秘封幻界録 〜 The Vision of Albion.   作:ぴの光

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4話 京都の夜

 夜の京都には、昼間には見えないものがある。

 これは怪談ではない。

 少なくとも、私はそう思っていた。

 

 昼間は人間が多すぎる。

 車が走り、店が開き、学校に学生がいて、観光客が道を塞ぐ。

 

 人間というのは不思議な生き物で、自分たちが大勢いるだけで世界を正常に見せてしまう。

 誰もいなくなると、街の形が少し変わる。

 道路はただの舗装された地面になり、建物はただの箱になり、駅は人間を待つ巨大な機械になる。

 

 そして、時々。

 本来なら存在しないはずのものが、妙に目立つ。

 

「ここで合ってる?」

 

 私は端末デバイスの地図と、古い鉄道路線図を交互に見た。現在の地図には、私たちが歩いている道しか表示されていない。けれど、古い路線図には、ここから北へ向かって伸びる線が残っている。廃止された年月日も、駅の数も、資料によって微妙に違っていた。

 

「合ってるわ。少なくとも、昔の路線が通っていた場所には来ているはずよ」

 

 メリーが答える。

 

「本当に? この辺り、地図によって線路の位置が十メートルくらいずれてるんだけど」

 

「十メートルなら、夜道では誤差の範囲でしょう?」

 

「調査でその言い方をする人、初めて見た」

 

「でも、蓮子がいるから大丈夫よ。私が見失っても、蓮子が数字で見つけてくれるでしょう?」

 

「数字は道案内じゃないよ。少なくとも、今のところは」

 

「じゃあ、今日は道案内もお願い」

 

「……分かった。任せて」

 

 メリーは満足そうに笑った。

 

 私はもう一度、画面を確認した。現在地を示す青い点は、廃線跡の上にある。古い路線図を重ねると、線路はこの先に続いているはずだった。

 

「それにしても、どうしてこんな場所を見つけたの?」

 

「昨日のメールを調べていたら、古い掲示板の記録が出てきたの。そこに、この駅の噂が書かれていたわ」

 

「大学の立入禁止区域と、測定不能の月、誰もいない駅。ずいぶん都合よく怪しいものが続くね」

 

「蓮子がそういうものを見つけているだけじゃない?」

 

「私が?」

 

「ええ。普通の人は、立入禁止のメールを受け取っても、わざわざ地下資料室を探しに行こうとは思わないでしょう?」

 

「それはメリーも同じでしょう」

 

「私は蓮子についてきているだけよ」

 

「その言い方だと、私が悪いことに誘っているみたいじゃない」

 

「違うの?」

 

「違うよ。私は、面白そうなものを見つけたら確認したいだけ」

 

「それを世間では、悪いことに誘うと言うのよ」

 

「世間の定義が厳しすぎる」

 

 メリーが笑う。

 

 私も少し笑った。

 調査というものは、始める前が一番楽しい。

 仮説を立て、必要なものを用意し、情報を集め、そして現地へ向かう。

 答えが出るまでの時間は、宝箱の蓋を開ける直前に似ている。

 

 中身が金貨なのか、石ころなのか。

 あるいは、何も入っていないのか。

 開けるまでは分からない。

 だから楽しい。

 今日の宝箱は、京都市内にあるらしい「誰もいない駅」だった。

 

*****

 

 噂の始まりは、古い掲示板だった。

 数年前に廃止された路線の跡地を夜中に歩いていると、駅のホームが見える。

 しかし、その駅は現在の地図には存在せず、午前零時になると列車が来る。

 ただし、誰もその列車を見たことがない。

 

 ――という話。

 

「典型的な都市伝説ね」

 

 私はそう言った。

 

「そうかしら。都市伝説にしては、ずいぶん具体的よ。廃線の場所も、駅が見える時間も、列車が来る時刻も書かれているわ」

 

「具体的だから本物とは限らないよ。むしろ、具体的な方が誰かの作り話らしいでしょう?」

 

「でも、蓮子は来たじゃない」

 

「それは、噂が本物かどうかを確認するため」

 

「つまり、噂に説得されたのね」

 

「そういう言い方はやめて」

「廃線、深夜、誰もいない駅、幽霊列車。四暗刻」

 

「麻雀?」

 

「気分」

 

「蓮子って時々よく分からないわ」

 

「メリーにだけは言われたくない」

 

 廃線跡は、思っていたより歩きやすかった。

 線路は撤去されており、枕木だけがところどころ残され、雑草がその間から伸びている。

 昔ここを列車が走っていた。

 今は、風が走っている。

 

 私たちは線路跡を歩いた。

 街灯は少ないが、完全な暗闇ではない。

 京都の街は、夜になってもどこか明るい。

 古い町並みの向こうに、未来の光が浮かんでいる。

 その景色は美しかったが、少しだけ寂しかった。

 

「昔は、ここを列車が走ってたんだね」

 

 私が言うと、足元に残った枕木を見ながら、メリーが答えた。

 

「ええ。今よりずっとたくさんの人が、この線路を使っていたのかもしれないわ」

 

「たくさんの人を乗せて、毎日同じ場所を往復していた」

 

「そう。朝には人を街へ運んで、夜には人を家へ帰していた。そういう時間が、何十年も続いていたのよ」

 

「今は誰もいない」

 

「そうね。線路がなくなっただけじゃなくて、線路を必要とする人もいなくなったのかもしれないわ」

 

 メリーの声は、いつもより静かだった。

 私たちの足音だけが続く。

 ざっ。ざっ。ざっ。

 妙に規則正しい、昔の列車の音を真似しているみたいだった。

 

「蓮子」

 

「なに?」

 

「もし、この先に本当に駅があったらどうする?」

 

「まず、駅舎の構造を確認する。次に、現在の地図と古い資料を照合する。それから、音や光の発生源を調べる」

 

「ずいぶん具体的ね」

 

「調査だからね。見つけたあとで慌てるより、先に手順を決めておいた方がいいでしょう?」

 

「私は、見つけてから考える方が好きよ」

 

「それは手順じゃなくて、行き当たりばったり」

 

「でも、蓮子が考えてくれるでしょう?」

 

「私を便利な調査装置みたいに扱わないで」

 

「そんなつもりはないわ。蓮子は、私が見つけたものに名前をつけてくれる人だもの」

 

「名前?」

 

「ええ。私には見えても、それが何なのか分からないことが多いから」

 

 私は少しだけ黙った。

 メリーは、時々こういうことを言う。

 冗談のようでいて、冗談ではない。

 

「……怖くない?」

 

 私が聞くと、メリーは歩みを緩めた。

 

「何が?」

 

「この先にあるもの。噂通りなら、誰もいない駅がある。しかも、午前零時に列車が来る。普通なら、もう少し怖がってもいいと思うけど」

 

「蓮子は怖いの?」

 

「怖いよ」

 

「意外ね」

 

「何が意外なのよ。私だって人間なんだから、暗い廃線を一人で歩かされたら怖いに決まってるでしょう」

 

「一人じゃないじゃない」

 

「……そういう問題じゃないの」

 

「じゃあ、どういう問題?」

 

「隣にメリーがいるから怖くない、って言ったらどうする?」

 

 メリーは一瞬、目を丸くした。

 

「たぶん、明日の朝まで自慢するわ」

 

「やっぱり言わない」

 

「残念ね」

 

「それに、怖いのは暗闇じゃない」

 

「じゃあ、何が怖いの?」

 

「分からないもの」

 

 私はそう答えてから、少し考えた。

 

「分からないものが怖いから、調べるんだと思う。調べて、名前をつけて、仕組みを理解できれば、少なくとも自分が何を怖がっているのかは分かるでしょう?」

 

「それでも、分からないまま残るものがあったら?」

 

「そのときは、もっと調べる」

 

「やっぱり蓮子ね」

 

 メリーが笑った。

 その笑い声が暗い廃線跡に響き、すぐに夜の中へ溶けていった。

 

*****

 

 廃線跡の先に、それはあった。

 

 駅舎。

 

 小さな木造の建物だった。

 屋根は古く、壁もところどころ剥がれているけれど、建物そのものは不思議なほどきれいだった。

 周囲の雑草は伸び放題なのに、駅舎の前だけは人が歩ける程度に地面が見えている。誰かが手入れをしているようにも見えたが、近づいてみると、草が踏み倒されているだけだった。

 

「……あった」

 

 私は思わず声を落とした。

 地図にはなく、現在の鉄道路線にもない。

 なのに、そこにある。

 

「本当に駅舎ね」

 

 メリーが言った。

 

「少なくとも、駅舎に見える」

 

「駅舎と別の建物を見分ける方法ってあるの?」

 

「入口の位置、待合室の構造、線路側に開いた窓、それから屋根の形。駅舎として使われていた可能性は高いよ」

 

「蓮子は、建物にも詳しいのね」

 

「詳しいわけじゃない。資料を読んだだけ」

 

「それを詳しいと言うのよ」

 

「じゃあ、メリーは境界に詳しい」

 

「それは褒めているの?」

 

「半分」

 

「残り半分は?」

 

「変人」

 

「それはお互い様でしょう?」

 

「確かに」

 

 私は駅舎の正面に立った。

 古い看板が掛かっているが、そこに書いてある文字は読めなかった。

 いや、読めないというより。

 

「……おかしい」

 

「何?」

 

「文字がない」

 

「あるでしょう?」

 

「違う」

 

 私は看板に近づいた。

 文字のようなものが書かれているが、意味が読み取れない。

 漢字でもない。ひらがなでもない。外国語でもない。

 線の組み合わせは確かに文字らしく見えるのに、どの文字体系にも当てはまらない。読めないというより、読むための入口が見つからない。

 なのに、なぜか「駅名が書いてある」と分かる。

 

「何だろう、これ」

 

 私は写真を撮り、画面を見る。

 そこには、ただ古い看板が写っていたが、文字は消えている。

 

「……写真には残らない」

 

 メリーが言った。

 

「そうみたい。撮影した瞬間に消えたのか、最初から写っていなかったのかは分からないけど」

 

「でも、蓮子には見える?」

 

「意味は分からないけど、あるのは分かる。看板に何かが書かれていること自体は、肉眼なら確認できる」

 

「私には違って視える」

 

「どう?」

 

 メリーは駅舎の奥を指差した。

 

「あそこ」

 

 私は見る。

 待合室。古いベンチ。窓。壁。

 そして、その向こう。

 

「……何もないよ」

 

「あるわ」

 

「どこ?」

 

「ホーム」

 

 私は目を凝らしたが、見えない。

 駅舎の奥には壁しかなく、線路もない。

 ホームが存在する余地などない。

 

「本当に? 壁の向こうにあるってこと?」

 

「壁の向こうというより、壁がある場所に重なっている感じね」

 

「重なっている?」

 

「ええ。こちら側の駅舎と、別の駅舎が同じ場所に置かれているみたい」

 

「それなら、少なくとも壁か床に何かしらの干渉が出るはずだけど」

 

「蓮子の世界では、そうなのね」

 

「私の世界というか、普通の世界ではね」

 

「私には、ホームが見えるわ」

 

「どんなホーム?」

 

「古い。けれど、壊れてはいない。屋根もあるし、照明もついている」

 

「照明?」

 

「白い光。こちらの駅舎の窓から漏れている光とは違うわ」

 

「色は?」

 

「少し青い。月明かりに似ているけれど、月明かりよりずっと冷たい」

 

 私はもう一度、駅舎の奥を見た。

 何もない、ただの壁。

 メリーが見ているものを、私は見ることができない。

 その事実が、いつもより強く意識された。

 

「じゃあ、どんなホーム?」

 

「長いわ」

 

「どれくらい?」

 

「ずっと」

 

「それ、測定不能ってこと?」

 

「たぶんね」

 

 メリーは楽しそうに笑った。

 

「昨日の月みたい」

 

 その言葉に、私は少しだけ笑えなくなった。

 

 昨日の「測定不能」。

 今日の「ずっと」。

 偶然だと、そう思いたかった。

 私は駅舎の壁に手を触れた。

 冷たい木材の感触がある。

 向こう側に空間があるような振動はない。

 

「少なくとも、ここにホームはない」

 

「蓮子には、ね」

 

「私の手には、ね」

 

「じゃあ、私の目にはある」

 

「……そういう言い方をされると、反論できない」

 

「反論しなくていいわ。蓮子が測って、私が見る。それでいいでしょう?」

 

 メリーの言葉は穏やかだったが、穏やかさがかえって不安を煽った。

 

 私たちは同じ場所に立ち、同じ駅舎を見ている。

 それなのに、見えているものが違う。

 その違いを、まだ私はうまく扱えなかった。

 

*****

 

 私たちは駅舎の前で待つことにした。

 午前零時まで、あと十五分。

 

 噂では、この時間に列車が来る。

 私は端末デバイスから録音アプリを起動した。念のため、周囲の音を拾う小型マイクも接続する。駅舎から線路跡までの距離を測り、風向きと気温も記録した。

 メリーはカメラを構えている。

 

「準備は?」

 

「録音機器は起動済み。時刻の同期も確認した。もし音が聞こえたら、発生時刻と音量の変化を記録する」

 

「ずいぶん本格的ね」

 

「メリーは?」

 

「カメラの準備はできているわ。駅舎と、あなたが見ているものと、私が見ているものを、できるだけ同じ画角に収めるつもり」

 

「それ、できるの?」

 

「できるかどうかを試すのが調査でしょう?」

 

「その通りだけど、失敗したときのことも考えておいて」

 

「失敗したら、失敗したという結果が残るわ」

 

「前向きだね」

 

「蓮子が数字を集めるなら、私は失敗を集めるの」

 

「失敗を集めてどうするの?」

 

「いつか、何かの形になるかもしれないでしょう?」

 

 妙な会話だった。でも、こういうのが私たちには合っている。

 調査方法も、いつの間にか決まってきた。

 私は数字を見る。

 時刻。距離。音。位置。

 

 メリーは境界を見る。

 見えるもの。見えないもの。存在している場所。存在していない場所。

 

 私たちは同じものを見ているのに、見えている世界が違う。

 だから一緒にいる意味がある。

 私は数字を信じ、メリーは自分の目を信じる。

 どちらか一方だけでは、たぶん足りない。

 午前零時まで、あと三分。

 

 私は星を見る。

 秒まで確認する。

 十一時五十九分五十五秒。

 五十六。五十七。五十八。五十九。

 ――零時。

 

 その瞬間、遠くから音がした。

 ごうん。

 いや、これは鐘ではない。

 低く、長い、地面の下から響いてくるような音。

 そして次第に、規則正しい振動が混ざっていく。

 ガタン。ゴトン。ガタン。ゴトン。

 列車の音だ。

 私は立ち上がった。

 

「来る」

 

 思わず声が出た。

 

「ええ。聞こえるわ」

 

 メリーも立ち上がった。

 音は確かに近づいている。

 線路はないが、列車の音だけが近づいてくる。

 

 私は星を見た。

 時刻。音の発生地点。到達時間。

 頭の中で計算する。

 条件を変えて何度も考える。

 

「おかしい」

 

「何が?」

 

「音が速すぎる」

 

「どれくらい?」

 

「この距離なら、聞こえるまで数秒以上かかる。今の音は、発生したと思った瞬間にはもう近くまで来ている」

 

「音源が、実際にはもっと近いのではないの?」

 

「それなら、最初からもっと大きく聞こえるはずだよ。遠くから近づいているように聞こえるのに、音量の変化が小さすぎる」

 

 私は音源の方向を見る。

 線路の向こうには何もないが、音だけが近づいてくる。

 ガタン。ゴトン。ガタン。ゴトン。

 

「反射音じゃない?」

 

 メリーが言った。

 

「違う」

 

「どうして?」

 

「反射なら音の方向が変わる。建物や地形に当たって戻ってくるなら、少なくとも左右の音量差が変化するはず。でも、今は音源がずっと正面にあるように聞こえる」

 

「地下を走っている可能性は?」

 

「地下なら、地面の振動が先に来る。今聞こえているのは、空気を伝わる音に近い」

 

「じゃあ、空中を走っているのかしら」

 

「列車が?」

 

「京都なら、空中交通路くらいあるでしょう?」

 

「空中交通路を走る車両は、こんな音を出さないよ。それに、音の高さが違う」

 

「じゃあ?」

 

「分からない」

 

 音がさらに近づき、私は無意識に息を止めていた。

 列車が来る、そう思った。

 

 次の瞬間、音が消えた。

 突然だった。

 まるで、世界から切り取られたみたいに静寂。

 風の音だけが残る。

 

「……来なかった」

 

 私が呟く。

 

「ええ。音だけだったわね」

 

「何だったんだろう」

 

「列車」

 

「見てないけど」

 

「聞いたでしょう?」

 

「音だけ」

 

「列車は、音だけでも列車よ」

 

「それは定義として乱暴すぎる」

 

「でも、蓮子は列車の音だと判断したのでしょう?」

 

「似ているとは思った。でも、似ていることと、列車であることは違う」

 

「じゃあ、何だと思うの?」

 

「今のところは、列車に似た音。発生源不明。移動経路不明。音量変化に矛盾あり」

 

「ずいぶん味気ない名前ね」

 

「調査記録としては正確だよ」

 

 私は残っている録音データを確認した。

 確かに、列車のような音が録音されているが、波形を見ると妙だった。

 音が近づいているのに、音量がほとんど変化していない。

 遠くから近づく音なら、普通は大きくなる。

 なのに、ずっと同じ。

 

「……これ」

 

 私は画面を見つめた。

 

「何?」

 

「この音、こっちに来てない」

 

「でも聞こえたわ」

 

「うん」

 

「じゃあ?」

 

「私たちのところを通ったんじゃなくて」

 

 私は線路跡を見るが、何もない。

 

「最初から、ここにあったんだ」

 

 言ってから、自分でも嫌な感じがした。

 列車は来ていないが、音だけが来た。

 いや、音すら来ていない。

 私たちのいる場所に、最初から存在していた音を、私たちが聞いただけ。

 そんなことがあるのか。

 

 物理学的には、……ない。

 少なくとも、私の知っている世界では。

 

「蓮子」

 

 メリーの声がした。

 

「なに?」

 

 返事がない。

 私は振り返った。

 メリーは駅舎の向こうを見ていた。

 その顔から、さっきまでの楽しそうな表情が消えている。

 

「どうしたの?」

 

「……ホームがある」

 

「まだ?」

 

「違う」

 

「さっき見えていたホームが、今は別の場所に移ったの?」

 

「そうじゃないわ。ホームはずっとそこにある。でも、今はホームより近くに、別のものが見える」

 

 メリーはゆっくりと線路の先を指差した。

 

「今度は、別のもの」

 

 私はその方向を見る。

 暗闇。廃線跡。古い街灯。

 何もない。

 何も――。

 

「蓮子」

 

 メリーの声が、今度は少し震えていた。

 

「そこ……」

 

 指先の向こうには、暗闇の中、誰かが立っている。

 最初は、ただの人影だと思った。

 学生だろうか。

 こんな時間に?こんな場所に?

 

 私は目を細め、距離を測ろうとした。

 身長。位置。輪郭。街灯からの距離。

 でも、分からない。

 距離を測るための基準になるものが、どこにもない。

 人影は街灯の光を受けているように見えるのに、地面には影を落としていなかった。

 

 その人影が、こちらへ少し近づき、月明かりが、その顔を照らす。

 私は息を呑んだ。

 見間違えるはずがなかった。

 そこに立っていたのは――。

 

 私だった。

 いや、正確には。

 

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 隣を見ると、メリーも同じように凍りついている。

 そして、暗闇の向こうにいる少女もこちらを見ていた。

 三人の視線が、夜の京都の真ん中で重なった。

 私は、自分の心臓の音を聞いた。

 規則正しく、生きている証拠が鳴り響く。

 なら、あそこにいる「私」は、一体何なのだろう。

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