社会人だってリア充になりたい 作:アンドレアス
平日の朝、誠一は珍しく有給休暇を取っていた。
前日、上司の中野に申請書を出した時、「珍しいな、お前が休むなんて」と半ば冗談交じりに言われたが、誠一は特に理由を説明せず、曖昧に笑って流した。
理由は単純だった。手に入れたドラゴネットのカードを、どうしても美咲との探索の前にEランク迷宮でじっくり試してみたかったのだ。
***
埼玉郊外の、いつもとは別のEランク迷宮。入り口に立った誠一は、四体分のカードを取り出した。
Eランク迷宮の召喚枠は四体まで。今日のメンバーは、シルキー、ハイコボルト、ボアオーク、そしてドラゴネットだった。
「よろしくな」
誠一が声をかけると、ドラゴネットは値踏みするような視線を寄越し、それきり興味を失ったように顔を背けた。
「……なんか、気に入られてない感じするな」
誠一が呟くと、シルキーがくすくすと笑った。
「竜って、だいたい誇り高いんでしょ? 誠一みたいな覇気のない主人には、最初は物足りなく感じるのかも」
「覇気ない、は余計だろ」
「事実じゃん」
ドラゴネットは二人のやり取りに反応することもなく、ただ静かに前方を見据えていた。反抗する様子はない。命令すれば、素直に従うだろう。ただ、その態度に温かみがまるでないだけだった。
隣で、ハイコボルトが元気よく手を挙げた。
「今日は張り切っていくぞ!」
「お前は相変わらず元気だな」
「元気が取り柄だからな!」
誠一の言葉に、ハイコボルトが誇らしげに胸を張る。その明るさに、ドラゴネットの素っ気なさとの対比で、誠一は思わず笑ってしまった。
***
そこは、天井が高い鍾乳洞のようなフィールドだった。迷宮を進むにつれ、ドラゴネットの能力がいかに突出しているのかが、分かってきた。
岩陰から飛び出してきたゴブリンの群れに、ドラゴネットが軽く爪で払う。それだけで、二体がまとめて光の粒となって消えた。
「すごいな……」
誠一は思わず呟いた。これまで前衛を任せていたボアオークでは、どうしても敵を倒すまでに時間がかかっていた。
ドラゴネットは巨体に見合わない速度で動き、一瞬でカウンターを放つため、驚くほどあっさりと戦闘が終わっている。
「まあまあ、悪くない」
ドラゴネットが素っ気なく言う。だが、その口ぶりの端に、僅かながら満足げな響きが混じっているのを、誠一は聞き逃さなかった。
「ドラゴネット、さすがにステータスが高いな。頼りになる」
誠一が思い切ってドラゴネットに聞こえるくらいの声で呟いてみると、ドラゴネットは一瞬、動きを止めた。
「……別に、褒められたくてやったわけではない」
そう言いながらも、心なしか、その背中の角度が少しだけ誇らしげに見えた。悪い気はしていないらしい。
先へ進むと、狭い通路の前で、ハイコボルトが不意に足を止めた。地面に顔を近づけ、真剣な表情で何かを探っている。
「……ここ、罠が張ってあるぞ」
「マジか」
誠一が緊張しながら見守る中、ハイコボルトが慎重な手つきで、地面に刻まれた魔法文字を指でなぞっていく。シルキーが近くで見守る中、十数分の沈黙の後、小さな光が灯り、罠が無効化された。
「よし、やったぞ!」
ハイコボルトが両手を突き上げて喜ぶ。
すると、誠一のベストのポケットからわずかな光が漏れていることに気づいた。ハイコボルトのカードを取り出し、確認する。
【種族】ハイコボルト
【戦闘力】140(MAX)
【先天技能】
・眷属召喚
・集団行動
【後天技能】
・忠犬:主人との信頼関係に応じて、ステータス向上。自由行動に弱いマイナス補正。
・罠解除
後天技能に、新しく刻まれた文字を見つけて、誠一は自然と口元が緩んだ。
「本当に覚えたんだな」
「ご主人様とシルキーに、厳しく仕込まれたからな!」
ハイコボルトが胸を張ると、隣でシルキーが悪戯っぽく笑った。
「厳しかったでしょ?」
「ああ、地獄だった」
以前、誠一が罠解除を覚えさせようとした時のことを思い出し、二人は軽口を叩き合っていた。そんな二人を見て、誠一は苦笑した。
***
その後の探索も、驚くほどのペースで進んだ。ドラゴネットの圧倒的なスピードと火力に、これまで慎重に時間をかけていた道のりが、あっという間に消化されていく。
昼を回る頃には、すでに最下層への階段が視界に入っていた。誠一はスマホで時間を確認し、思わず声を漏らした。
「これ、今日中に主まで行けるんじゃないか」
「行けるだろうな」
ドラゴネットが淡々と言う。誠一はその返事にも、以前よりわずかに柔らかい何かを感じ取っていた。
「行こう」
***
最下層の奥にある、主部屋は、湿った洞窟の奥だった。松明のような淡い光が壁に灯り、その中心に、妖艶な姿の女が立っていた。蝙蝠のような翼と、細く伸びた尻尾。
(あれは……)
誠一の頭に、真っ先に浮かんだのは坂上の顔だった。彼が自慢げに見せてきたサキュバス。目の前にいるのは、その下位種にあたるエンプーサだ。
「気をつけろ、あれは厄介だ」
ドラゴネットが低く警告した。誠一は頷き、指示を飛ばした。
「ボアオーク、前で受けろ。シルキーは回復とバフをかけてくれ」
ボス戦を前に、誠一はハイコボルトをカードへ戻した。そしてリビングアーマーを召喚、装備すると、後方へ下がる。この探索で実感したドラゴネットの突破力に、期待していた。
そして、ボアオークが初期装備である大斧を構えて前に駆け出していく。エンプーサが妖しく微笑み、両手を広げた。
「魅了だ、来るぞ!」
ドラゴネットの警告が響いた瞬間、エンプーサの体から桃色の光が波紋のように広がった。
「ボアオーク!」
誠一の呼びかけにも、ボアオークは反応しなかった。トロンとした表情のまま、構えていた斧を地面に落とし、その場にぐらりと崩れ落ちる。
「くそ、やられた……!」
誠一は咄嗟にボアオークをカードに戻した。魅了されたままの状態を長引かせるのは危険だと、直感が告げていた。
「魅了に耐性があるのはシルキーだけだ。頼む!」
「任せて!」
誠一が装備していたリビングアーマーをシルキーに付け替えると、その身のこなしが一気に戦闘用に切り替わった。前衛の穴を埋めるようにシルキーが前に出る。
「ハイコボルト、壁を頼む!」
「任せろ!」
ボアオークの代わりにハイコボルトを召喚して、眷属のコボルトと共に、誠一の周囲に展開させる。ただ、魅了の範囲に侵入してしまうと、ボアオークの二の舞になってしまう。
「行け、囮になれ!」
捨て身の突撃で、眷属コボルトが次々とエンプーサの注意を引きつけていく。そのうちの一体が、魅了されるまでもなく、蹴り飛ばされ、一撃で光の粒となって消えたが、それでもエンプーサの意識は分散されていた。
「ドラゴネット、いけるか!」
誠一が声をかけると、ドラゴネットが地を蹴った。だが、エンプーサへ近づいた瞬間、その動きが明らかに鈍った。
「……ぐっ」
足が止まる。魅了の光が、ドラゴネットにも届いていた。
「無理はするな、下がれ!」
誠一が慌てて叫ぶ。ドラゴネットは悔しげに唸りながらも、一旦距離を取った。精神耐性の高いドラゴネットでも、雄である限りはエンプーサの魅了は効果を持つらしかった。
「私が引きつける!」
シルキーが最前線に出て、エンプーサとの間合いを詰めていく。リビングアーマーの力を借りたシルキーの動きは、これまでの誠一の目にも新鮮に映るほど鋭かった。
同時にエンプーサが地面を蹴り、一瞬で距離が消える。
「――っ!」
シルキーは反射的に身を捻った。振り抜かれた脚が、鼻先を掠める。リビングアーマーの兜から溢れている髪が大きく揺れた。
「速い……!」
シルキーが後ろへ跳ぶが、エンプーサは追撃を止めない。
長い脚が連続して繰り出される。翼を羽ばたかせながら宙を舞い、蹴り、薙ぎ払い、踏み込みと、次々に攻撃を繰り出す。人間離れしたしなやかな動きに、シルキーは防戦を強いられた。
まともに受ければ、吹き飛ばされる。そう判断したシルキーは、攻撃を受けるたびに身体を小さく沈め、紙一重でかわしていく。
「そこっ!」
エンプーサの蹴り足が戻る、その一瞬にシルキーは一気に懐へ潜り込んだ。
「なっ――」
肩からぶつかる。
エンプーサの身体がわずかに浮いた。
シルキーはそのまま腰を掴み、勢いを利用して地面へ投げ落とす。
「――ッ!」
背中から叩きつけられたエンプーサが、苦悶の声を漏らした。
だが、次の瞬間にはその長い脚がシルキーの身体へ絡みつく。
「しまっ――」
身体をロックされたシルキーの身体ごとエンプーサが宙に浮いた。そのまま地面へ叩きつけようと、エンプーサが身体を捻る。
「させない!」
シルキーは咄嗟にエンプーサの腕を掴んだ。互いの息遣いが聞こえるほどの距離で、二人の身体がもつれ合う。
力比べでは、リビングアーマーを装備したシルキーにやや分があるようだった。やがて――
「……っ!」
シルキーがわずかに身体を沈め、エンプーサの重心が前へ流れる。その瞬間を逃さず、エンプーサの足から滑り抜けた。
腕を取られたエンプーサの身体が大きく傾く。シルキーはその勢いを逃さず、身体を反転させた。次の瞬間、エンプーサの背中が地面に叩きつけられた。
「――ぐっ!」
今度こそ、エンプーサの身体が地面に転がった。シルキーはすぐさま立ち上がり、距離を取った。
荒い呼吸を整えながら、倒れたエンプーサを見据えた。エンプーサは直ぐには立ち上がれないようだった。ただ、ゆっくりと身体を起こしながら、シルキーを睨み返した。その瞬間――。
「今だ!」
上空から、離脱していたはずのドラゴネットが急降下してきた。魅了の危険域を離れたことで、正気を完全に取り戻していた。鋭い爪が、無防備になったエンプーサの背中を捉える。
「ぐああッ……」
エンプーサの体が、大きく吹き飛んだ。地面に叩きつけられたその体は、光の粒となって空気に溶けていった。
***
戦闘が終わると、誠一は思わず大きく息を吐いた。
「危なかったな……」
「ああ。まさか、このオレ様まで魅了が効くとはな」
ドラゴネットが忌々しげに呟く。誠一は苦笑した。
「まあ、無事だったから良かったよ」
「少し焦っただけだ。余裕はあった。」
強がるような口調に、誠一は思わず笑ってしまった。それでも、ドラゴネットの言う通り、危機的な状況というほどではなかった。以前の自分たちだったら、もっと苦戦していたかもしれない。
(確実に、力がついてきてるな)
そんな実感を胸に、誠一はシルキーからリビングアーマーの装備を解かせながら、皆の労をねぎらった。
「みんな良くやってくれた。ありがとう」
「当然のことをしたまでだ」
ドラゴネットがそっけなく答えるが、その視線は、誠一の顔をしばらく見つめたままだった。以前の、興味なさげな視線とは少しだけ違う目だった。
迷宮主を討伐した証である小さな白い魔石が転がっている横に豪華な宝箱――通称、がっかり箱があった。
最近、誠一は以前にはなかった冒険者としての向上心が芽生え始めている自覚があった。前は簡単に開けていたがっかり箱に、今ではどうしても期待してしまう。
働き者のシルキーが、いつの間にかがっかり箱の前に立ち、箱の中から何かを取り出していた。
シルキーの手にはポーションでもマジックカードでもない、丸い何かが握られていた。
「誠一!何か出たよ!古びてて高く売れそうな気がしないけど」
誠一はシルキーからアイテムを受け取って注意深く見てみた。
「……鏡?」
誠一は思わず首を傾げた。
丸い形をした、古びた金属製の鏡だった。銀色というよりは、くすんだ茶褐色に近い。表面には細かな傷がいくつも走っている。
「多分、青銅の鏡だと思う」
「迷宮の主は何回も討伐してるけど、未知のアイテムは初めてだね」
誠一は手に取った鏡を見た。ずしりとした重みがある。鏡面を覗き込むと、そこには誠一自身の顔がぼんやりと映っていた。
「誠一!裏側見てみて!」
シルキーに言われ、誠一は鏡を裏返した。
そこには、奇妙な紋様が刻まれていた。蝙蝠のような翼がある一人の女。その姿は先ほど戦ったエンプーサの姿に似ている。
「……なんか、呪いのアイテムみたいだな」
どうしても気になった誠一はその場に座り込み、スマホを取り出して、データを保存している冒険者専用アプリを開いた。
アイテムデータベースを開き、特徴を入力していく。召喚されたモンスターたちが自由に行動するなか、周囲を威圧するように警戒していたドラゴネットも、やがて退屈そうに寝そべり始めた。
その頃になって、誠一はようやく一つ、それらしいアイテムを見つけた。
【名称】青銅の古代鏡
古びた青銅製の手鏡。使用すると鏡面に封じられた淫魔を一体召喚することができる。エンプーサ、モルモー、サキュバスのいずれかをランダムで召喚する。召喚されたモンスターが死亡すると、アイテムは消失する。
※召喚されたモンスターは、カードの召喚限度枚数とは関係なく召喚することができる。
「……は?」
誠一は、思わず画面を二度見した。一度、目を離し、頭を落ち着かせてから、もう一度見る。そこに表示されている文字は変わらない。
「サキュバス……?」
思わず、その名前だけを口にする。先日、坂上から見せられたカードが脳裏に浮かんだ。
あの時は、自分とは違う世界の話だと思っていたサキュバスを手に入れた。
坂上から、四十歳近い男の性事情についてうんざりするほど聞かされて、適当に相槌を打っただけだった。
だが――今、自分の手の中にある鏡からも、同じモンスターを呼び出せる。
「……ランダム?」
誠一の目が、もう一度画面を追う。エンプーサ、モルモー。そして、サキュバス。三種類のうち、どれか一体を通常の召喚枠を使わずに呼び出せる。
「これ……もしかして、とんでもないアイテムなんじゃないか?」
金額に換算しようとして、誠一は一度考えるのを諦めた。
このアイテムが、坂上の持っているサキュバスと同等の価値を持つものなのか。
ただ、坂上があれほど得意げに自慢していたことを思えば、安いはずがない。
そして何より――。
誠一は鏡を握ったまま、少しだけ視線を逸らした。
(……サキュバス、か)
頭の中に、あのカードを見せびらかしてきた得意げな坂上と、自分を価値のない存在であるかのように見下してきた蒲生の顔が浮かぶ。
同時に、男なら一度くらいは考えてしまうような、下世話な想像まで浮かんだ。
「…………」
誠一は無言になった。興味がないと言えば、嘘になる。むしろ、実際にどんなものなのか知りたいという気持ちは、確かにあったが。
「……美咲さんには、言えないな」
別に悪いことをしているわけではない。それでも、美咲の両親の話を聞いたあとに「サキュバスを召喚できるアイテムを手に入れた」と話している自分を想像するだけで寒気がした。
「誠一?」
シルキーの声がした。
振り返ると、近くで待っていたシルキーが、不思議そうにこちらを見ている。
「嬉しそう。高く売れそうなの?」
「多分。でも、迷宮探索にも役立つと思う」
「すごい!それで、どんなアイテムだったの?」
誠一は途中から妙な居心地の悪さを感じながら、シルキーに淫魔の召喚ができることを伝えるのだった。