秘封幻界録 〜 The Vision of Albion. 作:ぴの光
好奇心というものは、たいていの場合、ろくな結果をもたらさない。
私はそのことを知っているけれど、だからといって好奇心を捨てられるほど、人間は賢くできていない。
むしろ逆だ。
分からないものがあると、確かめたくなる。
閉じた扉があれば、その向こうを見たくなる。
地図に空白があれば、そこに何があるのか書き込みたくなる。
そして昨日。私は、メリーに一つの空白を見せられた。
――建物の向こうにある京都。
あれから一晩経った。
朝になっても、大学へ着いても、講義を受けても、その言葉が頭から離れなかった。
別に眠れなかったわけではなく、何をしていても、ふとした瞬間に思い出す。
あの建物。夕暮れ。そして、メリーの横顔。
私には見えなかったもの。
見えなかったことが、どうにも気に入らなかった。
見えないなら、見えるようになりたい。
見えないものが本当に存在するのか、それともメリーの見間違いなのか。どちらにしても、確かめなければ気が済まなかった。
「蓮子」
講義が終わったところで、メリーが声をかけてきた。
教室にはまだ、講義の余韻が残っており、空調の低い音と学生たちが端末を片付ける音が混ざっている。窓の外では、午後の光が校舎の壁をゆっくりと移動していた。
「なに?」
「今日、時間ある?」
「ある」
私は鞄を肩にかけながら答えた。
「昨日のことなんだけど」
「行こう」
私が即答すると、メリーは少し驚いた顔をした。
「……まだ何も言ってないわよ」
「どうせ昨日の建物でしょ?」
「どうして分かったの?」
「メリーがそんな顔をしてるから」
「どんな顔?」
「何かを見つけた顔。あるいは、何かを見つけに行きたい顔」
メリーは一瞬だけ黙った。それから、困ったように笑った。
「正解。昨日の建物を、もう一度見に行きたいの」
「じゃあ行こう。私も、あの向こうに何があるのか気になってた」
「蓮子なら、そう言うと思っていたわ」
「それはつまり、私が単純だってこと?」
「好奇心が強いってことよ」
「言い方が違うだけで、意味は同じじゃない?」
「そうかもしれないわね」
メリーは笑った。
その笑顔を見ると、昨日から胸の奥に引っかかっていたものが、少しだけ軽くなった。
どうやら私は、この子と一緒にいることそのものを楽しみにしているらしい。
それを自覚したのは、その日の夕方だった。
*****
夜の京都は、昼より広く見える。人間が少なくなるからだ。
昼間は学生や観光客、配達用の車両が行き交っている道も、夜になると急に余白が増える。
道路の中央を走る自動運転車は、運転手を必要とせず、コンビニには店員がいない。
駅では、案内係の代わりに対話型AIが旅行客の質問に答えている。
人間がいなくなった場所を、機械が埋めている。
それなのに、街はどこか寂しい。
私はその感じが嫌いではなかった。
寂しいということは、少なくともそこに何かがあったということだから。
誰かが歩いていた道。誰かが暮らしていた家。誰かが必要だと思って作った設備。
人間がいなくなったあとも、街はしばらくその記憶を抱えたまま動き続ける。機械は命令された通りに働くけれど、そこに残された意味までは処理してくれない。
だから夜の京都を歩くと、街全体が少しだけ考え込んでいるように見える。
「蓮子」
「ん?」
「さっきから難しい顔してる」
「京都について考えてた」
「どうして? 今日の講義は宇宙論だったでしょう。京都の話なんて、ほとんど出てこなかったと思うけれど」
「講義の内容から連想したの。人口が減ったから街が広く感じるなって」
「急に社会問題?」
「違うよ。哲学」
「哲学にしては、ずいぶん具体的な話ね」
「具体的な方が考えやすいでしょう。人間がいなくなった街とか、使われなくなった建物とか、そういうものを見ていると、都市って何なのか分からなくなる」
「蓮子は、歩きながらそんなことを考えているの?」
「考えるよ。歩いていると暇だから」
「暇つぶしにしては、ずいぶん重たいわ」
「メリーだって、昨日から建物の向こうを見てるじゃない」
「私は考えているんじゃなくて、見ているだけよ」
「それが一番分からないんだよ」
メリーが笑う。
私も笑った。
こうしていると、出会ったばかりだということが嘘みたいだった。
たぶん私たちは、性格がかなり違う。
私は分からないことがあると、まず理由を探す。
原因を考えて、条件を整理して、観測できるものを一つずつ確認する。そうしていれば、いつかは答えに近づけると思っている。
メリーは、分からないことがあると、そのまま面白がる。
答えが出ないことを不安がるより、答えが出ない状態そのものを眺めている。
私なら、「何かあるなら原因があるはず」と考える。
メリーなら、「原因が分からないなら、それも面白いじゃない」と言う。
普通なら話が合わない。
でも不思議なことに、私たちはよく話した。
どうでもいいことを。
くだらないことを。
時々、少しだけ重要なことを。
その全部が、妙に楽しかった。
*****
最初に向かったのは、大学から少し離れた場所にある廃寺だった。
京都には、こういう場所がいくつもある。
昔は人が住み、寺が栄え、祭りがあって、鐘が鳴っていたが、今は誰もいない。
人口が減ったせいなのか、都市計画が変わったせいなのか、それとも単純に時代に置いていかれたのか。
理由は場所によって違うが、結果は同じだった。
人間がいなくなったあとにも、建物はしばらく残る。
それが私は少し好きだった。
建物は、人間よりも気が長い。
誰も訪れなくなっても、壁はすぐには崩れない。屋根はしばらく雨を受け止めるし、柱は何年も昔の形を保っている。そこに誰かがいたという事実だけを、黙ったまま抱えている。
「ここ?」
メリーが門を見上げた。
「ええ。昨日、ここを通ったときに聞こえたの」
門には、かつて寺の名前が書かれていたと思われる木札が掛かっていたが、文字はもうほとんど読めない。
風雨に削られたのか、誰かが意図的に消したのか、それすら分からない。読めない文字は、最初から存在しなかった文字よりも気になるものだ。
「ここで何が起きるの?」
「夜になると鐘が鳴るらしいわ」
「鐘?」
「ええ。近所の人が、何度か聞いたと言っていたの」
「でも、鐘楼はないよ」
私は境内を見回した。
鐘を吊るすための建物は見当たらない。残っているのは、崩れかけた本堂と、雑草に覆われた石灯籠、それから古い木々だけだった。
「鐘楼がなくても、鐘の音だけならどこかから聞こえてくるかもしれないでしょう?」
「それはそうだけど、ここで鳴ったという証拠にはならない」
「だから、確かめに来たのよ」
「それは面白い」
「でしょう?」
私は端末デバイスを取り出した。
「録音しよう。音が鳴った時間と、音源の方向も記録する」
「本当に調べるつもりなのね」
「せっかく来たんだから、ただ待っているだけじゃもったいないでしょう」
「私は、ただ待つ時間も嫌いじゃないわ」
「私は少し苦手」
「どうして?」
「何も起きていない時間って、何をしていいか分からないから」
「蓮子は、何かが起きていないと落ち着かないのね」
「そうかもしれない」
境内へと入る。踏み締めた砂利が、足元で小さく音を立てた。風が通り抜け、頭上の木々を大きく揺らす。耳をすませば、どこか遠くで自動車の走る音が聞こえた。
京都という街は、夜になっても完全には眠らない。でも、この場所だけは眠っているようだった。
私は録音アプリを起動し、時刻と位置情報を確認した。メリーは本堂の方へ歩いていき、崩れた壁の隙間から暗い境内を覗いている。
「メリー、そっちは何かある?」
「今のところは何もないわ」
「何もないのに、どうして見てるの?」
「何もないことを確認しているの」
「それ、私のやり方と同じじゃない?」
「そうね。今日は蓮子の真似をしているのかもしれないわ」
「じゃあ、私もメリーの真似をしてみようかな」
「何をするの?」
「何もないところを見る」
「それなら、もうできているでしょう?」
メリーの言葉に、私は少しだけ黙った。
何もないところ。
昨日、彼女が見ていた建物の向こう。
私には何も見えなかった。でも、何もないと断言するには、まだ早い気がしていた。
私たちはしばらく待った。
五分。
十分。
二十分。
時間だけが過ぎていく。
風が止むと、境内はさらに静かになった。遠くの道路を走る車の音も、木々の葉擦れも消えて、耳の奥に自分の呼吸だけが残る。
「……鳴らないね」
私が言った。
「まだ夜は長いわ」
「何時まで待つつもり?」
「鐘が鳴るまで」
「明日の朝まで?」
「そのときは朝の鐘が鳴るわ」
「それ、ずるくない?」
「でも、鐘が鳴るという目的は達成できるでしょう?」
「目的をそういうふうに解釈するのは、かなり強引だと思う」
メリーが笑う。
私も笑った。
そして――。
ごうん。
低い音が、夜の底から響いた。音は空気を揺らし、地面を通って足元まで伝わってきたように感じられた。
私は固まった。メリーも動かない。
もう一度。
ごうん。
確かに鐘だった。けれど、鐘楼はない。
私はすぐに録音データを確認した。波形が画面に表示され、低い音の山が二つ並んでいる。
「……録れてる」
「本当に?」
「うん。二回とも、はっきり」
「じゃあ、聞き間違いではないのね」
「少なくとも、私たち二人が同時に聞き間違えたわけじゃない」
「それなら、どこから鳴ったのかしら」
「音源の方向を調べよう」
「今?」
「今。音が残っているうちに調べた方がいい」
「音はもう消えているわ」
「記録は残ってる」
私たちは境内を歩き回った。音が反響しているのかもしれない。
近くの寺から聞こえた可能性もある。
どこかにスピーカーが設置されているかもしれない。
古い建物の中に、音を鳴らす装置が残っている可能性もある。
考えられる可能性はいくらでもあったため、私は一つずつ調べた。
門の外へ出て、周囲の建物との距離を測った。
境内の壁に音響装置がないか確認した。
近隣の公共設備が発した音ではないか、都市管理システムの記録も照合した。
そして、何も分からなかった。
「どう?」
メリーが聞いた。
「分からない」
「ふふ」
「何?」
「嬉しそうね」
「嬉しくない」
「でも、さっきよりずっと楽しそうに見えるわ」
「これは調査が失敗したんじゃなくて、調査の対象が増えたんだよ」
「同じことじゃない?」
「違う。分からないものが一つ増えたってことは、これから調べられるものが一つ増えたってことだから」
「つまり、分からないことが増えるほど嬉しいのね」
「そういう言い方をすると、かなり変な人みたい」
「違うの?」
私は答えなかった。
説明できないものが一つ増えて少し嬉しかったからだ。
それは私にとって、負けではない。
宿題が増えたというだけだ。
*****
次に向かったのは、再開発地区だった。
そこには、かつて住宅街があったが、今は広い更地になっている。
人口減少によって不要になった区域を整理し、新しい都市構造を作る。
言葉にすれば、それだけのことだ。
行政の資料には、もっと整った言葉で書かれている。
土地利用の最適化。居住区域の再編。維持管理コストの削減。
どれも間違ってはいない。でも、実際にその場所へ立つと、少し違う。
人が住んでいた痕跡が残っている。
建物はなくなっているのに、道だけは昔の形を覚えている。
そういうものが、誰にも使われないまま残っている。
「なんだか変ね」
メリーが言った。
「何が?」
「街が、人間を待ってるみたい」
私は周囲を見回し、確かにそうだなと感じた。
道路はきれいに舗装されている。街灯は点いている。交通システムも生きている。
なのに、人間だけがいない。
「都市って、人間がいなくても動くんだね」
私は、点滅する信号を見ながら言った。
「誰も渡らないのに、信号だけが律儀に変わっている」
「でも、都市って人間がいないと都市じゃないでしょう?」
メリーは答えた。
「建物や道路があっても、そこに暮らす人がいなければ、ただの設備よ」
私は少し考えた。
「……哲学だ」
「蓮子に言われたくない」
「それはお互い様」
二人で笑った。
笑ったあと、私はふと足を止めた。
道端に、再開発によって撤去されるはずの古い標識があった。
支柱は錆びているのに、表示板だけは妙にきれいだった。誰かが最近、表面を拭いたようにも見える。
そこには、知らない地名が書かれていた。
「メリー」
「なに?」
「これ、知ってる?」
私は標識に近づき、表示された文字を読み上げた。
「『白鷺ヶ杉』……そんな地名、地図にあった?」
「知らないわ。少なくとも、今の京都の地図には載っていないと思う」
私は写真を撮り、端末デバイスの文字認識を起動した。しかし、地図データと照合したが該当なし。
古い地名の可能性もあるが、標識の形式は現在のものに近かった。
「調べてみよう」
「そうね」
メリーは標識をじっと見つめている。
その視線は、文字ではなく、標識の向こう側へ向けられているようだった。
「何か見える?」
「……少し」
「何が?」
「この標識の向こう」
私は標識の向こうを見た。
標識の向こうには、まだ整地されていない土地が広がっている。土の上に、古い配管の跡が何本か走っていた。
「私には何も見えない」
「そう」
メリーは残念そうに笑った。
「でも、蓮子が視えなくてもいいの」
「どうして?」
「一人で視えるものを追いかけるより、視えない人と一緒に確かめる方が、たぶん楽しいから」
「それは、私が役に立つってこと?」
「ええ。蓮子は、視えないものを視える形にしようとするでしょう?」
「できるかどうかは分からないよ」
「できるかどうかは、まだ問題じゃないわ」
メリーは標識から目を離し、私を見た。
「一緒に見に行けるなら、それで十分でしょう?」
その言葉に、私は何も返せなかった。
胸の奥が、ほんの少しだけ暖かくなった。
見えるものが違っても、同じ場所へ行くことはできる。
そのことが、なぜだか嬉しかった。
*****
最後に訪れたのは、使われなくなった地下道だった。
昔の地下鉄計画の名残らしい。現在の交通網では必要なくなったため、入口は封鎖されている。
ただし、完全には閉じられていなかった。
金属製の柵が片側だけ外れていて、人一人なら簡単に通り抜けられる。立入禁止の表示は残っているけれど、文字の一部が剥がれ、警告としての力を失っていた。
「入っていいの?」
私は入口の前で聞いた。
「駄目でしょうね」
「じゃあ帰ろう」
「嫌」
「でしょうね」
メリーは笑った。
「蓮子は、帰りたいと思っているの?」
「思っているよ。立入禁止って書いてある場所に入るのは、普通に考えればよくないことだから」
「でも、入るでしょう?」
「メリーが先に入るなら」
「私が先に入らなかったら?」
「その場合は、少し説得してから入る」
「結局、入るのね」
「調査のためだから」
「便利な言葉ね」
「メリーの目と同じくらい便利だよ」
私たちは中へ入った。
地下は、思ったより暖かかった。
地上の冷たい風がなくなったせいだろう。
壁には古い広告が残っている。
広告の中の人々は、みんな笑っていた。
新しい住まい。新しい交通網。新しい生活。
そこに描かれた未来は、今の私たちから見れば少し古い。それでも、当時の人たちは本気でその未来を待っていたのだろう。
昔の人間が未来へ残したものは、案外こういうものなのかもしれない。
立派な記念碑よりも、誰かが何気なく貼った広告の方が、その時代をよく覚えている。
「蓮子」
「ん?」
「ここ、好き」
メリーは壁の広告を眺めながら言った。
「私はちょっと怖い」
「珍しいわね。廃寺では平気そうだったのに」
「廃寺は外だったから」
「地下なら、何か出てくると思う?」
「出てこないとは思う。でも、見えない場所が多すぎる」
「何か見えた?」
「見えてないから怖いの」
「なるほど」
メリーが笑った。
私もつられて笑う。
地下道の奥から、水滴の音がした。
ぽた。ぽた。
それだけだった。何も起こらない。妖怪も出ない。
ただ、二人で暗い地下道を歩いている。
それだけなのに、私は妙に楽しかった。
たぶん、こういう時間が好きなのだ。
目的地より、そこへ向かう途中の方が面白い。
答えより、答えを探している時間の方が長く記憶に残る。
メリーが何かを見つけるたび、私はそれを記録する。
私が何かを測るたび、メリーはその結果を眺める。
見えるものと見えないもの。
測れるものと測れないもの。
その間を行ったり来たりすることが、私たちの最初の活動になりつつあった。
私は、そんなことを考えていた。
*****
大学へ戻った頃には、夜もかなり深くなっていた。
キャンパスの照明は必要な場所だけが点いていて、昼間よりも建物の輪郭がはっきりしている。
人が少ないせいか、大学全体が大きな博物館のように見えた。
私たちは、使われていない古い部屋を見つけた。
倉庫だったのか、研究室だったのかは分からない。
扉の横に貼られていた部屋番号は剥がれかけていて、管理システムにも登録されていなかった。
机が二つ。椅子が三つ。壁には古い京都の地図。窓の外には、夜のキャンパス。
地図には、今は存在しない道路や、再開発前の町名が残っていた。現在の京都と重ね合わせれば、いくつもの場所が消え、いくつもの場所が新しく作られていることが分かる。
「ここ、使ってないわね」
メリーが部屋の中を見回した。
「使ってないね。少なくとも、大学の管理記録には出てこない」
「じゃあ」
メリーが部屋を見回した。
「ここを使いましょう」
「何に?」
「部室」
「何の?」
メリーは少し考えた。
「私たちの」
「部活にするの?」
「そう。今日みたいなことを調べるための場所が必要でしょう?」
「でも、私たちはまだ何も調べてないよ。鐘の音の出所も、標識の地名も、地下道の由来も分かってない」
「だから、これから調べるのよ」
「大学に申請するの?」
「必要かしら」
「普通は必要だと思う」
「普通の部活ではないでしょう?」
私は机に腰掛けた。
誰も使っていない部屋。
誰にも必要とされていない場所。
それが、なぜだか気に入った。
部屋の中には、長い間人がいなかった匂いがした。埃と古い紙、それから窓の隙間から入ってくる夜の空気。何もない場所なのに、これから何かが始まるような気配だけが残っている。
「名前は?」
「もう決めてる」
メリーは黒板を見つけると、古いチョークを手に取った。
チョークの先が黒板に触れ、乾いた音を立てる。
少し考えてから、文字を書く。
――秘封倶楽部。
「秘封?」
「封じられた秘密を暴くの」
「何の?」
「さあ」
「まだ何を暴くのかも決まってないのに、名前だけ先に決めるんだ」
「名前が先にあってもいいでしょう?」
「適当だなあ」
「蓮子だって、分からないものを調べるのが好きでしょう?」
「それと名前を適当に決めることは別だよ」
「でも、響きは気に入ったでしょう?」
私は黒板の文字を眺めた。
秘封倶楽部。
なんだか、それらしい。
意味が分かるような、分からないような。
秘密を封じるのか。秘密を探すのか。あるいは、秘密そのものを閉じ込めておくのか。
名前だけが先に歩き出して、私たちをどこかへ連れていくような感じがした。
「活動内容は?」
「境界を探す」
「大学にそんなサークル申請、通るかな」
「通らなくてもいいでしょう」
「それはサークルじゃなくて秘密結社じゃない?」
「じゃあ、そっちでもいいわ」
「秘密結社にしては、部室が古すぎるけどね」
「秘密結社は、古い部屋を使うものよ」
「どこでそんな知識を得たの?」
「今、考えたの」
私は笑った。
メリーも笑った。
机の上にノートを二冊置く。
一冊は私のもので、もう一冊はメリーのもの。
今日見つけたことを書いていく。
廃寺。鳴った鐘。再開発地区。知らない地名。地下道。
そして、昨日から私たちの間にある、あの「もう一つの京都」。
私はページの端に、それを書いた。まだ何も分からない。
メリーが何を見ているのかも。
私が何を見落としているのかも。
それでも、不思議と焦りはなかった。
分からないなら、明日また調べればいい。
明日がある。
それだけで、十分だった。
「蓮子」
「なに?」
「楽しい?」
私は少し考えた。
今日一日のことを思い返す。
鳴らないはずの鐘。誰もいない街。読めない標識。暗い地下道。
そして、今いるこの部屋。
どれも、普通の大学生活からは少し外れている。
でも、メリーと一緒なら、その外れ方が心地よかった。
「うん。楽しいよ」
私は答えた。
「まだ何も解決していないし、分からないことばかりだけど、それでも楽しい。たぶん、答えが出るかどうかより、メリーと一緒に調べていることが面白いんだと思う」
「私も」
メリーは笑った。
「私も、蓮子と一緒に見ている時間が好きよ。私にしか見えないものを、蓮子が別の角度から確かめてくれるから」
窓の外を見る。
京都の夜景。遠くに寺の屋根。
その向こうに、未来都市の灯り。
さらにその上に、星。私は星を見る。時間が分かる。
午後十一時十一分。
……ちょっと出来すぎている。
そう思った。でも、まあいい。
今日は楽しかった。
それだけで十分だった。
*****
帰ろうとして、私は端末を手に取った。
その瞬間、短い通知音が鳴った。
静かな部屋の中では、思ったより大きく聞こえた。
メールだった。
「大学から?」
メリーが聞く。
「うん。たぶん、部屋を勝手に使ったことがばれた」
「それなら、もっと早く通知が来ると思うけれど」
「管理システムが今までこの部屋を認識していなかった可能性もある」
「それはそれで、少し怖いわね」
差出人は大学の管理システムだった。
件名を読むと、私は一瞬、指を止めた。
【重要】旧人文科学研究棟地下資料室への立入を禁ずる
「……何これ」
メリーが画面を覗き込む。
「分からない」
「地下資料室?」
「そんな場所、あった?」
「知らない。少なくとも、今日歩いた範囲にはなかったわ」
「旧人文科学研究棟って、この建物のことかな」
私は部屋の壁を見た。
古い地図。剥がれた部屋番号。使われていない机。
この建物が、現在の名称になる前に何と呼ばれていたのかは知らない。
「でも、地下なんて見てないよ」
「だから、行ってみる価値があるのではないかしら」
「立入禁止って書いてあるけど」
「ええ。だからこそ、気になるのでしょう?」
私はメリーを見た。
彼女は、もう行くつもりの顔をしていた。
メールを開くと、本文には、件名と同じ一文だけが書かれていた。
理由もなく、説明もない。
誰が送ったのかも分からない。
ただ、最後に記された受信時刻だけが妙に目についた。
23:11
メリーも気づいたらしい。
「蓮子」
「うん」
「この時刻、さっき星を見ていたときと同じね」
「そうだね」
「偶然かしら」
「たぶん」
「たぶん、ということは?」
「偶然じゃない可能性もあるってこと」
私はメール画面を閉じ、それから、もう一度開いた。
何度見ても、件名も本文も変わらない。
立入を禁ずる。
理由は書かれていない。
でも、禁止される場所には、たいてい何か理由がある。
理由が書かれていないなら、なおさら確かめたくなる。
「今度、行ってみる?」
メリーが聞いた。
私は少しだけ笑った。
「もちろん。立入禁止の理由を調べるのも、秘封倶楽部の活動内容に入るでしょう?」
「ええ。きっと最初の正式な活動になるわ」
こうして、私たちのサークル活動は二日目にして、大学から立入禁止区域を指定された。
なかなか順調な出だしだった。