社会人だってリア充になりたい 作:アンドレアス
土曜の昼、西新宿駅東口を出てすぐの居酒屋で、誠一と河合は早々に昼飲みを始めていた。
「高梨さんと、まだ続いてんのかよー!」
河合がジョッキを片手に、身を乗り出すようにして声を上げた。周囲の客が一瞬こちらを見たが、河合はまるで気にしていない。
「お前が?」
「なんだよ、その言い方」
誠一が苦笑いを浮かべ、美咲のことを思い出した。今週も美咲とは会う予定だったが、急な予定があるとのことで、迷宮探索は休みになった。そして金曜の夜に河合から連絡が来て、こうして昼から酒を飲んでいるのだった。
河合は身を乗り出して、さらに畳み掛けてきた。
「それにさ、サキュバスを召喚できるアイテムまで手に入れて、やばいな。黒田にもとうとう幸運の波が押し寄せてきたなぁ」
「サキュバスのカードほどの価値はないけどな」
「まあまあ、細かいことはいいから」
河合は聞く耳を持たず、枝豆を口に放り込みながら続けた。
「とにかく、お前は上手くやってるってことだろ」
「……まあ、それなりに」
誠一は照れくさそうに答えながらも、内心では悪い気がしていなかった。美咲との関係のことを、こうして友人に冷やかされるのも、今までの人生では味わったことのない感覚だった。
ひとしきり盛り上がった後、河合はふと真顔になった。ジョッキをテーブルに置き、少し考え込むような表情を見せる。
「……なあ」
「なんだよ、急に」
「黒田の運、俺にも分けてくれないか」
「は?」
先ほどまでとは打って変わって、河合はいつになく真面目な表情になっている。
「小森さんもダメだったし、ここ一ヶ月、マッチングアプリで五人くらい会ったけど、全員脈なしだったんだよ。俺の好みじゃなかったのもあるけどさ」
「お前が面食いだからじゃないのか」
誠一が茶化すように言うと、河合はムッとした様子で反論した。
「確かに、小森さんと高梨さんを見て、俺のハードルが上がったかもしれないけど。それでも、当たりが悪すぎるんだって」
「……で?」
「そこで、考えたことがあるんだ」
河合は、思い切ったように真剣な顔で切り出した。
「俺も、冒険者に登録しようかと思って」
「おー! マジか」
誠一は素直に驚いた。
「俺で良かったら、手伝うよ」
「いや! そんな本格的に探索するつもりはないんだ」
河合は慌てて首を振った。
「ただ、冒険者って、金回りが良いイメージあるだろ? 地方公務員って、逆に金がないイメージあるらしくてさ。実際、そこまで高給取りでもないし」
公務員の給与はわからないが、今の誠一ならFランク迷宮なら半日で攻略できる。Fランク迷宮一回あたりの利益は五万から十万円。確かに休日のバイトとしては破格の金額だ。
「それで、冒険者登録して、箔をつけたいっていうか」
誠一は思わずジョッキを置いた。
「お前……公務員って副業は禁止なんじゃないのか」
「知らないのか。申請すれば冒険者なら問題ない。実際に迷宮に最も詳しい自衛隊も公務員だしな」
誠一は詳しい話は知らなかったが、河合なりに色々と真剣に調べてきていることはわかった。
「そこで、お前に一つ頼みたいことがある」
河合が、いよいよ本題に入るように、身を乗り出した。
「黒田には、カードパックを一緒に買ってほしいと思って」
「カードパック?」
誠一は思わず聞き返した。
カードパックとは、ギルドで販売されている、ランダムに十枚のモンスターカードが封入された箱のことだ。開けてみるまで中身が分からない、完全な運任せの商品で、一パックあたり百万円。決して安くはなく、当たれば大きいが、外れれば手痛い出費になる、いわば博打に近い代物だった。
「俺は、堅実にいきたいから買わないぞ」
誠一が即座に断ると、河合は食い下がった。
「まあ待てって。お前、宝くじで一等が当たる確率って知ってるか? 二千万分の一だぞ」
「知らないよ、そんな細かい数字」
誠一は呆れたように返すが、河合の表情は揺らがない。
「カードパックでBランクカードが出る確率は〇・一パーセント程度、Cランクに至っては一パーセントだ。宝くじと比べたら、かなり現実的な数字だろ」
「た……確かに、数字で見ると検討する価値はあるな」
河合の勢いに押され、誠一は思わず頷いてしまった。数字だけを切り取って聞くと、なるほど、悪くない確率のようにも聞こえてくる。
「それに、今日話を聞いて確信したが、今、ノリに乗ってる黒田――いや、黒田様なら、幸運を引き寄せられると思ってさ」
「うーん……」
誠一は唸った。上手く乗せられているのは分かっていたが、それでも、河合の縋るような目を見ていると、無下に断るのも忍びない気持ちになってくる。
「C以上のカードが出たら、黒田のものにしていい」
「え!?」
「その代わり、Dランクカードが出たら、俺に優先的に選ばせてくれ」
河合からの提案は、そういうものだった。互いの資金を五十万円ずつ出し合い、パックから出たカードの扱いを、ランクに応じて振り分ける。C以上が出れば誠一のものとして河合には代わりにDランクカードを融通する。Dランクカードが出れば河合が優先的に選べる――そんな取り決めだった。
「俺は、普通に百万円貯めて、ボアオークでも買った方がいいと思うけどな」
「いや! 今さらボアオーク一枚持ってたところで、あからさまって感じがするだろ? ある程度、人気のあるカードを持ちたいんだよ」
「贅沢な話だな……」
「黒田、頼む。お前の幸運に縋りたいんだ!」
拝み倒すように頭を下げる河合の姿に、誠一は思わずため息をついた。
その時、誠一の頭の中で、ふとした妄想が働いた。もし、本当にCランクのカードが出れば――青銅鏡の交換分と合わせて、二枚のCランクカードを所持することになる。
三つ星冒険者への道が、一気に現実味を帯びてくることを意味していた。
青銅鏡のカード化で百万円を使った今、誠一の貯金はちょうど五十万円残っていた……悩んだ末、誠一はゆっくりと頷いた。
「……分かった」
「マジか! ありがとな、黒田!」
河合の顔が、パッと明るくなった。
***
昼過ぎの新宿の街は、休日らしい賑わいに満ちていた。大荷物を引いた外国人観光客の合間を縫うようにして、誠一と河合は近くのギルド支部へと足を向けた。
新宿ギルドの入り口をくぐると、休日ということもあり、多くの人の出入りがあった。受付にも列ができている。誠一と河合は、その最後尾に並んだ。
「緊張してきた」
河合が、柄にもなく神妙な顔で呟いた。
「お前が言い出したことだろ」
「分かってるけど、いざ現実味を帯びてくるとな」
順番が回ってくると、誠一は受付のカウンターに冒険者カードを差し出した。
「カードパックを購入したいのですが」
「何パック買いますか?」
窓口の女性職員が、事務的な口調で尋ねてくる。
「……一パックで」
誠一が答えると、河合が横から慌てて割り込んできた。
「あ、いや、俺の分と合わせて、一パックを折半で払います」
職員は少し不思議そうな顔をしたが、特に何も言わず、手続きを進めた。
***
会計を終え、ギルド内の人気の少ない一角で、二人は向き合った。
河合の手にある箱は、百万円の価値があるとは到底思えない、質素なものだ。二人は思わず息を詰めた。
「じゃあ、一枚ずつ見ていくからな」
河合はゆっくりと箱の蓋を持ち上げる。カードは裏向きに並べて入っているようだった。河合は伸ばした手を途中で止める。
「あぶなかった! 黒田、お前が持って確認してくれ」
河合の焦った姿は、何も知らない人から見れば大袈裟な態度だったが、ギルド内ではよく見られる光景だった。
誠一は慎重に一枚目のカードを手にする。表を向けると、これまで何度も見てきたカード。Fランクのゴブリンだった。両手を合わせ、祈るように覗き込む河合の横で、誠一は残りのカードを慎重にめくっていく。
二枚目、ウルフ、Fランク。三枚目、コボルト、Fランク。四枚目、スケルトン、Fランク。
河合が握りしめる両手の力が、次第に強くなっていくのが分かった。いや、お酒のせいもあってか、力を込め過ぎて河合の指先は小刻みに震えている。
五枚目、ローパー、Fランク。六枚目、ウルフ、Fランク。七枚目、ゴブリン、Fランク。八枚目、ゴブリン、Fランク。
残りは二枚。ここまでのカードは驚くべきことに全てFランクカードだったが、逆に残りのカードへの期待が二人の間で高まっていく。
(これは本当にあるかもしれない)
誠一は、いつになく頭がぼーっとしていた。なのに、不思議と思考だけはクリアになっていくのを感じる。これはシルキーと念話をするときの感覚と似ている。もしかしたら……。
九枚目、ゴブリン、Fランク。
指先が最後の一枚に触れた瞬間、なぜか妙な熱を感じた。
(……もしかして、このカードが俺を呼んでいる)
心臓が、やけに大きく音を立てているのが分かった。まさか、この最後の一枚で――そんな淡い期待が、頭の中を過ぎる。
震える手で、そのカードを表に返す。
「……ゴブリン」
呆気ないほど、あっさりとした結果だった。
誠一は、しばらくその場から動けなかった。心臓の音は、まだ大きく響いている。だが、それはもう、期待からくる高鳴りではなかった。
(……中学の時、初めて好きな子に告白して、振られた時に匹敵する喪失感だ)
そんな場違いな比喩が、頭の中に浮かんでは消えていった。
誠一は、隣に立つ河合の顔を見ることができなかった。