社会人だってリア充になりたい 作:アンドレアス
誠一と迷宮に潜った次の日、日曜の昼下がり。美咲は都内のカフェで、唯と向かい合っていた。
「そういえば、ゼミが一緒だった吉田さん、結婚するんだってさ」
唯がアイスラテをストローでかき混ぜながら、思い出したように言った。
「え、あの吉田さんが?」
「うん。相手は大学の同級生らしいよ。招待状、来月には届くって」
美咲と唯には結婚どころか、恋人もいない現在。二人にとって、結婚はまだ自分のこととして考えるには、少し遠い話だった。
「早いね……もうそんな歳か。私たちも26歳だもんね」
美咲がしみじみと呟くと、唯も苦笑した。
「もうアラサーだよ。大学時代の友達、みんなそれぞれ進んでるし。そういえば、沢渡くんとかも、もう新しい彼女と婚約してるんでしょ?」
「うん、みたいだね」
「美咲にとってはもう関係ない話だよね。まだ連絡とったりするの?」
唯の何気ない問いに、美咲は少し考えるように視線を上げた。
「あ、うん。大学の時に貸してたお金、まだ返してもらってなくて。それの催促、というか、返済の連絡だけ」
「あー、沢渡くんも冒険者だったけど、お金にはだらしなかったよね」
美咲と沢渡が付き合っていた当時を思い出して、唯は納得したように頷いた。
「美咲は、冒険者の方はどう?順調なの?」
一段落したところで、唯がふと思い出したように言った。
「うん、順調だよ。二つ星になってから、Eランク迷宮の攻略、進めてて」
「一人で迷宮入ってるの?」
「ううん」
美咲が答えると、唯がすかさず食いついた。
「え!誰と?――もしかして、この前会った黒田さんだっけ?」
「……うん、まあ」
美咲は少し照れたように視線を落とした。
「へー!連絡先交換したのは見てたけど、そんなに仲良くなったんだね。その黒田さんとはどうなの?」
唯が身を乗り出して聞く。
「どうって……普通に、仲良くやってるよ」
「普通にって、どのくらい?」
「んー……気づいたら、毎週みたいに会ってるかも」
美咲がそう言うと、唯の目が丸くなった。
「え、毎週? それもう、完全に付き合ってるようなもんじゃない」
「そう、かな……」
美咲は口ごもった。実際、傍から見ればそう見えるのだろう。だが、美咲の中では、まだそこまでの確信は持てていなかった。
「……なんていうか、私も、よく分かんなくなる時がある」
美咲は、氷が溶けて薄まった紅茶に視線を落としながら、ぽつりと言った。
「私、これまでの人たちって、大抵、最初からすごい積極的だったんだよね。……別にモテ自慢じゃなくて」
「知ってる。美咲、そういうの多いもんね」
唯が軽く肩をすくめる。美咲は苦笑した。分かりやすい好意を向けられることには、確かに慣れていた。だが、それは同時に、常に相手の下心を警戒しながら人と接することに、慣れてしまっていたということでもあった。
「黒田さんは、なんか、違うの。初めて会った時から、なんていうか、私を口説こうとしてる感じが全然なくて。むしろ、冒険者の話とか、迷宮の話とか、そういうのを、真剣に聞いてくれて」
「それは、単に照れてるだけなんじゃなくて?」
唯から見た誠一は、合コンの席でもあまり話すのが得意ではないように見えた。二十八歳にもなって、友人の河合に世話を焼いてもらっている姿が、唯の印象には残っていた。
「……私も最初は、そう思ってた。黒田さんって、優しいし、真面目だし……一緒にいて、すごく落ち着くの。ただ、なんていうか……」
「なんていうか?」
「私に対して、そこまで、強く迫ってこないっていうか。分かりやすい下心とか、そういうのが、ほとんど感じられなくて」
唯が、少し呆れたような顔をした。
「それ、単純に美咲のこと大事にしようとしてるからじゃないの」
「……そうなのかな」
美咲は、自分でも整理しきれていない感情を、ゆっくりと言葉にしていた。
***
昨日の食事のとき、居酒屋で誠一が、自分の生い立ちや、シルキーとの関係を正直に話してくれた時、美咲は少し驚いていた。女性の前で、そこまで自分のことを正直に話せるものなのだろうか。
それでも誠一は、隠すことなく、正直に話してくれた。
――今は、美咲さんと出会って、自分でも現実の方をちゃんと大事にしなきゃなって、気持ちが傾いてる。
その一言を聞いた時、美咲の心臓は、はっきりと跳ねた。誠一なりの、精一杯の告白だったのだと、今なら分かる。
だが、その直後、誠一は何も言わずに黙り込んでしまった。改札の前で、何かを言いかけて、結局、言葉にできなかった。
美咲は、あの瞬間のことを、何度も思い返していた。
(もし、あの時、はっきり言ってくれてたら……)
自分はどう答えていただろうか。素直に頷けていただろうか。それとも、まだ怖くて、逃げていただろうか。
***
「美咲?」
唯の声に、美咲は我に返った。
「あ、ごめん。ちょっと考え事してた」
「なんの考え事」
「……この前、二人でご飯行った時、告白されかけたんだよね」
「え! マジで!?」
唯の声が跳ね上がる。周囲の客の視線が一瞬こちらに向いたが、美咲は気にせず続けた。
「されかけた、っていうか。多分、言おうとしてくれてたと思う。でも、結局言えなくて、そのまま解散になっちゃった」
「なにそれ、じれったすぎる」
唯が呆れたように笑った。
「でも、美咲はその態度を見てどう思ったの?」
「……嬉しかったと思う。」
正直に答えると、自分の頬が熱くなるのを感じた。
「でも……嬉しかったけど、同時に、ちょっとだけ怖かったのも、ある」
「怖い?」
「うん。なんていうか」
美咲は、自分の中に長くわだかまっていたものを、言葉にする覚悟を決めた。
「私、両親のこと知ってから、迷宮とか、冒険者っていうものに対して、ずっと複雑な気持ちがあって」
唯が、真剣な表情に変わる。美咲の両親のことは、以前から少しだけ話していた。
「アンゴルモアの話とか、カードのこととか。両親を見てると、人がのめり込んでいく様子が、身近すぎて、少し怖くなる時があるの」
「黒田さんも、カードにのめり込んでる、ってこと?」
「そういうわけじゃ、ないんだけど……」
美咲は、慎重に言葉を選んだ。
「黒田さん自身は、多分、ちゃんとしてる人だと思う。でも、その、シルキーさんとの関係の話を聞いた時、正直、ちょっとだけ、複雑な気持ちになったのも本当」
「そうなんだ。それは……ちょっと複雑だね」
唯もゼミで迷宮や冒険者について調べたことがある。だから、美咲が何を心配しているのかも、なんとなく分かった。
「うん」
美咲は頷いた。
「引かなかったよ、って言ったの、本心なの。人それぞれ、寂しさの埋め方が違うのは、本当にそう思ってるから。でも……もし私と付き合うことになったとして、その後も、黒田さんの中で、シルキーさんの存在が、今と同じ場所にあり続けるのかなって、考えちゃう時がある」
言葉にしてみて、美咲は初めて、自分の中にあった不安の正体を、はっきりと自覚した。
嫉妬、というのとは、少し違う気がした。もっと根本的な、誠一という人間の在り方そのものに対する、静かな戸惑いだった。
「それは……難しい問題だね」
唯が、慎重な口調で言った。
「でもさ」
唯が、ふと思いついたように言った。
「美咲って、両親のこと考えたら、逆に冒険者と関係ない、普通の人の方が安心なんじゃないの?」
美咲は少し考えてから、首を振った。
「……それも、考えたことあるんだけどね」
紅茶のグラスを両手で包むように持ちながら、美咲は続けた。
「でも、私は、アンゴルモアが今後も起きるのだとしたら、自分でも備えておきたいの」
美咲は一度言葉を切った。
「そう考えると、私も冒険者として、ある程度は生き残れる力を持っておきたいって思うから」
「なるほどね」
唯は頷きながら、美咲の言葉を待った。
「だから、全然理解のない人と一緒にいるのって、それはそれですれ違いになったり、不安になっちゃう気がして」
「ああ……」
唯は小さく頷き、少しだけ考えるように視線を落とした。
「だから、結婚するなら、一緒に冒険者としてもやっていける人がいいなって思って。両親を見てて、カードにのめり込むことが怖いのと、備えとして冒険者の力を持っていることは、私の中では別の話で」
唯は、少し感心したように頷いた。
「美咲も色々と悩んでるね」
「まあ、両親のことがあるから、余計に、かな」
美咲は苦笑しながら答えた。唯はソファの背もたれに身を預けて、聞き返した。
「今後も黒田さんとは一緒に迷宮探索するんでしょ?どうしたいの、美咲は」
唯の問いかけに、美咲はしばらく黙り込んだ。
窓の外の光が、テーブルの上に柔らかく差し込んでいる。美咲は、その光を見つめながら、自分の心の中を、丁寧に見つめ直していった。
「……本当は、私も、ちゃんと向き合いたいと思ってる」
「うん」
「不安なこともあるけど、それでも、黒田さんと一緒にいる時間が、居心地の良いものになってるのは確かだから」
言葉にして、美咲は自分の気持ちに、改めて確信を持てた気がした。
「今度、もし、また、あんな雰囲気になったら……今度は、自分から言ってみるのもアリかな」
「お、いいじゃん」
美咲の半分冗談のような話に、唯が面白そうに話に乗っかった。
「頑張ってね。美咲の中の問題だから手助けはできないけど、何かあったらいつでも相談して」
「ありがとう」
美咲も、自然と笑みがこぼれた。時間を確認するとお店に入ってから2時間近く経過している。土日の喫茶店は滞在時間制限があるので、そろそろ店を出る時間になっていた。
「私は、この後近くのギルドに寄ってみたいんだけど、唯はどうする?」
唯もスマホで時間を確認すると、カバンを持ちながら言った。
「特に用事もないから、美咲に付き合おうかな。もし、迷宮からモンスターが溢れるなら私も冒険者として情報収集しとかないといけないし」
唯は冗談めかしてそう言うと、二人は店を後にした。