たちの記憶だけに頼らずに済む」
「それも蓮子らしいわ。あなたは、月を見て場所を確かめるでしょう。今度は、変わってしまった街の位置を確かめようとしている」
私たちは顔を見合わせた。
たぶん、こういうところが私たちなのだ。
私は測る。メリーは見る。
私には見えないものを、彼女は見る。
彼女には説明できないものを、私は数字や記録に変えようとする。
その違いがあるから、ここまで来られた。
だったら、今回も同じでいい。
「明日から、京都全体を調べよう」
「範囲が広すぎない? 京都中の道と建物と人の記憶を、二人だけで確認するつもり?」
「全部を一度に調べるわけじゃないよ。異変の地点を記録して、発生時刻と方向を比べる。秘封倶楽部の活動としては、ちょうどいいじゃん」
「あなた、本当にそういうところだけ元気ね。世界の一部が別の可能性に置き換わるかもしれないのに、調査計画を立てると急に楽しそうになる」
「褒めてる?」
「半分くらいは。残りの半分は、もう少し自分の身を心配してほしいという意味よ」
私は笑った。
そのときだった。
部屋の照明が一瞬だけ暗くなった。
端末の画面がちらつき、私は反射的に画面を確認した。
異常なし。
メリーも立ち上がっていた。
「今の、停電?」
「違うと思う。外の様子を見てみる」
窓の外を見る。
街の灯りは消えていない。
大学も。道路も。遠くのビルも。すべて正常だ。
私は窓を開けた。
夜の空気が入ってくる。
少し冷たい京都の夜だった。
私は空を見上げた。
星を見上げるだけで、今がいつなのかが分かる。
それは、子供の頃から変わらなかった。
だから私は、いつものように星を追った。
ひとつ。ふたつ。三つ。
星座の形を頭の中で繋げていく。
そこで、私は動きを止めた。
「……メリー。空を見て。今夜の星が、いつもの位置にあるか確認して」
「どうしたの? あなたがそんな言い方をするなら、何か見つけたのね」
メリーが窓辺へ来た。
私は黙って空を指差した。
星がある。月もある。雲は少ない。
何も変わったところはないように見える。
けれど、私には分かった。
ほんの少し、星の配置が違う。
京都の街を離れれば、同じ空なのかもしれない。
でも今、私たちの頭上にある星だけが、いつもの位置からずれていた。
私は端末を開き、過去の観測データと照合する。
一致しない。
もう一度確認する。
観測時刻のずれ、気象条件、視差、表示データの誤差。
考えられる要因を一つずつ確認する。
やっぱり違う。
「……ありえない。星の位置が変わったんじゃない。私たちが見ている空の方が、別の配置に置き換わっている」
自分の口から出た声が、妙に遠く聞こえた。
メリーが私の横顔を見ている。
「蓮子、何が見えてるの? 私には星の違いまでは分からないけれど、あなたがそこまで断言するなら、単なる見間違いではないのね」
私は答えずに、星空を見続けた。
京都という街の上だけ、空そのものが違っている。
地上では、道が現れ、建物の姿が変わった。
人々の記憶が食い違った。
そして今度は、空だった。
私はようやく理解した。
これは京都の中で起きている怪異ではない。
京都が、何かの境目になっている。
その向こう側が、少しずつこちらへ滲み出している。
私は怖かったが、それでも目を逸らさなかった。
「メリー。明日から、本気で調べよう。もう、面白い怪談を集めるだけの調査じゃない。私たちが何もしなくても、街の方が変わってしまうなら、原因を突き止めないと、次に何が失われるか分からない」
私の声は、自分でも驚くほど静かだった。
「この街で何が起きているのか。幻視鏡が何を開いたのか。そして――」
私はもう一度、星を見た。
知らない星空が、知っている京都の上に重なっている。
「京都の外側に、何があるのか」
メリーは何も言わなかった。
ただ、私の隣に立っていた。
そのことだけで、少しだけ怖くなくなった。
夜空は、何も答えてくれない。
星はただそこにある。
けれど今夜だけは、その沈黙が妙に意味ありげだった。
まるで空の向こうから、誰かがこちらを見ているように。
私は星から目を離さなかった。