社会人だってリア充になりたい 作:アンドレアス
第一話「28歳営業マン」
営業車のエンジンを切ると、車内が急に静かになった。
フロントガラスの向こうに広がるのは、田んぼと工場が入り混じった埼玉県北部にある郊外の景色。夕方の光が、刈り取られたばかりの稲株を橙色に染めている。
黒田誠一は会社のスマートフォンを取り出し、事務所の番号を呼び出した。
「はい、武蔵野クリーンテックです」
1コールで電話に出たのは若いが覇気の無い声、新人の田村だ。
「お疲れ様です。黒田です。田村くん?今日の商談終わったから、直帰するの課長に伝えてもらえるかな」
「あ、はい。黒田さんお疲れ様でした!了解しました、伝えておきます」
もう入社して半年になるのに、田村はまだどこか頼りない。誠一は少々の不安を覚えながら電話を切った。
別に会社に対して噓はついていない。商談は本当に終わった。でも、真っ直ぐ家に帰るつもりが無いだけだ。
花園インターから車で二十分ほどの、Fランク迷宮。立地が悪いため、平日のこの時間なら人はほとんど人がいない。
誠一は車を降り、トランクから小さなバックパックを取り出した。中身は水と携帯食料、そして数枚のカード。
「……今日も癒しが必要だな」
呟いて、迷宮の裂け目、ダンジョンマートへと歩き出した。
***
草の匂いが鼻を突く。視界が開けると、いつもの草原だった。何度も来ているから、地形はもう頭に入っている。危険なモンスターもほとんど出ない、言ってしまえば散歩コースのような場所。
誠一はカードを取り出し、掲げた。
「出てきてくれ、シルキー」
淡い光の魔法陣が、足元に広がる。
その中から現れたのは、白を基調としたメイド服に身を包んだ、小柄な女性だった。ぱっつん前髪に肩口までの伸びた艶のある黒髪が、迷宮の淡い光を受けてやわらかく輝いている。
その顔立ちはテレビの向こうの芸能人よりも、よっぽど整った顔をしている。ちなみに胸の膨らみは大きくはない、日本人の標準的かやや控えめだ。
【種族】シルキー
【戦闘力】240(MAX!)
【先天技能】
・中級家妖精:人間の代わりに家事をしてくれる妖精。
・使用人召喚:Eランクモンスター・ブラウニーを召喚する。無限召喚型。
・中等状態異常魔法
【後天技能】
・従順
・罠解除
・容姿端麗:外見が種族の限界値まで美化されている証。
「お疲れさま、誠一」
その外見とは裏腹に友達のようなタメ口。愛嬌のある態度はまるで秋葉原のコンカフェのような雰囲気がある。
初めてシルキーを召喚した際に、その恭しい態度に違和感があったので、誠一が「敬語はいらない、そういうんじゃなくて……もっと普通に話してほしい」とお願いした結果だった。
「ああ……今日も疲れたよ」
素直な気持ちがこぼれる。会社では絶対に口にしない弱音が、シルキーの前では簡単に出てしまう。
「今日も顔、死んでるよ」
シルキーが誠一の顔を覗き込んでくる。整いすぎているせいで、少し心配げな表情すら作り物めいて見える。だが、その心の距離の近さに、誠一の肩から力が抜けていくのが分かった。
「レスト、使うから。座って力抜いて」
言われるまま、誠一はいつの間にかシルキーが出した敷布に腰を下ろした。シルキーは両手を誠一の頭にそっと乗せる。柔らかい光が、指先から滲み出た。
「――レスト」
温かいものが、頭のてっぺんから、じわりと全身に広がっていく。目の奥にこびりついていた疲労が、溶けて流れていくような感覚。誠一は思わず、長く息を吐いた。
「……はぁ」
「効いてる?」
「効いてる。マジで」
シルキーは少し得意げに笑うと、そのまま誠一の隣に腰を下ろした。太腿と太腿が触れる距離。誠一はその近さに、いまだに慣れない。
このカードには、貯金のほとんどを使った。スキルまで込みで、相場よりもかなり高かった。誠一の社会人になって貯めた貯金が全て飛んだ。
「高い買い物だったよな、お前」
ぽつりと呟くと、シルキーが顔を上げた。
そして、誠一の顔を覗き込むようにして、にっこりと笑った。
「あたしの顔見ても、同じこと言える?」
反則だ、と誠一は思った。女性との交際経験が少ない誠一は自分が不謹慎な発言をしてしまった自覚があったが、それでもこのシルキーは不満を言うわけでもなく優しく包み込んでくれる。
迷宮の淡い光の中で見るシルキーの顔は、綺麗すぎるくらいに整っていて、それでいて表情には人間らしい茶目っ気がある。何か言い返そうとしたが、言葉が出てこなかった。
男子校出身で、女性と話すことにいつまでも慣れない自分。大学時代の同級生が普通にこなしている恋愛も、誠一はいつも遠回りしてやり過ごしてきた。仕事は要領が良い自信はあるのに、恋愛だけはどうにも不器用だった。
そんな自分が、現実からカードに逃げて金で解決した。褒められた選択ではないというのは分かっている。
けれど、このシルキーの顔を見ていると、その後悔さえどうでもよくなってくる。
俺の人生で、こんなに綺麗な人とこんなふうに会話できる機会なんて、他にあるはずがない。
「……何も言えねぇよ」
誠一が観念したように呟くと、シルキーは満足そうに笑って、また誠一の肩に頭を預け直した。
「素直でよろしい」
言われて、誠一はつい調子に乗り、無言のままシルキーの尻に手を伸ばした。
「ちょっ……」
シルキーが身をよじりながらも、逃げようとはしない。
「するなら、安全地帯にいくか、周囲の警戒に一体出しておかないと。モンスターが来ても気づけないよ」
からかい半分、でも少しだけ本気の忠告。誠一は手を止め、頭を掻いた。
「……いや、明日も普通に仕事あるし。今日はいいよ」
「ふーん」
シルキーは納得したのかしていないのか分からない相槌を打つと、また誠一の肩に頭を預け直した。
草原に吹く風が、二人の間を通り抜けていく。
地元を離れ関東で一人暮らしをする誠一には、素直に話せる人がいない。関わりがあるほとんどの人が仕事関係の人たちばかりで、数字と、納期と、クライアントの機嫌。それだけが評価基準の世界で、誠一はただ、要領よく立ち回り、評価され給与をもらうことでモチベーションを維持している。
だが、ここでは違う。
たった一人と一枚のカードだけの、誰にも知られていない時間。
誠一は特に何をするでもなく、ただ、シルキーの重みと体温を感じながら、頭の中を空っぽにしていった。
明日はまた、同じような一日が待っている。
それでも今は、これでもいいかという気持ちになる。
***
迷宮を出ると、辺りはすっかり暗くなっていた。
ダンジョンマートの明かりが、駐車場を淡く照らしている。誠一は車に乗り込み、エンジンをかけた。
カーナビの時計は、午後八時を少し回っていた。練馬区の自宅までは、まだ2時間近くかかる。
シートベルトを締めながら、誠一は助手席に置いたバックパックに収まった一枚に、指先で軽く触れた。
「また明日な」
窓の外を、見慣れた田舎の夜景が流れていく。誠一は眠気を堪えながら、アクセルを踏み込んだ。