社会人だってリア充になりたい   作:アンドレアス

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第十二話「青銅鏡の価値」

 

その日の午後、誠一は太陽リサイクルへの定例訪問に向かっていた。いつも通り応接室に通されると、坂上はすでにソファに座って待っていた。

 

だが、誠一はその顔を見た瞬間、小さな違和感を覚えた。

 

「黒田さん、おはようございます」

 

「おはようございます」

 

挨拶自体は、いつもと変わらない。

 

だが、坂上の目の下には、隠しきれない濃い隈が浮かんでいた。顔色も、心なしか悪いように見える。

 

「今日も、報告書と請求書、お持ちしました」

 

誠一は書類を差し出しながら、それとなく坂上の様子を窺った。

 

「ああ、ありがとうございます」

 

坂上は書類にさっと目を通した。

 

しかし、その動きも以前ほど機敏ではない。ページをめくる指先が、わずかに揺れているような気がした。

 

「……坂上さん、大丈夫ですか? 少し、お疲れのようですけど」

 

思わず声をかけると、坂上は軽く笑って手を振った。

 

「ああ、ごめんなさい。ちょっと最近、寝不足が続いてて」

 

「お仕事が忙しいんですか?」

 

「いやいや」

 

坂上は上半身を揺らしながら、視線を宙に漂わせる。

 

「前に話したサキュバスと楽しみ過ぎですよ。年齢のせいか、無理が効かなくなって」

 

そう言って、坂上は苦笑した。それ以上深く語るつもりはないらしい。誠一もそれ以上は踏み込まず、話題を仕事へと戻した。

 

いつも通り、景気の話や業界の雑談を交わしながら、商談は滞りなく進んだ。

 

(単なる寝不足、なのかな……)

 

以前の坂上を知っているだけに、その変化には引っかかるものがあった。

 

***

 

誠一は営業車に乗り込むと、いつも通り事務所へ直帰の連絡を入れた。

 

日の沈む時間はすっかり早くなっている。まだ午後五時頃だというのに、辺りはすでに暗くなっていた。

 

誠一は伊勢崎駅前にある、老舗然とした落ち着いた雰囲気の喫茶店に入った。革張りのソファ席に案内されると、蒲生がすでに一人でコーヒーを飲みながら待っていた。

 

「黒田さん、早かったですね」

 

蒲生は軽く手を挙げると、開いていたノートパソコンを閉じた。

 

相変わらず、腕には高級そうな腕時計をしている。普段から良いものを食べているのか、でっぷりと膨らんだ腹はスーツに収まりきっていなかった。

 

「今日はお時間いただいて、ありがとうございます」

 

誠一は席に座りながら頭を下げる。今日は、青銅鏡の売却価格を聞くために、仕事終わりに蒲生と会う約束をしていた。

 

「いえいえ。こちらも儲け話なら大歓迎ですよ」

 

以前、飲み屋で会った時とは打って変わって、蒲生は誠一を対等な相手として扱っている。誠一はそんな蒲生の態度に嫌悪感を覚えつつも、買取価格の査定を頼むことにしていた。

 

あいにく、誠一が知っている札商は蒲生しかいない。

 

「珍しいものを手に入れましたね。低ランクの迷宮でも比較的ドロップしますが、人気のあるアイテムですからね」

 

蒲生から促されるようにして、誠一は鞄から一枚のカードを取り出した。

 

古代青銅鏡。

 

青銅製の鏡は、そのまま持ち歩くには重いうえ、破損してしまう可能性もある。そのため、誠一はギルドでなけなしの貯金を崩し、アイテムをカード化していた。カード化には百万円もかかった。

 

「やはり淫魔系のモンスターは、世界中の男性から需要がありますからね。ただ、召喚回数に制限がある分、どうしてもカードと比較すると、その分は割り引かれる」

 

蒲生は得意げに自分の知識を披露していくが、誠一はその姿にどこか既視感を覚えた。

 

自分も営業として、普段は一方的に資料の説明をしている立場だからだ。

 

「ただ、三種類の女の子モンスターを楽しめる点。それに、モンスターカードと違って受け渡しが簡単にできるという点は優れている」

 

蒲生はそこで話を止めると、わざとらしくゆっくりとコーヒーを口に含んだ。そして、少し間を置いてから口を開く。

 

「俺なら五千万円で買い取ろう――だが」

 

蒲生は音を立ててコーヒーカップをテーブルに置いた。

 

「カードとの交換であれば、もう少し高く見積もることもできる」

 

(なるほど。そう来たか)

 

誠一は、もう少しこの茶番に付き合うことにした。蒲生の営業トークは、誠一から見ればそれほど上手いものではない。

 

だが、蒲生をその気にさせた方が、最終的な交換条件は良くなるかもしれない。

 

「カードとの交換……」

 

「例えば、Cランクカードと、いくつかのDランクカードの組み合わせなんかはどうです?」

 

蒲生はそう言いながら、鞄からカードを収納したファイルを取り出し、テーブルの上に広げた。一枚は、首のない甲冑の騎士――デュラハン。

 

もう一枚は、蝙蝠の翼を持つ女――エンプーサだった。

 

「これは、あくまで一例だがな」

 

誠一は、その二枚をじっと見つめた。頭の中で価値を計算しようとするが、正直なところ、感覚だけでは正確な相場を掴みきれない。

 

「他にも、色々あるぞ」

 

蒲生はさらにファイルをめくり、別のカードを指さした。翼を持つ幻獣グリフォン。ボアオークのランクアップ先であるグレンデル。

 

どれも誠一のデッキには一枚もない、有用そうなCランクカードばかりだった。

 

「これだけの選択肢があれば、悪くない条件だと思うがな」

 

蒲生が、探るような視線を誠一に向けてくる。誠一はしばらく黙ったまま、並べられたカードを見比べていた。

 

「……少し、考えさせてください」

 

誠一自身も、青銅鏡を使って召喚を試していた。確かに淫魔であるエンプーサは召喚できたが、召喚されたのは下位眷属体だった。

 

喋ることもできず、召喚できるのは一日一回、三時間だけ。Eランクモンスターと戦わせてみたが、戦力としては微妙だった。

 

男の欲望を満たすアイテムとして考えれば価格は高い。だが、Cランクのデュラハンと比較すれば、戦力としては明らかに後者の方が上だ。

 

それでも、誠一はすぐには答えを出せなかった。大きな金額が動く取引である。それに、この蒲生という男がどうしても信用できなかった。

 

「手に入れたばかりのレアアイテムを手放しがたい気持ちも分かるが、破格の提案だと思うよ」

 

蒲生はさらに笑みを深めると、今度は少し小馬鹿にするように口を開いた。

 

「まあ、数回楽しんでからでもいい。その時は俺に電話してくれよ」

 

蒲生は話は終わったとばかりに、ファイルを片付け始めた。ちょうどその時、誠一の頼んだホットコーヒーが運ばれてくる。

 

「そういえば、黒田さん」

 

蒲生は再びわざとらしい愛想笑いを浮かべながら、尋ねてきた。

 

「マイナススキルの『零落せしもの』を持ったカード、持ってないか? 知り合いとかでもいいが」

 

「零落せしもの、ですか?」

 

誠一は少し考えた。以前、美咲と一緒にいるとき、ギルドの検索端末で目にした記憶がある。

 

マイナススキルの一種で、本来の性能から一部が制限されているが、その分、相場が下がるカードだったはずだ。

 

「そういえば……船橋のギルド支部で、売りに出ているのを見ましたね」

 

その瞬間、蒲生の目が大きく見開かれた。どうやら、相当気になるらしい。

 

「本当か! 何のカードだった?」

 

「Cランクのアマルテイアです」

 

蒲生の目が、わずかに光った。

 

「アマルテイアか。それは、いつ頃見た?」

 

「数週間前ですかね。まだ売れ残ってるかは分からないですけど」

 

「そうか。ありがとう。あとで確認してみるよ」

 

蒲生は手帳のようなものを取り出すと、何かを書き留めた。誠一はその様子を眺めながら、少しだけ胸がざわついた。

 

(この反応はなんだ……? 零落せしものに、何かあるのか?)

 

自分には一生手が届かないと諦めた、あの五千万円のカードのことを、誠一はふと思い出した。

 

もし蒲生がそれを買い取れば、青銅鏡と交換できるかもしれない。そう考えると、余計に蒲生の態度が気になった。

 

「零落せしものを持ったカードを、何に使うんですか?」

 

「ん? まあ、コレクターの需要があるんだよ。マイナススキル持ちでも、安く手に入るならって理由で、あえて集めてる奴らもいるんだ。世の中、色々な趣味があるもんでな」

 

蒲生は、はぐらかすように笑って答えた。誠一はその答えに、どこか納得しきれないものを感じたが、それ以上は追及しなかった。 

 

それよりも、Cランクカードとの交換が気になって仕方がなかった。

 

早めに別の手段で相場を確認して、カードと交換したい。仕事においても、見積もりを二社以上から取り寄せることは常識だ。

 

そこで、ギルドにも買取査定を依頼しているが、そこまで高い値はつかないだろう。

 

急ぐことでもないと思っていたが、Cランクカードを手に入れることができるとなれば話は変わる。これまで誠一にとって、Cランクカードは自分とは関わりがない世界の話だと思っていた。

 

しかし、今は違う。目の前に、手を伸ばせば届くかもしれないCランクカードがある。

 

デュラハン。

 

グリフォン。

 

グレンデル。

 

どれも、今の自分のデッキに加われば確実に戦力になる。そして、それだけの戦力があれば――。

 

(……三つ星、狙えるんじゃないか?)

 

誠一の胸の中に、今までぼんやりとしていた可能性が、初めて具体的な形を持って浮かび上がった。

 

三つ星冒険者。

 

それは、これまでの誠一にとって現実味のない目標だったが、Cランクカードを手に入れられるのなら、本当に届くかもしれない。

 

そう思った瞬間、青銅鏡の価値は、単なる五千万円という金額ではなくなっていた。このアイテムを手放せば、強力なカードが手に入る。

 

そして、そのカードがあれば、自分の人生が……未来が変わるかもしれない。誠一はテーブルの上に置かれた青銅鏡のカードを見つめた。

 

「……なるほど」

 

思わず、小さく呟く。青銅鏡を手に入れた時には、こんなことになるとは思っていなかった。このカード一枚が、自分の人生を変えるかもしれない。

 

誠一はそう思いながら、もう一度、蒲生が見せたCランクカードの姿を思い浮かべていた。




時系列について補足すると、今回のお話は学生トーナメント決勝戦後、テレビ放送前あたりを想定しています。
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